BYPASS93

 


諌鼓を打て

 
『とやま保険医新聞』のコラム「バイパス」など、機関紙誌に発表した雑文を掲載しています。


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1992|1993|199419951996199719981999 |2000




バイパス原稿 1993.1


 あけましておめでとうございます。
 このひと月くらいの間に求職の問い合わせが数件あった。めずらしいこともあるものだ。やはり今年は大雪か。医学系・医療系への進学志願者も近年になく多いと聞く。それもこれもどうやら不景気のお蔭らしい。
 成層圏不況・ステルス不況・ポストバブル不況・二日酔い不況など、平成不況にはいろいろの呼び名がある。バブルとはよく言ったもので、見事なはじけぶりだ。「バブル」という表現は平成の新語かと思っていたが、意外なことに二百年も前から英国で使われていたらしい。
 企業が、本業ではなく「含み資産」をもとに巨額な資金を動かして膨張する。目端の利く人間が労せずしてあぶく銭を手にする。首都圏のマンション会社から投資を勧誘する電話がしょっちゅうかかってくる。すげなく断ると無知蒙昧をなじるような口ぶりに変わり、憤慨したりもした。どこか狂っていると思いながらも、真面目に仕事をすることに虚しさを感じさせられたのも事実だ。医療が3Kだ8Kだなどと言いたてられる背景には、こうした経済活動から発するモラルの崩壊があったのだろう。
 不景気は歓迎されるものではないけれども、狂っていた歯車がまともになったと言えなくもない。「世直し不況」という呼び名もあるそうだ。歪んだ政治経済システムの全てが原因になっていて、世直し抜きには景気が回復しないとのことである。納得。基本に帰ろう。平成五年酉年。花は根に鳥は故巣(フルス)に。


バイパス原稿 1993.2


 差別語・軽蔑語あるいは不快語といわれる言葉があり、マスコミなどでは自主的に規制しているようだ。その影響からだろうか、それなりに自制している自分に気づく。かといって、いきすぎると窮屈になる。
 「めくらめっぽう」「つんぼさじき」これくらいは使わせてほしい。「女々しい」なんて言葉を使ったら女性蔑視になるのだろうか。日常語を日常語として使う場面まで規制されたくはない。
 ところで、「精薄」あるいは「精神薄弱」は法律用語である。医療関係者の間では「精神遅滞」と表すことが多いと思うが、「精神薄弱者福祉法」(昭和35年)なる法律があるからには、行政関係者の間では「精神薄弱」のほうが正式な表現である。
 この「薄」には、単に厚い薄いではなく、マイナスイメージを伴うことが多い。澆薄、軽薄、薄情、薄命、薄幸、と枚挙にいとまがない。そこで、障害者の団体では「精神薄弱」に代えて「知的障害」とするよう要望していると聞く。もっともなことだ。法律用語や学術用語には日常語とは違った配慮が必要であろう。
 私たちがなにげなく使っている用語が不安や不快感をあたえているかもしれない。このような視点から見直すことも患者と医師の距離を少なくするのに役立つだろう。


バイパス原稿 1993.3


 かつての大日本帝国憲法がドイツ(プロシャ)憲法を真似たことは中学校の教科書にも書かれている。日本の近代医学もまたドイツ医学の導入から始まった。第二次世界大戦時の三国同盟といい、なにかと縁が深い。
 日本の社会保障制度もドイツにならって成立した経緯がある。現在でも制度的に似通った部分が多いらしい。だからということもないだろうが、一九七七年、西ドイツで制定された「疾病保険費用抑制法」は日本の医療費抑制政策におおきな影響を与えたといわれている。
 かの国で、もっと強烈な医療費抑制法案「医療保険制度構造法」が成立した。入院医療費の徹底的合理化・患者負担の拡大・保険医定年制の導入・歯科や薬剤の給付制限などを定め、九三年だけで八二億マルク(六千億円以上)の国費節減を見込んでいる。義歯の診療報酬は二〇%削減。一九九九年以降は保険医は六五歳で「定年」になる。東西統一が国家財政を圧迫しているという事情はあるにせよ、随分思い切った内容である。
 早晩、日本の医療費抑制政策へも影響があるかもしれない。ドイツでは連邦議会で審議して決定を下した。日本では国会の審議を経ずに通達行政で医療が左右されるところに大きな違いがある。危険な違いである。


