BYPASS95

 


諌鼓を打て

 
『とやま保険医新聞』のコラム「バイパス」など、機関紙誌に発表した雑文を掲載しています。


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バイパス 1995-2

 「恐れのなかに恐るべかりけるは只地震なりけりとこそ覚え侍りしか」
 鴨長明が1212年に記した「方丈記」の一節である。1185年、京の都を襲った大地震である。山が崩れ、津波が押し寄せ、地割れして水が吹き出す。建物の倒壊する音が雷のように響き、粉塵が煙のように立ちこめた。鳥や竜でない人間には逃げることもできない。これらの描写は、長明みずからの見聞によったものであろう。続いて、9世紀頃の話として、大地震のために奈良の大仏の首が落ちた「みくしおち」を紹介している。
 1596年には「伏見地震」によって秀吉が築いた伏見城が大破し、そのとき現在の神戸市付近の村落も大災害を受けたことが古文書に記されているとのことである。
 こうしてみると、関西には地震が少ない、というのは現代の人々の記憶の範囲内のことにすぎなかったようだ。富山も地震が少ない、と思われている。だが、天正地震、安政地震といった大地震の記録がある。とくに安政の地震は立山カルデラの崩落にともなう土石流によって常願寺川流域に大きな被害をもたらした。
 阪神大震災の地元の医師たちは、みずから大きな被害を受けながら、罹災者の診療に奮闘している。今は支援が火急の課題だ。それがひと段落したら足元の防災対策を見直してみよう。

バイパス 1995-6

 ハルマゲドンのつぎはナツマゲドン、そのつぎはアキマゲドン、などという駄洒落が、いまひとつしっくりとウケない。それほどに空気が重い。とりわけ驚かされたのは、人の命を守るべき医師が、無差別大量殺人に深くかかわっていたことである。オウム事件の解明が進むにつれて、逆に社会の病理への疑問が広がっていく。
 経済大国として繁栄をきわめる現代の日本、世界一の高学歴社会、日本人の精神構造のどこにこんな忌まわしい事件がおこるような隙間があったのだろうか。
 ファシズムとの類似性も指摘されている。教祖はヒトラーを崇拝していたようだ。かつて、貧困や社会的不平等が日本の軍国主義の素地をつくった。もっとも理知的と思われたドイツ国民がナチズムに染まっていった。生体実験やアウシュビッツには多くの医師たちが関与していた。一部の人間の狂気と言って片付けることはできない。
 いま、政治も経済も混乱している。それ以上に、さまざまな場面で、生きがいが失われている。かつてなく心の貧困な時代なのかもしれない。
 財政優先の医療政策は、医療人・患者の生きがいを奪う。いきつく先は医療・福祉のハルマゲドンか、さもなくば、新しいタイプのファシズムか、いずれにしても明るい未来を想像できないのは怖いことである。

バイパス 1995-8

 七月十一日、大潟村農地明け渡し訴訟の二審判決が下された。農民側の逆転敗訴であった。秋田県の八郎潟を干拓してできた大潟村に、新しい米作農業のモデルづくりを目指して入植した農民を待っていたのは、厳しい減反政策だった。減反政策や食糧管理法などの農政が争点になっていたのは確かだが、いまひとつ、行政の権限・行政の横暴がどう裁かれるかというところにも関心が持たれていた。
 たとえば、行政指導の悪しき例として、ヤミ米の出荷阻止がある。減反指導に従わず、ヤミ米を生産して出荷しようとしたところ、農林省が運輸省に協力を求め、運輸省は米の運送を請け負った業者に対して、路線許可で不利になることを示唆することによって圧力をかけ、運送を取り止めさせた。
 行政手続法がある現在では、このような行政手法は許されないであろう。しかし、行政手続法以前だから許される、というものでもあるまい。
 一ヘクタールにも満たない過剰作付に対して、農地の明け渡しだけでなく、今までの農地使用料として一人あたり七千万円もの支払いを命じた。国の減反政策に従わないのは「契約違反」だというのである。
 減反そのものは行政指導なので、従わないからといって罰則があるわけではない。指導に従わない者に、実質的にペナルティを課すカラクリが「契約」だ。「保険診療は契約である」と厚生省は強調する。さすがの深謀遠慮ではある。

