BOOK2014
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 《2013|2014- 1011122015



西内啓『統計学が最強の学問である』ダイヤモンド社
著者は東大医学部出身で、いまは医師ではなく、統計のコンサルタントをしているらしい。 ▼「統計リテラシー」の大切さを強調する。 「統計学」の主要な解析手法そのものは1960年代に揃っていた。 統計学を活用するための環境に大きな変化が生じ、 「紙とペンの統計学」から、パソコンで簡単に使える「IT統計学」になった。 ▼ロナルド・A・フィッシャーにより、現代の統計学の基礎が打ち立てられた。すなわち、誤差を数学的に考察するようになった。標本のランダム化はおおきな武器だが、常に可能とは限らない。 (1)発生頻度の極端に低い事例 (2)ランダム化によって明らかな被害や不公平が生じる場合 (3)調査の対象者に嫌悪感を抱かせる場合  ▼ランダム化実験が難しい場合は、ケースコントロール(対照)を設定し、回帰分析を主体とした疫学的アプローチが有用。「ロジスティック回帰」、「データマイニング」、「クラスター分析」、「ベイズ統計」など、古い世代には見慣れない言葉が飛び交って、最後のほうはついていけなくなりそう・・・ ▼「エビデンスのヒエラルキー」は、面白い。ピラミッドの底辺から、  「専門家の意見・基礎実験」、↑ 「疫学・観察研究」、↑ 「ランダム化比較実験」、↑ 「メタアナリシス/系統的レビュー」と4段階に図解されている。なお「系統的レビュー」に対して、研究者の恣意で資料を配列する「叙述的レビュー」を挙げ、注意を促している。(2014.01)

水木しげる『劇画 ヒットラー』ちくま文庫
水木しげる『総員玉砕せよ!』講談社文庫
ナチズム関係の書籍を探していて、たまたま目にとまったので読んでみた。漫画と侮ってはいけない。内容の濃さに驚かされる。「ぼくは戦記物をかくとわけのわからないいかりがこみ上げてきて仕方がない」…「あとがき」より。(2014.01)

鎌田慧(編)『さようなら原発』岩波ブックレット
「さようなら原発1000万人アクション」にかかわる文化人らの小文を集めている。内橋克人、大江健三郎、坂本龍一、澤地久枝といったおなじみの顔ぶれに加え、辻井喬、青木新門なども声を寄せている。(2014.01)

出河雅彦『混合診療』医薬経済社
また「混合診療」がかまびすしくなってきた。毎度の事ながら、患者や医療者は、医療内容の向上を願って発言する。善意が出発点だが、しばしば議論はすれ違いになる。▼第1章では2つの裁判の事例を紹介している。厚労省の混合診療原則禁止については、合法との法判断がくだされているものの、その規定のあいまいさが裁判官の「補足意見」として強く指摘されている。▼第2章では、歯科の「差額徴収」の歴史が扱われている。その時代を生きた者として、もっと生々しい声を多く集めて記録に残すべきかとも思う。 ▼第3章「小泉構造改革の功罪」。この時期、新自由主義を医療に持ち込もうとする動きが活発になった。いまアベノミクスなる「ゆるきゃら」風のぬいぐるみの影で、以前にもまして市場原理主義が強まっている。TPPは決定的になるだろう。▼為政者の側は公的支出を減らすことばかりに目が向いている。経済界は公的医療から外された医療費を「市場」として狙っている。 (2014.01)


リチャード・マーティン(野島佳子訳)『トリウム原子炉の道』朝日新聞出版
福島原発事故の後、何度かトリウム原子炉という言葉に接した。 LFTR(リフター)=トリウムフッ化物溶融炉を「安全でクリーン、事実上無尽蔵」と著者は手放しで評価する。 戦後の東西冷戦の状況下で原子核研究は軍事利用すなわちウランの利用に偏っていく。 核兵器を造るには都合のいいウラン燃料を、無理やり「平和利用」してきた。適材適所でない方策が行き過ぎてしまった。また、冷戦終了後、核弾頭を解体・加工して原子炉燃料にするM2M(メガトンからメガワット)事業が、さらにウラン原子炉を推進した。国のレベルでトリウム炉を推進しているのはインドと中国。中国のほうが可能性が高い。 じつに多くの「キーパーソン」を挙げ、事細かに紹介する。さまざまなエピソードが詳述されている。 タイトルに「道」とあるように、トリウム原子炉の道は平坦ではなく、山あり谷あり分かれ道あり、このさきも険しそうだ。いろんな込み入ったいきさつがあることは解るが、肝心のトリウム炉が安全とする根拠がいまいち理解できなかった。 (2014.02)

ティル・バスティアン(石田 勇治 他訳)『アウシュヴィッツと〈アウシュヴィッツの嘘〉』白水社
「ホロコースト」は作り話だった、といった言説があり、日本でも1995年「マルコポーロ事件」として知られる騒動があった。もともとは欧米の「修正派」といわれる極右に近い人々が唱えているものである。「嘘をまことしやかに見せる彼らの技術は決して侮ることはできない」と訳者らは言う。日本では南京虐殺、従軍慰安婦、沖縄住民自決などで、似たような論理がある。 ▼当事者の証言や、膨大な資料から、意図的な大量虐殺が行われたことに疑問の余地はない。ただし、500万〜600万人といわれる犠牲者の正確な数を確認することは難しい。また、そのすべてが毒ガスの犠牲になったのではない。毒ガスにおいても、アウシュヴィッツでは「ツィクロンB」が使われたが、他の多くでは一酸化炭素などが使われた。「修正派」が依拠する「ロイヒター・レポート」は、少なからず欠陥のある調査である。 ▼ドイツの法律には「民衆煽動罪」や「人種偏見煽動罪」といった規定があり、「修正」論には歯止めがかかるようになってはいるが、ちかごろネオナチなど極右が台頭している。 ▼第3部で、訳者らが、「マルコポーロ事件」での西岡氏の主張を、細かにチェックし批判している。日本ではなじみのなかった「修正論」を、深く考えずにセンセーショナルにとりあげた雑誌編集者の無知が出発点だった。しかし議論がなされないまま、雑誌が廃刊になり社長や編集長が辞任した。解決ならぬ雲散霧消という結末になり、逆に国際的ユダヤ組織の介入だとする陰謀史観に利する結果になった。 (2014.02)

