鎮魂の里・都子さんメモリアル
2013年 第13回 都子さんメモリアルコンサート 準備編


2013.02.14 第1回実行委員会

第13回メモリアルコンサートは11月3日(日)、新川文化ホール(大ホール)にて、13:30より開催します。

連休の真っ最中ですが、ここの日程しか会場が確保できませんでした。例年行っている翌日の「訪問コンサート」については、今回は公民館のコンサートを取りやめて、その分、キャンプ場の慰霊碑での献花と演奏に力を注ぎたいと考えております。障がい者交流センターでの訪問コンサートは例年通り行う予定です。

実行委員会では、来年以降のメモリアル事業をどうするか検討しています。現在と同じ規模でのメモリアルコンサートを続けるのは難しいが、形をかえてでも、続けていきたい、と考えております。幅広く、ご助言、ご協力をお願いします。

2013.03.14 雪景色 

2013.03.14 2013.03.14
この日、用事があって片貝ヴィーラに行ったついでに足を伸ばしてみました。島尻地区では、日陰に雪が残っているという感じですが、山女、東蔵地区にはいると一面が雪です。第2発電所前で重機が除雪作業中でした。慰霊碑(山ノ守キャンプ場)まで行けるようになるのは、もうすこし先のようです。
4月2日 4月2日
 3週間後の4月2日、またまた用事のついでに片貝谷の様子を見てきました。東蔵地区でも雪は日陰だけになりました。しかし道路の除雪は第2発電所まで。その先はまだ除雪してありませんので、慰霊碑(キャンプ場)まで行くにはカンジキでも履いていかないと無理です。

2013.04.18 第2回実行委員会 

予定通り11月3日に開催することを確認しました。来年以降、どうするかについて意見交換しました。合唱団SATOKOの結団式は9月1日の予定です。

2013.04.28 新緑から深緑へ 

第2発電所
第2発電所周辺の雪は消え、キャンプ場の少し先まで車が入れるようになりました。慰霊碑のまわりの木々は葉がひらいてきました。周辺の日当たりのいい場所ではキクザキイチゲが花盛りです。
慰霊碑 キクザキイチゲ

2013.05.18 チラシ 

第13回メモリアルコンサートの案内チラシと合唱団員募集のチラシを作製しました。

PDFファイル:こちらをクリックしてください →  「団員募集

2013.05.19  別又発電所 

5月14日、片貝別又発電所の起工式が行われました。片貝川の流域には現在7ヵ所の水力発電所があり、こんどの片貝別又発電所は8番目になります。北陸電力グループとして、同じ片貝流域の「片貝南又発電所」以来27年ぶりとなる水路式水力発電所の新設、と報じられています。報道からは、位置関係がいまいちはっきりしないので、見に行きました。
導水路が都子さんの遺体発見現場、すなわち慰霊碑のあった場所、いまは慰霊柱があるところの、ほぼ真下の地下を通ります。200メートルほど西側に水のタンクが設置されるようです。
慰霊碑は、ふもとの山ノ守キャンプ場に移設されましたが、慰霊柱についてはご遺族から「朽ち果てるままにしてほしい」との希望があり、地主の山本さんがこころよく受け入れてくださって、そのままにしてあります。
ともあれ、「遺体発見現場は…」、「慰霊碑がもともとあったのは…」と指し示すときに、ちょうどいいランドマークになりそうです。


2013.06.27 第3回実行委員会 

出演者に変更があります。ピアノは相馬泉美さん、和太鼓の井上奈々星さんが出演することになりました。

2013.07.24 第4回実行委員会 

出演者に変更があります。フルートの石井陽子さんが出演されます。

2013.09.01 合唱団SATOKO結団式 


天神山交流館において結団式&初練習を行いました。
今年の参加者は大人55人、子供17人です。本番当日は参加できないけど練習には参加したい、という人も含めていますので、ステージに立つのは70人前後となる予定です。

第13回となるメモリアルコンサートを「今回が最後」と宣言して取り組んでいます。昨年の第12回が終わったあと、最古参のメンバーから、もうこれで区切りをつけたほうがいいのではないか、という意見が出され、同調する意見が実行委員会の大勢を占めるようになりました。

もう限界ではないか、という気持ちには何度も陥りましたが、それでも、毎回の「感想文」のはげましに後押しされて、なんとか続けてきました。
しかし、慰霊碑の移転、ご遺族の高齢化や健康状態、実行委員自身の高齢化など、条件もそろってきました。

そんなこんなで、区切りをつけるけれども、いつのまにか終わってたという形ではなく、これが最後と明示して取り組もう、ということになりました。「次の一手」に思いをめぐらす動機づけになるのではないかとの期待もありました。なぜやめるのか、といろんな場で問われることは、覚悟の上とはいえ、たいへん辛いことです。

