BOOK2012
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 《2011|2012- 1011122013



山岡淳一郎『国民皆保険が危ない』平凡社新書
日本の医療は世界一といわれる。低コストで世界一の健康寿命を達成している。「医療費が安い」というのは、国のレベルで考えての話で、窓口負担は先進国の中でもっとも高いほうに属する。今の保険者の数は約3500、もっとも問題を抱えているのは国保だ。非正規雇用の者と無職者が加入者の4分の3を占める。年収200万円の夫婦2人世帯を想定すると、国保の保険料が約32万円、国民年金の保険料が36万円、合計68万円。収入の3分の1を超える負担だ。滞納から無保険へと滑り落ちていく人が多い。もうひとつ皆保険を危うくしているのはTPPだ。これまでも「年次改革要望書」という名で、米国は日本の医療の市場開放を求めてきた。こんどは制裁を伴う法的強制力を持ったものになる。「要望」と「協定」ではまったくレベルが違う。第4章は医療保険の歴史、とりわけ「前史」ともいうべき医療利用組合から「健民健兵」の国策を経て国民健康保険への経過をまとめている。「日本の政治は、まるで秒針しかない時計のようだ。ただ単に回っているにすぎない」(第5章)2012.01

森昭彦『身近な雑草のふしぎ』サイエンス・アイ新書
装飾過剰の文体はあまり好きになれないが、身近な雑草の絵を眺めるだけでも滅入りがちな気分が慰められる。(2012.01)


北村俊郎『原発推進者の無念』平凡社新書
著者は文系だが、日本原子力発電を経て日本原子力産業協会参事を務める、ばりばりの原発推進勢力の内部の人間だ。福島第一と第二のほぼ中間にあたる富岡町に居を構えていた。事故後、一般の住民とおなじく郡山市のビッグパレットにて避難所生活を送る。避難所の様子を細かく観察し記録している。なかなかの観察力で、一読の価値がある。第1部は避難所の見聞記、第2部は「原発を考える」と題している。チェルノブイリ以後の「原発モラトリアム」で世界的に原発建設にブレーキがかかった。近年の「原発ルネッサンス」の風潮で、勢いを取り戻しつつあったところに今回の事故が起きた。優秀な人材が集まらなくなることを著者は恐れている。 「安全・安心」という言葉が先行し、安全に対する執念が失われ、安全管理は形骸化していった。そのような傾向は東電に著しい、と著者は言う。 「制度と体制の行き詰まり」が主因とし、技術的にはまだ望みをつないでいるように見える。 (2012.02)

斉藤勝裕『知っておきたい放射能の基礎知識』サイエンス・アイ新書
見開きにひとつ、全体で96個ののテーマについて解説している。「放射能」という用語は不正確だが、それを承知でタイトルにしたらしい。物理あるいは工学的な解説が主で、被曝についてはあまり触れられていない。最小限必要な知識を整理確認するには手ごろかと思う。(2012.02)

ユーリ・バンダジェフスキー『放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響』合同出版
本文50ページほどの書籍である。付録として英語の原文が収録されている。もともと一般向けに書かれたものではないみたいで、チェルノブイリ原発事故で高度に汚染されたベラルーシ共和国ゴメリ州での剖検や動物実験を含む研究結果のレポートである。驚愕し戦慄が走る記述に満ちている。放射性セシウムの内部被曝が心血管系、神経系、内分泌系、免疫系、生殖系、消化器系、腎臓・泌尿器系などなど広い範囲で影響を及ぼしている。著者は「長寿命放射性元素体内取り込み症候群」(Syndrome of long-living incorporated radioisotopes :SLIR)を仮説として提案している。放射性物質の高度汚染地域で、これだけ実際の症例に取り組んだ例はないであろう。正直言って、にわかには信じられない思いだ。日本の心ある科学者には、きちんと追試して確認してくれることを切に願う。著者の結語…「地球上で生命ほど貴重なものはない。私たちはできるかぎりのことをして、生命を守り通すべきである」 There's nothing more precious on this Planet than life. And we should do everything possible to protect it.(2012.02)

大上丈彦『マンガでわかる統計学』サイエンス・アイ新書
統計学の授業を受けたのは40年以上昔である。正規分布、二項分布、t分布、F分布……ああ、そうだっけな、と思い出しながら読んだ。しかし、分からないものはやはり分からない。(2012.02)

大鹿靖明『メルトダウン』講談社
125人に取材して時系列でドキュメントとしてまとめている。地震発生時、福島第一には5000人を超える作業員がいた。その多くは避難し、津波がやってくるころには約400人だったという。津波は「想定」されていたにもかかわらず対策をとらなかった。全電源喪失に至っては、想定したら設計できない、として想定を回避した。福島第一へ69台の電源車が向かったが、道路事情が悪く立ち往生する車が続出した。やっと到着しても「電圧が合わない」「コードがない」などのトラブルが続出する。夜9時〜10時ころにはメルトダウンを予測するデータが経産省に届くが、そもそも、原発の大事故が想定されていない。右往左往するばかり。 ▼3月12日午後3時36分、1号機で爆発。日テレのTV画像をみた斑目原子力安全委員会委員長は、両手で頭を覆って「うわーっ」とうめいたという。官邸内はてんやわんや。そして3月14日午前11時1分、プルサーマルの3号機が爆発。2号機も瀬戸際。東電は「撤退」しようと画策する。菅総理の癇癪玉で、なんとか抑えたとおもったら、15日午前6時、予想外の4号機で爆発。大量の「使用済み」核燃料がむき出しのまま冷却不能になった。首都圏を含む「3000万人退避」というシミュレーションが具申される。米仏は自国民の退避を検討する。そんなさなか東電の清水社長は入院。綱渡りのような状況が続いて、20日にようやく外部電源がつながったが、冷却システムは動かない。やっと山を越えた気分になったのは4月中旬だったという。 ▼以上が第1部「悪夢の1週間」。そのあと、第2部「覇者の救済」、第3部「電力闘争」。東電の人脈、政財界、官僚の動きなどが描かれている。原発推進勢力は官僚はもちろん与野党やマスコミに根づいている。「トラブル隠し・データ改竄」(2000〜2001)や「19兆円の請求書」(2004)などは葬り去られ、その勢力はいま「原子力損害賠償法」をめぐって密かにうごめいている。脱原発に傾いていく菅を引きずり下ろした手並みはなかなかのものだ。 ▼原発推進人脈はまだまだ健在。「メルトダウンしていたのは、原発の炉心だけではないのだ」(あとがき) (2012.02)

田坂広志『官邸から見た原発事故の真実』光文社新書
著者は原子力工学の専門家であり、菅内閣の内閣官房参与として原発事故および原子力政策に関わった。菅の信頼が厚く、腹心と目されていた。 「福島原発事故は『パンドラの箱』を開けてしまったのです。それも、『数珠つなぎのパンドラの箱』と呼ぶべきものを開けてしまったのです…真の危機は、これから始まる」(序章)  第2部で7つの疑問を提示する。(その1)安全性。フェイルセーフや多重安全装置などを過信してはならない。ほとんどの事故は「想定外」の事態や人間の対応によって起きている。安全性は事故の防止だけでなく事故発生時の対応も含まれる。 (その2)使用済み核燃料。原子炉以上に「使用済み燃料プール」が危険であるにも関わらず盲点になっていた。キャパシティは限界に近づきつつある。 (その3)核廃棄物の最終処分。NIMBY(Not in My Backyard)心理が立ちはだかる。いっぽうで事故により「高レベル放射性廃棄物」が大量に発生した。事故を起こした炉の廃炉はとてつもなく難しい。 (その4)核燃料サイクル。足踏み状態。「蜃気楼(ミラージュ)計画」と揶揄される。 (その5)環境汚染。「除染」の効果は限られ、効果の判定は難しい。 (その6)社会心理的リスク。ときに物質的・経済的な被害よりも精神的被害のほうが重大。「風評」で片付けてはならない。 (その7)原発のコスト。「安価神話」は破綻した。立地対策、安全対策、核廃棄物処理、補償、事故処理・・・ 「計画的・段階的に脱原発依存を進めていく」のが著者の考えである。最後に「我々は、運が良かった」と述懐する。桁違いの被害をもたらす危険が、すぐそばまで迫っていたのだ。(2012.02)


FUKUSHIMAプロジェクト委員会『FUKUSHIMAレポート』日経BPコンサルティング
500ページの分厚い本である。 第1章「メルトダウンを防げなかった本当の理由」、膨大な資料をもとに、津波の後も1号機の非常用復水器、2、3号機の隔離時冷却系はまだ機能していたと判断している。その間に海水注入に踏み切っていれば炉心溶融は防げた。 第2章〜3章は歴史を振り返る。「国策民営体制」が無責任な安全基準を生んだ。経済の論理では成り立ち得ない原発がどんどん増えた。「国策」の中心課題は、核兵器製造能力の保持とエネルギー自給だった。その中心をなすはずの高速増殖炉は行き詰まり、プルサーマルで糊塗しようともがくが、「再処理」には通常のウラン燃料より10〜20倍もコストがかかる。 第4章〜5章では社会的文化的な側面から興味深い指摘がある。第6章は産業としての原発。国による政策経費、出力調整のための揚水発電、再処理などのバックエンドの経費などを加えると、原子力発電はとうていコスト的に見合うものではない。電力需要は減少傾向にあり、原発なしでも心配ない。第7章は将来について。この事故でブレーキはかかるものの、新興国を中心に原発導入が見込まれる。重電産業界にとっては欲しくてたまらない市場ではある。 ▼まず原発ありき。そこに枝葉をつけて、日本の経済を原発依存症にしてしまった政治屋たちの罪は深い。いまなお政官財の世界に強い勢力を保ち、マスメディアを牛耳っている。 (2012-03)

朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠』GAKKEN
朝日新聞に連載中の記事をもとにした出版物。第1章。浪江町で避難に振り回された住民のルポ。「誰もいない道を走ってごらん…自分のしでかしたことの大きさを感じられるから」、住民が東電と国に向けた言葉である。 第2章。職を辞して放射線測定のために現場に飛び込んだ木村真三を追う。「汚染マップ」のETV番組をつくるまでの経緯。企画がボツになりかけたり、30Km圏内に入って始末書を書かされたり、現場では取材そっちのけで住民の避難をよびかけたり… 差し替えの「玄侑宗久と吉岡忍の対談」番組が出来上がったのはオンエア30分前だったという。本命の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」が放送されたのは5月15日だった。第3章。3月末、気象研究所に「観測中止令」、そして4月には研究論文の発表禁止。事実よりもパニック防止を優先する。第4章。内部被曝をめぐる住民同士の感情的な軋轢が切ない。ある母親は、黙って自己防衛するしかない、とあきらめの言葉を口にする。第5章。内部被曝に取り組む医師らを紹介する。それを阻止し、内部被曝をなかった事にしたがる行政。こんなことでせめぎ合うのは情けない。第6章「官邸の5日間」。 菅首相については批判も多いが、東電に乗り込んで撤退をねじ伏せるという荒業は他の人物では不可能だっただろう。もしも自民党政権だったら、電力会社の言うままになって、その結果どうなっていただろうか……。(2012-03)

