BYPASS02

 



諌鼓を打て

 
『とやま保険医新聞』のコラム「バイパス」など、機関紙誌に発表した雑文を掲載しています。


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あけましておめでとうございます   2002.1.1




バイパス とやま保険医新聞 1月25日号(第244号)

 昨年の「新語・流行語大賞」の年間大賞は、大方の予想どおり小泉首相だった。米百俵、聖域なき改革、恐れず怯まず捉われず、骨太の方針、改革の「痛み」、三方一両損など、キャッチフレーズづくりには非凡な才能を発揮する。
 テレビ映りはいいし、バツイチというのも適度な渋みを感じさせる。あれやこれやで、人気はいまだに衰えない。社会の木鐸のはずのマスコミまでが、提灯をかざし神輿を担ぐ。
 小泉首相の「改革」政策は、経済財政諮問会議と総合規制改革会議への丸投げだ。メンバーには、経済界の「勝ち組」と、それを支持する市場原理主義者が顔を並べる。
 勝者を奢らせ敗者を黙らせる論理がまかり通る。
 小泉首相のブレーン、竹中平蔵氏は「頑張った者が報われる社会に」と言う。「高収入を得ている人を讃えるべき」「累進課税を廃しフラット税制を」とも言う。
 「報われる」は、金になる、という意味。高収入は、市場が評価した結果だから、万人がそれに従うべきだ…。「讃える」は、優遇する、という意味。言い換えると「欲張り者がはびこる社会、金持ちが優遇される社会、格差が広がる社会」になるにちがいない。
 この国は「和をもって貴しとなす」から「差をもって貴しとなす」へと方向転換しつつある。





2002.06.16 保団連北信越ブロック会議

ブロック会議での発言および他の会合での同趣旨の発言の要旨を収録する。


 社会保障の歴史を振り返ってみます。
 「国家」というものが成立する以前は、とうぜん「自助」が第一で、それを家族や近隣、すなわち顔見知りの人間どうしが助け合う「互助」が補完していました。
 「国家」ができたとき、特権階級が特権を守るための、いろんなアイデアが必要でした。そのひとつとして救貧制度や救荒制度があります。一揆暴動がおきて、国が転覆されるのを防ぐためでした。
 やがて産業革命によって都市に暮す労働者たちが出現し、友愛組合などの自発的自衛的な共済組織が生まれました。「共助」のはじまりです。
 国どうしが富国強兵を競う時代になると、「強制的な共助」としての社会保険が発明されます。
 二度の世界戦争を経て、貧困や差別をなくすことが平和の礎であることが世界の認識となりました。人間に等しく備わる人権を社会が守る、すなわち「公助」=社会保障です。その到達点が「世界人権宣言」です。
 いま「構造改革」は国民に「自律自助」を求め、社会保障にかわって似て非なる「セーフティネット」を提唱します。社会が人権を守るのではなく、社会(=市場)を守るための安全装置です。
 これは、歴史を400年さかのぼってエリザベス救貧法の時代へ逆戻りする考え方です。

資料1
社会保障略史   


国家以前  自助+互助
1601    エリザベス救貧法
1789    松平定信「囲い米」(寛政の改革)
      一揆暴動がおこらないように、体制を守るための政策
18−19c  友愛組合など共済組織
      自発的自衛的な共助。
1883    ビスマルクの疾病保険
      強制的な共助としての社会保険
1935    ルーズベルト「社会保障法」
1942    イギリス「ベヴァリッジ報告」
1947    日本国憲法
1948    世界人権宣言
      公助・共助へ
2001    構造改革
     「自律・自助」
      社会保障からセーフティネットへ


資料2
◎世界人権宣言の前文
(1948年12月10日・第3回国連総会採択)

 人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、
 人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじつた野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、
 人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によつて人権を保護することが肝要であるので、
 諸国間の友好関係の発展を促進することが、肝要であるので、
 国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、
 加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、
 これらの権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもつとも重要であるので、
 よつて、ここに、国際連合総会は、
 社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によつて促進すること並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によつて確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する。




全国保険医新聞 7月5日号(第2216号)

