BYPASS04  
 
『とやま保険医新聞』のコラム「バイパス」など、機関紙誌に発表した雑文を掲載しています。


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あけましておめでとうございます   2004.1.1



バイパス (とやま保険医新聞コラム) 2004.1.25 第263号


 「軽度」要介護高齢者を施設介護はもとより訪問介護からも除外する。介護保険給付費の大幅な節減をねらった「介護保険制度抜本改革」の基本方針である。介護サービスを受けている高齢者や家族から不安の声があがっている。しかし、その声は遠慮がちだ。
 厚労省が意図的に流した情報であろう。こうして国民の反応と「抵抗勢力」の出方や力量を瀬踏みする。よく使われる手だ。
 「障害者の権利に関する宣言」(75年国連総会決議)では「通常の個人生活と社会生活の両者もしくは一方が自力で満たされないこと」をもって障害者としている。WHOは80年「国際障害分類試案」を発表し、01年「新国際障害分類」を採択した。
 国際的な基準に照らせば、日本で「要支援・要介護」とされている高齢者は障害者にほかならない。それを「要介護」と言い換え、「自律自助」が当然のように思わせる。
 「改革の痛み」「三方一両損」などと言いくるめ、国の責任をうやむやにする。企業が栄えれば国民が幸せになるのだとも言う。グローバル企業のおかげで円高になり、安い牛丼やパンバーグを食べられる。たいへんおめでたい話である。

    ☆「訪問介護-軽度は除外/施設入所-重度に限定」(2004.01.05 読売新聞)
    ☆「介護施設入所者住居費を負担へ」(2004.01.04 日本経済新聞)
    ☆「利用者負担2〜3割に」(2004.01.03 中日新聞)
    以上は新聞見出しを拾った。
    記事本文では「20歳から保険料徴収」、「障害者福祉との統合」などを報じている。





映画「ヒバクシャ・世界の終わりに」
上映会


日時:2004年1月12日
   13:00 open
   13:30 鎌仲さんのトーク 
   14:00 映画スタート!
       映画終了後、鎌仲さんと楽しく公開懇談会

会場:黒部国際文化センター コラーレ マルチホール
入場料:一般 前売り1,000円・当日1,200円 高校生以下500円
主催:ヒバクシャ新川上映実行委員会
後援:北日本新聞社



終了しました。満席となり盛会でした。
この映画を見るのは2回目。監督のお話で、「あのガイガーカウンターで
アルファ線が測れるのだろうか?」という疑問が解消しました。
やはり「測れない」でした。ガンマ線だけで、あれだけ針が振れていた。

ウラン238

上映後の懇談会

【蛇足】核爆発によって放射線を浴びることを「被爆」といい、爆発によらないで放射線を浴びることは「被曝」という。どちらも「ひばく」と読む。両方をひっくるめた表現としてカタカナ表記の「ヒバク」、または、漢字かな混じりの「被ばく」が使われる。



間違いだらけの「医療改革」

「とやま保険医新聞」 2004.1.25 第263号

 医療、年金、介護と改革の嵐が吹き荒れています。
 思えば臨調(81)行革(83)以来、「改革」なるものが叫ばれるたび、マスメディアは喝采を送りました。貧しいはずのない「清貧」の土光敏夫氏、「純粋」イメージの小泉純一郎首相が、ヒーローとして持ち上げられました。その結果、何はともあれ福祉が後退し、改革はそれで打ち止め、ということが繰り返されてきました。
 社会保障削減の口実として改革が唱えられたのではない。不徹底だったからイケナイのだ、という議論があります。マスメディアにも野党の中にもそういう論調が多い。そもそも改革なるものが何だったのか、その内容を検証せずにカイカクという語感に酔っているとしか思えません。