アーニー・ガンダーセン『福島第一原発 - 真相と展望』集英社新書
著者は原子炉の設計、建設から廃炉までかかわった実績のある原子力の専門家である。 ▼GE社のマークTには構造上の欠陥がある。それに加えて非常用発電機と冷却ポンプの設計が古く、第一と第二の明暗を分けたのはマークTかマークUかではなく、おもに後者だと指摘する。「1号機は不安定に安定している」。そして水素爆発の危険が残っている。格納容器が破損しているため冷却水は外へ漏れ続ける。この状態がまだまだ何年も続くだろう。2号機は外見上は破損が軽微な印象を受けるかもしれないが、格納容器が大きく破損している。爆発はなかったとされているが、格納容器内で爆発が起きた可能性が高い。3号機では使用済み燃料の臨界による爆発が起きたと推測される。周囲に飛んだペレットの破片はやっかいな存在だ。なんと言っても一番危険なのは4号機。膨大な量の使用済み核燃料と、4ヶ月しかたっていない熱い燃料棒が、格納容器ではなく、無防備なプールに保管されている。それが冷却機能を失った。使用済み核燃料プールでのメルトダウンが起こったら……悪夢としか言いようがない。 ▼いまの状態を「冷温停止」などととても呼べないが、このさき事がうまく運んだとしても後始末が大変だ。前人未到の技術的な壁をいくつも乗り越えなければならない。 漏洩した放射性物質はチェルノブイリの10分の1だと発表されているが、著者は2〜5倍と推測している。冷却水が失われているにもかかわらず、冷却水中に99%の放射性物質がとどまると仮定して計算している。 ▼「心が痛みますが、これから健康への悪影響が顕在化するかもしれません。そこで皆が立ち上がって口を開く必要があります」(第4章)。 汚染の拡大を防ぐという基本的な視点が、政府には欠如している。そのコストと社会的影響に脅えて意図的に目をそらしているのかもしれない。 ▼著者は有能な技術者、管理者、役員として米国中を飛び回り、成功を収めていた。スリーマイル事故の際にも、原発を擁護する立場で活動していた。1990年に、放射性物質の管理に関する内部告発を行なったことから職を失い、バッシングを受けた。それでも福島の事故がおきるまでは、過渡的に原発を稼動することはやむを得ないと考えていた。「科学的で建設的な議論を交わすことが重要で、イデオロギー的な不毛な争いを煽っている暇はないのです」……同感。 (2012.03)

松井英介『見えない恐怖』旬報社
サブタイトルは「放射線内部被曝」。著者は元岐阜大学医学部放射線医学の助教授。原発事故以来、汚染地域の子どもたちを疎開させるよう主張している。 この本では内部被曝に的を絞って、これまでに報告された研究成果を幅広くまとめている。第4章以降では広島・長崎、ビキニ水爆実験、劣化ウラン、トロトラストなど、具体的な事例について掘り下げ、最後に「基礎知識」として整理している。ペトカウ効果、バイスタンダー効果など低線量被曝の危険を示す実験も紹介されている。 (2012.03)

ゆうみ・えこ『1年後の3.11 被災地13のオフレコ話』笠倉出版社
作者は仙台市在住。実家が津波の被害を受けた。「コミック・エッセイ」とサブタイトルがついている。13話の漫画でいろんなエピソードを描いている。歩道の人をはねながら逃げた車や、震災直後からみられた泥棒など、醜い話もあるが、多くはまともな話。いずれにせよ、コミックでなければ可視化できない題材である。(2012.03)

矢ヶ崎克馬・守田敏也『内部被曝』岩波ブックレット
矢ヶ崎氏は物理学者であり、早い時期から内部被曝にとりくんできた。広島・長崎の原爆症認定集団訴訟や劣化ウラン弾の問題である。福島の事故のあと現地へ飛び込んで住民と話し合うなかで、ずいぶんと考えを改めたところがある、という。知識のある者が、上から目線で、単純に被曝ゼロがいい、と言うだけではいけない。避難が一番だが、それができないなら最大限の防護を図るよう指導している。 ▼第2章は内部被曝のメカニズム。透過性の低いアルファ線やベータ線は、内部被曝ではエネルギーが吸収されやすく、狭い範囲で高密度に分子の切断を引き起こす。氏は「ギシギシと切断する」と表現する。第3章、第4章は内部被曝をめぐる歴史的考察、第5章は防護対策。 ▼ICRPは線量係数、組織加重係数、核種ごとの実効線量係数などをを定義している。これらは人体の組織をすり潰して攪拌しつづける溶液のようなものと仮定し、そこに吸収されるエネルギーを指している。換言すれば、放射線照射によって「温度がどれだけ上がるか」を見ているに過ぎない。細胞レベル、遺伝子レベルの知見は、まったく反映されていない。こんなおそまつな基準が「国際標準」として通用している。ECRRは外部被曝モデルの600倍と主張する。「それがどこまで正確かはともあれ、少なくともこの考えは、妥当だ」と述べている。 ▼「汚染される覚悟」を持って、しかし、悲観して恐怖のうちに汚染するのでなく、「怒りを胸に、楽天性を保って最大防護を」と呼びかける。(2012.03)

東京新聞原発事故取材班『レベル7・福島原発事故、隠された真実』幻冬舎
第1部、第2部は事故とその後を時系列で描く。第3部〜は「安全神話」への道筋を追う。 ▼1896年6月15日に起きた「明治三陸地震」は震度2〜3の揺れであったにもかかわらず、巨大な津波をもたらし、2万人以上の犠牲者をだした。2004年、地震学者らは大地震の予測を提出したが、政府はまともに取り上げなかった。 2008年以降、明治三陸地震のほか貞観地震(869)も参考にした研究が行なわれ、原発付近で15.7mの津波という試算が出ていた。 チェルノブイリ事故のあと、シビアアクシデントへの対応を見直す動きがあったものの、結局は「安全神話」に磨きをかけて乗り切る方向へ向かっていく。中越沖地震(2007.07.16)のあと「複合災害」の検討が行なわれそうになったが、これも頓挫した。 ▼1952年、茅誠司、伏見康治らが原子力研究の復活(研究用原子炉建設)を図ろうとするが、原爆への反発、軍事転用への危惧から学術会議では通らなかった。米国の「平和利用」キャンペーンに乗って、中曽根康弘ら政治家グループが暗躍し、1954年「科学技術振興費」の名目で原子炉建造費を含む予算がつく。「学者が昼寝をしているから、札束でほっぺたをひっぱたいてやるんだ」…中曽根の言葉と伝えられている。1955年、原子力基本法成立。このとき「安全確保」の項目は盛り込まれず、のちに原子力船「むつ」の事故を契機に追加された。1956年、原子力委員会が発足。正力松太郎が「商用原発最優先」で引き回し、失望した湯川は辞任してしまう。 1959年、東海原発の安全審査に反発して坂田昌一が委員を辞任。 ▼最終章では、スリーマイルや東海原発を取材し、後始末の気の遠くなるような困難を示す。反原発、脱原発では終わらない。科学技術に夢を託し、安全よりも安心を求め、あげくに事故に見舞われ、後始末に苦悩する。なんと言うか…知恵をもった人類の業のようなものを感じる。(2012.03)

ETV特集取材班『ホットスポット』講談社
「ネットワークでつくる放射能汚染地図」の舞台裏を紹介している。チェルノブイリなどの取材でできた人のつながりが大きい。ともかく早く現地へ行かないと試料が失われる。動き出したが、しょっぱなから横槍がはいる。勝手に計測したり発表したりするな、という政府の指示は迅速だった。木村真三氏は職場に辞表を出して取材に参加した。3月15日〜そして3月26日〜、現地入りした取材スタッフの線量計は振り切れてしまうほど高い場所があちこちにある。高度汚染地域に取り残された人たちとのやり取りは収録され番組のシリーズでも取り上げられている。3月30日、30km圏内にはいったことで担当ディレクターは始末書を書かされ、取材陣は撤退命令により東京に帰ることになった。岡野眞治博士(84歳)は機器を自作し、DOSのパソコンを駆使してデータを解析する。4月20日以降の現地取材には岡野博士の機器「岡野2号」を持って岡野氏本人が参加、健康に問題のある博士のために夫人も同伴した。 ▼自慢話も入ってくるが、大目に見よう。一時はNHKの内部でバッシングの嵐を受けたという。なんとか放送を実現したら、視聴者からの声に支えられて、いまは局内でも応援され、シリーズ(3月現在「5」まで)になっている。5月15日の番組を見て、「よく取材できた、よく放送できた」と感心した。 (2012.03.16)

藤沢数希『「反原発」の不都合な真実』新潮新書
著者の名は偽名。理論物理学を学び、投資銀行での市場分析を業とする人物、と紹介されている。過激な原発推進論で知られる池田信夫らの主宰するアゴラの常連でもある。 ▼第1章でいきなりおっとっと…。分母に産出エネルギー、分子に死亡者数を入れて計算した「発電方法別の安全性比較」なるものが提示されている。火力発電には資源採掘、発電所建設、事故、大気汚染による死亡者が算入されている。大気汚染による死亡は30万人を見込む。いっぽう原発の被害については批判の多いIAEAの公式発表「チェルノブイリ事故での死者は4000人」の数字を使っている。それ以外の多くの犠牲者は被曝への恐怖や避難からくるストレスに原因を求める。被曝を恐れず汚染地にとどまれば健康な生活を全うできると考えているらしい。 ▼ふと思いついて割り算をしてみた。ヒロシマの原爆は15キロトン、死者は14万人。東京大空襲で投下された焼夷弾は約1800トン、死者は10万人。「死亡効率」は、トン当たりヒロシマで9.3、東京で55.6となる。したがって原爆は殺傷力が低い!?…。 ▼以下、自然エネルギーの非効率や、地球温暖化対策や資源問題の切り札として原発の優位性などなど。さほど真新しい話はない。脱原発のコストについてはしつこく論じているが、原発のバックエンドのコストについてはたいへん楽観的だ。根拠は理解しがたいが核燃料サイクルについても、とてつもなく楽観的だ。核廃棄物は体積が小さいから「少ない」のだそうだ。また、ロシアや中国の海洋投棄を容認し、むしろこの方法を勧めている。 (2012.03)
参考資料:→ チェルノブイリ事故による死者の数(今中)
チェルノブイリ原発事故の死者数は100万人
続・チェルノブイリ原発事故の死者数は100万人
チェルノブイリの死者数、全くの過少評価(グリーンピース)

竹田恒泰『これが結論!日本人と原発』小学館新書
著者は明治天皇の玄孫にあたり、政治的には「右」を自認する。保守勢力は反原発を唱える左翼に反発するあまり原発推進になってしまった、国を憂うのであれば、イデオロギーを離れて議論すべきだと言う。 第3章は「原発推進派の5つの嘘」。核兵器(是非は別として)を作るには原発はいらない、と指摘。電力の需給、原発の発電コスト、地球温暖化、ホルミシス効果を俎上にのせる。「高放射線地域の住民の寿命が長い」という主張には正反対の調査結果があることを示す。第4章では低線量被曝をとりあげ、ECRRの資料とICRPのものと比較しつつ紹介している。バズビー氏の「フクシマ被害予測」を見て、ECRRに対しては少々がっかりしていたが、それはバズビー氏個人の資質の問題なのかもしれない、と思い直した。 第5章で、「万民は天皇の赤子、大御宝である」にはピンとこないが、国民、国土に大きな犠牲を強いる原発はいらない、と強調する。 (2012.03)

