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澤地久枝『昭和とわたし』文春新書
目次のボリュームに驚く。8ページもあって、しかも1行に2件も3件もタイトルが並んでいる。本文を開くと、一つのタイトルに数行のものも多い。帯に「本書はわが人生のアンソロジーです」とある。いろんな著作から文章を抜き出して配置してある。
▼1930年(昭和5年)生まれ。満州で子ども時代を過ごす。
子どものころは「遠っ走りのチャー坊」というあだ名のおてんばな女の子だったらしい。
▼1946年秋、満州から引揚げ。1949年、18歳で出版社(中央公論社)勤務。その後、五味川純平「戦争と人間」の資料助手。
1972年、さいしょの本「妻たちの二・二六事件」
▼大江健三郎から「昭和史をお書きなさい」との助言を受けたとのこと。向田邦子は同年代であり20歳代からの交流は長く深いものだった。向田のために1章をあててある。
▼ノンフィクションを書き続けた。「事実にもとづいて書いてきた人間は、事実から離れることがこわい。細い丸太橋を直立してわたる気分である。そういう人間には小説は向いていない。そして小説の書けない『臆病さ』に、ものかきとしてのわたしの誇りもある」と。
▼2005年5月、富山で澤地さんと鶴見俊輔さんを招いて講演会を開いたことがある。そのとき、主催者側のメンバーとしてお二人と間近に交わる機会があった。澤地さんはとても真摯で、飾らない人柄で、親近感をいだいた。
(2021.01)
戸屋まい『大コメ騒動』小学館文庫
先日封切された映画「大コメ騒動」を小説化(ノベライズ)したものだ。作者の「戸屋まい」は「富山(とやま)」と「米(まい)」をもじったペンネームだろう。
▼情景や人物の解説がしてあって、映画では汲みとれないような細かな状況が伝わる。逆に、人物がすべて「名前」で登場するので、頭が混乱する。
▼米屋へ米の安売りを請願する行動が新聞では「越中の女一揆」と華々しく報じられ、全国に飛び火した。実際の行動は、単純に米を安く売ってくれ、というものだった。「米を旅に出すなー」との行動が、やがて、
町役所での「貧民救済規定」を引き出し、1日3合のコメの支給と旧価格でのコメ販売となった。
▼エピローグ:「男が動くと戦争になりますが、女が動くと社会が変わる!」
(2021.02)
望月衣塑子・佐高信『なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したのか』講談社+α新書
望月氏は菅が官房長官だったころ、しつこい質問を毛嫌いされ、いろいろと差別をうけた東京新聞記者である。ふたりは慶応大学法学部の同窓。反権力のスタンスが似ている。
▼じつのところ「対談」形式のものは、あまり好きではない。話のやりとりで進んでいくと、論旨がぼやけてしまうことがある。が、望月記者への興味があって手に取った。
▼望月の父は業界新聞で働く記者、母は演劇に関係し、弟は演劇の世界にいる、という。文化的な環境に育ったと言っていいだろう。学生時代は、どちらかというと「保守」的な思考パターンだったらしい。
▼森友問題で自殺した赤木氏は、「芸術家肌のところがあって、書にすごく関心があったんですね。書道はプロ級で、篆刻とかまでやっていた。オペラや歌舞伎、落語、建築などにも造詣が深く・・・」(望月)と、論理だけでない人間性を指摘する。
水俣病認定訴訟に係わった山内豊徳という自殺した官僚も芸術家肌の人だった。「前川喜平さんもかつて詩人だった」(佐高)
▼生きている限り、人間は偏る。偏っていないのは、死んでいるということだ(佐高)と、
「ジャーナリズムの中立幻想」を指摘する。
(2021.02)
志賀賢治『広島平和記念資料館は問いかける』岩波新書
8月6日、朝8時15分、かつては役所や工場で一斉にサイレン、汽笛を鳴らし、電車やバスも止まって、黙とうをささげた。いまは、普段と変わらない雑踏が続いている。被爆体験を語る人はどんどん少なくなっていく。
▼「原爆資料館」と呼ばれることが多いが、正式名は「広島平和記念資料館」。
館内の展示を詳しく紹介している。著者は前館長。(2013.4〜2019.3)
▼原点は初代館長になった地質学研究者・長岡省吾。1962.1.31健康上の理由で退職。
49.9.25中央公民館の一室で「原爆参考資料陳列室」開設。