芝健介『ホロコースト』中公新書
ナチ・ドイツによるユダヤ人大量虐殺をホロコースト(holocaust)と呼ぶ。反ユダヤ主義はナチズムのオリジナルではない。以前からヨーロッパ社会の中に存在し、それを巧みに取り込んだ。1935.09.15 「ニュルンベルグ人種法」、 11.14 「ドイツ国公民法暫定施行令」〜ユダヤ人の権利を制限し、ドイツ人の利益に供する。▼1940.4〜1941.8にかけて「T4作戦」。障害者などを「安楽死」させた。このときの中心メンバーが、のちにホロコーストに関わっていく。▼1940.6 フランスの降伏により「マダガスカル計画」が浮上、ここを世界的なゲットーにする構想。戦局により頓挫したあとは、ヨーロッパの各地に約400ヵ所のゲットー(Ghetto ユダヤ人の強制居住区)が開設された。ゲットーでの死者は、ホロコースト全体の犠牲者の1/5を占める。直接の大量殺人ではなく、食糧や医療の制限による「緩慢な大量殺人」が行われた。建前上は最終的には国外追放するための収容、とされた。 ▼1941.12、殺害を目的としたヘウムノ絶滅収容所が設立された。「ユダヤ人の追放先と考えていたソ連、つまり東方にスペースは十分になく、ゲットーも許容の限界にきていた。現地がイニシアティヴを執った大量虐殺にも限界がきていた。」(148p) 絶滅収容所は6ヵ所に作られ、最大のものはアウシュヴィッツであった。 ▼著者の推計。○行動部隊、親衛隊、軍などによる射殺 130万人、○絶滅収容所でのガス殺 300万人 ○ガス・トラックでの殺害 70万人 ○ゲットーでの死者(8割が病気や飢餓) 100万人  ○その他に強制収容所での死者、「死の行進」の犠牲者を加えて、600万人以上としている。 ▼ホロコーストがヒトラーをはじめ、ヒムラー、アイヒマンらの「悪魔の所業」ととらえる歴史観では皮相なものになる。ナチス政権のいろんな組織の中で現場の幹部らが功を競って推進した。かといって、ヒトラーがまったく関与していなかったと主張するのも不自然。(2014.02)

ティル・バスチアン(山本啓一訳)『恐ろしい医師たち』かもがわ出版
著者は医師であり平和活動家、と紹介されている。▼ヨーロッパにおけるペストの大流行が、医学・医師と国家との結びつきを強めた。精神異常者や身体障害者は、最初は放置され、ついで国家による隔離収容の対象とされた。適者生存法則をさまたげて弱者を救済するのは自然の摂理に逆らう行為だとする「社会ダーウィン主義」が根強く存在していた。 ▼第一次世界大戦に医師が従軍し、兵士らの精神的異常・戦場振戦患者に対応した。 電気刺激など、おおきな苦痛を伴う拷問のような治療が広く行われた。患者の治癒ではなく軍務への復帰が優先された。医師層はナチ党への加入率が高かった。 ▼医師にしめるユダヤ人比率は高かった。しかし、1933年の公務員再建法、労働大臣布告によりユダヤ人医師は排斥された。 1934.1.1 遺伝疾患子孫防止法が発効し、多くの権威ある医師・医学者が強制的不妊手術を推進した。少なくとも40万人が対象になったとみられる。 ▼1939.10 T4行動(T4作戦)の秘密指令がだされた。「患者の病気を医学的判断に基づいて不治と診断した場合、人道的考慮に基づいて安楽死が認められるように医師たちを選んで、その権限を拡大する仕事が帝国指導者ボウラーと医学博士ブラントに委託される」と記述されている。 ▼ニュルンベルク継続裁判のうちのひとつ「医師裁判」…被告は23人、うち医師が20人。 死刑7、終身禁固刑5、禁固20年2、禁固15年1、禁固10年1、無罪7となった。他の裁判をあわせて、戦時中の行為が有罪とされた医師は350人。この数字(過小評価)に惑わされてはいけない。「SSの医療業務」には千人以上の医師が関わっている。 過去の医師らの行為について、批判、自己批判的な議論が、あまりにも少ない。過去に口をつぐんで、ナチ協力者が医学会の幹部に居座っていたりもする。(2014.02)

カール・ビンディング/アルフレート・ホッヘ(森下直貴、佐野誠訳)『「生きるに値しない命」とは誰のことか』窓社
副題は「ナチス安楽死思想の原典を読む」。 第一次世界大戦終結から2年後、ナチス党結成の前年、1920年に刊行された安楽死推進の論客の原典(「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」)を示し、それに注釈を加えた書。 ▼法律家、ビンディングの見解は、自殺は犯罪か権利か、と法的というより哲学的な議論から始まる。分かりにくい論理の続いた後、安楽死は「苦しみを軽減する処置であって、殺害ではない」とする。さらに、「何千人もの若者の累々たる死体で覆われた戦場」「ガス爆発で何百人もの勤勉な労働者が生き埋めになった鉱山」と、「重度知的障害者を手厚く世話する介護施設」を「並べて思い浮かべる」よう求め、「ある人の死が、当人にとっては救済であるのと同時に、社会や国家にとってはとりわけ重荷からの解放を意味する」と、一石二鳥の合理性を強調する。 ▼「我々は価値を認め難い命を維持するために苦労している……死期を悟った治療不能の患者に対して、安らかな死による救済を喜んで認めようとしないとすれば、それはもはや同情ではなく、その反対の非情にほかならない」などなど、安楽死を認めないことは犯罪的とまで主張する。 ▼医師であるホッヘの主張も、安楽死を積極的に認める。「生きるに値しない者を無条件に扶養しようとしてきた努力は行き過ぎだった」と述べ、さらに、極地探検隊のエピソードを紹介し、全体の利益のために個々人を犠牲にすることの崇高さを説く。 ▼ヒトラーの侍医テオドア・モレルは、この書を利用して安楽死に関する報告書を書き上げ、秘密裏に出されたヒトラーの安楽死命令に大きな影響を与えた。「痴呆者1人1年あたり2000ライヒスマルクの費用がかかる」などと、殺害正当化の根拠を、経済効率に置いている。 ▼ナチスの安楽死計画からは、優生学や社会ダーウィニズムをイメージしがちだが、彼らの安楽死肯定論は、優生学的根拠を理論補強のために利用することはあっても、本音は経済効率の向上にあったようだ。 ▼ナチスの安楽死作戦につながった考え方ではあるが、現代の市場原理主義にもつながる考え方ではないか、と考えさせられる。(2014.02)