中川恵一『放射線医が語る被ばくと発がんの真実』ベスト新書
著者は東大医学部放射線科准教授。「100ミリシーベルト以下だと発がんリスクはきわめて低い」「福島でがんは増えない」として、「怖がる」ことのデメリットを強調する。内部被ばくについては、カリウム40によって成人で約4000Bqの内部被ばくをしているのだから同系統のセシウムは心配ない、チェルノブイリでもセシウムによる影響は認められていない、としている。 がんの主敵は生活習慣だとして、タバコと酒の話に1章が割かれている。(→)  ロシア国政府報告書を引いて「チェルノブイリの住民に確認されている健康被害は、小児の甲状腺がんだけ」であり、平均寿命の大きな低下は、避難や恐怖、混乱などからくるストレスが原因とする。 「国際基準」の1章を設けて、国連科学委員会(UNSCEAR)、国際放射線防護委員会(ICRP)、国際原子力機構(IAEA)など国際機関を紹介している。欧州放射線リスク委員会(ECRR)は信頼できない団体として紹介している。 公的機関の公式発表に忠実に従い、いっさいの異論を無視すればこうなる、という見本。とても「学者」が書いたものとは思えないお粗末きわまりない書。そういう意味で参考にはなる。「怖がる」ことを怖がりすぎるとこうなる? 東大理3にこんな学者がいるというのは、少し安心感をもたらすかも。(2012.03)

山田真『小児科医が診た放射能と子どもたち』クレヨンハウス
著者は小児科医。「全共闘世代」とのことで、反体制的な感性を持ち続け、森永砒素ミルク事件やカネミ油症事件などにかかわってきた。とうぜん、反原発の立場ではあるが、実際に被災地で住民に向き合うと、逃げろとも安全だとも言えない難しい場面にぶつかることになる。不安を口にすると、周りから「国や県は安全だと言ってるのに」と押さえつけられるような圧迫感が、放射線に対する不安に上乗せされる。そんな状況下で口を閉ざしている人が少なくない。どう対応するか、そのバランスはほんとうに難しいと思う。 (2012.03)

桜井淳『原発の後始末』青春新書
廃炉には炉の原形をとどめたまま100年単位で管理する「安全貯蔵」と「解体撤去」とがある。国土の広いロシアやアメリカは前者、日本は後者の方式をとる。炉は解体を前提として設計されていない。ドイツのビュルガッセン原発では、正常に停止した原子炉の解体作業であるが、工期は遅れ、予算も5割近くオーバーしている。メルトダウン&メルトスルーしている事故炉の後始末の困難は計り知れない。 高レベル放射性廃棄物のガラス固化体は2021年ころまでに4万本になる。最終処分場もないままたまり続ける。 著者は、原発推進でもなく反対でもなく中立の立場であることを強調する。事故直後の3月15日、ラジオに出演し、メルトダウンは確実でチェルノブイリ並みの事故になると警告したが、不安を煽る、と批判されたという。 補償、除染、廃炉などなど、後始末にかかる費用は「ただ巨額だということしかわからない」。結局のところ税金と電気料でまかなわれることになる。 ▼145〜146ページ、クリアランスの数値がおかしい。原子力安全委員会のH16年の答申ではセシウム134のクリアランスを500Bq/Kg、セシウム137は800Bq/Kgとしている。国はIAEAの勧告値を採用したので、いずれも100Bq/Kgとなっているはずだ。 人への影響が1年間あたり0.01ミリシーベルトを超えないことを目安に定められた基準だが、これを30倍の0.3mSv/yに引き上げ、それによってクリアランスを、現在の100Bq/Kgから3000Bq/Kgに引き上げようとする考え方(原子力安全委員会)がある。この本で触れている3000Bqは、2011年の暮に環境省が、汚染コンクリートについて3000Bq/Kgまで条件付で使用を認めたことを指している。0.3mSv/yを容認したのではなく、0.01mSv/yに収まるようにアスファルトで被覆するなどの対策を条件としている。 また、クリアランスとは別のことだが、焼却灰の処分についてはH23.8.31、環境省の通知により8000Bq/Kgまでは通常どおりの埋め立てが可とされた。焼却によって33倍に濃縮されることから逆算して240Bq/Kgまでのガレキは焼却処分可能とした。 このように、重要な基準が一片の通知で変更されてしまう。 (2012.03)


伊藤守『テレビは原発事故をどう伝えたのか』平凡社新書
3月11日から1週間のテレビ報道を記録し検証する。とにもかくにも「安心」を強調する報道一色だった。根拠も示さず、「微量」だとか「ただちに健康に影響はない」といった言葉が断定的に垂れ流された。著者は「可能性」という言葉を「マジック・ワード」と称する。とりわけ専門家が多用した言葉である。マスコミ各社は30キロ圏内に記者が入らないよう指示する一方で、視聴者に「心配ない」と報じていた。 御用学者らの言説は犯罪と言ってもいい。科学者や専門家とメディアの関係のあり方についての大きな教訓となった。すなわち「トランス・サイエンス」(trans-science 科学に問うことはできるが答えることのできない領域)の扱いである。 ネットに1章が充てられている。原子力資料情報室などの情報発信を紹介し、「一定のメディアリテラシーがあれば、インターネットのほうが既存のマスメディアよりも有益な情報をもたらしてくれることが明らかになった」と述べる。商品としての情報の所有から情報の共有へ、集合知(Wisdom of Crowds または Collective Intelligence )の萌芽として期待している。(2012.04)

菅野典雄『美しい村に放射能が降った』ワニブックス新書
著者は飯館村長。放射能汚染で有名になり、メディアにもたびたび登場する。避難のため村を離れるにあたって、総理大臣宛てに「提言書」を提出する。事故を機に「反核の旗手」になるつもりはない、と述べ、村の復旧復興を要望している。村で生まれ育ち、酪農にとりくみ、村をよくしていこうと全力を注いだ。キャッチフレーズ「までい」とは真手であり「ていねい」の意味だという。そうやって築いた生活や共同体が一瞬にして吹き飛んだ。命を掛けて築いた村を、命が危ないと言われても捨てることはできない。被ばくリスクの観点からは好ましくない方策も責めることは出来ない。(2012.04)

核戦争防止国際医師会議ドイツ支部『チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害』合同出版
150ページほどの小冊子であるが、内容は濃密で重い。240件余の研究報告を検討評価して知見を紹介している。なかなかに読み応えのある書である。 ▼WHOとIAEAの公式発表(2005.09)は癌と白血病によって最大4000人の超過死亡が発生するだろうとしている。ところがWHOの報告書には8930人と記載され、WHOが引用した元の研究論文には1万人〜2万5千人と記載されている。国連科学委員会は、若者の甲状腺癌とリクビダートル(処理作業員)以外は「心配をする必要はまったくない」と声明を発表している。科学からまったく逸脱している。にもかかわらず政府や一部の学者はこれを金科玉条とする。 ▼リクビダートルは83万人。事故処理のため旧ソ連の各地から動員され、その後、ソ連邦の崩壊とともにいくつもの国に分かれてしまった。追跡調査には困難が伴う。多くの人がいくつもの病気を抱えていて、ウクライナでは90%以上が病気になっていると報告されている。ロシアの研究では、固形癌による死亡リスク(相対過剰リスク)は0.74/Sv、心臓病は1.01/Svと報告されている。ミンスクやキエフでの報告によれば、被曝による脳や神経細胞の器質的変化が起こり、知覚障害や頭痛を引き起こしている。これらは器質的障害であり、決して「放射能恐怖症」ではない。ロシア、ベラルーシ、ウクライナでの研究から、早期老化&短命が明らかになっている。被曝による老化は動物実験でも確かめられており、これらをストレスに起因するとした公式発表はまったく科学的根拠を有さない。 ▼遺伝子の変異が広範囲に見られている。先天異常が著しく増加している。ドイツにおいてダウン症の増加が認められ、放射線被曝が増えた時期と受胎した時期が一致していた。胎児期に被曝したケースで発達遅滞がみられている。その他の先天障害として、無脳症、二分脊椎、口唇口蓋裂などが挙げられている。また、周産期死亡も有意に増加している。 ▼ベラルーシでは4年ほどの潜伏期ののち子どもの甲状腺癌が100倍に増えた。進行が早く転移がおきやすいのが特徴。小児だけでなく成人でも増加している。 ▼被曝と癌については広島長崎のLSS研究をもとに多くが語られてきた。ICRPは慢性被曝は急性被曝よりも影響が小さくなるとして、リスク係数を1/2にしている。ところが、チェルノブイリ周辺の研究や原発労働者を対象とした研究によると、原爆による被爆よりも慢性の低線量被曝のほうが癌発生リスクが大きいという結果が得られている。動物実験でも、間歇的な照射よりも持続的な低線量被曝のほうが染色体に大きなダメージを与えるという結果が出ている。 ベラルーシでは癌発生率が有意に39.8%増加した。汚染の強いゴメリ地域では55.9%の増加であった。小児癌は成人のそれよりも増加の度合いが大きい。また、量的な増加だけでなく、進行が早く、診断時からの余命が著しく短くなった。免疫システムが障害されている可能性がある。 ▼脳血管障害、心臓病、1型糖尿病など、想像できなかった規模でさまざまな疾患が発生している。避難民や汚染地域の住民の「健康率」は著しく低下している。遺伝子への損傷は数世代をへて病変を発現するであろう。(2012.04)
(注)原発の危険から子どもを守る北陸医師の会」が同じ原著を訳している。こちらのほうが一般の人を意識して訳文を練っているので、読みやすいかもしれない。自費出版して頒布しているが、ネット上にも公開している。

辻隆太朗『世界の陰謀論を読み解く』講談社現代新書
書店に「大震災はユダヤの陰謀」とする内容の本が平積みになっていた。東電と政府を免責しユダヤ財閥に賠償請求せよとでもいうのだろうか。見当はずれな被害意識からは建設的な解決はもたらされない。思考停止だ。あまりに荒唐無稽すぎて、まともに向き合う気にもなれないのだが、陰謀論は根強い。 ▼オウム真理教は陰謀論にどっぷりつかっていた。携帯電話は「洗脳電波発信機」、電離層研究施設「HAARP」はマインドコントロール兵器、エイズは生物兵器、経済不況はユダヤ資本による日本乗っ取りの陰謀、などなど。自らの失敗や不法行為を正当化するには都合がいい。これらの陰謀論はオウムの独創でも独占でもなく、広く存在する陰謀論をオウムが取り入れたものだ。 ▼ユダヤ陰謀論の根幹をなす「シオン賢者の議定書」(プロトコール)は自由主義や近代主義に危機感を抱いた旧体制ロシア勢力の創作であった。その内容の半分近くは、19世紀末に出版された書籍からの盗用だ。また、悪魔の経典とされるユダヤ教の経典「タルムード」も、原典と照合してみると、ことごとく捏造か曲解だという。 ▼「フリーメーソン」は18世紀に創設された実在の組織であり、全世界で500万人ほど、日本人会員も300人ほどいるらしい。陰謀論の文脈では閉鎖的で厳格な秘密結社とされるが、もともとはリベラルな知識人の交流の場であった。 19世紀に書かれたメーソンの書簡「パイクの予言」が3つの世界戦争を予言したとされる。20世紀に誕生する「ナチズム」や「ファシズム」の名称が正確に記述されているが、それも予知能力の表れととるか、偽物の証拠ととるか。 ▼18世紀後半、ローマ教会の支配に対抗し、体制転覆をねらってつくられた秘密結社が「イルミナティ」であり、約10年後に消滅した。のちに、フリーメーソンを陰で操るものとして陰謀論の中に復活する。目的は統一世界政府の樹立である。超管理社会、人口削減などが特徴。その頂点にいるのがロックフェラー家とロスチャイルド家とされる。実体のないものだけに全ての陰謀を説明するブラックボックスの役割を果たしている。 ▼世の中、どこかおかしい、という居心地の悪さが出発点にある。それが陰謀のせいだとしたら、自分には全く落ち度はなく、全ての悪を一手に引き受ける者の姿が明快となる。あらゆる歴史や出来事は偶然ではなく陰謀による必然だとする。悪の勢力は天変地異まで動かしうると考える。切迫感も特徴。常にターニングポイントが迫っている、という危機感がある。使命感、優越感も特徴。自分だけが陰謀に気づいている、多くの人は騙されている。まるで殉教者のようだ。無謬性も特徴。不都合な事実は陰謀勢力の情報操作とされる。従って、批判はむしろ確信につながる。なかなか手ごわい。(2012.04)