バイパス 1995-11

 京都の技官汚職事件はとんでもない事件である。保団連だけでなく一般紙でも癒着体質うんぬんという調子の批判が強いようだが、それだけでいいのか。あまりに紋切型の批判のように感じる。
 貧すれば鈍す、という。技官の待遇が、医師・歯科医師としてふさわしいものかどうか疑問である。
 経済的な待遇だけでない。われわれにとっては怖い存在だが、役所の中での地位や仕事の中味はどうなのか? 医療費"適正化"のための指導監督だけとすれば、草むしりみたいなものである。恨みをかうことも考えれば割りにあわないこと甚だしい。
 なり手がいなくて当然である。技官の確保のために、厚生省から国公立大学に対して協力依頼の通知が出されている。綱紀粛清の通知も出されている。一片の通知で問題が解決するとでも思っているのだろうか。
 一方では、地方での採用が難しいため、厚生省の本省人事化を進めようとしているようだ。京都の技官はその第一号とも聞く。出だしからつまづいた格好だが、本省人事化の流れはさらに強まることが予想される。
 もしも、何かのはずみに自分が技官になったとしたら、第二の京都のS技官にならないとは断言できない。何がどうはずんでも、技官にと声がかからない立場にいるのが幸いである。

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○ 行政手続法について  1995-01-26


保団連総会・文書発言(のち、「月刊保団連」掲載)

 法律の話は取っつきにくいものです。独特の用語や言い回しには辟易します。しかし、私たち保険医に直接関わりのある法律の話ですので、しばらくの間、おつきあいを願います。

※ 権利保護・公正・透明性

 指導は任意の協力によって成り立つものであり、一方的な命令であってはならない。指導に従わないからといって、不利な扱いをしてはならない。監査をちらつかせるなどして、指導に従うことを強制してはならない。指導に際して減点査定を行なうのは逸脱行為である。
 以上のことは、某保険医団体の改善要求スローガンではありません。れっきとした法律に書かれていることを素直に読むとこうなるのです。平成5年11月12日、法律第88号、「行政手続法」がそれです。平成6年10月1日から、すでに実施されています。
 「ギョーセイシドー」は、そのままローマ字にして国際的に通用すると言われています。行政指導が「非関税障壁」の元凶だとする外圧に助けられて法律が成立した、という一面はあります。が、関係者が30年越しで議論し答申を出していた法案がやっと日の目を見たわけで、外圧も時には役に立つことがあるようです。
 この法律の第1条には「行政運営における公正の確保と透明性の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資することを目的とする」と書かれています。従来、密室での強圧的な指導に、「お上の言うことだから」と、しぶしぶ従ってきた、これを是正しようとする法律であり、明らかに国民の側を向いた法律です。権利保護、公正、透明性、この三つが行政手続法のキーワードだと言ってよろしいでしょう。

※ 任意と義務

 「行政指導の内容があくまでも相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであることに留意しなければならない」(第32条) 「権限を行使し得る旨を殊更に示すことにより相手方に当該行政指導に従うことを余儀なくさせるようなことをしてはならない」(第34条)
 このように、行政指導が任意の協力に基づくものであり、強制してはならないことを法は明確に示しています。ところが、健康保険法第43条の7に「保険医ハ・・厚生大臣又ハ都道府県知事ノ指導ヲ受クベシ」とされており、これを楯にとって、指導に従うのが義務であるかのごとくに言う者もいます。
 そもそも指導に従うことを義務とするのは行政手続の原則に反しています。出頭を命じたり改善命令を下したりするのは行政処分の一環であり、指導とは厳然と区別されなければなりません。矛盾があるなら健康保険法を改定するのが筋というものです。大正11年に制定されたカタカナ表記の法律が通用していること自体が不自然と言うべきでしょう。

※ 趣旨明示義務

 「健康保険法第43条の7にもとづき、適正に保険診療がなされているかどうか検査し指導を行なう」 
 このような「宣言」を形式的に行なったあと指導が開始されるのが従来のやり方でした。これは指導を行なう法的根拠を示しているだけです。しょっぱなから権威を振りかざしているようなものです。
 行政手続法では「当該行政指導の趣旨及び内容並びに責任者を明確に示さなければならない」(35条)と定めています。「趣旨」であって「根拠」ではありません。
 国語辞典には、趣旨とは「肝心な事柄、或る事をする目的や理由」と書かれています。従来の「宣言」は病名を書かずにレセプトを提出するようなものです。これでは行政手続法にいう趣旨の明示にはなりません。あらかじめ問題意識をもって指導対象者を選別しレセプトを事前に抽出しているのですから、もっと具体的な表現があってしかるべきでしょう。
 故意に指導と監査をごっちゃにして話をするなどはもってのほかであり、指導に先だって、行政指導の原則を説明しなければなりません。行政行為としての指導の趣旨を素人にも分かるように説明することも趣旨明示義務に含まれるでしょう。