ヒューG.ギャラファー(長瀬修訳)『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』現代書館
著者はポリオの後遺症のため車椅子で生活しているアメリカ人である。 ▼序論。「アドルフ・ヒトラーの狂気がナチスドイツを生み出したと言われてきている。しかし、1920年代、1930年代のドイツの狂気がヒトラーという形で現れた… ヒトラーは確かに狂ってはいたが、彼の時代のドイツをヒトラーはまさに体現していた」。 「極悪非道な行為を行った怪物のような医者に焦点を当てるのは誤りである。本質から目をそらす結果になる。重要なのは、『狂犬』のような殺人者ではない。ドイツ医学界、科学界が時間をかけ患者殺害を実行に移した用意周到で体系的な手法こそが重要なのである」。 ▼序章 ハダマーでのT4計画。ハダマーは、精神病院。T4計画、6ヵ所の殺人施設の一つであった。1943.4.15 ハダマーは「子供の殺人施設」として機能し始めた。やがて、障害児だけでなく、問題児も対象となった。 ▼第1章 T4計画開始。1939年9月下旬、ヒトラーはT4作戦の命令書にサインした。日付は9月1日、正式の書類ではなく私的な便箋に書かれ、「極秘」とスタンプが押され、A・ヒトラーとサインされた。それ以前から「優生学」は、科学や政策の主流となり、1934.1.1 遺伝病子孫防止法(断種法)が発効し、1939.9.1までに37万5千人の断種を実行したと報告されている。 ▼医師を対象に、T4作戦についての説明会が行われた。 「大半の医者は当局に同調した。賛成しなかった医者の多くは口をつぐんだ。公の場で異議を申し立てた医者はほんの少数だった」。 「ドイツの医者は概して異議を唱えることなく安楽死計画に関与した。…計画の存在を知っていたという意味でドイツの医者全部が共犯だった。」。 ▼第2章 T4計画の起源。障害者安楽死の計画は、「文化と時代の申し子だった」、と著者は言う。優生学、社会ダーウィニズムは欧米に広がっていた。ドイツよりも、むしろアメリカで進んでいた。 1907年、インディアナ州は知的障害者と遺伝的不適者の断種を立法化。その後10年間に14の州が続いた。最終的には30の州が断種を承認した。1958年までに6万人の米国市民が断種されている。 並行して、障害者などの隔離・収容が拡大した。1923年には米国の43州が総計4万3千人の入所者をかかえる施設を運営していた。てんかん、知的障害、精神病などの者には結婚が禁じられた。アングロサクソン以外の移民は制限された。 ▼第3章 T4計画実施。1940年〜41年、膨大な数の「登録用紙」がT4本部に届いた。安楽死施設は6ヵ所。グラーフェネック、ブランデンブルグ、ハルトハイム、ベルンブルグ、ハダマー、ゾンネンシュタイン(通称ゾンネ)。 当初は銃殺も行われたが、皮下注射による薬殺、餓死、そして一酸化炭素シャワーに落ち着いた。 移送や遺骨の配送などに要した費用は家族に請求された。 ▼公式のT4計画での犠牲者数は7万人余とされている。しかし、非公式な殺害はふくまれていない。ニュルンベルグ戦争犯罪弁護団事務局のレオ・アレクサンダー博士は、大掛かりな調査をおこない、犠牲者数を27万5千人と推定した。 ▼第4章 子供計画。「子供計画はドイツの小児科医に奇形や知的障害の新生児を殺すのを許可した。子供計画はT4計画と並行して、同じように展開した」。1939年8月18日、3歳以下の欠陥のある児童や奇形のあるすべての新生児の報告を(医療関係者に)義務付ける通達が出された。「助産婦には報告ごとに2マルクが支払われた。報告を怠ると150マルクの罰金もしくは4週間の投獄だった」 ▼第5章:アプスベルクのT4計画。ドイツ中南部の小さな村、アプスベルクに教会と修道院があり、修道院は知的障害者と身体障害者の施設(オッティリエンハイム)として運営されていた。1940年秋、灰色の大型バスがやってきて入所者を連れ去った。ほどなくして、「1人を除いてインフルエンザなどで死亡したと伝えられた。1941年2月、何が起きるかを予感した障害者の混乱が生じ、信仰心の厚い村の住民にも混乱が広がった。(アプスベルク事件) ▼第6章:T4計画のつまづき。アプスベルク事件の少し後でブルックベルクでも事件が起きた。移送対象者が村を回って別れを告げた。これが村人達に警戒心を呼んだ。何が起きているのか、もはや隠せなくなっていた。 ▼第7章:T4計画と医者。ナチスの安楽死計画に抵抗した医者はいたが、まれだった。ドイツの医師の約半分はナチス党員であり、これほど党員比率の高い職種は他にない。ワイマール共和国時代は医者には厳しい時代だった。しかし、ナチス政権による政策は医者に大きな恩恵をもたらした。1933年の医者の平均課税所得は9280マルク〜1938年には14940マルクに上昇した。医学部定員の削減〜1935年には半減。加えて、ユダヤ人医師を追放。 ▼医師がナチスに協力を強制された、というイメージをぼんやり抱いていたが、まったく違うことを思い知らされた。「ヒトラーとナチスを医者以上に熱狂的に支持した集団がいなかった」。「ナチスは医者に殺人を命じたのではなかった。殺人への制裁を解除したのである」。「大切なのは次の二点である … 第一に安楽死計画が秘密裏に実行された点である。…人目につくところでは決してしないことも秘密ならやってのけるのが人間である。 … 第二に安楽死計画は科学の名目で行われた」。 ▼第8章:T4計画と法律家。T4作戦は「裁判抜きで死刑を執行しているのに等しい」。 「法務省は特に当惑した。安楽死計画は内務省が組織し実施していたので、苦情や怒りの手紙が殺到するまでは法務省は計画の存在すら知らなかった」…「法務省は体面を深く傷つけられた」。 ▼第9章:T4計画と教会。当時の国民は信仰心は薄く、宗教はたぶんに形式的、象徴的な存在であった。養護施設、介護施設の多くは教会が所有し運営していた。そこがT4作戦の舞台になった。ブラウネ牧師、ミュンスターの司教など、宗教者のT4作戦への批判行動が紹介されている。 ▼第10章:T4作戦その後。1945年8月、ミュンヘンで、障害者や精神病者が戦後も殺され続けていることが発覚した。このことがきっかけになってT4作戦と子供計画が明るみに出た。1946年、ニュルンベルク国際軍事法廷の「継続裁判」のうちの一つが「医学ケース」と呼ばれる。23名の被告のうち20名が医師だった。 ▼ネオナチの若者が障害者を迫害している。ギュンター・シルマー氏の事例。交通事故が原因で車椅子生活をしていた。ネオナチの集団に襲われ、唾をかけられ、車椅子を蹴られ、「ヒトラー時代だったら、ガス室送り」と罵声をあびせられる。最後は車椅子ごと地下鉄の階段を突き落とされた。このような体験を数回経た後、シルマーは自殺した。 ▼巻末には「付録」として、ブラウネ牧師の報告書、ミュンスター司教の説教などが収録されている。 (2014.03)