肥田舜太郎『内部被曝』扶桑社新書
肥田氏は広島で被爆し、その直後から被爆者の診療に当たり、低線量内部被曝の危険性を訴え続けてきた。おん年95歳。一徹な信念に基づく、多少は大雑把な論理ではないかと想像しながら手に取った。正直あまり期待していなかったが、とんでもない。緻密な論理と、多くの研究成果の引用に圧倒される。 ▼被爆についての公式発表では「遺伝的影響はない」とされている。しかし、現場の助産婦や医師らは異常が増えている、と実感している。ABCCは「影響があるという断定はできない」とした。「ある」と確認できないものは「ない」とする、よくある論法である。自衛のために、なにか異常があったら記録することを推奨している。 ▼しばしば自然に存在する放射性核種が「安全」の拠り所にされる。炭素14、トリチウム、クリプトン85は、核実験や原発の排気などによって、もともとの自然の濃度をはるかに超えている。生物は自然レベルのものには適応してきたが、それを大きく超えた被爆は、何らかの影響を与えていると考えるほうが自然だ。知らないこと、分からないことを無いことにするのでは科学と言えない。 ▼被曝による障害は「がん」だけであり、DNAに対する傷害から発生し、線量に比例する、というのが公的な考え方である。しかし、「内部被曝は外部被曝とはまったく違うメカニズムで体を壊し、ほんの少しの量の放射性物質でも、体の内側から長時間にわたって被曝することによって重大な被害を起こす」と主張する。 「ペトカウ効果」は被曝線量と障害において、直線的ではなく、上凸のグラフとなる曲線を描く。主たるターゲットは細胞膜であり、放射線による活性酸素(フリーラジカル)の発生が原因。これは、じつにさまざまな病気や早期老化、先天障害の原因となりうる。 ▼「原爆ぶらぶら病」のように教科書に載っていない症状は、ともすれば医師たちに無視されたり、「ノイローゼ」で片付けられる。もはや被曝を逃れようともがいても逃げ切れない。腹をくくって「放射線に対する免疫力を弱めないように、健康に生きる」ことを心がけてほしい。いちばん大事なのは「早寝と早起き」です、と著者は言う。耳が痛い・・・ (2012.04)

安冨歩『原発危機と東大話法』明石書店
著者は京大出身、現役東大教授(東洋文化研究所)。「魂の脱植民地化」が研究テーマとのこと。「現代日本人と原発との関係は、戦前の日本人と戦争との関係に非常によく似ている」(はじめに)。大橋弘忠東大教授は「欺瞞言語」の見本として、その発言を詳しく分析している。アゴラの池田信夫の一連の記事は、東大話法の第一級の資料として、これも詳しく分析している。東大ではないが、香山リカの発言も俎上に。東大話法に象徴される欺瞞言語、欺瞞話法は日本中に蔓延している。「これは東京大学に限定されるものではなく、東京大学だけが悪いのではない」「日本社会に広く見られる現象が・・東京大学で強く、濃厚に現れている」。とはいえ「東大話法」ばかりが話題になって、「東大話法規則一覧」(20項)があちこちで引用されている。著者は現代日本を「立場主義社会」だと言う。立場にとらわれて、論理が歪んでいる。また、現代の諸問題に真剣に悩めば悩むほど、科学技術や社会のシステムに対する絶望が深いほど、「陰謀論」に傾く人が増えることも憂えている。最後の章で、槌田敦のエントロピー論を評価しているが、以前に講演を聞いたとき、「ユダヤ財閥の陰謀」説がでてきて驚いた記憶がある。(2012.04)

山口昌子『原発大国フランスからの警告』ワニブックス
著者はフランス在住のジャーナリスト。メディアは被災者の健気な態度に尊敬の意を表すいっぽうで、原発事故については厳しい見方を示した。22日の「ルモンド」紙は社説で日本政府と東電を「犯罪者」と呼んで非難した。早い段階からメルトダウンが危惧されていた。日本の公式発表や報道が常識から外れていたというべきだろう。日本のあまりのずさんな対策・対応のため、「先進国」のレッテルに疑問符が突きつけられている。東電(TEPCO)は、批判というよりは「揶揄と軽蔑」の対象になった。 原発について日仏はライバルでもあり同じ穴のムジナでもある。フランス政府の姿勢を見るとき、そのあたりは割り引いて考える必要はあるだろう。フランスでは国策である原発に異を唱えにくい雰囲気があり、反原発は少数勢力である。ドイツ、イタリア、スイスなど、まわりで脱原発に方向転換する国が増えているが、フランスの原発推進は、とうぶん続きそうだ。(2012.04)

今西憲之+週刊朝日取材班『福島原発の真実・最高幹部の独白』朝日新聞出版
フクイチ(福島第一原子力発電所)最高幹部の一人から提供されたというメモをもとに現場の状況が臨場感をもって描写されている。1号機の「イソコン」(非常用復水器=IC)は使い方がわかっていなかった。作動していると思っていたのが実は動いていなかった。ベントはなかなかうまくいかない。海水注入をしぶる本店との葛藤。1号機爆発のパニック。MOX燃料の3号機への危機感。3号機爆発の衝撃は大きく、メモには「おわりか」と記されている。死を覚悟したという。2号機の爆発のあと周辺の線量が急増した。しかし、本店では「爆発ではなかった」ことにした。 ▼「循環注水冷却システム」は日米仏「3カ国連合」だが、困難を極める。本店は汚染水の海洋投棄に抵抗がない。現場では抵抗がある。 8月から純国産の汚染水浄化装置「サリー」が稼動を開始した。安定している。しかし、高濃度汚染したフィルターなどの処分、防護服などの処分の見通しは立っていない。 「建屋カバー」は放射性物質の汚染拡大防止には効果は薄く、要は「目隠し」。 敷地内で10シーベルト(機器の測定限度)を超える場所が見つかった。圧力容器内の燃料が飛び散った可能性がある。 ▼11月12日の「報道陣への公開」を目前にして臨界騒動がもちあがった。キセノンが検出されているし、核物質が散乱している状況から、ありうることだ。しかし、保安院&政府はたいへんな剣幕で否定した。このような外見だけをとりつくろう場面は、2号機格納容器内の内視鏡調査でもみられた。温度こそ下がっていたが、内部の水が少なく、腐食は想像以上だった。燃料を取り出すという10年後まで、建屋と容器がもつのか? ▼「最高幹部」の協力によって、その独白の形で発表された記事である。週刊朝日に掲載され、話題というか問題にされた。本店批判がかなりシビアで、ホンモノかな?と心配になるが、いっぽうで内部に入り込まないと得られない情報もある。(2012.04)

伊藤甚宰『買ってはいけない家』エル書房
書店で、なじみの人の顔写真が帯に載っているのを見て、あれ?本を出したの?と手にした。タネ本があって、それに1部手を加えて出版するシステムになっているらしい。工務店グループ「ジャーブネット」の事業の一環なのかもしれない。内容は我田引水なところはなく、考え方は注文主のためになるチェックポイントが多く示されていて、参考になる。この本を読んだら、工務店や住宅メーカーにとっては扱いにくい客になりそうだ。 まじめな人だから、本に書いてあることを守ることになるのだろう。せっかく読んだけど、いまさら家を建てる齢でもない。(2012.04)


野口雅弘『官僚制批判の論理と心理』中公新書
日本の世論の特徴は「行政不信に満ちた福祉社会志向」だという。「官僚主導から政治主導」を唱えて民主党政権が誕生した。かといって政策を実現するには官僚を動かさなければならない。政治がうまくいかないことを官僚のせいにする傾向がある。それでいいのか?という問題意識があり、タイトルに引かれて手にした。 ▼官僚制は英語で bureaucracy 。 bureau は「執務室」, cracy は「支配」「権力」を意味する。「官僚」という場合には、中央官庁の、国政に影響力をもつ上層の官吏を指す。 官僚組織の特徴は次の通り--「秩序の安定」「分業」「ヒエラルキー構造」「文書主義」「中央集権」「合理性」「無謬性」「独善性」「匿名性」「形式主義」「画一性」・・・ ▼政治思想史が専門のようで、誰がどんな学説を立てたか、といった事細かな記述が延々と続く。マックス・ウェーバー(1864-1920)がひんぱんに引用されている。学説史のような部分は読み飛ばし、「結語」の「5つのテーゼ」を読んでみたが、最後までウエーバーの言葉の解説だった。 (2012.05)

ツールボックス編『ウィンドウズXPを一生使い続ける特選技』宝島社
「一生」はおおげさだが、いろんなワザを紹介している。このところメインマシン(XP)の調子が悪く、しばしばブルーバックエラーに見舞われ、そのたびに復旧に手間がかかる。起動も動作ものろい。サブマシン(Win2000)のほうがよほどきびきびと動く。そろそろ次期マシンを考えてはいるのだが、なかなかしっくりとくるスペックのものがなくて決めかねている。そんなわけで現マシンの延命のために読んでみた。いくつかは実際に適用してみたが、そんなに劇的に改善されるわけではない。(2012.05)

増村征夫『信州 花めぐりの旅』岩波アクティブ新書
信州安曇野方面には長らくご無沙汰している。父母の介護のために、遠出するのを控えるようになり、父母を見送ってやれやれと思ったら、妻が交通事故で山道を歩けなくなった。そうこうするうちに自分の体力が落ちてきて、遠出をして、歩き回る元気がなくなってきた。 懐かしい地名や花の名前が次々とでてくる。摂生して体力を回復させ、いつかまた行ってみたい。(2012.05)