 ■「痛み」か「満足」か
 なにげなく手にとった雑誌の論文に目が止まりました。医療改革の根本を問いただす内容です。
 以下、社会保険旬報03年11月11日号から12月21日号まで5回にわたって掲載された「『正しい』医療改革とは」を紹介しつつ、日ごろのうっぷんを吐き出させていただきます。
 執筆者は大和総研の高橋正明氏と斎藤哲史氏です。「得るものは『痛み』か『満足』か」と副題がつけられています。
(図をクリックすると拡大表示します) 
エンゲル係数
 ■医療費はなぜ増える
 間違った事実認識のもとに、間違った改革が進められています。
 その筆頭は、高齢化により医療費が増大し、経済の足を引っ張る、というものです。「医療費の伸び率を経済成長の範囲内に抑える」という大方針が、まかり通っています。
 「エンゲル係数」では所得水準が上がると食費の比率が下がります。これとは逆に、所得水準が上がると、医療費の比率が上がります。多くの人が健康と長寿に価値を認め、より広範により高度に医療を求めるからです。このことは、歴史的にみても、世界の国々をみても当てはまります。
 高齢化の影響は言われているほど大きなものではなく、医療技術の進歩と普及が医療費増加の主因です。
 医療費を抑制することは、経済成長に寄与するどころか国民に不安を広げ消費を冷やしています。著者らは「医療費増加を負担増ではなく、経済成長と捉える『逆転の発想』が求められる」と主張しています。
GDPと医療費
 ■負担増のもたらすもの
 健保本人の負担は84年1割、97年2割、03年3割と引き上げられました。現役世代の有訴率は年々高くなっているのに受療率は低下しています。
 患者負担増によって不要な受診を減らし、医療費を抑制する。果たしてそうなるでしょうか。よく知られているように、重い病気の少数の患者が医療費の過半を使っています。負担増による医療費抑制は効果が薄いだけでなく、「支払い能力によらず必要な医療を受けられる」という社会保険の根幹が揺らぎ、国民の不安をかきたてます。結局は「貯蓄の促進」になるだけです。おまけに早期治療が妨げられて重症化を招き、長い目でみると医療費はむしろ増加するでしょう。
 医療に限らず日本の社会保障のレベルはきわめて低く、著者らの言葉を借りれば、自衛に頼らざるをえない「まるで『西部劇』のような社会」なのです。
高額医療費
 ■医療の価格
 「日本の医療費は世界第2位だ、多すぎる!」と言った与党幹部がいます。何のことか分かりますか?
 総医療費をドル換算して国際比較したのです。普通、こんな比較はしません。1人当りにするかGDP比で比較するのが一般的です。例外は医療産業です。マーケットの大小を見るため総額のほうに関心があります。
 こんな馬鹿げた間違いは論外としても、日本の医療費は高い、と思っている人が多くいます。医療にかかるコストが、よく理解されていないようです。
 著者らは「ヘルスケアの相対価格」を示しています。日本は際立って低い位置にあります。
 さまざまな統計数値をどうみても、日本の医療費は先進国の中で最低レベルです。にもかかわらず平均寿命は世界1。日本の医療システムが世界から高く評価されていることはご存知のとおりです。
医療サービスの価格
 ■市場は救世主か
 「患者の権利」というと、日本では患者対医師という図式を思い浮かべます。しかし、アメリカでは患者&医師対HMOというパターンだそうです。実際、ドラマや小説などで、HMOの欠陥がたびたび取り上げられます。
 著者らが言うように「アメリカはモデルとはなりえない」のですが、いまだに民営化・市場化すれば医療はよくなる、と主張する人々がいます。
 経済財政諮問会議や総合規制改革会議の主張は明快です。自由競争に任せれば「見えざる手」によって、最適な医療が出現するという手放しの市場信仰。それと、あたらしいビジネスチャンスになるという下心です。
 著者らは、連載の最後でイギリスとカナダの医療改革を紹介しています。いずれも、日本とはまったく逆の方向を向いています。

 ■何のための改革
 日本では「世界の常識」を無視した議論がいまだに続いている。国民は医療や公的保険に価値を見いだしている。そこに満足をもたらす改革でなければならない、と論文はまとめられています。
 冷静に「医療改革」を検証した研究に拍手を送ります。

 ■これは徳政令だ
 蛇足をひとこと。
 小泉内閣の構造改革は、市場主義改革の看板を掲げているけれども、その実は財政調整でしかない。すなわち、過去の失政のツケを「痛み」と称して国民に分配し、勝ち組企業には便宜を図る、一種の徳政令です。
 こういう背景があって、理念なき帳尻あわせの「医療改革」があります。

