機関紙誌等に発表した雑文等を掲載しています。
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あけましておめでとうございます
2016.1.1
醜い国記念日 2016.03.29
平成28年3月29日、安全保障関連法が施行されました。
「美しい国日本」を唱和する政治家らによって、この国が「醜い国日本」に舵をきった記念日です。
アベは早速、米国との協調を声高に叫んでいます。
日本は「民主国家」をやめにして「米主国家」になりました。ナムアベダブツ・・・
憲法記念日に思う 全権委任法を見倣う人々 2016.05.03
反核医師の会MLへの投稿を収録しました
憲法記念日。いい天気ですね。
オニギリ持って山の花を見に行こうかな、と算段しているところです。
約3年前の2013年8月、麻生副総理が、ある集会で、
「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」
と発言して話題になりました。
ナチスを手本にしようとする連中が、国の中枢に座っていることに愕然としました。
その後も与党関係者による、「立憲主義は時代遅れ」、「八紘一宇の理念を生かせ」などの発言が続いていて、背後に与党議員を教化教導する勢力(たぶん日本会議)が見え隠れします。
それ以来、気にかかっていたのですが、最近「ヒトラーとナチ・ドイツ」(石田勇治著・講談社現代新書)
という本を読んで、なるほど、と思いました。
1933.1.30 ヒトラーが首相になりましたが、それは選挙に勝って過半数を占めたからではなく、ヒンデンブルク大統領が、
いまは人気のあるこいつにやらせるのがいいだろう、右派連合内閣の少数派だから問題ないだろう、と任命したからです。
それ以前からも、同じような首相任命が続いていました。
少数派による内閣を支えたのが、議会の議決を経ずに実施できる「大統領令」でした。
「大統領緊急令」を頻発して政治を行う、「大統領内閣」と呼ばれる体制です。
ヒンデンブルク大統領による「大統領内閣」
ブリューニング 1930.4〜
パーペン 1932.6〜
シュライヒャー 1932.12〜
ヒトラー 1933.1〜
ヒトラーは首相になるとすぐさま議会を解散し、国会議事堂炎上事件を口実に野党を弾圧し、議会で多数派となる工作をすばやく進め、成功しました。
真っ先に不退転の姿勢で取り組んだのが、「全権委任法」と呼ばれる法制でした。正式名は「国民および国家の苦境除去のための法」(1933.3.23)
憲法も立法機関も関係なく、政府が法律を制定できる、とする法律が国会の議決(3分の2)で成立しました。
第1条 国の法律は、憲法に定める手続きによるほか、政府によっても制定されうる。
第2条 政府が制定した法律は憲法と背反しうる。
第3条 政府が制定した法律は、首相の手で認証され、官報に公示される。
第4条 外国との条約で立法の対象となるものは立法参与機関の承認を必要としない。
憲法を変えず、憲法にとらわれずに、通達のような簡便さで法律ができるようになったのです。
これに基づいて、新しい法律(いわゆる「ナチ法」)が続々と制定されていきました。
一方で、アウトバーン建設や軍需産業など、失業対策に力を入れ、武力を背景に対外的に成果を挙げ、ラジオ・新聞をコントロールし、プロパガンダに力を注ぎ、
がっちりと国民の支持をつかみました。
三本の矢、一億総活躍、と大風呂敷をひろげ、
閣議決定で何でも出来る……どこかの国の風潮に似ていませんか。
ナチスの「全権委任法」とアベ政治について下記をご参照ください。
弁護士・澤藤統一郎さんの「憲法日記」
アベ政権の「緊急事態条項」は、ナチスの「全権委任法」にそっくりではないか
植草一秀の『知られざる真実』
このままゆけば日本版全権委任法制定は確実
【史料】全権委任法(1933年) (ドイツ語の原文資料あり)
ジェンダー視点で歴史を読み替えるー比較ジェンダー史研究会
どうする?トリチウム水 2016.05.29
反核医師の会MLへの投稿を収録しました
平成28年5月27日、経済産業省「汚染水処理対策委員会」のもとに設けられた「トリチウム水タスクフォース」チームが報告書(案)を発表しました。(6月3日に正式の報告書を発表)
最初のほうで「本タスクフォースは、トリチウム水の長期的取り扱いを決定するための技術的な調査を行うが、関係者間の意見調整や選択肢の一本化を行うものではない」と中立性を掲げています。
17人のメンバーの名簿をみると国の行政機関や研究機関に属する人がほとんどです。
先ずは出発点、現況。
タンクに貯蔵されている汚染水は約80万立米、濃度は30万〜420万Bq/Lであり、トリチウムの総量は2.1g、放射能は約7.6x10~14Bq (760兆ベクレル)と見積もられています。たった2.1g でこれだけの放射能を有するとは、想像を超える世界です。
トリチウム水の処理方法として最終的な経路と前処理の組み合わせから11のカテゴリーに分けて検討しています。
地層注入 | 前処理なし | 希釈後 | 分離後 |
海洋放出 | | 希釈後 | 分離後 |
水蒸気放出 | 前処理なし | | 分離後 |
水素放出 | 前処理なし | | 分離後 |
地下埋設(深地) | 前処理なし | | |
地下埋設(浅地) | 前処理なし | | |
トリチウムを分離する方法については7件の提案について検討していますが、うち3件については「候補にはなりえない」「適用は困難」と切り捨て、残りの4件についても「短期間で実用化にいたる技術は無い」として、事実上、分離(濃縮)処理を検討から外しています。
前処理なし(=そのまま)にしても、希釈するにしても、放出すれば環境への放射能の拡散量は同じです。これで良しとする考え方が理解できません。
それで良いなら、コストのかからない「希釈後海洋放出」でいい、ということになってしまいます。
報告書は「風評被害などの社会的な観点等も含めて、総合的に検討を進めていただきたい」と結ばれています。批判があっても、「風評」「一面的(総合的でない)」として退けようと身構えているみたいで、気色わるいですね。
追記:告示濃度
「核原料物質、核燃料物質および原子炉の規制に関する法律」(原子炉等規制法)に基づく「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則」により定められた「実用発電用原子炉の設置、運転等に関する規則の規定に基づく線量限度等を定める告示」(線量当量限度告示)により、トリチウムの水中の濃度限界は60000Bq/Lとされている。これを「告示濃度」と称している。権威ありげだが、根拠は??