菅谷昭『子どもたちを放射能から守るために』亜紀書房
菅谷昭『これから100年放射能と付き合うために』亜紀書房
著者はチェルノブイリで5年半にわたって活動した医師であり、現・松本市長。一般の人むけに易しく書かれた生活指導の書。さすがに現場で医療に携わった人だけに、低線量内部被曝について分からないことが多いとしながらも、適切に対処法を説く。▼食品安全委員会に参考人として呼ばれたとき、甲状腺がんの死亡率が低いことをもって「大したことありません」と発言した学者がいたことを記している。同一人物かどうか分からないが、テレビでも同じことを「解説」した学者がいてあきれたことがある。チェルノブイリで強制移住区域とされたのと同等以上の汚染された地域に、日本では人が住み続けている。かの地で何が起きているかを見てきた者として黙っておれない、と言う。IAEAの「公式発表」をそのまま口にする学者が少なくない。統計学や疫学を知らないはずはなく、数年たって論理破綻したころに出家遁世するつもりなのかもしれない。▼バンダジェフスキー博士の研究を紹介し、「深刻な健康被害」は「がん」だけではなく、「免疫機能の低下」がさまざまな障害をもたらし、先天異常なども生じている、と指摘している。チェルノブイリの健康被害は現在進行形、と強調している。そもそも従来型の「固形がんリスク」は、潜伏期を経て、これからが本番だ。あたかも片付いたかのように言う「専門家」が多い。 ▼子どもや妊婦には極力汚染のない食品を食べさせるべき。湯水のように電気を使い、必要以上の豊かさを享受してきた大人は、規制値以内なら食品を食べていく覚悟を求める。 我々人類は二者択一として「産業・経済」を優先するのか、あるいは「いのち」を優先するのか、今まさにその岐路に立たされている。(2011.05)

石橋克彦編『原発を終わらせる』岩波新書
編者を含めて14人が分担して執筆している。原発の問題は多分野にかかわるので、一人の人間が網羅的に議論を展開するのは難しい。かといって、分担執筆の場合には、論理がばらばらになったり、レベルがまちまちだったり、という心配もある。 ▼最初に水素爆発を起こした1号機では、津波以前に地震によって配管が損傷を受けていた可能性が高い。汚染水は格納容器外に漏れ続けている。海や大気を汚染させないためには大変な作業が延々と続く。 ▼金属の中性子照射損傷は軽視され、安易に老朽原子炉の「寿命延長」を容認してきた。高レベル廃棄物を処分する際に作られる「ガラス固化体」は厚さ19センチの炭素鋼で覆う(オーバーパック)ことになっている。この炭素鋼は千年もつと想定されている。 ▼耐震設計の基準(指針)は1981年に策定され、2006年に大幅改訂された。しかし、既存の原発を新指針に適合させるための操作がなされている。福島第一の耐震バックチェックの際、貞観地震を考慮するよう求める意見がだされたが、そもそも大津波の可能性のある場所は「立地指針」(1964)では不適とされている。 ▼スリーマイルのガレキを納めた厚さ60cmのコンクリート製のキャスクは、50年もつはずだったのが、すでに劣化が進んでいる。チェルノブイリの石棺に崩落の危険がありアーチ型の覆いが計画されている。32年間運転した東海原発の廃炉には22年かかる予定。福島第一は、解体が可能かどうかさえわからない。 (2012.05)

荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ』光文社新書
関東大震災のときデマによって多数の朝鮮人が殺された。災害時には流言やデマがつきものだ。意図的なウソがデマ、そうでないものが流言と定義されるが、実際に拡散しはじめると区別する意味はない。 ▼オルポート&ポストマン「デマの心理学」に示されている数式:R=i * a (流言Rumor : 重要さimportance : 曖昧さambiguity)〜災害時には流言が大量発生する条件があり、現代のネット環境はさらに促進する。 ▼コスモ石油製油所火災のケース。最初は漠然とした不安の書き込み。ついで、憶測や伝聞。そのうちに断定口調。さらに情報を確からしくするための情報元の付加。「インサイダーからの密告」は最もポピュラーな形式だ。「メディアで取り上げられない情報」というのも常套句。 ▼「ボランティアズ・ハイ」、「災害カーニバル」といった高揚感。善意の拡散、中身を考えない「バケツリレー」、何か役立たなければという焦燥感。そんなさなかに「騙されるほうが悪い」といった軽い感覚でのイタズラが入り込む。 英雄の出現を願う、あるいは、英雄視されたい、といった心情が広くみられる。逆に、敵視する対象をつくりたい、という心情もある。その際に誇張は当然だが、ときに虚構が入り込む。 ▼「日本が地震兵器で攻撃された」といった陰謀論が大災害時に必ずといっていいほど出現する。阪神淡路のときも「オウム真理教の地震兵器」という流言が流れた。 「流言やデマは、人間同士がコミュニケーションを行なう以上、必ず発生する」と著者は言う。「メディアリテラシー」と大上段に振りかぶる以前に、「疑う、確かめる」という基本的なことがおろそかにされている。(2012.05)


秋山豊寛『原発難民日記』岩波ブックレット
著者はTBS記者時代にソ連の宇宙船ソユーズ、宇宙ステーション・ミールに搭乗した。その5年後に退社、福島県滝根町で有機農業に取り組んできた。東日本大震災罹災から9月末までの半年ほどの日記である。3月17日、避難を決意し、軽トラで南へ向かう。「いわき」ナンバーの車だらけ。群馬県鬼石町の知り合いのところに寄宿。福島から離れたとたんにテレビを見る気がなくなったという。インチキに騙されまいと身構えているのに疲れたらしい。政府は住民よりも「原子力ムラ」を守る。福島に後ろ髪をひかれつつも、関西方面に居を移そうと思案している。(2012.06)


金子勝『原発は不良債権である』岩波ブックレット
本文では「不良資産」という表現も併せて用いられている。電力が不足するから再稼動、という論理は成り立たない。休ませても莫大な経費のかかる原発を、危険を承知で動かしたい、火力を停止したほうが維持費は安く上がる、という経営の論理で動いている。民がいなくとも市場が存在し、市場が存在すれば経済が成り立つと思い込んでいる奇妙な人々が政治経済のトップに鎮座している。 ▼事故処理や賠償の負担を軽くするために安全基準の緩和が相次いでいる。基準そのものが安全のためではなく、宣撫工作のためだったことが端無くもあきらかになった。燃料サイクルや最終処分をめぐって、億どころか兆単位の粉飾がまかり通っている。「不良債権(不良資産)」とするゆえんである。ただし、数字が大きすぎて、一般人の感覚ではピンと来ない。 ▼金子氏は原発の即時全面停止を主張しているのかと思ったらそうではない。某TV討論番組では段階的停止を主張していた。原発に頼らない経済システムを目指していく。現実的な論としてはそれもありうる。即時全面停止だけに絞り込んで運動が先鋭化していくのは危険でもある。 ▼先だって富山のがれき焼却受け入れにあたって、「焼却灰で100Bq/Kg」という厳しい条件がつけられた。率直に言って驚いた。「がれき受け入れ絶対反対」と主張していた人々がいたからこそ、こういう条件が出てきたのであって、決して彼らの敗北ではない。(2012.07)

本間龍『電通と原発報道』亜紀書房
著者は元博報堂社員。大手広告代理店を、「第4の権力」たるマスコミを支配する「第5の権力」と規定する。 ▼1995年、「もんじゅ」のナトリウム漏れ、1999年東海村の臨界事故〜この後、東電と電事連の出稿額が飛躍的に増加した。とくに夕方のニュース番組のスポンサードに力を入れた。視聴率が高いだけでなく、ネガティブ情報を抑制するのに効果的。 反原発の者は徹底的に干された。「プルトニウム元年」という番組を制作した広島テレビ放送制作局長は営業局に異動になり、六ケ所村の報道に小出裕章、今中哲二を起用した毎日放送は関電からの露骨な圧力を受けた。忌野清志郎の反原発ソングが収録されたアルバムを東芝EMIが発売中止にした。「やらせ」で問題になった北電や九電の説明会やシンポジウムなどは広告代理店が企画運営をやっていた。つい最近の「意見聴取会」も同じだ。 ▼原発推進側は湯水のように広告費を払ってメディアを手なずけてきた。電力会社は「総括原価方式」のおかげで、いくら広告費をつかっても電気料に転嫁できる。「しんぶん赤旗」が暴露(2011.07.02)した「日本原子力文化振興財団」の「原子力PA方策の考え方」は、世論操作のマニュアルである。なかなかよくできている。文書とりまとめのトップは読売新聞の論説委員である。 なお、「PA」とは public acceptance (社会的合意形成)を意味する。 ▼第1章の終わりで、「週刊現代」と「週刊ポスト」を対比している。事故後約3ヶ月の原発関連記事の総量は、現代=632ページ、ポスト=180ページ。著者は次のように評する。「もはや東電及び原発コングロマリットの復活はないと見て、過去のしがらみを断ち切り、思い切って反原発に舵を切った講談社」、「電力会社の広告主としての復活はないとしても、原子力を支える経団連はじめ産業界や関連団体の盛り返しを見越して、原発叩きをほどほどのレベルに止めた小学館」。 ‥とはいえ読売新聞が安泰なうちは、日本国民はまだまだPAコントロール可能ということだろう。 ▼第2章以降は業界の裏話。原発とは直接関係ない。(2012.07)


大前研一『原発再稼動最後の条件』小学館
著者は経営コンサルタントとして知られるが本来は原子力工学が専門。2011年6月、細野毅志大臣の了承と支援を得て、「私設事故調」のような形で調査に取り組んだ。基本的には可能な限り原発を再稼動させる、したがって大飯原発再稼動にも賛成の立場である。 ▼「これまで日本政府が安全審査や安全設計指針および地域住民説明会で言ってきたことの中に、正しいことはほとんどなかった」、「いまだに責任者から反省の弁はありませんし、誰も処罰されていません」、 「これまでの政府の『安全指針』がいかに安全からかけ離れていたか」‥ と過去については厳しく批判している。 ▼第4章では「問題点と教訓」を列挙している。 ・余震の頻発が作業の妨げに ・夜間の作業が難航 ・水源などを複数の目的で共用するリスク ・複数プラントを稼動するリスク ・外部電源、直流電源喪失の長期化のリスク ・水素爆発のメカニズムとベント作動圧などとの関係 ・中央制御室の機能不全がもたらした影響 ・福島第一原発以外にもリスクはあった‥など。「想定外」だからと責任逃れはできない。想定できなかったことの責任が問われる。 ▼いっぽうで大飯原発については、PWR型はBWRより安全。外部電源や非常電源も対策がとられている、防潮や防水対策もとられている、などなどを挙げている。活断層の存在、免震重要棟がないことや、そもそも近接し集中するプラントの危険性には触れない。ずいぶんと大飯にたいしては甘い。 「おわりに」で、日本の原発関連技術は世界最高水準にあり、事故の経験を教訓としてさらなる技術発展を生み出し、日本のエネルギー源、日本の産業として育成していくことを著者は願っている。経済界、産業界の願望を代弁しているみたいだ。書名にある「最後の条件」なるものが何なのか、結局わからなかった。 (2012.08)

