JMAT(いわき市)に参加して
JMAT富山、第6班(2011.04.08〜04.13)
とやま保険医新聞 第333号(2011.05.15)掲載
JAMT参加の打診があって、実のところ戸惑いました。被災地の人々のために何ができるのか、見当がつきません。
ふっと脳裏に浮かんだのは40年以上昔のことです。東京の下町や地方の無歯科医村を駆けめぐるフィールド活動三昧の学生時代でした。医療人としての原点がそこにあったはずだ。
なんとかなる、と自分に言い聞かせました。
とはいえ、時間的な余裕もなく、あわただしく準備にとりかかりました。
寝袋が要るのだろうかと心配したり、食事の足しにカロリーメイトをバッグの片隅に入れたり…それらは取り越し苦労でした。JMATのサポート体制は想像以上にしっかりしていました。
富山のほか各地からの6チームが同時に避難所を巡回します。それぞれに市役所から道案内の職員が張り付きます。基地となっている市医師会館には薬品や資材が充分にストックされています。毎日ミーティングが開かれ、そこには市の保健師が出席します。競輪場へ行ったこともないのに選手宿舎を体験しました。
避難所の衛生環境は劣悪です。上下水がいまだに復旧していないところがあり、工事現場で見かけるような仮設トイレが設置してあります。高齢者や足の悪い人には使いづらい代物です。ある避難所では屋外にテントが2つ張ってあり、何だろ?と思ったら、中にポータブルトイレが置いてありました。
水が復旧しているところでも、蛇口が屋外に2つだけ、とか、トイレは屋外の別棟という例が多くみられます。避難所の多くは学校の体育館です。ほんらい、元気な子供たちが走り回って使う施設であり、避難所として使うことは想定外なのでしょう。
治療よりケアが大切になる、と頭では考えていたのですが、現場では応急処置でもたついているうちに、ケアまでは手が回りませんでした。歯ブラシやスポンジブラシをたくさん持っていったのですが…
義歯ケースへの需要が思いのほか多く、足りなくなって現地の先生にお願いして補充してもらいました。プライバシーのない避難所の中では、フタつきのケースが欲しかったようです。
口腔乾燥が多いことを予想して、加湿剤や手製の「吸い口ボトル」なども用意していったのですが、活用できませんでした。
あれこれと準備したものが無駄になったり、足りなかったり、失敗が多くありました。なにからなにまで「想定」するのは不可能です。「想定外」への対応こそが危機管理だと痛感します。
何よりも心強かったのは現地の歯科医師、歯科衛生士の応援でした。自らが被災者でありながら応援してくださった方々には、ほんとうに頭が下がります。
何々町から来ました、と言われても、それが原発の避難区域なのか津波の被災地域なのか、まったく見当がつきません。N先生は、じつに地域の状況に詳しく、おおいに助かりました。
歯科衛生士の方たちには、本来は口腔ケアに取り組むべきところ、診療のアシストに使ってしまい、たいへん申し訳なく思っています。でも、とても助かりました。ありがとう!
さいごにひとつだけエピソードを紹介します。
歯の鋭縁が原因で口腔粘膜に褥瘡ができた人がいました。咬合調整をしたら、それまで暗ーい表情だったのが、にっこり明るく「あ、楽になった」と喜んでくれました。来たかいがあった!と私のほうが嬉しかった瞬間です。
注)富山のJMATチーム編成は、基本的に医師1名、看護師2名、運転手および渉外調整役として事務員2名、計5名の構成。3月19日より5泊6日の日程で第1陣から順次派遣し、第6陣は4月8日〜4月13日。通常の編成に歯科医1名、事務員(歯科助手兼)1名を加えて7名の編成となった。
さらに現地で薬剤師が2〜4名、市役所職員1名が加わる。
|