バイパス原稿 1993.4


 アメリカの死亡統計で、エイズが六五歳未満の死亡原因の五位になった。(一九九一年統計による) 病気による死亡に限れば三位である。十二.七%というから、およそ八人に一人がエイズで死亡している勘定になる。日本では想像できないほどの感染の広がりだ。
 先日、シアトルに診療所を持つ歯科医師の話を聞く機会があった。エイズ感染予防のために事細かに術式が規定され、それを守り、定期的に報告することが義務付けられている。違反すれば罰金が科せられる。書類書きだけでも大変だとのことであった。日本顔負けの官僚統制が行われている。
 たとえば、患者にはメガネをかけさせる。患者の回りの器械はすべてラッピングする。滅菌器が正しく機能しているかどうか、確認のための検査を週一回行ない、その結果を報告しなければならない。その先生は消毒専任スタッフを一人増員したそうである。加えて、消毒のサイクルに組み入れるために器材のストックも増やす必要がある。
 これらの対策は、ことごとく医療費のコストアップにつながる。しかし、それを「感染予防費用」という名目にすると保険会社から支払いを受けることができない。そのため、個々の診療費をアップして患者に請求するとのことであった。
 日本の医療保険制度の下では、統制は容易だが、コスト転嫁は不可能であろう。いや、コストよりも精神的ストレスのほうが負担になるであろう。


バイパス原稿 1993.5.29


 むかし、カラスもイヌも三本足だった。イヌのたっての願いで、熊野の権現様がカラスの足を一本とってイヌに与えた。イヌが小便をするときに後足をあげるのは、神様から授かった足を汚さないようにするためだ。という言い伝えがあるそうだ。
 それにしては、イヌがカラスに感謝している風でもない。
 カラスは、忘れっぽいことの代名詞のように扱われたりもするが、なかなかどうして賢い鳥で、人間が作り上げた非自然的・反自然的な環境にもいちはやく順応している。街中でも高い場所さえあれば巣作りをする。我が家の裏の公園にもカラスの巣があってカァカァとにぎやかしいのだが、この数日は静かである。どうやら、春に生まれたヒナの巣立ちが終ったらしい。
 巣立ち前に、ヒナが巣から落ちることがある。そうなると大変な騒ぎになる。親ガラスはもちろん、応援だか野次馬だかのカラスが集まってきて騒ぎ立て、ヒナに近寄るものにはイヌだろうがヒトだろうが攻撃を仕掛ける。地上だけでなく空中も厳戒体制だ。運わるく通りかかったトンビはカラスの編隊に追い払われる。
 子を守ろうとするのは、生き物の本能であろう。ヒトとて例外ではない。いま、乳幼児医療費助成を「せめて三歳まで」との運動が繰り広げられている。巣立ちまではほど遠い、ほんとうに「せめて」もの控え目な要求である。


バイパス原稿 1993.6


 一九五五年保守合同以来の、いわゆる五五体制が崩れようとしている。保守ばかりでなく社会党の合同もあり、第1回の原水爆禁止世界大会が開かれたのも、この年である。日本の戦後政治史の転換点であったことは疑いない。以後四〇年近い一党支配、それは「安定」とひきかえに腐敗をもたらした。
 保守合同の翌年、当時の総理・鳩山一郎は「ハトマンダー」として有名な小選挙区制法案を提出するが、世論の猛反対にあい、廃案となる。憲法改定を目論んだものであった。その後も小選挙区制はくりかえし持ち出されそうになっては世論の力で葬られてきた。
 いま、政治改革がいつのまにか小選挙区制の問題にすり変わり、あれよあれよという間に自民党分裂・解散・選挙となってしまった。
 五五年の保守合同に際しては、財界の意志と金が強く働いた、と言われている。今回の政変劇から、やがて五五体制を上回る強固な保守一党支配体制が出現しないとも限らない。一時の混乱はそのための主導権争い、とも見える。
 国民が望んでいるのは、分かりにくい選挙制度いじりではない。世論調査でトップにくるのは、たいてい「医療・福祉」である。分かりにくい上に胡散くさい括弧つきの「政治改革」よりも、本当に国民の暮らしを考える政治が望まれている。