F.K.カウル(日野秀逸訳)『アウシュヴィッツの医師たち』三省堂
6章からなるが、第4章が3分の2ほどのページを占める。1〜3章で、親衛隊の成立、親衛隊直轄の収容所の成立、収容所の組織について述べられている。▼第4章の初めで、医師から衛生兵まで、12人の医療関係者の経歴や具体的な行為を詳述している。歯科医師は2名が記載されている。いろんなところで勤務して、たまたまアウシュヴィッツにいた、という印象をうける。衛生兵などは、職を求めて転々としている。 ▼アウシュヴィッツの生活環境はひどかった。「飢えのためにすっかり参ってしまった囚人のことを収容所用語では『回教徒』と称した…大抵4ヶ月から6ヶ月で『回教徒』と呼ばれる状態までやせ衰え、死んでしまった」 「強制収容所で病気になるということは、ただちに破局を意味した。…病むということは、死刑判決が下されることであった。」 ▼親衛隊員医師の任務:労働可能なユダヤ人の選別、チクロンガスの監視、生存者がいないことの確認、寝たきりの者の薬殺、死刑に際しての立会いと死亡証明書の作文。 ▼囚人病人居住区では淘汰の対象となる可能性が高くなるため、病気や怪我をした囚人が普通の収容所にとどまることが多くなる。そこで、収容所淘汰と呼ばれるものが行われた。淘汰は収容所医師の役目だったが、実際には衛生兵が単独でも行っていた。 ▼アイヒマンの指揮のもと、アウシュヴィッツへの列車によるユダヤ人大量輸送が行われた。まず、老人、病人、子供などは労働不能として区別した。…「労働不能のグループに入れられなかった男女がそれぞれ列を作って、親衛隊隊員の命令で前に移動し、ふたつの列の先頭に立っていた医師たちの脇を縦列で歩いた。医師たちの任務は、側を行進する囚人たちから労働可能な者を選び出すことであった。…労働可能とみなされたのは、輸送列車の囚人のうち10%から15%であり、稀には25%に達することもあった。」 ▼「殆ど全ての大規模な強制収容所で、…囚人に対する医学的実験が行われた。…アウシュヴィッツ強制収容所では…できるだけ簡略に不妊手術ができる方法の開発であった」。クラウベルクによる卵管癒着処置(実験)〜ヒムラーに成功の報告をしているが、実際には苦痛が多く、死んだ囚人も多い。 ▼第5〜6章では、西ドイツの裁判の甘さを批判し、さらに病気を理由に勾留免除や免訴を主張する診断書を提出するなど、医師がナチスの暴力犯罪をかばおうとするケースが多いことを指摘し、その社会的背景を批判している。 (2014.03)

朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠6』Gakken
▼第31章:釣ったら放せ。中禅寺湖の魚は、軒並み100Bq/Kgの基準値をオーバーした。キャッチアンドリリースを徹底することで、なんとか釣りを解禁した。 ▼第32章:踊り残そう。浪江町請戸の田植踊、南相馬市村上の田植踊を復活させたエピソード。 ▼第33章:原発城下町。福島第一原発1号機〜4号機が立地する大熊町。震災の日、作業員たちが「ここはもうだめだ。配管がムチャクチャだ」と逃げてきた。その後、避難所を上司が回って、作業員を連れ戻した。 ▼第34章:イノシシ膨張。原発事故のため、イノシシは捕っても食べられない、売り物にならない、狩猟者は減り、増加に拍車がかかった。 ▼第35章:ローンを減らせ。被災者のために奔走している司法書士、菅波佳子さんのエピソード。 ▼第36章:追いかける男。元原発の設計などに関わっていた技術者、木村俊雄、小倉志郎、後藤政志、田中三彦、渡辺敦雄。原発は津波の前に地震で壊れていたのではないかと疑っている。 ▼特別座談会:浪江町町長の馬場有さんら3人の座談会。キャリア官僚は手のひらで案を転がすだけ、と馬場さんは怒る。(20014.03)

菊池誠・小峰公子『いちから聞きたい放射線のほんとう』筑摩書房
物理学者とミュージシャンの対話形式。少女漫画のようなイラストが加わる。年寄り向きではないかもしれない。内容は物理系についてはまとも。ただし、健康への影響については…? がん(あるいは遺伝子損傷)以外は考えていないし、「公式発表」に忠実な内容だ。不安を煽るのはよくないが、安心を煽るのもおかしい。チェルノブイリ・テーゼの罠にはまっているみたいだ。巻末で、次のステップの書籍として「家族で語る食卓の放射能汚染」(安斎育郎)、「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」(田崎晴明)を推薦している。(2014.03)

中西友子『土壌汚染』NHKブックス
著者は東大農学部教授。「放射化学」が専門とのこと。放射性物質の「化学」ではなく、中性子などを照射して「放射化」した微量物質を研究している。農学部では、原発事故直後から教員らを現地に派遣して調査研究を行ってきた。▼水銀汚染やカドミウム汚染と異なり、放射能汚染は、いったん空気中を飛んで落下したら、その後はあまり移動しない。「放射性物質が最終的に落ち着く先は土壌へ吸着した形態ではないか」とのこと。農作物への土壌からの放射性物質の移行は少ない。落ち葉や枯れ草を分解して成長する腐生菌のキノコでは高い汚染が見られる。 ▼二本松のコメで高い放射能を検出した。そこは、まわりを森林に囲まれた谷地田(やちだ)であった。ある時期に集中的にセシウムを吸収していた。有機物が分解し、土壌に吸着される前に根が吸収する可能性がある。また、その場所の土壌の粘土成分の割合が低いこと、カリウムの濃度が低いことが、吸収を高めた。 ▼ヒマワリを使った除染はうまくいかなかった。しかし汚染地でも非食用の有用な作物がありうる。果樹では、根からでなく、樹皮からの「転流」が原因で果実に汚染を起こしている。(2014.03)


内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』朝日新聞出版
1986年に出版された「原発への警鐘」をもとに再刊されたもの。内橋氏は、市場原理主義に激しく反発し、それが原因でいろんなメディアからいちじ干されていたのかと思っていたが、それよりも反原発の立場を明らかにしたためだったのかもしれない。 ▼「原発安全神話」は日本列島を被いつくす。戦前、戦中の「皇民化教育」に酷似している。双葉町の原発反対を唱える町議は「科学の国のドンキホーテ」と呼ばれた。「原発に賛成か反対かは、責任ある立場に立っている人と、責任のない立場にいる者との考え方の違いだ」(渡部恒三) ▼S29年、突然、原子力予算が上程された。当時の政界の大物、正力松太郎は、「原子力発電によって、日本の共産化が防げる」と信じていた。ぐずぐずしている学者のほっぺたを札束でひっぱたくのが狙いだった。 ▼ピッツバーグ大学マンクーゾ博士による「マンクーゾ報告」、原発立地地区での「公開ヒアリング」、羽咋郡志賀町での敦賀市の高木孝一市長の講演、などのルポが収録されている。(2014.04)