    HMO:Health Maintenance Organization の略。「健康維持機構」、「健康保険維持機構」、「健康維持協会」などと訳されているが、定訳はない。医療へのアクセス(受診)と医療サービス(医療内容)を管理してコストを削減する医療保険契約の仕組みまたはそれを扱う保険会社を指す。名称はまぎらわしいが、純然たる営利事業(企業)である。加入者にはHMOと契約している主治医が指定され、使用される薬品や検査にも厳しい制限がある。専門医への紹介や入院にもHMOの許可が必要となる。制約が多いかわりに保険料が比較的安いという特徴がある。いくぶん自由度をもたせたPPOやPOSというシステムもあるが、そのぶん保険料や自己負担金が高くなる。
    推奨⇒李啓充 『市場原理に揺れるアメリカの医療』 (医学書院刊) &「週刊医学界新聞
    推奨⇒李啓充氏講演資料(青森県保険医協会)


バイパス (とやま保険医新聞コラム) 2004.2.25 第264号


 日本は法治国家ではなく官治国家だという。法令は、絶対に守れないほど厳格か、または、何も定めていないに等しいくらい茫洋としているかのどちらかである。両極端の間を埋め合わすのが「官治」の役割なのであろう‥‥
 「富山個別指導事件」直後=10年前の”バイパス”から引用した。いままた、ひとつの「事件」が進行中である。歯科につづいて、こんどは医科の監査が続出している。
 指導と監査では、月とスッポン。たいへんな違いがある。同じ「自主返還」とはいっても、前者は通常1年分、後者は5年分かつ4割増となる。監査には、戒告、取消などの行政処分が伴う。
 「官治」のお目こぼしで、なんとか成り立っていく。医療はそういう危なっかしい岨道を歩きつづけてきた。ついにはその危うさに鈍感になっていたのではないか。この鈍感さが、世界に例をみない低診療報酬に甘んじる結果をもたらした。
 納得のいく医療を提供しようとすれば、それ相応のヒト・モノ・カネが揃わなければならない。そのいずれをも保障せずに尻を叩かれてきた。尻の神経も麻痺してしまった。
 そろそろ目を醒まそうではないか。

    富山における連続監査(「とやま保険医新聞」記事より)
     今年に入って富山県内で連続して四件の医科医療機関の監査が行なわれました。これらは院外処方せんの取扱いをめぐって、まず調剤薬局に対し監査があり、その関連で医療機関に波及したものです。このように、四件もの医療機関と薬局の監査が連動して行なわれるのは県内では初めてであり、富山県は監査が平成十四.十五年度の二年間で、医科・歯科・ 薬局で計十二件にも達するという前代未聞の異常事態となっています。

バイパス (とやま保険医新聞コラム) 2004.3.25 第265号

 小学生のとき、社会科の試験で零点をもらったことがある。
 「鎌倉幕府を開いたのは徳川家康である」といった文章が並んでいて、「間違いを直しなさい」という問題だった。この場合は、「鎌倉」を「江戸」と直すか、「徳川家康」を「源頼朝」に直すか、二とおりの答えがある。
 どちらにすべきか思い悩んでいるうちに、第三の答え方があることに気づいた。「である」を「でない」にすればいい。というわけで、20問ほどもあっただろうか、ぜーんぶ「でない」に直して提出した。
 わからなかったわけじゃないだろうけど、と慰めの言葉とともに赤く「0」と書かれた答案用紙をもらった。100点満点のつもりでいたので、がっかりした。
 担任の先生も困ったことだろう。揚げ足とりをするようないじけた生徒ではない。ただただ純真だったのだ。
 診療報酬の改訂は、プラスマイナスゼロのなかでの組替えが広範になされ、加えてカルテ記載や文書交付などがたいそううるさくなった。
 指導や監査で、しばしばカルテに記された文章の不完全さが指摘されるという。純真なのか、いじけているのか、定かではない。