バイパス原稿 93.8


 映画「千羽鶴」をご記憶だろうか。90年夏、「核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会」が主催し、県民会館にて上映した。2歳のとき被爆し、小学校6年生で白血病を発病して亡くなった少女の物語である。広島の平和公園にはこの少女をモデルにした「原爆の子」という像があり、そこには真新しい千羽鶴がとぎれることなく供えられている。
 ソ連が崩壊し、東西緊張が緩和し、核戦争の危機は遠ざかったかのように見えるかもしれない。しかし、ソ連邦の解体は共和国独立に伴って核保有国を増加させ、むしろ不安定な要因を強めた。また、従来からの核保有国に加えて、インド、パキスタン、イスラエル、南アフリカなどが核兵器を保有するようになった。科学や工業技術の進歩は、核兵器の製造を以前とは比べものにならないくらい容易にしてしまった。今後も核兵器を造り保有する国が増えてくるかもしれない。核の脅威は決して減少したわけではないし、超大国の影響力が低下したぶん、問題がよりいっそう複雑になった。
 いま「千羽鶴」の少女サダコを原案にしたアニメ映画がつくられている。「つるにのって」と題する短編とのことだが、ぜひ富山でも上映してほしい。ところで、「核兵器廃絶・・・の会」に入会している方も多いことと思うが、会費の納入を忘れていないかどうか、ご確認をお願いしたい。また、入会していない方は、この機会に入会を検討していただきたい。


バイパス原稿 93.11


 日本は法治国家ではなく官治国家だという。法令は、絶対に守れないほど厳格か、または、何も定めていないに等しいくらい茫洋としているかのどちらかである。両極端の間を埋め合わすのが「官治」の役割なのであろう。だから、通達が法令以上に効力を持ち、さらには、世界に名高い密室での「行政指導」が幅をきかせている。
 医療も例外ではない。それどころか典型かもしれない。あまたの通達が発せられ、ぶ厚い「青本」は専門書よりも難解であり、適切と思われる医療が不適切な保険診療とされることは日常茶飯事である。患者と役所と、どっちを向いて診療していいのか誰もが悩まされる。そしてついに悟る。保険は医学ではない。これが非常識な常識である。
 審査・指導が黒白を塗り替える魔法の杖である。とりわけ、許認可の権限をにぎる行政の「指導」は、時として司法よりも強制力を持っている。しかも、受ける側の権利保護が考慮されていない。
 若い保険医を死に追い込んだ個別指導は、「懇切丁寧に行なう」との厚生省通達に反していることは明白である。怒声をあげることが「懇切丁寧」にあたらないことは常識であろう。ここでも常識は通用しないのだろうか。官治国家の歯車に組み込まれ、人間性を失った技官もまた犠牲者のひとりなのかもしれない。


バイパス原稿 93.12


 先日の追悼集会には予想をはるかに上回る多数の方が参加され、悲しみの深さ、怒りの大きさを示した。とりわけ、地元・立山町の方々が多数参加されたのが印象的である。
 「赤ひげの先生にも似て無医村の医療に尽くす若き医師死す」・・・・ 千垣地区住民を代表して佐伯町子さんが詠んだ短歌である。住民本位・患者本位の医療と保険診療のギャップの大きさをあらためて感じさせられる。「あかひげ」と呼びかける住民の声は彼岸にまで届いただろうか。「あの世で心配していると思います」・・・・ 息子を失いながらも、残された患者を気遣う老いた父の言葉は、ずっしりと重い。事の重大さを、県当局は認識しているのだろうか。
 この間の県当局の対応は不可思議である。数多くの証言にもかかわらず暴言などの事実はないと強弁し、協会からの質問に対して県医師会宛の文書を発表する。暴言の有無を調査すべき当局が告発の意図を探ろうとする。見当違いもはなはだしい。いっぽうでは、問題がないと言っていた指導のやり方を一変させている。マスコミ報道を控え目に、との「天の声」もあると聞く。どうやら大切なのは面子だけのようだ。
 「日本の企業は侍の精神とやくざの組織である」と言った人がいる。役所はどうか。日本の役所は、「侍の組織とやくざの精神」で成り立っているようである。

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以下は参考資料として『とやま保険医新聞』号外の記事を転載


『とやま保険医新聞』号外,93,10/29付


(リード)

 若い保険医が自殺。痛ましいことである。さまざまな伝聞があるが、協会はこの間詳細な調査を実施し、川腰医師の自殺の原因が、行きすぎた個別指導にあったことを確信した。
 協会は、この号外で事実を正確に伝えるとともに、悲惨な事態が二度と繰り返されないよう個別指導の改善に全力で取り組む決意である。


(本文)

 平成五年十月十一日、澄みきった秋空に映える立山連峰を背に、若い保険医が橋梁に立ち、自らの命を絶った。享年三十七才。山間部で地域医療に献身していた彼に何が起こったのか。