落合栄一郎『放射能と人体』講談社ブルーバックス
著者は、おもに海外で研究・教育に携わり、現在はカナダ在住。専門は化学だが、分子レベルの化学〜核物理にも通じている。科学的に厳密な記述が貫かれている。易しくする余り、内容が不正確になる本が多い中で異色といえるかもしれない。 ▼原子核世界と化学世界ではエネルギーのレベルが100万倍程度桁違いになる。 通常の化学反応のエネルギーは、1分子あたり0.1eVからせいぜい数10eV程度だが、放射線のエネルギーはMeVのレベル。 ▼100Svの放射線を被ばくすれば100%即死だが、単純にエネルギーとしてみると、0.024度の温度上昇にすぎない。物理的なエネルギーとして定義された数値(GyまたはSv)を生物への影響をみるための尺度にすることに無理がある。SvではKg単位で考えているが、内部被曝の場合、α線やβ線は、線源周囲のグラムにも満たない範囲に集中的に被曝が生じる。その部分だけを取り出すと、被曝の密度は桁違いに高いはずだ。 ▼DNA修復機構があるということは、DNA変異に基づく「がん」という疾患は、実はなかなか起こりにくいことを意味する。そのため、がんは比較的まれな現象で、しかも多くの場合それが現れるのに時間がかかる。これに比べると、放射能によるDNA以外の細胞成分の破壊に基づくほかの病気は、比較的容易に、しかも速やかに現れるはずである。DNAの修復機構について、かなりのページが割かれている。分子生物学の用語がどっとでてくる。 ▼健康への影響については、IPPNWドイツ「チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害」、バンダジェフスキー『放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響』、調査報告『チェルノブイリ被害の全貌』から多く引用している。(2014.04)


名取春彦『放射線はなぜわかりにくいのか』あっぷる出版社
著者は放射線科医師&研究者。「少しの放射線も有害」「少しの放射線は問題ない」と両極端に別れがちな議論を整理し、自分で考え、判断するための基礎を提供するのがこの本の趣旨だとしている。 ▼「放射線はなぜわかりにくいのか」「なぜ政府の説明に納得できないのか」について6項を挙げている。@政策と科学の混同、A科学を装った政策の対立、B体制維持勢力の強大な力の存在、C巨大な利権、D情報の隠蔽、E放射線は一般教育に取り上げられてこなかった。 ▼かつては、発がんの過程は、DNA損傷、修復エラー、突然変異、発がんというシナリオで解釈されてきた。 近年、DNA損傷からスタートする経路とは別のところで、DNA損傷を介さない「エピジェネリックな反応」が発見され、従来のシナリオの不完全なところを補完する発見が相次いだ。 ▼発がんには多数の複合要因があって、条件がそろったときにがんが発症する。その中で放射線は小さな一つの要因にすぎない。外部被曝については、過度に心配する必要はない、というスタンスのようだ。これは、X線を利用する医療者の、ある意味では自然な感覚かもしれない。 ▼内部被曝については、わかっていないことがたくさんあるけれども、外部被曝と同一視するICRPの考え方を強く批判している。臓器内を平均的に均一に被曝させるかのように扱うICRPの考え方は、科学的とはとても言えない。それを「実効線量」という名のもとに、おなじ「シーベルト」で表現することは不当である。 ▼ベータ線のエネルギーが高ければ、飛程が大きくなり、立体的に考えると、その到達範囲はエネルギーの倍数の3乗となる。それだけ密度は低下する。エネルギーが低ければ、飛程は小さくなり、ごく狭い範囲に高密度に影響を与える。 ▼トリチウムの放射するベータ線はエネルギーが低いから心配ない、といった言説が見られる。トリチウムについては「とても複雑でまだわからないことばかり」であり、「当初は一切触れないつもりでいた」とのことだが、やむなく「既にわかっていることと、なおわからないことをはっきりさせる」必要に迫られて、7ページにわたって取り上げている。トリチウムを含む水にばかり注目されがちだが、炭水化物などの化合物の水素がトリチウムと入れ替わることも考慮しなければならない。「最も懸念されるのが、DNA分子にトリチウムが組み込まれるときである」と指摘している。 ▼最後の第9章〜第11章にかけて、ICRPの歴史、単位系の変更などを取り上げて、厳しく批判している。 (2014.05)

木村真三『「放射能汚染地図」の今』講談社
著者は、1999年9月30日に発生したJCOの臨界事故のとき、科学技術庁(のちに文科省)の放射線医学総合研究所に勤務していたが、初動調査にストップがかけられて、もどかしい思いをした。福島の事故のときは、厚労省所管の労働安全衛生総合研究所に勤務していた。「勝手な行動は慎むように」との指示があったが、放射線にかかわる事故では初期の調査が重要なことから、3/13(日)深夜に辞表を上司の机の上に置き、ETVの取材チームに加わって福島へ向かった。 ▼チェルノブイリ原発事故発生から4年後に、ベラルーシで子どもの甲状腺がんが多発したという発表がなされたとき、日本の研究者が、広島・長崎での資料をもとに「4年しかたっていないので、がんが発生するには早すぎる」と主張していた。福島の子どもたちに、甲状腺がんが多く見つかっている。 今の時点で、スクリーニング効果であって被曝とは因果関係がない、と結論付けることは科学的ではない。「まだわからない」というべきだ。 ▼2011年7月、いわき市志田名(しだみょう)地区の土壌汚染調査で、木村氏らの分析結果と県の結果が3倍ほど違っていた。県のやり方は、15センチのサンプルを採取して、表層5センチは廃棄、残りの10センチを攪拌して測定するという奇妙なやり方だった。表層を除去して、トラクターで耕すことを「想定」したものだという。 ▼ウクライナ放射線医学研究センター発表資料によると、2008年で80%の子どもが「慢性疾患あり」となっている。グループ分けの仕方や、「慢性疾患」のカウントの仕方に問題がある。(虫歯もカウントされる) データの中身を知ったうえで、数字を見る必要がある。いっぽう、旧ソ連圏では病気の登録システムが確立されている。病暦の保存は50年、死後20年とされている。これは日本も見習うべき。 ▼「被災地の復興」とお題目を掲げながらも、日本が誤った方向に傾いている。にもかかわらず、権力や経済の中心勢力に逆らうことの不利益を恐れて、声を上げない「専門家」が多いことを嘆いている。(2014.05)