バイパス (とやま保険医新聞コラム) 2004.5.5 第266号

 ぽつりぽつりと休耕田をレンゲソウが彩る。昔は肥料として植えられ、あたり一面を覆ったものだ。
 レンゲとはすなわち蓮(ハス)の花である。形は小さいが華やかさでは蓮をしのぐ。
 蓮の花は仏教と縁が深い。極楽往生は、極楽浄土の蓮の花の中(蓮華座)に生まれ変わることをいう。蓮華化生(けしょう)、蓮華往生ともいう。
 寛政年間というから、今から200年余り昔、蓮華往生を売り物にした邪宗があり、幕府が禁止し取り締まったと伝えられている。
 おおきな蓮華座をしつらえ、極楽往生を願う老人たちからお布施をいただいてそこに座らせる。まわりで大勢の僧がいっせいにお経をあげる。蓮華座は包み込むようにすぼまり、お経が終わって蓮華座が開くと、眠るごとく安らかに往生していた。蓮華往生の希望者が続出して、たいそう繁盛した。
 疑いを抱いた人が銅鏡を隠し持って蓮華座に入り、尻の下に敷いた。やがて読経がはじまり、下から槍で突き上げていることが判明した。
 営利企業の参入で医療や福祉が効率的になる。国家責任より自己責任。市場原理主義の大合唱のなかで、やがて蓮華座がすぼまっていく‥‥。

    蓮華往生: 寛政年間(1789- 1801)、上総国で、日蓮宗の悪僧らが迷信を利用して行なった邪教。仕掛けのある大きな蓮華の台座を設け、料金を取って信者をここに登らせ、その周囲で一斉に読経しながら、蓮台をつぼませて台上の信者を包み込み、台の下から槍で刺し殺し、生きたまま仏土に往生するとしたもの。(三省堂「大辞林」より)
    この解説は、国学者、平田篤胤の「出定(じょう)笑語附録之二」(1817年)の記述によるもののようだが、仏教排斥のため平田が捏造した話ではないかとも言われる。また、日蓮宗がその布教に際し、邪宗を戒めるために使った話ともいう。


バイパス (とやま保険医新聞コラム) 2004.6.15 第267号

 診療報酬をめぐる贈収賄事件から、季節外れな花を連想した。
 天上世界に咲く蓮華には紅白大小の種類があるそうで、そのうちのひとつ曼珠沙華になぞらえられるのがヒガンバナである。秋の彼岸のころ鮮紅色の花を咲かせる。冬から春にかけて葉を繁らせ、花が咲くころには葉は枯れているので、「葉見ず花見ず」ともいう。あまりの鮮やかさが人の心を乱すのか、死人花、地獄花、火事花、捨て子花などとも呼ばれる。
 古い時代に中国から渡来し全国に広がったものらしい。鱗茎には強い毒があり、野ネズミやモグラの食害を防ぐために植えられたという説と、水に晒して毒を抜けば食用になることから、飢饉に備える救荒植物として広まったという説がある。
 飢饉でなくても珍味として食用にする地方があるが、ときに毒抜きが不十分なために死亡事故があるという。
 かつて歯科の初診料は医科に準じていたが、いまは約3分の2の点数になっている。その不合理を正すはずが「かかりつけ初診料」なるものにすりかえられた。
 賄賂を使って算定要件を緩和させたというが、絵に描いた餅を、毒の強い救荒植物に変えただけだ。

    贈収賄事件:2000年より新設された「かかりつけ初診料」の算定要件を02年改定で緩和することを目的に中医協委員らに賄賂を贈ったとして、今年4月14日、日本歯科医師会会長臼田貞夫氏、健保連副会長&元中医協委員下村健氏らが逮捕された。