現在地の広島平和記念資料館は1955.8.6竣工。大規模な展示更新は75年、91年、2019年の3回行われた。
▼1956.5.平和記念資料館で「原子力平和利用博覧会」が開催され、1967.5まで「平和利用」(原発)関連の展示が行われていた。
▼1995年、スミソニアン協会の特別企画展の問題起こる。退役軍人協会が介入し議会が同調。M.ハーウィット館長が辞任。これを機にアメリカン大学で原爆展を開催し、世界各地での「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」につながった。2020年までに19か国52都市で延べ60回開催。
(2021.03)
是枝裕和『雲は答えなかった』PHP文庫
著者は2018年の「万引き家族」でカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞。いまや押しも押されもせぬ映画監督だが、このノンフィクションこそが「処女作」だと冒頭で述べている。
▼1990年12月5日、環境庁の官僚・山内豊徳(53歳)が自殺した。
企画調整局長は環境庁の中で事務次官に次ぐナンバー2のポスト。
水俣病をめぐる裁判所の「和解勧告」など、多くの問題の矢面に立たされていた。
生い立ちや官僚としての歩みを詳細に追跡している。
▼山内は小学生のころから文芸に傾倒し、詩などを書いている。東大生時代にも文学賞に応募しているが、その方面では、ついに目が出なかった。上級公務員試験の席次は99人中2番。大蔵省などから誘いがかかっただろうが、厚生省を自ら選んだ。福祉をテーマにした著書もある。
▼著者はそもそも、生活保護を受けられずに焼身自殺した元ホステスを取り上げて、福祉行政の不条理を告発するドキュメンタリーTV番組を作る仕事をしていた。ところが、山内の自殺に遭遇し、生活保護行政に関わっていたことを知る。山内のことを取材し、「しかし…福祉切り捨ての時代に」というタイトルの番組制作〜あけび書房の久保氏より「本にしてみないか」と勧誘され、この本ができた。
(2021.03)
本村凌二『独裁の世界史』NHK出版新書
著者はローマ史を専門とする歴史学者。独裁は民主主義の対極のように見られがちだが、ヒトラーもムッソリーニも民主主義の手続に従って地位を築いた。民主主義にはポピュリズムから衆愚政治に堕していく危険性がつきまとう。プラトンは、「教養と見識を備えた哲人による独裁制」を理想の政体と考えた。独裁政、共和政、民主政に分類して考察する。
▼古代ギリシャは市民団「デーモス」や「陶片追放」で民主政を築いたが、ポピュリズムに走った結果、崩壊。「デマ」の語源はギリシャ語の「デマゴーゴス」。デーモス(民衆)を説得・指導する人の意味。 民主主義とは「ましなポピュリズム」であり「所詮、民主政はポピュリズムにすぎません」と著者は評す。
▼ローマは徹底的に独裁を排除し、「共和政」を生み出した。しかし、やがて「愚かな独裁者」が出現して、滅亡へ。前近代は、基本的に独裁政が当たり前。古代ギリシャの民主政や古代ローマの共和政は、むしろ例外的だった。
▼後半では、ヨーロッパの近現代史を扱う。抽選X選挙でリーダーを選ぶヴェネツィアの歴史にスポットをあて、「現代日本がヴェネツィアの共和政に学ぶべきことは、数多くあります」と評している。著者は「民主政」に疑問を呈し、「共和政」を評価しているようだが、共和政とはそもそもどういうものなのか、イメージがつかめない。
▼最終章で、AIの発展により、AIに依存する「デジタル独裁」の危険性が増している、と警告している。 (2021.04)
半藤一利『ノモンハンの夏』文春文庫
著者は今年1月、90歳で亡くなった。歴史ものは結構読んでいるが、この人の本は読んだことがなかった。
▼三宅坂周辺の地理的描写から始まる。歴史書というよりはノンフィクションといった感じ。人名や地名が洪水のようにでてくる。
参謀本部には秀才中の秀才が集められていた。彼我の情勢を誰よりも知り理解していたはずの彼らが、何かに引きずられるかのように誤謬を重ねていく。
▼著者は出版社に勤めていて、戦後、関東軍の参謀だった辻政信と、会ったことがあるとのこと。たいへんな雄弁家であったらしい。ただし、信用できない人物であったようだ。