朝日新聞等別報道部『プロメテウスの罠2』GAKKEN
3月に出た本の続編。新聞で連載中の記事。 第7章:原子力から「原始力」に方向転換した元原発の現場技術者が日常的だった隠蔽や偽装を告発する。 第8章:英国セラフィールド再処理工場。日本での核燃料サイクルがうまくいかないため、英国のMOX工場は閉鎖され、プルトニウムは行き場を失っている。これらの保管を委託するだけで莫大な費用がかかる。これらは電気代に転嫁される。 第9章:むつ小川原の核燃料再処理施設。地方の貧困をなんとかしようと石油化学コンビナートを目指すも挫折し、再処理工場に鞍替えした。ユニークな反対運動を続けている菊川慶子らの活動を紹介している。 第10章:長安寺(浪江町)の遺骨。死んでも帰ることができず、埋葬できずに寺に置かれている30人余の遺骨の経緯を取材している。入院中に避難、そして衰弱して死亡、あるいは将来を悲観して自殺、すなわち「原発事故関連死」である。 第11章:遅れた警報。マグニチュードから津波の高さを予測するシステムの「想定外」の津波が襲った。当初3メートル(宮城6メートル)、到達直前に倍に引き上げ。 死者のなかには餓死と見られるケースがあった。検視にあたった相馬市の医師(標葉隆三郎)は言う。「津波だけなら助かったのです。助かる人を死なせたのは、原発事故です。行政も東電も、責任を感じてほしい」。 第12章:経産省「総合資源エネルギー調査会」の裏話。人選は原子力ムラ寄り、それを糺した鉢呂大臣は見事に足元をすくわれた。▼「潜在的核武装能力」を死守しようとする勢力がある。今年6月、原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」と修正が加えられた。見事なお手並みである。 (2012.08)

澤昭裕『精神論ぬきの電力入門』新潮社
TVにコメンテーターとして出演しているのを見て、ずいぶんと上から目線の人だと思った。脱原発や反原発を知性抜きの精神論と見下しているらしい。一昔前のキャリア官僚を絵に書いたような人だ。むかし、中央官庁の方と、たまたま電車の中で立ち話をしたことがある。「臨床(現場)の経験はないけど、内外の文献には誰よりもたくさん目を通している」と胸を張っていた。そのころの官僚は、威張ってはいるものの、それに見合った努力をし、知識を見につけていた。そして上からの命により、いかようにも論理を組み立てる。 ▼停電や電気料金アップの怖さを強調するが、電力会社などは、じつは原発を休ませるコストを、恐れている。 エネルギー政策の基本として「3つのE」を掲げる。すなわち(1)エネルギー安全保障、(2)経済性、(3)環境性、である。 ‥原発推進または容認の議論に接して、強く覚える違和感、非現実的な感覚、そらぞらしさ、その根源は放射能汚染に対するあまりの無神経さだ。その元になっているのがIAEAやUNSCEARなどの「公式見解」である。原発事故の被害のひどさをあまりにも過小評価している。 ▼著者は放射性物質のリスクについては政府の公式発表を紹介し、それに全幅の信頼をおいているようだ。→低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ‥これだけだと片手落ち。せめて、こちらも参照されたい。→ 報告書に対する日弁連会長声明  長瀧重信氏の科学論を批判する ▼電力需要をまかなうためには原発依存は自明のこととしている。縦横無尽に数字をならべて議論を進めるが、そこでは、人間は電気とカネを消費する有機化合物の物体に過ぎない。こういう印象を抱くと「精神論」とされるのであろうか。政府とも業界とも関係は無いと言うが、電力業界を擁護する姿勢は明瞭だ。ふっとシモケンこと下村健元社会保険庁長官(04年失脚)のことを思い出した。有能な元官僚が同じような末路をたどらないことを願う。 ▼著者は電力卸会社を東日本と西日本の2社に統合し、原発部門は分離して半官半民の会社に統合する案を掲げる。比較的自分の考えに近い。これ自体は脱原発や親原発とからませることもないだろう。(2012.08)


姉崎一馬『自然が見える!樹木観察フィールドノート』サイエンスアイ新書
約100種類の身近な樹木を紹介している。樹木の花は、なかなか近づけないことも多く、写真に撮る機会が限られる。(2012.09)

田崎晴明『やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識』朝日出版社
中川恵一氏の主張の基本的な誤りを指摘したり、某新聞社編集部にも間違いを指摘したり……ネット上で、きちんとした論理で物を見ていることに注目していた。 ▼この本は、「安全だよ。安心してください」と言うために書いたのではないし、「危険だ。心配しなくてはいけない!」と言うために書いたのでもない。 そして、よくわからないことについては、「わからない」とはっきり書いた。 何がどのくらい「わからない」のかをみんなが知って、その上で、これからどうするかを自分で考えていくのが一番だと信じているからだ。(序文より) ▼専門は理論物理学とのこと。放射線や原子炉工学などは専門ではない。しかしながら、放射線の問題については、多くの分野にまたがっていて、ある分野の「専門家」と称される人たちが総合的にみて的を得ているいるとはかならずしも言い切れない。偏った知識よりも、正しい論理のほうを重視すべきだ。▼「中学生にもわかる」ように書いたとのことだが、それでも門外漢には理解の難しいところもある。セシウムの空間線量率と地表の汚染密度、さらには空間線量率の減衰については、電卓をたたきながら読んだが…、よく分からなかった。▼出版と並行して、著者のHPにPDF版が公開されている。どんどん活用してください、とのこと。→ http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/radbookbasic/ (2012.09)


インゲ・ショル(内垣啓一訳)『白バラは散らず』未来社
地元演劇鑑賞会の例会があり、劇団民藝の「白バラの祈り」が上演された。ミュンヘンで反ナチの運動をして処刑されたハンス・ショル、ゾフィー・ショル兄妹を描いたものだ。大昔に読んだ本を思い出して、本棚から探してきた。二人の姉、インゲ・ショルが書いた本だ。1964年に邦訳され、「白バラは散らず」という題名で刊行された。奥付をみると1969年4月20日第5刷となっている。その頃に購入し読んだものと思う。ところどころに書き込みがある。 ▼ナチズムは郷土愛、祖国愛を巧みに操り、ショルの兄弟姉妹はヒトラー青年団に加入した。「私たちは身も心も奪われていたのです」「私たちはまじめに相手にされたのです。心をおどろかすような期待のされかたでした」…しかし、やがて個人生活のすみずみまで統制され、美しい音楽や、共感する作家の本さえ禁止され、反発して飛び出してしまう。医師である父もまた反ヒトラー発言がもとで拘束される。 ハンスとゾフィーはミュンヘンで大学生活を送り、そこでの交友から「白バラ通信」が生まれる。従軍のための休止をはさんで、1942年に活動を再開する。「民族裁判所」なるものが反抗者を処罰し、判決を受けた人々が静かに消えていく時代だった。 ▼1943年2月18日(木曜)二人は大学の構内でビラをまいて、管理人に見つかり拘束された。 同じ監獄にいた囚人や看守の証言が収録されている。ゾフィーは極めて平静で落ち着いていた。ハンスは静かに死刑を覚悟していた。 両親は逮捕の翌日に知らせを受け、週明けの22日(月)にミュンヘンへ。到着したとき、すでに裁判は始まっていた。死刑判決を受け、ハンスは弟に「一歩も譲らなかったぞ」と語った。刑はその日のうちに執行された。 二人のほかにもうひとり、家庭持ちの学生で娘が生まれたばかりのクリストゥル・プロープストも一緒に処刑された。その後、さらに逮捕者がでて、2人の学生と1人の教授が処刑された。 ▼高校時代の騒動を思い出した。 さほど緻密な計算も組織性もなく正義感に駆られて行動し、厳しく抑圧される。 命まではさすがに心配しなかったが、退学処分を覚悟したものだった。 しかし、このようなことの多くは社会に影響を与えることもなく記録もなく、忘れ去られていく。(2012.10)

平沼光『日本は世界一の環境エネルギー大国』講談社
世界の潮流は「原子力ルネッサンス」から「再生可能エネルギールネッサンス」に移りつつある。 風力発電だけでも現有の全発電設備容量の8倍のポテンシャルを有し、将来は浮体式「洋上風力発電」が中心になることが予想される。風力発電機では日本は遅れをとっているが、重要部品には日本製が多く使われ、要素技術では優位に立っている。 かつてトップだった太陽光パネル製造は中国の後塵を拝している。それでも、まだまだ健闘しているし、技術では1日の長がある。 地熱は、メリットの多い発電方式であり、日本の地熱資源量は世界3位。有望な分野だ。技術的にもダントツの世界一。もっぱら海外で実績を挙げている。 小水力発電は豊富な資源とともに、その安定性から分散型発電システムの中核として期待される。 その他、波力発電、海洋温度差発電など、日本は再生可能エネルギーの資源・技術ともに大きなポテンシャルを有している。一方で課題も山積している。(2012.10)


湯浅浩史『植物からの警告』ちくま新書
植生の変化から環境・気象の変化を示す。気候変動は「温暖化」として語られることが多いが、気温よりも雨の降り方の変化が激しい。また、人間による環境の攪乱による影響も大きい。「環境変動」と表現したほうが適切だという。 日本で花を咲かせる植物は約4700種、うち約1200種は帰化植物であり、さらにそのうちの800種ほどは明治以降の帰化植物だという。 モウソウチクは江戸時代(18世紀)に薩摩藩が中国から取り寄せて植えたのが始まり。いまや全国に広がり、人が管理しなくなった竹林が拡大している。 アフリカ、豪州、中国などの植生について記述した章の続いたあと、最後に日本の「白砂青松」について書かれている。海岸の松林の多くは、昔・とくに江戸時代の植林によるものという。防風、防潮に役立て、田畑を広げた。いま、全国で松林は減少しつつある。(2012.11)

安斎育郎『原発事故の理科・社会』新日本出版社
放射線被ばくについての勉強会で1時間ほど話をしたことがあるが、「難しい」「わからない」という感想が多く、がっくりときたことがある。難しいことは抜きに、わかりやすい結論を、という願望がある。しかし、ものの見方考え方こそが重要と思うので、どうしても「理科」に重点が行ってしまう。どのように伝えるかがいちばん難しいところだ。▼著者の本来の専門が原子力工学であり、反骨精神が災いして原子力村から追放された、ということは原発事故以前には知らなかった。文系かと思っていたくらいだ。ともあれ「理科・社会」であるが、「理科」はとても簡単に、さっとなでるだけで、「社会」のほうが内容が濃い。しかし、それでもすこし物足りないような気もする。分かりやすさと、内容と、兼ね合いは難しい。(2012.11)