バイパス (とやま保険医新聞コラム) 2004.7.25 第268号

 これで年金制度は100年持ちます。安心してください。
 年金法案が強行採決されたあと、与党幹部が自信たっぷりに語った言葉である。保険料を上げて給付を減らせば、たしかに100年でも200年でも制度は持つかもしれない。しかし、それは形が残るという意味でしかない。国民の生活保障とは無関係に、政府の面子のみが保たれた。安心したのは誰だろう。
 亡き祖母が、私が生まれたときに掛けてくれた保険がある。もし私の身に不幸があったら、5万円ほどの保険金が支払われることになっている。当時、公務員の初任給は5000円に満たなかった。
 負担と給付が釣り合うだけでは国民の安心は得られない。
 年金の次は介護保険、その次は医療保険。「改革」の時間割は決まっていて、強行採決だろうが、資料隠しだろうが、あらゆる手を使って進めていかないと先がつかえてしまう。
 いま話題の絵本「戦争のつくりかた」に、こんな一節がある。
 《人のいのちが世の中で一番たいせつだと、今までおそわってきたのは 間違いになりました。一番たいせつなのは、「国」になったのです。》

経済財政諮問会議骨太方針2004
 
バイパス (とやま保険医新聞コラム) 2004.8.25 第269号

 「ならず者」とは、教えても諭してもまっとうにならない無法者、ごろつき、やくざのたぐい、とされている。
 「ならず者国家」とは、アメリカ流の定義に従えば、大量破壊兵器を保有するかまたはその意図と能力をもつ、国際的な取り決めに従わない、国内に民主主義がなく人権が抑圧されている、などの条件を備えた国である。加えて、アメリカに公然と楯突く国には「悪の枢軸」の称号が与えられる。
 わが日本国は「ならず者国家」とは無縁の善良な国である‥‥と信じられているらしい。
 国民から集めた社会保険料は、さまざまな形で運用される。たとえば、雇用保険料から4千5百億円を投じてつくられた勤労福祉施設が67億円で売却され、その間に有為の人材が天下りし、「福利厚生の大切さ」を身をもって知らしめた。保険料は上納金と言い換えたほうがよさそうだ。
 国の事業を実施するための研究開発や出版物の刊行に際して、「監修料」なるものが常態化していることが明らかになった。ひらがなで書けば「みかじめ」料であろう。
 この国は、「ちんぴら国家」というべきなのかもしれない。


核兵器廃絶をめざす 富山医師・医学者の会会報  2004年8月31日

 2001年4月、小泉政権が発足して以来、この国はいったいどうなってしまったのだろう、と驚かされる場面にたびたび遭遇する。
 占領を復興と言い換え、派兵を派遣、対米追随を国際協力と言い換える。人生イロイロとうそぶくが、差をもって尊しとなす競争原理のもとでは、ほんの一握りの勝ち組と大多数の負け組みに区分される。イロイロなどと笑っている余裕はない。
 小泉首相や竹中金融・経財相の言動からは、アメリカにしがみついて、なんとか勝ち組の一員としておこぼれに預かろうとする、さもしい姿しかみえない。
 戦争から平和へ、競争から協調へ。それが第二次世界大戦後の世界が求めたものだ。格差や差別が紛争を引き起こす。その反省の上にたって、戦争を予防するという意志をこめて、世界人権宣言を発し、社会保障の充実を世界に呼びかけた。日本国憲法はその内容を先取りしている。人類の知恵の到達点を示すものなのだ。その精神に沿って行動することが日本の「名誉ある地位」だと憲法前文で謳っている。
 金の亡者に突き動かされ、あらゆる手段で勝者になろうとするアメリカの方向に、待ったをかけるのが、日本の役目ではないだろうか。
 憲法九条は変えるが二十五条は変えないという、ナベツネ率いる読売新聞社の「憲法改正案」は、歴史の意味を理解していない。
 パウエル米国務長官、アーミテージ副長官が日本国憲法第九条に苦言を呈している。もっとアメリカの役に立つ国になれという。日本を合衆国の州程度にしか見ていない。
 もし「愛国心」なるものがあるのなら、靖国神社にお参りするまえに、アメリカ政府に抗議のひとつもしたらどうだ。それすらできないなら明白な憲法九十九条違反政府である。
    第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