▼昭和14年、日本の政府の中央では三国同盟をめぐって陸海軍がせめぎ合っていた。ヨーロッパでは独ソが不可侵条約を結ぶべく水面下でやり取りしている。このような激動の世界と同時進行の形でノモンハン事件が進行していく。
▼独ソ不可侵条約が成立し、ポーランド侵攻が始まるのと同時に、ノモンハンの停戦協定が成立。頭が良くて弁の立つ参謀たちが、日本をおかしな方向に引っ張っていった。「ノモンハン敗戦の責任者である服部・辻のコンビが、対米開戦を推進し、戦争を指導した」と著者は嘆く。
(2021.04)
宇野重規『民主主義とは何か』講談社現代新書
著者は昨年、日本学術会議の新会員に推薦されながら任命を拒否された6人のうちの一人だ。特定秘密保護法や安全保障関連法に反対している。
▼デモクラシー(democracy)が日本語に導入される際に「民主主義」と訳されたが、もともとは「主義」というような抽象的概念ではなく、「普通の人々が力をもち、その声が政治に反映されること、あるいはそのための具体的な制度や実践を指す」ものであった。それはジョン・レノンの歌「Power to the People」のように「民主力」のほうがしっくりする。
▼歴史を振り返り、さまざまな論者の考えをたどっていく〜新書版とはいえ結構な内容があり、ついていくのが大変だ。歳をとると、こういう書籍はしんどい。
(2021.05)
忽那賢志『専門医が教える新型コロナ・感染症の本当の話』幻冬舎新書
著者(くつな・さとし)は、テレビにもよく出演しているひげ面の医師である。42歳、専門医としては若手と言っていいだろう。
国立国際医療研究センター国際感染症センター国際感染症対策室医長。
▼この時代、ネットで噂やデマも含めて大量の情報が氾濫し、現実社会に影響を及ぼす。過剰な情報が世論を誤導する状況が「インフォデミック」。メディアリテラシーと同時に「感染症リテラシー」のために執筆した、とのこと。
▼感染症についての基礎知識を整理し、新型コロナについても偏りなく、分かりやすく解説している。それにしても、やっかいなウィルスだ・・・
(2021.05)
井上ユリ『井上ひさし ベスト・エッセイ』ちくま文庫
井上ひさしファンなのだけれど、最近になってDVのことが広がって、少々がっかりしている。とはいえ、この本の編者、再婚相手のユリさんにはDVはなかったようだ。ユリさんは、元国会議員・米原昶の娘。
▼1999年に富山で井上さんの講演会を開催したとき、ユリさんと小さい男の子が一緒だった。講演が終わり、簡単な懇親会を行ったあと、「富山の回転寿司を食べに行きたい」と、家族で出かけられた。
▼60編余りのエッセイを収めてある。母親のことや、自分の子ども時代、下積み時代のことなど、自伝的な内容もある。もちろん、言葉や物語のことを、あれこれとひねって考察していて、面白い。
(2021.06)
井上ユリ『ひと・ヒト・人』ちくま文庫
サブタイトルに「ベスト・エッセイ続」とある。
トップがアンネ・フランクで、次が安藤昌益。アイウエオ順かと思ったら、そうではない。
▼文芸、芸能などを生業とする人がほとんどを占める中で、中村哲さんが取り上げられている。言葉で作られた世界ではなく、その活動に感銘を受けたようだ。
▼「わがアイデア母さん」と題して自分の母親を扱っている。「前編」でも母親を取り上げていた。「おれのお袋は少々変わっている」・・・と書かれているが、少々どころではない。小説や戯曲がいくつもできるような波乱の人生を送ったようだ。
(2021.6)
河合敦『渋沢栄一と岩崎弥太郎』幻冬舎新書
百姓から藩士にとりたてられ武士に、そして明治の時代には実業家として成功する。二人の共通点と違いがテーマ。
▼二人とも、若いころ良き師に出会って、強い影響を受けた。また「とっさの機転」が共通点だという。頭の回転が早かったということだろうか。
▼岩崎は「独裁主義」、渋沢は「合本主義」「公益重視」。
渋沢は「士魂商才」を「唱道」する、と自ら語った。士魂を養うには「論語」を学ぶ、商才を養うにも「論語」、と「論語教といっていいくらい、栄一は孔子の教えに心酔し、それを徹底的に自分の経営に活かしてきたのである」とのこと。
▼明治12、13年ころから海運業を巡って栄一と弥太郎のあいだに激しい確執が生じた。
▼岩崎弥太郎は素晴らしい後継者を育成したが、渋沢栄一は後継者の育成に失敗している。
▼渋沢栄一は芸者や女中など、関係した女性の数は分からないほど多かった。隠し子も相当いたらしい。論語と女癖は関係ない?