※ 書面交付請求権

 口頭でなされた指導について、書面にしてくれるよう要求することができ、「特別の支障がない限り、これを交付しなければならない」(35条の2)となっています。つまり、書面交付請求権が明文化され、「そんな指導はしていない」との逃げ口上を許すような密室性・不透明性を排除しているのです。
 「特別の支障がない限り」という表現は、逃げ道を残しているようにも受け取れますが、法律家の解説によるとかなりきつい表現なのだそうです。
 忙しいとか煩わしいとかは「特別な」理由にはあたりません。プライバシーの侵害や外交上の機密、紛争当事者間の調整への障害など、余程特別な理由がないかぎり書面を交付しなければなりません。求めにもかかわらず不当に書面を交付しない場合には、指導そのものがなかったものと主張することが可能です。カルテに指導内容が記載されていなければ指導料が算定できない、というのと同じです。
 書面交付請求権は指導を受ける側にとっては強い味方となります。ある新聞の記事に、こんな洒落がありました・・・「指導するなら紙をくれ」

※ その他

 不利益処分に関しては基準の明示・処分理由の明示が求められ、処分を受ける側には資料閲覧の権利・弁明の権利が与えられています。申請に対する許認可に要する標準期間の設定を求め、届出に関しては役所に到着した時点で書類上の不備がないかぎり義務が終了するものとし、「受理しない」といって引き延ばしを図る行政側の常套手段が否定されています。
 こうして見てくると、従来の行政が行なってきたことと法に定められたことの間には、極めて大きな隔たりがあります。法が施行されたからといって、スイッチを切り替えるようにはいきません。変えようとしてもすぐには変わらない、変えろと要求しなければずっと変わらない、と考えるほうが妥当でありましょう。現に、個別指導は従来どおり行なう、との行政側からの発言もあり、自ら法に沿って変えていこうとする姿勢は見られません。

※ 行政手続法の問題点

 行政手続法は国民の権利利益の保護という明確な方向性をもった法律ではありますが、行政側とのせめぎあいの中で、いくつかの譲歩があり、不完全な部分もあります。
 まず第1に除外規定が多数あります。原則的には他の法律で定めがある場合には、それに従う、ということになっています。医療関係では、「監査」がこれにあたります。また、「同意の下にすることとされている処分」(法第2条4のハ)は除外されます。自由で任意な判断のもとにおける同意が想定されています。個別指導における「自主返還」や「改善報告書」が、これにあたるとするには無理があります。このような行政処分と紛らわしい行為は廃止すべきです。
 政令、省令、はては通知や通達までもが実質的に法律と同等あるいはそれ以上の拘束力をもっているのが、日本の政治の特徴です。これを「行政立法」と呼ぶそうですが、三権分立を脅かす行政立法に対する規制や監視について行政手続法は触れていません。
 行政調査権についても何らの規制がされていません。例えば、健康保険法第43条の10にもとづいて、厚生大臣または知事は診療録その他の資料の提出を「命じる」ことができます。その気になれば1カ月や2カ月は診療に手がつかないような状況に陥れることができます。調査権があって、拒否権がありません。行政手続法にいう「行政運営における公正」の精神が貫かれなかった部分です。
 さらに付け加えると、行政手続法には罰則規定がありません。問題が発生すれば裁判で争われることになります。行政に対する抑止効果は自然には生じない、国民の側から声をあげなければ法の精神は生きてこない、そもそもそういう法律として作られています。

※ 審査は行政行為か

 健康保険法43条の9に、診療報酬は「審査した上支払う・・・審査及支払に関する事務を社会保険診療報酬支払基金に委託することを得」との条文があり、これに基づいて審査が行なわれ、現実には事務的な内容を越え診療内容にまで踏み込んだ査定・減点がなされています。この権限は何に基づくのかという点に関しては不明瞭な状態にあります。現在のところ、行政の権限から離れた契約行為であり、民法の土俵上での請求・支払い行為と見なされています。ところが、減点査定などは、厚生省の通達に基づいて行なわれており、しかも審査記録が行政側に提供されている。つまり、実質的には行政の権限を委託されているような関係にあります。
 行政手続法では、行政庁の行為だけでなく「公権力の行使」(法2条の2)をも行政行為に含めています。したがいまして、権限を委託された場合には、実行者が民間団体であっても行政手続法の網がかかってくることになります。逆に、責任の所在をあいまいにしたままで審査の強化を行なうことが、行政側にとっては効率的な医療費抑制策になります。事務委託という名の権限委託は、今話題になっているピアレビューにおいても気をつけるべきポイントです。
 個別指導の場で行なわれている「即日査定」や「自主返還」は指導官の「任務又は所掌事務の範囲を逸脱してはならない」(法32条)ことと抵触しないかどうかも問題です。このような二重審査が認められるなら、再審査に対する再再審査請求の権利も保険医に認めるべきでしょう。