古川和男『原発安全革命』文春新書
トリウム溶融塩炉では原理的に過酷事故は起こりえない、と主張する。 「急いでトリウム溶融塩炉による発電システムを構築し、既存の原発と置き換えなければならない。そして、やがては自然エネルギーに主役の座を明け渡すのである」(17p) ▼「物流関数」なるものを用いた「未来予測」は難解。このような演繹的な論理が、正当なのかどうか、どうも違和感がある。 ▼「溶融塩」とは…塩が高温で溶融した状態であり、陽イオンと陰イオンが混ざり合った「イオン性液体」。一般に体積が固体のときに比べて10〜20%膨張する。フッ化ベリリウムとフッ化リチウムによる二元系溶融塩は、フリーベ(Flibe)と呼ばれる。融点は364度、500度以上で低粘性の液体となり、核燃料(ウラン、トリウム、プルトニウム)の溶媒として、また、生成する核分裂生成物の溶媒としても充分。熱容量も大きく、熱輸送媒体としても良好な性質を持っている。 ▼ウランは原子番号92、トリウムは90。 トリウム232には核分裂性はないが、中性子を吸収してウラン233となり、核分裂性を獲得する。トリウムがプルトニウム239やアメリシウム、キュリウムに変わる可能性は無視できる。 トリウムからウラン233ができるとき、ウラン232が少量できる。これが崩壊する過程でできるタリウム208が、桁違いに強力なガンマ線を発生し、遮蔽や処理が容易でない。このことは、運転にあたっては遠隔操作が主となり、テロリスト対策には有利と主張している。 ▼「溶融塩炉は腐食が問題である」といわれることがあるが、腐食の問題は、軽水炉のほうが深刻だという。とはいえ、高温の溶融塩は空気や水と反応しないのだろうか? 天災やミサイル攻撃で漏出したら大変では?と気になる。 ▼発電のためよりも、いまある使用済み燃料の処分のために活用できそうな印象を受ける。高速増殖炉を前提とした核燃料サイクルの代替として有望かもしれない。 ▼著者は、最後のほうで、「プルトニウム・天然ウランの全面使用禁止を目指そう!」と提言する。トリウム溶融塩炉は核拡散防止に役立つと主張する。 (2014.06)


朝日新聞「劣悪化する介護保険制度」WEB新書
6月に成立した「地域医療・介護総合確保推進法案」を扱っている。負担の増大、施設利用の制限、要支援対象者の除外(市町村へ転嫁)などなど、そもそもの制度創設の理念を骨抜きにする内容なのだが、さして議論されることもなく成立した。▼「支援の必要度は要介護度だけでは測れない。『要介護1・2は在宅で』というなら、国はどういう受け皿をつくっていくのか」(特養施設長)。2割負担となる所得の線引きを、年金で280万円、上位20%に該当するあたりと説明している。また、保険料負担は9段階に細分化する。たぶらかしのプロたちの仕事だ。(2014.07)

明日の自由を守る若手弁護士の会『超訳 特定機密保護法』岩波書店
日本の「報道の自由度」(2014年)は世界59位。原発関連の報道への圧力に加え、特定秘密保護法の成立により、ここまで評価が低下した。 ▼この法律の条文は「なんともわかりにくい!」と著者の弁護士も言う。国会審議されていた頃、条文に目をとして、わかりにくくてサジを投げたが、素人だからというレベルの問題ではないようだ。「大事なことをわかりにくくする官僚の技術ってすごいですね!」とのこと。 ▼「特定秘密」と限局されたもののような言葉遣いだが、「その他」が加えられ、「重要な」と形容され、行政府の長が決めるのだから、制限はない。「特定」ではなく「不特定秘密」だ。 ▼「秘密」の期間が原則30年。だが、60年に延長が可能で、さらに無期限に延長が可能、さらには、期限前に処分が可能。いったい何だこれは、と言いたくなる。 ▼ことし7月14日、沖縄密約文書開示訴訟の上告棄却が決定し、元毎日新聞記者西山太吉氏の敗訴が確定した。米国で密約の存在が明らかになったあとも「無い」としらを切りとおし、いつのまにか処分してしまったらしい。が、それは罪にはならない。都合の悪い資料は、シュレッダーにかけるが勝ちだ。 ▼「ツワネ原則」は2013年6月、南アフリカ共和国ツワネで採択された。70を超える国から500人以上の専門家によって2年余の協議をへて、国連を含め22の団体が起草した国際原則。2013.11.20、安倍首相は「民間団体が示した一つの参考意見」と切り捨てた。ツワネ原則には、国民の知る権利や国家による秘密の制限、内部告発者の保護などが記述されている。「特定秘密保護法は、ツワネ原則が掲げたこれらの重要な事項を、1つも満たしていません!」 ▼この本を読んでいるさなかに、国連自由権規約委員会が「特定秘密保護法」を取り上げて批判した。こんな法が議会を通ってしまうとは、この国、いったいぜんたいどうなるのだろう。(2014.07)


朝日新聞『原子力規制委員会崩落 再稼動や原発増設を阻む委員は更迭せよ!』WEB新書
首相のいちばんの武器は人事権である。原子力規制委員会の島崎邦彦氏の退任、田中知氏の就任については、 「あまりに露骨すぎて役人にはできない人事」と官僚が評しているという。日銀総裁、NHK会長や経営委員、法制局などなど、安倍はこの武器を最大限に利用している。(2014.08)

半田滋『日本は戦争をするのか』岩波新書
安倍が首相就任直前に米国の新聞に従軍慰安婦に関する意見広告を掲載した。名を連ねた政治家の多くが、のちに安倍政権下で要職についた。靖国参拝だけでなく、多くの言動から、安倍は「強固な国粋主義者」とみなされ、警戒されている。 歴代政権の憲法解釈を否定し、独自のトンデモ解釈を閣議決定する行為は立憲主義の否定であり…「首相によるクーデターと呼ぶほかない」と著者は言う。 ▼安倍首相の憲法観は立憲主義とは正反対。憲法が国家権力を縛るのは絶対王権時代の遺物だという。「国のカタチ、理想と未来」を示し、国民を縛るものとみなしている。 「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)は、首相の私的諮問機関であって、仲間内の著しく偏った人物を集めている。個別的自衛の範疇内のことを集団的自衛権がなければ対処できないかのように言い立てて不安を煽る。第二次世界大戦後に起きた戦争の多くは、集団的自衛権行使を大義名分にしている。 ▼2004年1月の自衛隊イラク派遣は、「ウソで塗り固められ」ていた。自衛隊の輸送機は自衛隊員や物資よりも米兵の空輸に圧倒的に多く使われていた。これは憲法にもイラク特措法にも違反しているが、防衛上の機密として隠され続けた。 ▼集団的自衛権が解禁され、海外派兵が認められれば、死傷するケースも出てくるだろうし、PTSDに悩まされる者も増えるだろう。米国には「退役軍人省」という役所があり、職員は24万人、予算は日本の防衛費の2倍。勇ましさを好む政治家が、自衛隊を翻弄する。 (2014.08)