 創刊50周年おめでとうございます。
 98年から99年、短い期間でしたが、部長として新聞を担当させていただきました。
 高校時代にも新聞部なるものに所属していました。そこでも部長などと呼ばれ、ベトナム戦争を特集して大騒ぎになり、発禁処分になりかけました。白髪頭になってから「新聞部」とは因縁を感じさせます。
 保険医新聞は、たかだか千部ほどの学校新聞とはわけが違います。なにしろ10万部、社会的影響力はケタ違いに大きいし、読み手は海千山千(失礼!)です。責任の重さに押しつぶされそうでした。ともあれ「読みやすく」「会員が参加しやすく」を心がけました。
 月に3回も発行して、紙面が埋まるのだろうか、と素朴な疑問をもちましたが、事情はまったく逆であることをすぐに知りました。
 なんといっても「機関紙」ですから、機関決定や報告、資料など、会員に伝えなければならない情報が山のようにあります。しかも、これらの記事は重厚長大なものが多く、読みやすくレイアウトするのは至難のワザです。「読みやすい紙面に」という抱負はハナからつまづきました。
 私の在任期間中に、大きな変化が二つありました。ひとつはデジタル入稿化、いまひとつは広告の見直しです。
 紙と鉛筆での編集は昔話になりました。今はパソコン上で紙面を編集し、そのデータを光磁気ディスクなどの媒体に記録して印刷所へ持ち込む、あるいはデータを直接インターネットを通じて送る、という方式になっています。
 デジタル入稿によってスピードアップと同時に大幅な印刷コスト削減を実現し、保団連財政に寄与しています。いっぽうで編集作業に携わる事務局の仕事の密度が高まっていることにご配慮いただきたいと思います。
 数年前、紙面から薬の広告が姿を消したことに気づかれたでしょうか。広告は貴重な収入源ではありますが、「効能なし」として発売中止になったり、重大な副作用があきらかになったり、といったことがたびたび起り、保団連の機関紙に広告を掲載することの是非が検討されました。その結果、薬剤の広告は中止し、その他の広告も審査を厳しくしました。
 なお、デジタル化のひとつとして、保険医新聞のバックナンバーをCD-ROMに収録する計画が進められているとのことです。50年分の新聞が手のひらに乗るのを楽しみにしています。


バイパス とやま保険医新聞 7月5日号(第248号)


 ワールドカップで沸きかえっている最中に、健保法案が衆議院を通過した。鈴木宗男議員の辞職勧告決議と引き換えになったかたちだ。与党へ最後のご奉公か。
 厚労省秘伝の「長瀬関数」というものがある。
 Y=1−1.6X+0.8X
 Xは負担率、Yは医療費の抑制効果
 自己負担を引き上げると医療費が抑制される。この数式は戦前から今に至るまで使われつづけているという。今国会でも国側の答弁の中に登場した。
 ご覧になれば分かるように、二次関数である。負担が倍になったら抑制が倍になるというような単純な関係ではない。
 1割負担が2割になったときは自己負担が倍に増えたけど、今度は5割増し。影響は前回より少ないだろうか。数式とにらめっこしながら電卓を叩いてみた。1割負担から2割負担になると約16%、2割負担が3割負担になると17%の抑制効果になる。
 前回と同等以上の影響があるのは確実だ。
 「3割負担が限界」「これ以上は引き上げない」などと小泉首相が言っている。かつて本人負担が2割になったとき、家族も国保も2割にする、と言っていたのは誰だっけ?




憲法をくらしに 7月7日



2002年7月7日、富山県母親大会のシンポジウムに参加した。テーマは「憲法をくらしに」。
そのときの発言の要旨を収録する。


 日本国憲法は1947年5月3日に施行されました。翌年(1948.12.10)、世界人権宣言が国連総会で採択されています。きわめてよく似た内容です。世界人権宣言が日本国憲法を真似たわけではありません。二度の世界戦争を経て、世界の平和と安定のために人権を基礎におこうという、人類の知恵の到達点です。
 社会保障の根本原則は憲法第25条に規定されています。
 すなわち、まず国民がいて、国民には人権があり、それを守るのが国の責任だ、という権利義務の関係を明示しています。
 今回のシンポを前に、社会保障関連の法律に目を通してみました。といっても法文の最初の部分だけです。その結果、おもしろい(おそろしい)ことに気づきました。
 戦後早い時期にできた教育基本法や生活保護法は、その冒頭で「憲法の理念」を謳っています。その後、憲法の理念などという高邁な言葉は姿を消します。それでも、真っ先に公的責任を明文化しています。ところが、80年代以降の法律では「国民の義務」を先にもってきています。たとえば老人保健法は「自助と連帯の精神」を説き、介護保険法は「共同連帯の理念」を掲げます。
 いま健康保険法改正案が審議中ですが、同時に審議されている「健康増進法」は、まさにその典型です。「健康の増進に努めなければならない」と国民の責務を説いたあとで、「情報の収集・整理・分析及び提供」などを国及び地方公共団体の責務として掲げています。
 このように法が憲法から離れていく傾向が強まり、公的セクターの責任放棄が進んでいます。
 加えて、180日を超える入院の保険はずし--これは4月1日から「1・2・3・・」とカウントしていますので、表面化するのは10月ころになります--このような重大な改悪が法の改正をしないで、厚労省からの通知ひとつで実施できてしまいます。
 こんなことで日本は法治国家と言えるのだろうか。憲法放置国家と言うべきでしょう。