NHK取材班『東海村臨界事故・被曝治療83日間の記録』岩波書店
ずっと以前から書棚で眠っていた本を引っ張り出してきた。東海村JCOの臨界事故で亡くなった大内久さんの記録である。ある原発擁護のビラのなかに、「自業自得」と、大内さんたちを非難する記述があった。作業員らは指示されたとおりに仕事をしていたに過ぎない。死者に鞭打つひどい言辞だ。▼原爆の爆心地もそうだが、臨界事故による放射線では、ガンマ線と同等またはそれ以上に中性子線の被曝の影響が大きい。しかし通常は中性子線は計測されていない。JCOでも、中性子の計測が開始されたのは事故から6時間ほどたってからだ。大内さんの被曝線量は20シーベルト前後と見られ、まず助かる見込みのない数字だが、最初の数日、外見上はとても元気で意識もしっかりしていた。しかし事故から4日目に採取した骨髄細胞はすでに染色体が破壊しつくされていた。白血球の急激な減少、免疫機能の低下から日和見感染の危険が高まる。被曝から7日目、妹の血液から末梢血幹細胞移植が行われた。▼やがて、明るく元気な様子は変化していく。皮膚、肺の異常。酸素マスクをはずして「こんなのはいやだ。家に帰る」と叫ぶ。11日目、気管チューブを装着、会話不能となる。 18日目、妹の造血幹細胞が増殖していることが確かめられたが、病状は改善しない。移植されて増殖した細胞の染色体異常が見つかる。バイスタンダー効果が原因と推定された。 ▼27日目、激しい下痢。消化管の粘膜が壊死して剥げ落ちてくる。皮膚も同様。爪も剥がれ落ちる。 50日後、皮膚移植が行われた。止血困難なため術式に制約がある。約70枚の移植皮膚は生着しなかった。下血も始まる。大量の輸血が行われた。 59日目、心停止。必死の蘇生処置で回復したが、肝臓や腎臓の機能に障害を受け、透析を開始。65日目から血漿交換。徐々に自発呼吸もなくなっていく。83日目(1999年12月21日)午後11時21分、死亡。享年35歳。 ▼大内さんの同僚で事故時に一緒に作業していた篠原理人(まさと)さんは6〜10シーベルトの被曝であった。HLA(白血球型)の合う人がみつからなかったため臍帯血移植。皮膚移植、輸血、気管切開、透析など、大内さんと似たような経過をたどり、MRSA感染を起こし、被曝211日目の4月27日、死亡。40歳。事故から1年余りたってJCOの幹部ら6人が業務上過失致死の疑いで逮捕された。(2012.11)

今中哲二『低線量放射線被曝』岩波書店
東京から北、とくに本州太平洋側には、無視できないレベルの放射能汚染が広がっています。したがって、今後私たちは、この事実とどう向かい合っていくのかが問題になります。残念ながら、それを避けて生きることはできないのです。(3p) ▼100万KWクラスの標準的な原発は、1日で広島原爆3個分くらいのウランを消費する。1年間稼動すると原子炉の中に原爆1000個分くらいの「死の灰」が蓄積される。これが外部に放出されると、とんでもない放射能汚染をもたらすことになる。 ▼低線量被曝については「閾値」の有り・無し、極大値のある「2相モデル」、さらには「ホルミシス効果」などの諸説がある。著者は閾値なしのLNTモデルを支持している。ICRP,BEIR,UNSCEARも同じ見解である。 ラッキー博士らのホルミシス論については、ほとんど触れられていない。というか、誰も触れない。それを「都合がわるいことを避けている」、「マスゴミは故意に無視している」などと、正当性の証明であるかのように言い立てる者がいる。あまりに荒唐無稽なために、まともに相手をする人がいないだけだ。 ▼事故から約半月後に飯館村で行った調査について詳しく報告されている。「放射線管理区域」に相当する0.6μSv/hを超える地域は福島県内に広く分布し、そこでは人々が普通の日常生活を送っている。村役場前のロータリーで6.5μSv/hだった。場所によっては「高線量率区域」に相当する20μSv/hを超えるところもある。 ▼2005年の「チェルノブイリ・フォーラム」で事故による死者の予測は4000人と「公式発表」された。すでに発生した死亡例については因果関係が確認されたもの(56件だけ!)以外は排除され、予測の部分については避難地域などの60万人に評価対象を絞り込んでいる。スウェーデンのトンデル博士らの研究では、低濃度の汚染でもがんの発生が増加している。しかも、広島・長崎のLSSに比較してもひと桁高い数字である。 ▼第3部は広島・長崎の被爆の研究について紹介している。被爆量評価システムはT57D,T65D,DS86と改訂されてきたが、著者はDS02の策定に関わっている。爆発で放出される線源スペクトルの分析、空間での伝播、構造物による遮蔽効果、人体内の臓器被爆、などなど複雑な計算が行われる。中性子によって生じる誘導放射線やフォールアウト放射線による残留放射能被爆は考慮されていない。T65Dからは爆心地から2.5キロ以内を被爆者として計算対象にしている。 ▼第3部のうちの1章を「黒い雨」に、さらに1章を「入市被爆」にあてている。当初は誘導放射線の調査だけで頭も手も余裕がなかったらしい。放射性物質のフォールアウトが、風と雨の影響で、広範囲に不均一に分布することが想定されていなかった。1976年になって、大規模な土壌調査が行われたが、60年代の核実験の影響が大きく、識別が困難だった。さまざまなデータから、フォールアウトによる被爆(外部被爆)は10〜60ミリグレイと見積もっている。また、原爆投下直後に爆心地に入って長期滞在した場合には1グレイ近くの被爆になることもありうる、としている。これらの推計からは、被爆線量はわずかである。にもかかわらず、原爆症の症状を示すケースが多く観察されている。 ▼「まずベクレル、シーベルトの意味を理解してください。そして被爆を受け入れるかどうか最後は自分で判断できるようになってください」(おわりに)─というスタンスにはとても近いものを感じる。(2012.11)

ロバート・アーリック(垂水雄二・阪本芳久訳)『ドンデモ科学の見破りかた』草思社
「トンデモ」は「デタラメ」とちがい、それ相応の論理性をもっている。ときにノーベル賞学者の関与があったり、専門誌に論文が掲載されたり、といったことによって権威付けがなされる。この本では9つの「トンデモ科学」について検討している。いくつかのチェック項目があるが、なかでも統計的な検証が大きなウエイトを占める。すらすらと読める本ではない。 ▼「銃の普及が犯罪率を低下させる」「エイズの原因はHIVではない」「宇宙の始まりはビッグバンではない」といったテーマについては「トンデモ度V」と評価している。それに比べると「放射線ホルミシス」の評価は「T」、やや甘いような気がする。というのも、ごく低線量におけるホルミシス効果はありうるというのが常識的な見方である。ラッキー博士らの桁違いに高い線量によるホルミシスは、ここでは検討の対象になっていない。 ホルミシスの証拠とされる被爆者のデータについては、意図的な統計の選択があることを指摘している。バックグラウンドと癌との逆相関についても、他の環境因子を考慮していない。ラドンと肺癌の関係では、集団(地域)の平均値どうしを比較することの統計学的危険性を指摘する。 ▼なかなか読むのに骨が折れるので、じつのところ途中を飛ばした。まとめの最終章に「証拠がないのは、ないことの証拠ではない」(250p)という言葉がある。チェルノブイリ・テーゼを奉じる連中に聞かせたい言葉ではある。何が偽りで何が正しいのかを見極めることが大切なのだが、これが難しい。(2012.11)

星旦二『なぜ、「かかりつけ歯科医」のいる人は長寿なのか?』ワニブックス
かかりつけ歯科医の有無と寿命、健康、生活自立度などなど、これらの統計の使い方はまずいな、と思いながら読み進めたら、第1章の終わりに、「良好な生活習慣を維持しているからこそ、かかりつけ歯科医ももっている」という可能性もある、と記述があった。問題を承知のうえのようだが、誤解または不信感を与えかねない。 体験談や座談会が多くのページを占める。どちらかというと特定の歯科医たちを褒める内容。「かかりつけ歯科医」、定期検査、継続的な口腔ケアが有用であることに異存はないけれど・・  ともあれ、頼りになる「かかりつけ歯科医」であるには、どんなことに気をつけるべきか、という歯科医側の自省の材料にはなるだろう。(2012.11)


T.D.ラッキー(茂木弘道訳)『放射能を怖がるな!』日新報道
著者は放射線ホルミシス論の最右翼に位置する。まともに取り上げる学者はいなくて、ほぼ無視されている存在なのだが、このところ日本で信奉者が増えているようだ。サムライ姿のラッキー博士の写真が表紙を飾り、ページをめくる気力が失せそうになる。サムライ姿に奮い立つ読者を期待しているらしい。 ▼ともあれ、その主張を知ることから始めよう。 核心は第一章に掲げられている「線量率応答曲線」と題するグラフである。1mSv/y 以下では放射線欠乏による健康障害があり、100mSv/y で最適、1万mSv/y(10Sv/y)までは被曝の効果が損失を上回るという。 ▼やたら訳者の解説が多い。ラッキー氏の文章が文献リストを含めて53ページ、茂木氏の分が56ページを占める。解説のなかで、“マスコミなどは異端言論に対して「無視」あるいは「黙殺」という処刑を行っている”と憤懣をぶつけている。 ▼広島・長崎のLSSを使って「ホルミシス」を証明しようとしている。すなわち、10-19mSv被曝した生存者は非被爆者よりも癌死亡率が低く、原爆は「健康への効用があった」とする。LSSにおける癌死亡の調査は被爆から10年余後、1958年に開始された。残留放射線による被曝は考慮されていない。そのため低線量域においてはデータの信頼性が損なわれている。歪みのある統計数値の一面だけを取り出して極端な結論を導いている。 LNT仮説を「ドグマ」と攻撃するが、不確実な部分にホルミシス効果があるとするのは早計というものだろう。逆に「ペトカウ効果」によって低線量領域で極大曲線を描くという説もある。 ラドンや自然放射線については『ドンデモ科学の見破りかた』でも取り上げられているので、ここでは省く。 ▼ごく低線量の一過性の被爆によってホルミシス効果はあるかもしれない。しかし、それはペトカウ効果による曲線が立ち上がる線量のさらに下方だろう、と考えていた。ところが、ラッキー氏は1万ミリシーベルト(10Sv)/yまでは健康に効果があると主張する。急性被曝ならば100%死亡する線量である。慢性被曝でも、ICRPの勧告値では癌による致死リスク(過剰絶対リスク)が50%となる値である。1年分の被曝だけで、通常時の癌による死亡が30%だとすると80%になることを意味する。それどころか、もうひと桁こえて100Sv/yでもヒトは死なないらしい。いったいぜんたい何を根拠に、こんな大量被曝で健康増進などと言えるのか…。 ▼閾値の有無が問題にされるとき、100mSvの数値が取り上げられることが多い。 著者の論理は、閾値の考え方を超越している。 放射線は健康のために「必須栄養素」のようなものと考える。ヒトとネズミの外挿法による考察から、必須(最小)レベルを 1mSv/y とし、最大レベルを10000mSv/y と推定している。「健康度」の尺度がよくわからないが、最大、最小の値に「応答曲線」をあてはめると100mSv/yが最適値となる。ヒトのデータについては、まったく正反対の報告が多数あるにもかかわらず、きわめて恣意的に選択している。どのようなデータをプロットしたものか不明だが、ネズミが年間10Sv被曝しても「健康度プラス」だというのは信じがたい。しかも、その数値を無条件でヒトにあてはめている。  この結果から冒頭の「線量率応答曲線」が導かれているようだ。ずいぶんと荒っぽい論理である。「論理」というものおこがましい、ましてや、とても「科学」と呼べるようなシロモノではない。 ▼このような超ホルミシスの見地からは、除染などに無駄な費用をかけずに、すぐに被災地に戻ればいい、そのほうが健康のために良い、ということになる。 それどころではない。最後の章では、被曝線量の補充のために、放射性廃棄物を建築資材や家具、備品などとして活用することを提唱している。ため息とともに本を閉じた…… (2012.12)