バイパス (とやま保険医新聞コラム) 2004.9.25 第270号


 7月末、厚労省社会保障審議会介護保険部会が報告書「介護保険制度見直しに関する意見」を提出した。被保険者の年齢引き下げ、障害者福祉との統合は両論併記となった。
 委員名簿を眺めてみた。シモケンこと下村健元社会保険庁長官は途中で交代している。
 21人の委員には、経済団体、労働団体、学者のほか、医師会、看護協会、介護保険事業者、自治体や「呆け老人を抱える家族の会」の代表なども名を連ねている。
 ひとりの学者の名前に目がとまった。
 「介護保険証さえもっていれば、必要な介護サービスをどこででも受けることができる、もう老後は安心です、貯蓄も気にしなくていい、老後が待ち遠しくなります」‥こんな内容の著書を出した御仁が、恥ずかしげもなく委員に居座っている。
 ともあれ、介護給付の制限、自己負担増、監督強化など財政最優先の方向でまとめあげた官僚の手腕は見事だ。
 今後は「社会保障の在り方に関する懇談会」(在り方懇)なるものが政策を主導することになるという。国会より審議会、審議会より懇談会。側近政治に走るこの国は、偉大なる将軍様を戴くどこかの国に似てきた。

    京極高宣『介護革命』ベネッセ ISBN4-8288-1786-7。
    同書のなかで、学者の言うことを信じなさい、とも書いている。見通しの甘さ、想像力の欠如には目を覆いたくなる。が、根は善意の人である(多分)。企業利益に沿った主張しかしない経済界の代表よりは、よほどマシではある。学者であることを誇るなら、厚労省の提出した統計資料などを批判的にチェックするのも務めであろう。

    下村 健(健康保険組合連合副会長=当時)
    元社会保険庁長官、下村健容疑者は、日本歯科医師会会長の臼田貞夫容疑者らからわいろを受け取ったとして04年4月14日、逮捕された。審議会議事録を見ると、シモケンこと下村健委員は、多くの発言をし、議論を引っ張っていく存在であったことが窺われる。

    介護保険部会委員名簿
      市川明壽 日本在宅介護協会専務理事
    ○ 上田敏  日本障害者リハビリテーション協会顧問
      漆原彰  全国老人保健施設協会会長・日本療養病床協会副会長
      大村敦志 東京大学法学部教授
      小川泰子 NPO法人湘南ふくしネットワークオンブズマン理事
    ◎ 貝塚啓明 中央大学研究開発機構教授
      喜多洋三 全国市長会介護対策特別委員会委員長大阪府守口市長
      木村隆次 全国介護支援専門員連絡協議会会長
      京極高宣 日本社会事業大学学長
      見坊和雄 全国老人クラブ連合会副会長
      潮谷義子 熊本県知事
      田近栄治 一橋大学大学院教授・経済学研究科長
      対馬忠明 健康保険組合連合会専務理事
      永島光枝 呆け老人を抱える家族の会理事
      中田清  全国老人福祉施設協議会副会長
      野中博  日本医師会常任理事
      秦洋一  日本医学ジャーナリスト協会副会長
      花井圭子 日本労働組合総連合会総合政策局生活福祉局次長
      矢野弘典 日本経済団体連合会専務理事
      山崎摩耶 日本看護協会常任理事
      山本文男 全国町村会会長福岡県添田町長
      ◎部会長○部会長代理

    「在り方懇」最重要視 社会保障改革論議で政府
     懇談会の位置付けについて、主催者の細田博之官房長官が「社会保障の議論の中心がここにあるのは間違いない」と述べ、坂口力厚生労働相も「経済財政諮問会議は社会保障だけを具体的に論議するゆとりはない。この場を中心に議論を深めてほしい」と要請し、政府として、今後の社会保障制度改革論議は同懇談会を最重要視する考えを表明した。
    040911共同通信

    社会保障の在り方に関する懇談会 名簿
    石  弘光 (税制調査会会長) 一橋大学学長
    笹森 清  (日本労働組合総連合会会長)
    潮谷 義子 (熊本県知事)
    杉田 亮毅 (日本新聞協会理事) 日本経済新聞社 社長
    西室 泰三 (日本経済団体連合会副会長)東芝会長
    宮島 洋  (社会保障審議会年金部会長)東大教授 財政政策租税政策
    [政府側]  
    内閣官房長官
    内閣府特命担当大臣(経済財政政策)
    総務大臣
    財務大臣
    厚生労働大臣
    経済産業大臣