資料

日本国憲法:1947
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
A国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

世界人権宣言:1948
前文 (人間の)「尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」
第1条〔自由平等・同胞の精神〕すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもつて行動しなければならない。
第22条〔社会保障・経済的・社会的及び文化的権利〕すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。

教育基本法 1947
前文 日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

生活保護法 1950
第1条(この法律の目的)
この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
第2条(無差別平等)
すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる。
第3条(最低生活)
この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。

老人保健法 1982
第2条(基本的理念)
国民は、自助と連帯の精神に基づき、自ら加齢に伴つて生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、老人の医療に要する費用を公平に負担するものとする。

介護保険法 1997
第4条 国民は、自ら要介護状態となることを予防するため、加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、要介護状態となった場合においても、進んでリハビリテーションその他の適切な保健医療サービス及び福祉サービスを利用することにより、その有する能力の維持向上に努めるものとする。
2 国民は、共同連帯の理念に基づき、介護保険事業に要する費用を公平に負担するものとする。

健康増進法 2002
第2条 国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない。




バイパス とやま保険医新聞 8月5日号(第249号)


 改革が叫ばれるたびに福祉が後退する、というジンクスは今も健在だ。
 健保改悪と同時に「健康増進法」が成立した。この健康読本のような名前の法律によると、健康保持は個人の義務であり、国や自治体は情報提供などのコーディネーター役である。
 憲法第二五条には健康で文化的な生活を営む権利が謳われ、それを実現するために、公衆衛生や社会保障を提供する国の義務が明記されている。世界人権宣言第二二条にも人権に基づく社会保障が掲げられている。
 権利と義務が逆転した。
 一七八九年、フランス革命の初頭、「人は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」と宣言された。しかし、それが世界の世論となるには一九四八年の世界人権宣言を待たなければならなかった。
 フランスの人権宣言がテルミドールの反動に阻まれたように、いま、世界人権宣言も「グローバリズム」「市場主義」に押し戻されそうになっている。
 構造改革論者は「自律・自助」を国民に求める。福祉は一揆暴動が起きない程度。四〇〇年さかのぼってエリザベス救貧法の時代へ逆戻りだ。
 国王に代わって「市場」が君臨する。

資料
健康増進法


第一章総則
(目的)
第一条この法律は、我が国における急速な高齢化の進展及び疾病構造の変化に伴い、国民の健康の増進の重要性が著しく増大していることにかんがみ、国民の健康の増進の総合的な推進に関し基本的な事項を定めるとともに、国民の栄養の改善その他の国民の健康の増進を図るための措置を講じ、もって国民保健の向上を図ることを目的とする。
(国民の責務)
第二条国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない。
(国及び地方公共団体の責務)
第三条国及び地方公共団体は、教育活動及び広報活動を通じた健康の増進に関する正しい知識の普及、健康の増進に関する情報の収集、整理、分析及び提供並びに研究の推進並びに健康の増進に係る人材の養成及び資質の向上を図るとともに、健康増進事業実施者その他の関係者に対し、必要な技術的援助を与えることに努めなければならない。



バイパス とやま保険医新聞 9月15日号(第250号)


 ちょっとした日用雑貨が入り用なときは、まず一〇〇円ショップへ行ってみる。求めるものがなければホームセンターへ。さいごに専門店。これが今流の買い物の仕方だ。
 一〇〇円とあなどってはいけない。品揃えは豊富だ。台所用品から日曜大工用品、文具や音楽CDまである。
 店舗を構え商品を配送するだけでも相応な経費がかかるはずだ。いったい原価はどれだけなのだろうか。考えるとめまいがしてきそうな品物がならんでいる。産地を示すラベルには発展途上国が名を連ねる。
 人件費も原材料費も安いとはいえ、あまりに違いすぎる。違いの殆どは、為替レートの格差に由来する。それは、そこに生きる人々の命につけられた値段のように感じられ、苦い気分になる。
 グローバル経済は格差を糧にする。
 何はともあれ輸出できる国はまだいいほうだ。世界人口の約一割を占める「最貧国」(後発発展途上国)には輸出産品さえない。一人あたり所得は三〇〇ドル程度といわれている。月収ではない、年収である。
 貧困と格差が世界を不安定にする。一〇〇円ショップが健在なうちは、世界から戦争はなくなりそうにない。



 バイパス とやま保険医新聞 10月25日号(第251号)