廃液中又は排水中の濃度限度は、飲料水として飲み続けたとき、経口摂取による内部被ばくが1年当り1ミリシーベルトを超えないように設定されている。核種ごとに、他の核種をふくまない純粋な被ばくを想定して、濃度限界を示している。核種が組み合わさる場合には合計で1mSvを超えないように計算法を指示している。
なお、内部被ばくの算出にあたっては、ICRPの実効線量換算による。
追記:コスト見積もり
希釈後海洋放出のコストは最大のケースで34億円としている。
以下コスト最大見積もり。
水蒸気放出 349億円
水素放出 1000億円
地下埋設(浅地)1624億円
地下埋設(深地)2533億円
環境中への流出をさけようとすると2桁違ってくる。
(地層注入についてはボーリング調査費用が不定となり、モニタリングの技術が未確立のため、見積もりが難しい)
避難指示解除 霞ヶ関話法に注意 2016.06.15
反核医師の会MLへの投稿を収録しました
葛尾(かつらお)村の大部分で避難指示が解除された、とニュースになっています。避難指示区域の区分は、現在、下記の3種あります。葛尾村の(2)と(3)に相当する地域が解除になりました。国は、2017年3月までに(2)(3)の全地域での避難指示解除を目標にかかげています。
(1)50mSvを超え、自由に立ち入りできない「帰還困難区域」
(2)20mSv超50mSv以下で、日中の出入りは自由にできるが宿泊はできない「居住制限区域」
(3)20mSv以下だがインフラの未整備などの理由で宿泊ができない「避難指示解除準備区域」
年間20mSvが避難指示解除の基準になっています。
「放射性物質による被ばくが年間20mSv以下となることが確実であることが確認された地域」で、「日常生活に必須なインフラや医療などの生活関連サービスの復旧など準備が十分に整った段階で、市町村と密な協議を行った上で、住民の帰還を可能とすることとした」とのこと。(原子力災害対策本部の文書「避難指示区域の見直しにおける基準について」より)
ずっと20mSvでいいとは言っていないものの、「最終的には、追加被ばく線量が年間1mSv 以下となることを目指す」‥と微妙な表現になっています。「ICRPでは数十年程度の期間も想定している」、と変な権威付けをしているところをみると100年近くを想定しているのかもしれません。
結びの言葉で「放射性物質の自然減衰もあわせて…1mSv 以下となることを目指す」と、自然減に期待しています。セシウム137は、半減期30年ですから、100年経てば10分の1近くになります。
もはや老若男女を問わずみんなが「放射線業務従事者」になった、と言うしかありません。(※)
先の文書で、気になったところを記しておきます。
前半の部分で「現在の科学でわかっている健康影響」「放射線防護を講じる際の国際的な考え方」という項目を設けて、解説しています。
広島・長崎のLSS研究を引用しながら、それを「発がんリスク」と何度も呼んでいます。 違うでしょ! それは被爆12〜13年後から開始された「腫瘍登録」における成人の「固形がん」のみを対象にした「死亡リスク」です。死ななければカウントされません。
白血病や心臓病による死亡、死産などは対象になっていません。先天異常や、眼や皮膚などの死に至らない疾病や障害も含まれません。
この文書にかぎらず、公的な文書に広く見られる要注意の言い回しです。霞ヶ関話法と名づけましょう。
8000ベクレルで盛り土 どさくさ緩和を見過ごすな 2016.07.03
反核医師の会MLへの投稿を収録しました
報道によると、「環境省は、放射能濃度が1キロあたり8千ベクレル以下となったものは再利用が可能とする基本方針をまとめた。今後、道路や防潮堤の盛り土などでの活用をめざす」(2016.06.07 朝日新聞)とのこと。
小さな目立たない記事です。時がたち、人々の関心が薄れてきた頃合いを見計らって、巧みに拡大解釈が図られようとしています。
折りしも参院選の時期。野党の民進党は支持団体のなかに電力関係の組合などを抱えている関係もあって、反原発の姿勢を示しにくい。そんなタイミングをうまくとらえています。
事故以前から放射性セシウム100Bq/Kg を「クリアランスレベル」とする基準がありました。これは、身の周りに置いても、そこからの放射線による外部被ばくが0.01ミリシーベルト/年以下になる、という推計が根拠になっています。
事故後、高濃度の放射性を有する廃棄物が広範囲に生じ、普通のゴミ焼却も思うに任せない事態となった。2011年6月23日、環境省は「福島県内の災害廃棄物の処理の方針」を発表し、放射性セシウム濃度が8000Bq/Kg以下の焼却灰は「一般廃棄物最終処分場における埋立処分」を可能としました。