バイパス (とやま保険医新聞コラム) 2004.11.15 第271号


 魚を釣るとき「撒き餌」という方法がある。寄せ餌ともいい、魚を集めるのが目的である。柄杓で撒くほか、釣り糸の途中にカゴのような道具をつけることもある。
 30年ほど前、日本歯科医師会は「脱保険」路線を突き進んでいた。保険診療は「撒き餌」のようなもので、それ自体は採算が合わなくとも、保険外診療で帳尻を合わせるのが経営のポイントであった。「1ジャリ、2ロウ、3セイホ」と言われ、自費診療のない小児、老人、生活保護の患者は嫌われた。
 なまじ保険診療を中心に据えて、保険請求が多くなると個別指導のターゲットにされた。保険請求はほどほどに、あとは保険外で。それが保険医のマナーとされた。
 「混合診療解禁により治療の選択肢が増え、医療技術の発展にもつながる」と経済財政諮問会議は主張する。その真のねらいは、保険外分野を「新しい市場」として営利企業に開放することにある。
 脱保険路線は社会的批判を浴びて破綻し、歯科診療報酬は、その後ずっと低く抑えられたまま現在に至っている。
 「混合診療」により、保険診療だけでは医療が成り立たなくなる。それでいいのか、が問われている。

    規制改革・民間開放推進会議(規制改革推進会議)の事務局職員27人のうち14人は、オリックス、セコム、第一生命、東京海上火災など、規制改革と利害関係にある民間企業からの出向者で占められている。(11/11 参院厚生労働委員会での小池晃議員の質問から)


 
「混合診療」考


 「混合診療」がかまびすしい。
 11月28日開催された保団連北信越ブロック会議の主たるテーマは「混合診療」であった。
 「総合規制改革会議」の後を受けて平成16年4月、規制改革・民間開放推進会議が発足し、8月の「中間とりまとめ」で今年度中の「混合診療全面解禁」を提言した。いつもながら小泉首相は諮問結果を金科玉条のように振りかざして「解禁」を叫んでいる。

 ある学会は反対、ある学会は賛成、大学病院の一部が賛成などなど、議論が噴出しているが、それぞれが「混合診療」として描いている対象に違いがあまりに大きすぎて、議論がかみ合わない。ある場合には高度先進医療の「特定療養費」枠の拡大を、ある場合には単なる保険運用上の規制緩和を想定している。
 対象となる医療について個々に検討していく作業も必要だろうが、相当に膨大な仕事量になるだろうことが予想される。現行の政策的にゆがめられた保険診療体系を全面的に再検討することに等しい。それはそれでやるべき仕事だろう、とは思う。だが、そんな悠長なことを言ってはおれない。なにしろ「改革」は、説明も同意も抜きで突っ走る。

 「混合」を話題にすると、議論が「混乱」する。用語の定義をはっきりさせろ、と言うが、それさえ容易ではない。いっそ「混合診療」という言葉を使わずに議論できないか、と考えてみた。

 次の二つをモノサシにして、合わないものは「混合」だろうが「化合」だろうが受け入れない、という原則を確認したい。すなわち

 @公的医療(保険診療)を縮小しない。
 A患者負担を増やさない。


 なお、「公的医療を縮小しない」と言うとき、「給付範囲」はもちろんだが、「質」(安全性、有効性)の確保と、それを保障する「コスト」に見合った給付にしないと絵に描いたモチになる。
    (李啓充氏は "Cost,Access,Quality -- Pick Any Two." というオレゴン州保険局に掲げられている言葉を紹介している。医療は、この3つを目指すけれども、すべてを満たすことは難しい。)
 諮問会議に集う市場主義者は、これと正反対の方向を目指している。すなわち、全体として医療費が増大するのは当然だが、公的医療を縮小し、患者負担を増やし、その結果増大する自費診療部分を民間開放して新しい市場をつくりだす‥。
 医療への市場原理導入はアメリカで欠陥が実証済みのはずだ。企業の欲得で「改革」を掲げるのは、もういいかげんにしてほしい。
2004.12.02


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イワウチワ
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