吉原毅『原発ゼロで日本経済は再生する』KADOKAWA
著者は城南信用金庫理事長。小泉純一郎と近い関係にあるらしい。「福島第一原発事故の原因は究明できたのか。汚染水はどこでどう処理するのか。核のゴミの問題に道筋はついたのか─。何ひとつ解決していないにもかかわらず、まさに官民が一体となって、原発再稼動をなし崩し的に推し進めようとしている。」(10p) ▼大企業は、続々と自家発電設備を増設している。2011年度で199万KW(原発1.8基分)、2012年度にはさらに加速して1062万KW(原発10基分)も増設されている。この本とは離れるが、日経ビジネス14.07.28号に「鉄より発電の方が儲かる」と高炉を休止し火力発電設備に置き換える神戸製鋼が紹介されている。▼米国で、大手の電力会社が廃炉を決定するなど、原発離れが進んでいる。理由は単純明快、コストとリスクがあまりに高く、割りに合わない。思想でも信条でもない、ビジネスとして成り立たない。(2014.09)

牧野淳一郎『原発事故と科学的方法』岩波書店
著者は天文学が専門で、核物理や原子力工学の専門家ではないとはいえ、科学的手法を身につけている。JCOの事故、フクシマの事故、いずれも公的な発表は極めて限られた内容であり、矛盾に満ちたものだった。「目立ったのは、事故の規模についての何桁もの過小評価です」と指摘する。限られた情報のもとでも、科学的な推理によって、ある程度の予測ができる。▼「電力会社や政府機関は、予想されていても危機が実際に起こるまでは対応を怠り、さらに実際に危機が起こると、科学的方法を振り捨ててまで危機から目をそらしてきた」。 「ちょっとした科学的検討で、専門家でなくてもおかしいとわかることに注意を払い、きちんと検討していくこと」を呼びかける。(2014.09)


朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠7』GAKKEN
第37章:給食に福島米。JAは「風評被害」を払拭するために学校給食に県産米を使うよう各市町村議会に働きかけた。「国や東電という加害者の利益と、早く安全になりたいと願う農家など被害者の利益が一致してしまう」 ▼第38章:医師、前線へ。避難民の除染基準は、当初6000cpm以上とされていたのが、すぐに13000以上に変更になり、それでも対象者が多すぎて10万cpmに引き上げられた。長崎大の山下俊一、放医研の明石真言は、安定ヨウ素剤を「いま思えば、飲ませればよかった」と語っている。 ▼第39章:マツバヤ復活。商圏の消失は小売業にとっては致命的な打撃になる。 ▼第40章:残ったホーム。飯館村が避難地区になったあとも特養「いいたてホーム」は村に残った。ホームを去った職員もいるが、家族ばばらばらになりながらも残って年寄りの介護を支えている人も多くいる。 ▼第41章:汚染水止めろ。馬渕澄夫をリーダーとする「放射線遮蔽プロジェクトチーム」の会議には米国原子力規制委員会(NRC)のメンバーも2〜3人が必ず出席していた。遮水壁の案に対して、東電は徹底して強く抵抗。馬渕は菅首相と衝突し、PTリーダーを退く。「東電は粘り強く、ぶれずに、最後に自案を勝ち取った」(官僚談) 2011年12月、増え続ける汚染水の「突然の放出計画」。その後も、繰り返して放出を企てている。いずれ、政治家とマスコミを手玉にとって、放出するだろう… ▼第42章:事故と犯罪。原発事故に誘発された事件が発生している。賠償手続きはやたら煩雑。新潟県から、弁護士らの災害地への派遣・応援活動が行われた。(2014.10)

及川智洋『左翼はなぜ衰退したのか』詳伝社新書
明治維新から戦後までの歴史をふりかえり、21世紀の、左翼の衰退と右翼の台頭を考察している。じっさいに、最近は右翼的言辞が市井の人々のなかに広がっている。それは主として、反中嫌韓といわれる風潮に根ざしている。著者の最終章の一節がこの本の要約といえるだろう。「21世紀日本の右傾化は… 東アジアにおける国際政治力学の変化とリスクの増大、左翼的理念のある程度の達成とその後の行き詰まりが主な要因と言えよう…社会的なエリートでない層でもインターネット空間を通して意見を表明しやすくなったことも、右翼的な言辞を活性化させている …現状に不満の多い人々は自信のよりどころを国や民族に求めたくなる場合が多く、愛国者が膨張してゆくということになる」〜これでいいのか、どうすべきか、はっきりしない。「理性派右翼」の出現を期待しているのだろうか? (2014.10)


伊勢崎賢治『日本人は人を殺しに行くのか』朝日新書
著者は「紛争屋」と自称する。紛争を起こすのではなく、国際NGOの職員として、世界中の紛争地域に派遣され、紛争処理や武装解除などの活動を行ってきた。「紛争」をなりわいの種にしてきた、という意味での「紛争屋」である。 ▼国連憲章第2条4項で「平時は、武力を用いる行動をしてはならない」と定めている。しかし、他国からの侵略行為があった場合、安保理の決議により加盟国が協力して立ち向かう。これは「国連的措置」(集団的安全保障)と呼ばれる。国連憲章第51条で、安保理の決定までの経過措置として、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」を認めている。「集団的自衛権」は、あくまで「国益」のために行われ、「集団的安全保障」は国連の主導で「世界益」のために行われる。 ▼吉田茂首相のころは「自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄した」と解釈。1954年「自国に武力攻撃が加えられた場合に国土を防衛する手段として武力行使することは、憲法に違反しない」との解釈が示され、それが最近まで続いてきた。 ▼イラク戦争は「国連の集団的安全保障への協力」ではなかった。米国の「個別的自衛権」行使としての軍事行動と、NATOによる「集団的自衛権」行使に協力したものであり、憲法にも自衛隊法にも違反するものだった。開戦の理由になった、大量破壊兵器や「ナイラの証言」は、間違いあるいは捏造だった。 ▼米国にとって日本は、「集団的安全保障」のパートナーというよりは、米国の「個別的自衛」にとって、なくてはならない好都合な国だ。多くの基地をおき、「思いやり予算」で優遇する。適度な緊張感があって、日本が米国を頼りにするような状況が、米国にとっては好都合なのだ。 ▼「正論」を高く掲げ、それを通すためには武力をも…というウヨク言辞が横行している。それが、かえって問題をこじらせている。国境問題については「ソフトボーダー」という考え方を紹介している。 ▼「現在の日本はすでに、戦争の前段階に入っている」と警鐘を鳴らす。「ルワンダでは、内戦によってわずか100日間で80万〜100万人が殺害されました。武器に使われたのは、マシェティと呼ばれる農作業用のナタのようなものでした」。〜それが、原爆を凌駕する殺傷をひきおこした。それを可能にしたのは「熱狂」だった。 「『熱狂』とは間違いなく、核兵器を超える真の大量破壊兵器になりえるものなのです」。 ▼理論や理想からではなく、紛争の現場に関わってきた著者の発言には説得力がある。 (2014.11)