故人氏名  川腰 肇

S三十一年五月十五日生     (三十七歳)
医療機関名   医療法人社団山田医院
医療機関所在地   富山県中新川郡立山町 宮路四八


二年 五月
・義父の山田典央氏が病床に臥し、平成二年五月から山田医院に勤務 

二年 十一月 

・典央氏死去後、開業医を引き継ぐ(平成二年十一月八日開設者変更)       

五年 八月 五日

・厚生部長名通知「保険医療機関・療養取扱い機関及び保険医・国保健康保険医の個別指導の実施について」が届く
          
八月 二十七日

・県保険課の個別指導を受ける。(事務職員二人、森井、米沢を同行)

会場:魚津社会保険事務所(一室で卓球台を衝立にして同時に二人の技官がそれぞれ実施)


・夜、眠れない日々が続く。親しい薬屋に悩みを打ち明ける。    →滝川証言


九月 十七日

・県厚生部長名通知
「社会保険医療担当者の個別指導の結果について」が郵送される。指摘事項は六項目だった。
・「改善報告書」の提出命令が十月五日までと記載してあった。    
     
十月 四日 

・「改善報告書」を、看護婦と職員が県保険課に提出。受理される。
   

十月 七日 

・保険医協会に入会したいという申し出により、平井事務局長が訪問。

十月 八日 

・協会への入会申込書が郵送され、受理する。


十月 九〜十一日

・川腰医師、同窓の友人岡本医師に会いに上京。



十月 十一日

・東京より帰宅後、疲れたと言って二時間ほど休む。夕方散歩に出ると言い残し、帰らぬ人となる。



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川腰医師「個別指導」事件に関する声明


 十月十一日、立山町の川腰肇医師が自ら命を絶った。当協会の独自調査の結果、八月二十七日に行なわれた県保険課による個別指導がその原因であったことを確認した。個別指導を苦にした医師の自殺は本県では初めてであり、そのことの重い意味を直感した県内の医師の間に衝撃と戦慄がかけめぐり、ただちに抗議すべしとの多くの声が協会に寄せられたのは当然であった。われわれ富山県保険医協会は、川腰医師の冥福を祈るとともに、彼を死に追い込んだ個別指導とそのあり方に対し怒りをこめて抗議する。保険医協会は、本会の設立の主旨と目的「県民医療の向上と保険医の権利を守る」に照らし、その存在意義を賭け会員の総力を上げてたたかうことを宣言する。
 県保険課による川腰医師に対する個別指導のやり方がきわめて異常なものであったことは、複数の同席者が口を揃えて証言している。それは厚生省の「指導大綱」にある「懇切丁寧に懇談指導を行なう」という主旨からも逸脱したものだった。当日担当した一柳技官は川腰医師に対してあたかも罪人を尋問するがごとく、終始居丈高で怒鳴り声を発していたという。『こんな使い方をしてもらったら、わたしの金がいくらあっても足りない』『ぼくはねぇ、厚生省の役人をつれてくるほどの権限を持っているんだよ』『こんなことをやっていると近いうちにまた監査しますよ』『あんた医者を続けられんようになるかもしれんな』などと、耳を疑うような言動を発したという。その異常さは立合人の郡医師会長も驚き、同行した職員は恐ろしさを感じたと証言している。それは、医師となって初めて「個別指導」を受ける若き川腰医師にとってはあまりにも酷であった。
 その日を境にした川腰医師の落胆と不安、悔しさと憤りは計り知れないものであり、「医業停止させられるかもしれない」と怯え悩んでいたことは、親しい人々が証言している。
 川腰医師は、幼少の頃から明るい性格であったという。三年前、亡き義父の後をついで三十四歳の若さで開業し地域の患者を受け継いだ。この間立山町山間部の広い診療圏(一五〇七世帯、五六〇一人)の中で、唯一の開業医として奮闘していた。祝祭日も診療し、往診も旺盛にこなしていた川腰医師は、地域の患者から慕われ絶大な信頼を集めていた。住民にとっては文字どおり命綱であった。この地域が無医地区となったことは重大である。
 事の真相を知った県下の医師・歯科医師は、自ら受けた個別指導での鬱積した不満を、この事件を契機に噴出させている。
 われわれ富山県保険医協会は、厚生省の指導大綱の主旨をも逸脱してこの事件を引き起こした当事者、一柳兵蔵技官の罷免を要求する。同時に二度とこの様な人権侵害を起さないため、個別指導のありかたの抜本的改善を県当局及び関係機関に強く求めるものである。

一九九三年十月二十九日                       富山県保険医協会


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