(2021.07)
林真理子『小説8050』新潮社
小説はめったに読まない。タイトルと主人公が歯科医であることにひかれて読んでみた。
▼タイトルに「8050」とあるが、主人公(大澤正樹)は50歳前後と思われる。その息子(翔太)が中学時代からいじめが原因で不登校になり、20歳になった今も引きこもり状態。
▼娘(由依・翔太の姉)の結婚話を機に、息子の引きこもりを何とかしようとして、逆にこじれてしまう。
▼最終的には、自殺未遂で下半身不随になった息子を残して、妻(節子)と娘は去り、息子と主人公が家に残る。二人は理解しあい、翔太は「あと30年ある。8050にはならない」と語る。
▼物語の最初のあたりで、近所での「8050騒動」がエピソードとして入ってくるが、タイトルに「8050」が入る意味は何なのか? 最期の翔太の言葉から、そういうことか、と思うけれど、いまいちしっくりこない。
(2021.07)
半藤一利『日本のいちばん長い日』文春文庫
日本および日本人にとって、いちばん大切なものは“平衡感覚”によって復元力を身につけること……序文(大宅壮一)
▼8月14日正午から15日正午まで、24時間を1時間づつに区切って、ドキュメンタリー風に描写。天皇の「すみやかな戦争終結」の意思が大きな流れをつくったが、それを支えた多くの政治家・軍幹部がいた。
▼阿南陸相は「わが屍を越えてゆけ」と語り、実際に、過激派を抑制しつつ、最後は自決して果てる。
▼椎崎中佐、畑中少佐ら降伏反対の将校は近衛師団長を殺害し、偽の命令を発して近衛師団を動かすが、東部軍司令部により鎮圧される。
▼椎崎中佐、畑中少佐、古賀参謀は反乱の失敗を受け、自決。他にも自殺、あるいは自殺未遂があった。
軍というものは、どこかで普通の論理が働かなくなるものらしい。 (2021.08)
半藤一利『歴史探偵 忘れ残りの記』文春新書
自称「歴史探偵」の随筆集。愛読書は司馬遷の「史記」だという。終戦時、著者は15歳だった。東京空襲で焼けだされ、新潟に疎開していた。
▼著者は学生時代、ボートの選手だった。言問橋の近くに明治天皇行幸碑があり、その隣に墨田川ボートレースを記念して2016年に建てられた「漕」という碑がある。その碑文を書いた。
▼この本の企画がスタートしたのは2020年初夏、2021.1.12没。書斎の机の上に、この本のゲラが置かれていた。第1刷発行は同年2月20日となっている。(2021.08)
橘木俊詔『渋沢栄一』平凡社新書
格差論で大きなインパクトを受けた橘木俊詔の近著。
格差論の大御所が、なぜ渋沢栄一をテーマに本を書くのか。そんな疑問に引かれて手に取った次第。
▼父から商売上手と学問好き、母から慈悲深い心を受け継いだ。
33歳で大蔵省を辞職し91歳で死ぬまでの60年間を民間経済人として生きた。
「銀行」は渋沢栄一の造語。「第一国立銀行」設立。のちの「第一銀行」。渋沢は30年以上、頭取を務めた。
▼おびただしい数の企業や団体の設立や運営に関わっている。経済的な支援を求められたという事情もあろうが、大学や病院、福祉施設や赤十字の設立などにも関わっている。
▼論語と算盤の話はいろいろと言われているし、本人が掲げたスローガンともいえる。そのほかに「空想的社会主義者」アンリ・ド・サン=シモンの影響を受けていたらしい。貧困者を救済しないと、社会全体がダメになるし、経済繁栄の阻害要因にもなる、という寛政の改革の老中・松平定信の思想にも共鳴していた。
(2021.09)
田中拓道『リベラルとは何か』中公新書
[リベラルの定義]価値の多元性を前提として、すべての個人が自分の生き方を自由に選択でき、人生の目標を自由に追求できる機会を保障するために、国家が一定の再分配を行うべきだと考える政治的思想と立場。
▼17世紀に自由主義が登場。19世紀、経済的自由を唱える。20世紀初、自由放任主義への批判&国家による再分配を求めるリベラル思想。大戦後、ケインズ主義的福祉国家が主流に。70年代以降、新自由主義と文化的リベラリズムが登場。90年代以降、グローバル化によりインサイダーとアウトサイダーの二分化が進行。2000年代以降、排外主義ポピュリズムが伸長。