思えば、オウムの残忍な事件への怒りに突き動かされて、地域雑誌で取り上げ、都子さんのご両親とのつながりができました。やがて、コンサートを開きませんか、という思いがけない提案がもたらされ、わけもわからず取り組みました。当日、坂本堤さんのヴァイオリン、都子さんのフルートを使って演奏されるまで、なぜ二人と音楽が結びつくのかわかりませんでした。

第1回のコンサートの前日、僧ヶ岳林道わきの慰霊碑で鎮魂の演奏が行われました。そのとき、はげしい雷雨が一転して青空になり、虹がかかりました。僧ヶ岳の山懐で、尾根にかかる二重の虹が間近に見守る中での演奏でした。
慰霊碑の裏面に刻まれた「赤い毛糸に…」の詩を読んだときの衝撃は、忘れることができません。

僧ヶ岳の虹と、慰霊碑の詩と、同時に出会わなければ、これほどに強烈に心に突き刺さって来なかったでしょう。偶然とはいえ、運命のようなものを感じます。

こんな詩を書いた都子さんとはどんな人だったのか、なぜこの詩を書いたのか、そんな疑問をご両親に向けました。そして、都子さんと堤さんが、ともに音楽好きではあったけれども、それが二人を結び付けたのではなく、ボランティア活動に熱心に取り組む中での出会いだったことを知りました。虹色の毛糸に託して人と人の心の絆を願った詩が、大夕張でのサマーキャンプから生まれたことも知りました。

私自身の学生時代は、東京の下町や僻地の無医地区でのフィールド活動に明け暮れていました。妻との出会いも、フィールド活動の場でした。とうぜんながら、都子さんや堤さんの生き方に強い共感を抱きました。お会いしたこともない人に友人のような、同志のような不思議な親近感を抱き、それが、その後のメモリアルコンサートに取り組むエネルギーの源になりました。
いま、一区切りをつけるにあたって、友との別れのような、辛い辛い気持ちす。

「あなたの心に」を歌い継いでいく、凶悪なカルト集団が成立した社会を省みる、都子さんたちの生きた証を語り伝えていく、そんな活動を、形を変えても続けていきたいと思っています。まだ、具体的な形にはなっていません。いろんな提案や助言をいただければ幸いです。

この項のPDFファイル


「感想」→ 第4回第5回第6回第7回第8回第9回第10回第11回第12回第13回

2013.09.04 第5回実行委員会 

協賛広告集めがスタート。チケット販売の準備もほぼできました。

2013.10.03 第6回実行委員会

いよいよ残り1ヶ月、最後の追い込みです。

2013.10.06 僧ヶ岳林道へ

工事図 晴天に誘われて、僧ヶ岳林道へ向かいました。片貝別又発電所の工事が行われているので、どうかなと思いましたが、むしろ工事のおかげで林道は整備されていました。

慰霊碑跡に向かう林道の最後の大曲りの場所に取水設備が設けられます。休日にもかかわらず、重機が動いていました。このあたりは、あと1ヶ月もすると雪が降ります。

作業員に声をかけたら、めったにない特殊な難工事なのだ、とのこと。たしかに、近年は原発一本やりの電源開発だったので、水力発電などは、たいへん珍しい工事になってしまったのでしょう。

水は取水口から地下の「導水路トンネル」に入り、慰霊碑跡地のほぼ直下を通って貯水槽に導かれます。
↑ 慰霊碑跡地の少し手前から谷に向かって道が作られています。ヘッドタンク(貯水設備)へ進入するための道路になるようです。
慰霊塔はヨモギとススキに覆われていました。車に積んである山菜用の鎌を使って、まわりを少しだけ刈り取りました。近辺にあった野草を花立に入れました。(ナナカマド、アキノキリンソウ、ゴマナ) ↓

慰霊碑跡地の先で通行止めになっていました。ふもとに引き返し、山ノ守キャンプ場へ。慰霊碑にお参りして、ベンチに座って、コンビニで買ってきたサンドイッチで昼食。

そのあと沌滝から先の林道へ行ってみました。いつもはクサリで閉鎖されているのに、この日は開いていました。片貝川本流の谷をはさんだ向かい側からの片貝別又発電所の全景です。




途中、危なっかしい場所もありましたが、なんとか坪野まで抜けることができました。

注)片貝別又谷発電所
2013.05.15着工〜2015.12.11運用開始〜2016.04.07最大出力運転開始


2013.10.27 第7回実行委員会

あと1週間。プログラムが刷り上りました。→第13回プログラム(PDF)



前ページ |目次| 次ページ