※ おわりに

 この法律については、実際の運用はこれからです。行政関係者は法の成立にともない鋭意研究しているところでありましょうが、すぐにはやり方を改めないでしょう。主張しなければ権利は保障されません。
 一方、医師・歯科医師の間に、行政手続法が知られ、理解されているかどうか、はなはだ心許ないのが実情です。茨木大学の新井章先生(法学・「守田訴訟」の弁護人)が言っておられるように、保険医が法律家と一緒に研究し、わかりやすいマニュアルを作ることが必要です。それより先に、こういう法律ができたことを広く知らせることが急務であります。この一文をお読みになった方にお願いがあります。まわりの人が知っているかどうか声をかけてみてください。そして、まだ知らない人には知らせてあげてください。多くの人が行政手続法の存在を知っているというだけでも行政に対して牽制になるでしょう。


 富山の事件は「氷山の一角」--個別指導は今様の「いじめ」1995-03

「メディカル朝日」掲載   


 富山事件と同じ一昨年(93)に1件、今年になってまた1件、個別指導との関連が疑われる自殺者がでている。自殺というだけで家族や関係者は口を閉ざしてしまう。それが人情というものだろう。ましてや個別指導との関係まではなかなか表には出てこない。富山のケースは公然化したという点で、むしろ異例である。それだけにご遺族の苦悩も大きかった。一時は、そっとしておいてほしい、というご遺族の声に、私たちも立ちすくまざるをえなかった。それを克服して現在に到っている。だからこそ、K医師の死、ご遺族の苦悩を無駄にしてはならない。私たちに託されたものの重さを自覚せねばならない。
 さて、一昨年と今年の2つのケースは、いずれも歯科医だが、これらはたまたま筆者の耳にはいったものである。埋もれている事例がもっとあるのかもしれない。
 一昨年のX歯科医師は個別指導を前にして、診療室で自殺した。五十歳代半ばだった。最初は郊外で開業したが、途中で町の中心部へ移転した。死亡当時はちょうどバブル景気がはじけた時期でもあり、患者減を悩んでいたとのことである。
 個別指導の通知があったとき、この歳で保険医停止になるのは人生の終りも同然だ、と漏らしていたそうである。X先生の父親も歯科医だったが、五十歳代で病気のために廃業を余儀なくされ、その苦労を家族として身をもって体験している。このことが、やや神経質と伝えられる性格とあわせて、将来への悲観を募らせたのかもしれない。ゴルフ仲間のほかには親しい歯科医がいなくて、個別指導について相談することもなかった。
 ここで、指導・監査・処分という行政行為に対して混同があり過剰な脅威を感じていることに留意して頂きたい。富山のK先生もそうだった。これを無知だと簡単に片付けないで頂きたい。「指導でなく補導だ」とまで言われるように、個別指導を脅しの手段とし、医療費を抑制するために利用してきた行政の基本姿勢に原因があると考える。富山の事件では、技官みずからが指導と監査を混同させるような発言を繰り返している。これはもちろん無知のせいであるはずがない。
 今年の1件は、個別指導との関連については不明である。富山県保険医協会の事務所へ、「個別指導の前にカルテを焼却して自殺した人がいる」との匿名の電話があった。調査したところ該当する歯科医がいることがわかった。大学、高校時代の同級生などに尋ねたところでは、どちらかというと気の弱い真面目なタイプだったようだ。
 女とか暴力金融、といった噂もあるようだ。だが、ちょっと待ってほしい。医師が自殺、などというと、決まってこの手の噂が立つのである。富山の運動でも、まずは無責任な噂を打ち消して事実を伝えることから始めなければならなかった。
 冒頭で「氷山の一角」と言ったのは、なにも死屍累々という意味ではない。心に深く傷をつけられた保険医の数は、氷山どころでないであろう。
 いま「いじめ」が社会問題になっているが、もし大河内清輝君の遺書が発見されなかったら、うやむやになっていたかもしれない。個別指導は「いじめ」とよく似ている。が、相手が権力の側であるだけに始末が悪い。富山事件では、数多くの証言にもかかわらず、物的証拠がないことを楯に、ついに行政側は非を認めようとしなかった。責任のがれは役所の特技である。「日本の企業は侍の精神とやくざの組織である」と言った人がいる。日本の役所は、「侍の組織とやくざの精神」で成り立っているようである。

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