処分場で、年間250日従事して1日4時間現場に出ると仮定した作業員の被ばくが年間で1mSv以下になるとの推計が根拠になっています。処分場は一般人の立ち入りは禁止となっており、一定距離離れた周辺住民の追加的な被ばく線量は0.01mSv/y以下になると推定。ただし、雨水や地下水による漏出などは想定されていません。
環境省の新方針は、廃棄物処分場ではなく、道路や堤防の盛り土に使うという。あたらしい次元の「緩和」です。
原子力資料情報室は「8,000Bq/kg以下の汚染土の再生利用の撤回を求める」とする声明を発表しています。ご一読を!
付記:7月5日の毎日新聞は、環境省の会合で、汚染土の再利用に「インセンティブ(特典)」が必要との議論も出ていることを報じ、再利用を名目に引き取って、その後不法投棄される危険性もある、と警告している。
「富山個別指導事件」 語り伝えよう 2016.11.28
富山県保険医協会総会での発言を収録しました
昨年2月、書籍「開業医はなぜ自殺したのか」の増補復刻版が刊行されました。事件は平成5(1993)年10月ですから23年がたちました。
川腰先生が8月に受けた個別指導は、処分をちらつかせたり、怒鳴りつけたりする、高圧的なものでした。先生は、10月11日、芦峅寺の芳見橋から身を投げられました。そのあと、協会は機関誌の号外を発行し、声明文や公開質問状を発表するなどの活動を行い、12月には医療関係者だけでなく地域住民も参加する追悼集会を開きました。
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川腰肇Dr. 中新川郡立山町宮路 医療法人社団山田医院
1993.08.27 県保険課の個別指導(魚津社会保険事務所)
10.04 「改善報告書」提出
10.07 協会に入会申し込み。平井事務局長が訪問。
10.08 入会申込書受理
10.11 芳見橋(立山町芦峅寺)から投身自殺。享年37歳。
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10.28 中新川郡医師会が抗議文提出〜翌日マスコミ報道
10.29 とやま保険医新聞号外
10.29 協会声明文(県へ)
11.12 公開質問状(県へ)〜翌日マスコミ報道
11.12 行政手続法公布(翌年10.01施行)
11.15 とやま保険医新聞特集号
11.15 患者有志、立山町と県へ嘆願書
11.18 高野会長、上京して日医&厚生省へ要請
12.05 追悼集会
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1994.10.09 全国審査指導問題交流集会(1周年企画)
2003.11.01 「富山個別指導事件」10周年の集い
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「赤ひげの先生にも似て無医村の医療に尽くす若き医師死す」・・・・ 追悼集会で、千垣(ちがき)地区住民を代表して佐伯町子さんが詠んだ短歌です。その日、司会進行を担当していて、胸がつまり、こみ上げるものを必死にこらえてマイクを握っていたことを思い出します。
富山協会の取り組みが「富山個別指導事件」として全国に報じられると、思いがけない情報が寄せられることもありました。表ざたにはなっていないけれども、個別指導がきっかけになって自殺した保険医が、ほかにもいたのです。富山事件の同じ年に1件、その翌々年に1件。富山協会事務局への匿名の電話で知らされました。
1年ほど後だったでしょうか、ある雑誌に原稿を依頼されました。「日本の企業は侍の精神とやくざの組織である」と商社マンを称賛した作家がいます。それをもじって、「日本の役所は侍の組織とやくざの精神で成り立っている」と書いたところ、大学の先輩を通してきびしくお叱りをいただきました。赤線を引いたコピーを持っておられました。役所の自己防衛のシステムはとても強固です。
行政側は暴言や行き過ぎた指導の責任を一切認めませんでした。それどころか、報道に圧力をかけたり、警察を使って動きを探ろうとしました。行政のトップまで非難したらただではすまない、と脅されたこともあります。右翼団体から街宣車を使った「協力」の申し出があって面食らったこともあります。ほんとうにいろんなことがありました。
ともあれ、協会活動の転換点になった出来事だと思います。長い年月が経ってしまいましたが、ぜひ、事件のことと、そこから得た教訓を伝えていってほしいと思います。
イワウチワ