▼日本では「リベラル」という言葉に混乱がある…と著者は言う。
明治維新後のブルジョワジーは、自由主義の担い手にはならず、政府の庇護のもとに経済発展を追求した。自由民権運動や大正デモクラシー運動における「自由」は、自由主義とは微妙に異なる。河合榮治郎のような知的エリート層のリベラル思想が見られたが、マルクス主義とファシズムに挟撃され、広がりえなかった。
▼戦後、保守と革新はイデオロギー的対立に。60年代以降、日本でもリベラルな価値観にもとづく運動が広がった。
60年代後半〜70年代前半、リベラル市民運動と革新勢力が手を結び、各地で革新系首長が誕生した。しかし、オイルショック以降は財政難が革新勢力の足をひっぱる。
日本では「リベラル」の立場がいまいちはっきりしない。
(2021.10)
昭文社編集部『富山のトリセツ』昭文社
各県のシリーズものの1冊。富山のいろんな場所や史跡などを紹介している。
▼魚津市の関連では、蜃気楼、埋没林、洞杉、松倉金山、刀工・郷義弘、YKK創業者・吉田忠雄が取り上げられている。米騒動についてはほんの少ししか触れられていない。
▼富山湾のホタルイカが有名だが、漁獲量では兵庫県のほうが多い。富山では沿岸での定置網漁法だが山陰沖では底曳網漁法。定置網では産卵期の太ったメスだけになる。ときどきスーパーで県外産のホタルイカを見かけるが、小さいことに疑問を感じていた。漁法の違いによるようだ。
(2021.10)
橋本健二『<格差>と<階級>の戦後史』河出新書
新書版ではあるが400ページの分厚い本。
3年前にこの著者の本を読んだことがある。(『新・日本の階級社会』) こういう難しげな本は、頭がついていかないからもう読まないことにしよう、と思いつつも、ついつい手に取ってしまう。
▼橘木俊詔は「格差」に注目し、橋本健二は「階級」に注目する。「格差の背後にある構造」が階級である。社会学の分野では「階級」と同じ意味で「社会階層」という用語が使われる。イデオロギー的な印象を避けて後者のほうが多いとのこと。
▼敗戦後の日本社会を10年単位で1章をあて、調査データなどを細かく分析している。戦争被害には格差がある。「戦争には階級的性格があり、とくに犠牲を強いられたのは労働者階級だった」と評している。
▼1960〜70年代、団塊の世代が「若者」だったころ、高度経済成長のおかげで格差は縮小傾向に。そして「一億総中流」が日本の「常識」化していく。
▼80年代、バブル景気のなかで、規制緩和、金融自由化、民営化などが急速に進み、経済格差の拡大が始まったが、それほど問題視されなかった。
1986「労働者派遣法」施行〜1999条件緩和〜非正規労働増「フリーター」増、1989 消費税導入
▼90年代以降、バブル崩壊〜男性非正規雇用者が激増。80年代から始まった非正規労働の拡大によって、ひとつの新しい下層階級が形成された。
▼2000年以降。非正規労働が拡大〜男女とも独身ワーキングプアが拡大。非正規労働者は労働者階級の最下層というだけでなく、労働者階級以下の存在=アンダークラスと称される。「アンダークラスを生み出し拡大させてきたこと、これが1980年代から始まった日本の格差拡大過程がもたらした、最大かつ最悪の結果だ」と結論付けている。
(2021.11)
安藤優一郎『渋沢栄一と勝海舟』朝日新書
勝海舟は渋沢栄一より20歳ほど年上。徳川慶喜は3歳年上。この3人のかかわりを描く。徳川を支え、やがて新政府に出仕したが、数年で下野したという経緯は勝&渋沢に共通している。しかし、二人は折り合いが悪かった。
▼栄一は海舟のことを、すぐれた見識を持ち凡庸の器ではないと評価しつつ、小僧扱いされたことに反発している。
▼エピローグでの結論。>栄一、海舟、慶喜はいわば複雑な三角関係にあったが、長い目でみれば、栄一は海舟の遺志を継ぐ形で慶喜の名誉回復そして復権を実現したともいえる。237p
二人は、維新後の徳川家を支えた傑物であった。241p
(2021.12)
ダイモンジソウ(大文字草)