 牛に引かれて善光寺
 学会のついでに善光寺に詣でた。秋晴れの休日とあって、参道は善男善女で溢れている。
 500円の参拝券を自販機で買い求め、戒壇巡り。狭い通路に入ると、中は真っ暗闇だ。「極楽のお錠前」なるものに触れると極楽往生が約束されるという。右側の壁面、腰の高さというヒントを頼りに手探りで進む。視覚が失われると平衡感覚も低下し、足元がおぼつかない。素通りしたのかと不安になった頃、それらしき物体に触れた。
 ほんのいっときの障害体験であった。
 日本の公式統計では、視覚障害者は約30万人。身体障害者、知的障害者、精神障害者を合わせた全障害者は約500万人、人口の5%弱とされている。いっぽう、西欧諸国は10%〜15%、豪州13%、米国は17%である。
 WHOは統計の不備な国のために推計値10%を用いている。これは、国連が「国際障害者年」(81年)当時行った調査研究に基づく控え目な数字だ。
 ダブルスコア、トリプルスコアの差は、日本民族の優秀性ではなく、障害認定の厳しさ、福祉の貧困を示している。
 福祉国家への「お錠前」はどこにあるのだろうか。




世界の障害者

第7回富山県医療福祉保健交流集会のために作成したグラフと解説文



 障害者の発生頻度(人口比)を比較しました。(註1・2・4)
 あまりの格差に驚かされます。人種でも風土でもなく、その国が「障害」をどうとらえているかの違いです。
 日本は、身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳の交付をもって「障害者」としています。その数は約500万人。(註3)
 日本は心身の機能障害を基準にしていますが、アメリカ障害者法は「主たる生活活動のひとつ以上が制限されること」と定義しています。「障害者の権利に関する宣言」(75年国連総会決議)では「通常の個人生活と社会生活の両者もしくは一方が自力で満たされないこと」としています。(註5)


註1): 参考資料:大野智也「障害者は、いま」岩波新書、 アジア・ディスアビリティ・インスティテ−ト「アジアの障害者」、 (財)日本障害者リハビリテーション協会「リハビリテーション研究」ほか

註2):年次の揃ったデータはなく、寄せ集めである。が、おおよその傾向はつかめる。

註3):少し古いデータを使った。平成14年版の厚生労働白書では、重複を無視して単純集計すれば、日本の障害者は約600万人、約4.7%となる。

註4):インドネシアの統計数値には知的障害者が含まれていない。それなりに統計の体裁を備えた国で、日本より低い数値を見つけるのは困難である。最終稿では、インドネシアのグラフは削除した。

註5):WHOの「障害分類」では障害を「機能障害」「能力障害」「社会的不利」と階層的にとらえている。その内容を見ると、日本でいう「要介護」老人は、障害者に他ならない。





 バイパス とやま保険医新聞 12月15日号(第252号)

 老人の医療費は4分の1にできる。
 与太話ではない。毎日新聞の社説に権威ありげに書かれているのだ。ヨーロッパのどこかの国を見習えば、というが、国名は示していない。
 4割減らせる、という議論を聞いたことがある。日本の1人あたり老人医療費は若人の5倍、フランスは3倍。だから、フランス並みにすれば4割減らせるというのだ。若人の医療費をフランス並みにしたら?の反論がある。
 さて、4割ではなく、4分の1である。
 どこの国か見当がつかないので、4分の1の医療を想像してみた。
 老人が5倍とはいうが、1日あたりの医療費はほとんど違わない。老人は病気になりやすく療養期間が長いことを示している。
 厚労省御用達「長瀬の回帰式」で電卓をたたいてみる。自己負担を5割に引き上げれば、4割の受診抑制が期待できそうだ。
 年齢が高くなるほど1人あたり医療費がふえる。医療保障を75歳で打ち切るか、平均寿命が短くなれば老人医療費は激減するだろう。歯科治療は配給制、終末期医療は自己負担…4分の1になるかもしれない…
 ばかばかしい、もうやめた。これじゃ悪魔の皮算用だ。


 9月17日、毎日新聞の社説より

<医療費は年間30兆円を超えたがそのうち10兆円は高齢者にかかっている。 老人医療で1人あたりかかる費用は平均して若者が病気になった時かかる医療費 の5倍だ。この老人医療費10兆円はもし欧州の安い国並みの老人医療費単価だ と4分の1の2兆円少々ですむ。日本の医療はひどく高い。>

註1:「医療費単価」が何を指しているのか不明。 「病気になった時かかる医療費」ではなく、病気にならなかった人も含めての 「1人あたり」医療費で比較すると、70歳以上の老人医療費は若人の4.8倍になる。 「病気になった時かかる」医療費を1日あたりで比較すると、ほとんど差はない。

註2:「ひどく高い日本の医療」が何を指しているのかわからないが、 日本の医療費はGDP比でも人口比でも先進国中の最下位クラスである。


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イワウチワ
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