堤未果『沈みゆく大国アメリカ』集英社新書
富裕層が仕掛けた“オバマケア”で、アメリカ医療は完全崩壊! 次なるターゲットは、日本だ! ‥‥ 帯にあるキャッチコピーが示すように、医療がメインテーマである。 ▼「この国の国民皆保険制度を、なんとしても守ってくれ」、 これが死の床にあった父(ばばこういち)からの遺言だという。序章で、「勝ち組」だったはずの一家が、リーマンショックでの失職から、医療費破産に追い込まれた例を紹介する。この人の著書には、こうした実例の紹介が豊富だ。 ▼肺がんを再発した女性の例も紹介している。保険に入れた、と喜んだのもつかの間、がん治療薬は保険対象外、安楽死薬なら保険で10割給付!! オバマケアが義務づけた新しい必須項目が入る代わりに、約半数の州で月々の保険料が大幅に値上がりしている。保険適用の薬を絞り、かつ自己負担比率を引き上げる。薬価は製薬会社が決める。 ▼フロリダの外科医の例。年収20万ドル、訴訟保険料が17.5万ドル、手元にのこるのが2万5千ドル。山のような事務作業で寝る間もない。ワーキングプアだ… もはや、個人開業や民間病院の時代ではない。全米に1万6000か所ある老人ホームの7割は営利企業が、54パーセントは大型チェーン企業が経営し… ホスピスも52%が営利企業経営となり、透析センターに至っては国内の85%が投資家所有となってしまった。 ▼「〈規制緩和〉〈競争強化〉〈コストカット〉というキーワードが、公教育を「サービス」に、公務員だった教師を「契約労働者」へと変えていった」。福祉予算が金融資産の膨張に資するという、絶妙な「貧困ビジネスモデル」の次の主役は医療だ。 ▼「刑務所リート」を紹介している。かつて違法とされた民間刑務所がふたたび主流になり、収容率のアップ、受刑者を確保するための厳罰化、ホテルコストの受刑者負担などなど、日本人から見ると珍妙に映るが、アメリカでは投資家の人気を集める。儲かるなら、何でも投資商品化してしまう。オバマケアを受けて、医療介護の領域に投資する「ヘルスケアリート」が人気を集めている。 ▼「WHOが絶賛し、世界40か国が導入する日本の制度。時代の中、さまざまな変化と共に個々の問題はでているが、時の厚生労働省や医師会、心ある人々によって守られ、なんとか解体されずに残ってきたそのコンセプトは、私たちの国日本が持つ数少ない宝ものの一つなのだ。それが今、かつてよりはるかに大きな規模と資金力を手に入れたゲームのプレイヤーたちによって、激しい攻勢をかけられている」‥‥と最終章で警告している。 (2014.11)
リート:REIT(Real Estate Investment Trust)不動産投資信託

斉藤正人『この歯医者がヤバい』幻冬舎新書
経営難のなかで、保存治療をないがしろにして、抜歯〜インプラントに走る歯科医が増えている。その背景には歯科医過剰、保険における歯科軽視、虫歯の減少、人口減少などがある‥‥ カネ本位の歯科医は、少なくはないのだろうが、表現がやや極端。歯医者選びで、出身大学を強調している。昔の同級生のなかには、頭は良くても、救いがたいほど手先が不器用な者もいた。バランスが大切だ。 ▼当HP亭主は、インプラントを導入すべく器材を買い込んだものの、どうしても実施に踏み切れず、投資を無駄にしてしまった。予後管理に不安があり、最後の一歩を踏み出せなかった。 自分で手入れの出来なくなった要介護高齢者にインプラントが入っていることがある。インプラントの周囲から骨髄炎を起こして、病院の口腔外科に紹介して入院&手術になったケースもある。 しかし、アフターフォローをきちんとできるなら、インプラントも選択肢だとは思う。そのためには、病院の歯科口腔外科またはそれと緊密に連携した診療所に限るべきだろう。(2014.11)



添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』岩波新書
著者は理系大学院卒の元朝日新聞記者。震災後に退職し、国会事故調などにも関わっている。ひじょうに詳しく調査し取材している。内容が濃密なので、老いたアタマでは読み進めるのに時間がかかる。 ▼東電の福島第一の設置許可申請では数年前のチリ津波を「過去最大」(約3m)として通過した。 女川原発の建設に際しては明治三陸、昭和三陸、さらには貞観、慶長の地震&津波を考慮して14.8メートルの敷地を選定した。 1967〜1968ころ、プレートテクトニクス理論が成立し、巨大地震のメカニズムがあきらかになってきた。 設計時には想定できなかった大きな災害の可能性が明らかになっても、「バックチェック」「バックフィット」の制度的仕組みがなく、放置された。 ▼1998.3、7省庁が「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」「地域防災計画における津波防災対策の手引き」を発した。プレート境界において起こりうる地震津波も明記されていた。福島第一にあてはめると津波高さは13.6メートルと予測され、まさに2011.3.11の津波とほぼ同じになる。 ▼「地震調査研究推進本部(地震本部)」が、地震防災対策特別措置法にもとづいて1995年に総理府に設置された。「海溝型地震」の研究も守備範囲だった。 とくに「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」でのM8.2程度の津波地震を、30年以内に20%と予測した。この津波地震をシミュレーションすると、福島第一で、15.7メートルの津波となる。 ▼2004.12、スマトラ沖のM9.1巨大地震による大津波でインドの原発が浸水し緊急停止した。この事故をうけて原子力保安院は津波への懸念を強めた。それに対して電事連は「確率」が低くリスクが低いことを主張した。このとき根拠とした「確率」は、科学的に推論したものではなく、土木学会関係者らからアンケートをとって、それを集計しただけのものだった。 ▼徹底した証拠隠しなど、水俣病などの公害病と共通する問題点がある。 「組織事故」(政府事故調の言葉)と評される。 東電や政府機関などは「安全文化」を掲げた。「安全文化の醸成」「安全文化の向上」などなど、お題目をいくら唱えてみても、実際の安全対策はとられない。 「安全文化」という呪文で思考停止に陥り、むしろ組織文化を劣化させ続けたように見える。 ▼エピローグで、「(福島の事故のあと)建設年代や立地場所から判断して相対的にリスクの少ない原発を小数再稼動させることはやむを得ないのではないかと考えていた。しかし規制当局や東電の実態を知るにつれ、彼らに原発の運転をまかせるのは、とても怖いことを実感した」と記している。 (2014.12)

日本経済新聞社編『日本語ふしぎ探検』日本経済新聞出版社
いろんな慣用句などの由来が書かれている。「心が折れる」は新しくて、女子プロレスの遺恨試合が発端だとか。湯船が本当に舟だったというのも面白い。小豆島にある壺井栄の文学碑には「桃栗3年柿8年柚の大馬鹿18年」と刻まれているという。東北の義父から聞いたものでは桃栗柿のあとに「梨のばかたれ18年」、中部地方の従兄から聞いたものでは「梅は酸い酸い13年」というのもある。(2014.12)


 《2013|2014- 1011122015

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ダイモンジソウ(大文字草)