今中哲二『「チェルノブイリ」を見つめなおす‐20年後のメッセージ』原子力資料情報室
2006年に出版され、福島の事故後、再刊された。原子炉の形式は違うし、事故の機序も異なるが、人間はかくも愚かなものかと思い知らされる。とりわけ、国家や国際組織なるものの無責任さが、今また繰り返されようとしていることに恐怖を感じる。 ▼旧ソ連の公式発表では、急性放射線障害が生じたのは現場の職員や消防士だけであり、死者は28人とされ、国際機関はそれを追認した。のちに暴露された資料では、住民らの放射線障害による入院患者も多数発生していた。 甲状腺がんの、公式に発表されたデータには不自然な地域的偏りがあり、実際にはもっと多い可能性がある。小児の白血病も増加しているらしいがきちんとした統計になってこない。 ソ連圏から集められ事故処理にあたった作業者(リクビダートル)は60万〜80万人とも言われるが、線量記録があるのは60%程度に過ぎない。彼らの多くが早死にしている。しかし、公的には被曝との関連は否定されている。 ▼トンデル博士のスウェーデンでの大規模な調査に1項を設けている。著者の換算では1シーベルトあたり5〜10の過剰相対リスクとなる。これは広島・長崎のLSSで得られている1シーベルトあたり0.5に比べて桁違いに大きい。これはLNT仮説には適合せず、低レベル被曝において曲線を描くことを示唆している。また、DNAの障害から長期の潜伏期をへて癌を発症するという従来の考え方には適合しない。別の機序を考える必要がある。 ▼「日本の原発で大事故が起きたら」という項目もある。チェルノブイリ級の事故が浜岡で起きたら首都圏は高度の放射能汚染により大混乱に陥り、国家予算をはるかに超える損失を生じるだろう、と記している。 (2012.12)

日隅一雄、木野龍逸『検証・福島原発事故記者会見』岩波書店
サブタイトルは「東電・政府は何を隠したのか」。記者会見に通いつめ、そこでのやりとりなどを振り返る。 第1章「メルトダウン」、メルトダウンを示唆した中村・根井審議官が更迭され、西山審議官は炉心溶融を否定し続けた。マスメディアも、これに追随して、報道内容が微妙に変化している。1ヶ月たってからレベル7を認めるとともに「溶融」を認めたが、「ダウン」していないと強弁した。メルトダウンを認めるまでには、さらに1ヶ月がかかった。事故当初から保安院は炉心溶融の可能性が高いことを予測していた。 第2章「SPEEDI」、公開されたのは事故から1ヶ月たってから。その間、報道各社はそのシステムの存在を知っていたにもかかわらず、報道されなかった。責任の所在は不明のまま。 第3章「想定外」。3.13、清水社長の「想定を大きく超える」との発言を皮切りに、「想定外」が連発された。原子力損害賠償法の免責規定を意識した表現だ。その後、次々にボロがでて、東電自身が「想定」していたことが明らかになる。 第4章「プルトニウム」、出るはずがない、心配ない、検査の必要はない、との発表だった。やがて原発敷地内での検出を認め、6月にETV特集で敷地外での検出が報じられ、国が広範囲で検出したと発表したのは9月末だった。 第5章「作業員の被曝」、事故の2日後、緊急時の被曝上限が100mSvから250mSvに引き上げられた。他の事と比べるときわめて迅速だ。さらに500mSvまでの引き上げも検討されたという。 第6章「汚染水、海へ」、事故10日後から海水の汚染が観測されていた。4月4日、突然、汚染水を海に放出すると発表し、うむを言わさず放出を開始した。国際的にも非難されたことは周知のとおり。国は、原発から半径30キロの海域汚染のモニタリングは東電に任せた。「泥棒が現場検証をしているようなもの」と揶揄されても仕方ない。 第7章「工程表」、「水棺」は頓挫。汚染水処理システムはセシウムがターゲットで、α核種やβ核種の除去効果は不明。タービン建屋に貯まった汚染水の「除去」は「維持」に変更された。 第8章「フリージャーナリスト排除」、いろいろあるが、フリージャーナリストの中には首を傾げたくなる者もいる。 第9章「低線量被曝」、原子力安全委員会事務局の加藤審議官の対応が、政府の本心を端的に物語っている。すなわち、「数百ミリシーベルト以上でないと健康への影響はない」としている。閾値説を改めるまで5ヶ月かかった。官僚や学者に誤りを認めさせるのは容易ではない。 第10章「何を守ろうとしたのか」、国民を守ろうとしなかったことは確かだ。自らの責任を問われないように、保身が第一だった。(2012.12)

医療問題研究会『低線量・内部被曝の危険性』耕文社
サブタイトルに「その医学的根拠」とあるように、有志の医師らが執筆している。多くの研究報告について、そのエビデンスを検証しつつきちんと紹介している。 ▼甲状腺がんの原因が内部被曝であることを国際機関に認めさせるまでは大変な苦労があったようだ。白血病についても、統計的にはっきりしているデータがあるにもかかわらず、国際機関はいまだに認めようとしない。 原発関係の労働者40万人余を対象にした大規模な調査では20mSv程度の累積被曝で、1Sv換算で白血病が3倍に、固形がんが2倍になっていた。国際機関は、いろいろと難癖をつけて認めようとしない。 ベラルーシ政府のレポートに含まれる乳がんの調査では、累積被曝 50〜70mSvで有意差のある増加がみられ、100mSv以上では3倍近い増加になる。 産婦人科学会では被曝安全限界を50mSvとしている。ICRPは100mSv未満では「妊娠継続をあきらめる理由とはならない」という回りくどい勧告をしている。レントゲン撮影やRI検査で流産が有意に増える。妊婦の歯科用Xp撮影で低体重児が増える。形態異常は四肢に現れることが多く、劣化ウラン弾が使われたイラクや、湾岸戦争帰還兵の子どもなどで同じ傾向が見られる。 胎児期や乳幼児期の被曝では精神発達の遅滞が見られる。 広島・長崎のLSSでも、心疾患や脳卒中などの「非がん」死が増えている。 ▼ベラルーシ出身のリクビダートル(事故処理作業者)の調査では、がんの発症が増加している。にもかかわらず、UNSCEAR(国連科学委員会)は「発症が早すぎる」などとして認めようとしない。がん以外の疾病も多発しており、彼らがたいへん早死にしていることが知られている。しかしUNSCEARは「肥満、喫煙、飲酒などの補正がされていない」ことを理由に、その事実を受け入れようとしない。リクビダートルの面々は太っちょで、タバコを吸い、大酒呑みだ、とみなしているようだ。 リクビダートルには対照群の2〜4倍の精神障害がみられたが、公的には「ストレスが原因」で片付けられている。描いたシナリオに合わないものは事実であっても見ようとしない。 ▼ICRPは確定的影響については閾値を設定している。造血機能500mSv、白内障5000mSv、胎児の形態異常100mSv、など。チェルノブイリでの調査では低線量でも様々な健康障害が発生しているが、UNSCEAR は1Sv以下では急性被曝症候群はない、との前提にたって、これらの事実を受け入れない。低線量の確率的影響については「直線的、閾値なし」(LNT)モデルを採用している。100mSvを閾値のように主張する学者がいるが、LSS研究データをみると低線量領域でむしろ癌死亡が多い。統計上の刻み目の関係で有意差が確認できないことを「影響がない」と言い換えている。 ▼ICRPの内部被曝の推計方式(実効線量係数)が、過小評価になるという批判はもっともだと思う。人体の組織が絶えず攪拌されている流体のごとくに仮定されている。かといってECRRの桁違いに大きくなる推計が正しいのかどうか、あまりの極端さに戸惑う。今後の日本での研究が、きちんと行われることを願う。 こんな愚かしい事故を起こした日本の責務であろう。 (2012.12)

馬場朝子、山内太郎『低線量汚染地域からの報告』NHK出版
9月にETV特集として2回シリーズで放送された「チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告」の取材記録。 ▼ウクライナの国旗は上半分が青、下半分が黄、青空の下に広がる小麦畑を意味するという。首都キエフ、事故当時のソビエト政府は、風向き次第では350万人余の疎開を検討していた。ウクライナ国立記録センターでは被災者のデータを地道に蓄積している。その成果が「ウクライナ政府報告書」である。たいへん貴重な資料であり、日本も最低限これだけのデータは収集しておかなければならないというベースラインを示している。「疫学的手法で証明できないことは科学的ではなく、事実として認めることはできない」と国際機関や欧米日の「専門家」らが主張する。いわゆる「チェルノブイリ・テーゼ」だ。しかし、事故後の混乱やソ連の崩壊などにより十分な基礎データが得られない。そんな中でも現場の医療関係者の声を大切にしてデータを集積し、国際社会に対し異議申し立てをした。 ▼チェルノブイリから140キロ離れたコロステン市は移住勧告地域(5mSv/y未満)と放射線管理地域(1mSv/y未満)が混在している。 20歳のときに被曝し、甲状腺疾患をはじめ多くの病気に悩まされている女性とその家庭を取材している。長女が甲状腺がんで手術を受けている。夫のギターに合わせて歌をうたう家族…純朴な人々を不幸に陥れた原発のおぞましさが際立つ。 ▼キエフの専門医は、86年に同時に被曝したはずなのに、4年後からこんにちに至るまで、甲状腺がんの発症が増え続けている、被曝線量と関係があるのかもしれない、と語る。 ウクライナでは88年に健康な人が67.7%だったのが20年後には21.5%に激減した。がん以外の疾患の大部分を循環器系疾患が占める。白内障は高い線量でしか起こらないとされていたが、いまは250mSvが閾値とされている。しかし、ウクライナでの地道な研究では「閾値なし」との結果が出ている。例によって、国際的には認められていない。 コロステン中央病院副院長、アレクセイ・ザイエツ氏の言葉「立証することは難しい…しかし、日々患者を診ている立場からすると、甲状腺がんだけではなく他の様々な疾患もチェルノブイリの影響だと思っています」 ▼コロステン市の学校にて。 ウクライナの子供達の健康状態が悪化している。「ウクライナ政府報告書」によれば、慢性疾患を有するこどもが78%に達する。学校では子どもたちが疲れやすいということで、授業時間を短縮している。体育の授業も、正規の内容を受けることが出来るのは、わずか3%ほどで、他は軽いカリキュラムを組んでいる。500人弱の学校で、1日に救急車を3回も呼ぶことがある、とのこと。 政府報告書の執筆者でもあるステパーノバ氏によれば、赤血球の減少やミトコンドリアの異常がみられるという。関係者は100%被曝が原因と主張しているわけではない。すべてを「ストレスが原因」とする「国際機関」の主張のほうに無理がある。 ▼ひるがえって日本はどうか。甲状腺被曝の調査では、行政がブレーキをかけた。混乱を恐れる余り、後手に回った処置がたくさんある。基準の緩和だけは迅速だった。 チェルノブイリでは5mSv/y以上で強制移住とされたが、福島の事故では20mSv/yで避難の線引きをした。それをめぐって、いろんなやりとりがあった。この本では「チェルノブイリ・テーゼ」という言葉は使われていないものの、政府系の「専門家」たちは、まさしくこのテーゼに忠実そのものである。 著者らは「因果関係の罠」を指摘している。すなわち、「ありふれた病気の罠」、「データ不足の罠」。月並みな病気の増加を疫学的に証明するのは容易でない、そして、事故の混乱の中で、良質なデータを必要な規模で得ることが著しく困難である。理想的な因果関係の証明を要求し、それができなければ「科学ではない」として排斥する。そんな科学の名を借りた偏見&予断を排除して現実と向き合うことができるのか、日本人が問われている。(2012.12)



 《2011|2012- 1011122013

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ダイモンジソウ(大文字草)