縦並び社会‥‥「横並び」をもじって格差拡大社会を言いあらわす流行語だ。構造改革路線の「影」の部分として関心を集めている。 格差があってどこが悪い、とさすがの宰相は開き直る。 格差はもともと大きかった、昔の統計が不備だっただけだ。人口構成や世帯構成の変化によるものであって政治には責任がない。中流意識があればいいのであって、それは心の問題だ。飢え死にする人のいない社会にあっては格差は問題にならない。などなど、これもさすがの御用学者たちは格差擁護に努める。 どうひいき目にみても、経済格差は拡大し、それが生活や教育の格差に広がっている。格差が固定化し拡大再生産されつつあることが、人々の意欲を削いでいる。はしゃいでいるのは、ごく一部の「勝組」だけだ。勝組になるためには、努力や能力よりも、他人の痛みに無関心でいられる感性が要求される。勝組は勝ちつづけるためにルールをも変える。 いま格差は医療にまで広がり、命の格差が現実のものになろうとしている。格差が拡大すると社会は不安定になるというのが歴史の教訓である。縦並び社会の耐震強度はいかほどのものなのだろうか。 |
在宅で終末期を迎えられるようにしよう、と言えば聞こえがいい。ところが‥ 病院へは行くな、介護施設にも行くな。自宅でなくてもいい。ケア付豪華マンションだろうと「老人下宿」だろうとかまわない。死に場所の選択肢から病院を外せという。療養病床6割減、24時間体制の在宅医療。突然の「医療制度改革」に現場は面くらっている。 日本経団連が「緊急要請」なる文書を厚生労働大臣宛に提出している。それによれば「社会的入院」「社会的入所」の解消が急務であり、目標値と期限を明示せよ、と求めている。製造業の世界でおなじみの目標管理=PDCAサイクル(plan-do-check-act)である。ヒトはモノのように扱われる。 飛騨上宝村で見た「石の唐櫃」(いしのからと)を思い出した。かつて貧しい山村では姨捨が広く行われていた。捨てる者も捨てられる者も互いに辛い。名主の半右衛門老人は自ら石室を造り、そこに入った。昼も夜も鉦を鳴らしつづける、音が止んだ日を命日とせよ、と言い残して。 命を全うすることがかなわなかった時代の「美談」である。「改革」の行く末を暗示しているように思えてならない。
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富山県の障害者や乳幼児、妊婦を対象とした医療費助成制度について、「財政状況が極めて厳しい状況にある中で‥‥今後のあり方等を検討する」として「医療費助成制度のあり方懇談会」(*)が設置された。H17年12月5日からH18年8月10日まで7回の会議が開催された。県は、一部制度の廃止と窓口無料から償還払い方式への全面移行にむけて議論を導こうと試みた。しかし、第7回の懇談会では、委員の中からも会議のあり方について異論が続出し、多くの課題は継続審議の形となった。 全国トップレベルの県単医療費助成制度を守ることができました。33年前の創設以来、県にとっては6度目の見直し断念であり、現知事にとっては3年連続の見送りとなります。 現制度の根幹を守れという、広汎な運動と県民世論形成に貢献された団体・個人、県議会、市町村、報道の関係者に感謝します。 「あり方懇」の委員の方々には、心からお疲れ様でした、と申し上げます。片寄った情報、恣意的なデータを注入し続け、委員の学識・見識を封じ込めようとした「あり方懇」のあり方が問われています。委員の方々の名誉を傷つけたことについて、県当局には猛省を求めます。 私たちは、今後とも制度の維持発展をめざして、患者・障害者団体をはじめ幅広い団体個人との共同の輪を一層広げていく所存であります。 2006.08.10 富山の医療と福祉と年金をよくする会 小熊清史 |
保険医協会との出会いは歯学部の学生時代にさかのぼります。市井の開業医と大学の研究者を交えた自主ゼミを企画した際に協力していただきました。大学と開業医の落差が途方もなく大きかった時代です。真面目な先生方の団体として記憶に刻まれました。 富山県保険医協会とは設立準備会の頃から役員として関わってきました。医科歯科一体の組織の中で、できるだけ広い視野で医療を考えようと心がけました。しかし、最初のうちは、さほど熱心な役員ではありませんでした。転機になったのは川腰先生の「個別指導事件」です。 事件後の集会で、地域の住民の方が「赤ひげの先生にも似て無医村の医療に尽くす若き医師死す」と短歌に思いをこめて発言されました。こみ上げるものを抑え、やっとの思いで司会進行を務めた記憶が鮮やかによみがえります。 医療をめぐる法、制度、行政、マスコミ、医療団体・医療運動のあり方など、多くの人と議論を交わし、多くのことを考えさせられました。この国のかたち‥医療や福祉の未来に危機感を抱き、定格一〇〇馬力のエンジンで一五〇馬力か二〇〇馬力のパワーをたたき出して走ってきたように感じます。 いちばん印象に残っているのは、二〇〇一年から二〇〇二年にかけての「出前説明会」とその集大成としての「グラフで見る医療改革」の刊行です。七一回の「出前」、のべ四千人を超える市民との直接対話。いままでにない医療運動のスタイルでした。米騒動のように全国に広がれば、今の医療をめぐる状況は変わっていたかもしれません。 二九年の間にはいろんなことがあり、勉強をさせていただきました。これを糧として、少しペースを落として、しかしまっすぐ前を向いて進んでいきたいと思っています。
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