ひとりごと2001  

北日本新聞朝刊「医師からのメール」 2001

  1月から月曜日朝刊に新しく「富山発・医師からのメール」欄が設けられました。 そこに掲載した文章を収録します。 なお、来年は再び夕刊の「ドクターのひとりごと」欄の執筆陣に戻る予定です。 便宜上HPでは従来どおり「ひとりごと」のページに分類してあります。
 版権は北日本新聞社が所有しております。引用などの際には、掲載日付と出処「北日本新聞」を明記してください。

カルテの余白」からはじまって、10年続けたコラムが2001年末で中止になった。共同通信発社説についてのやりとりがあって以来、降板の覚悟はしていたが、このシリーズそのものをなくするという。他の執筆者の方たちを道連れにしてしまったみたいで、申し訳ない。


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2000年 2001/01/29 定率と定額 2001/03/05 乳幼児医療費助成制度
2001/04/15 資格証明書 2001.05.21 医療保険改革 2001.06.25 モノサシ
2001.07.30 「痛み」 2001.09.03 混合診療 2001.10.08 和と差
2001.11.15 早期治療


2001/01/29 定率と定額

 この1月から70歳以上の方の医療機関での窓口負担が変更になりました。20床以上の病院の場合には1割負担、それ以外は、1割定率負担にするか1回800円の定額負担にするかは医療機関が選択して県に届け出ることになっています。
 法案が国会を通って実施されるまでの期間が1ヶ月、書類が送られてきて届け出るまでの期間が10日ほどしかありませんでした。ゆっくり考える余裕がなくて、どうしたらいいんだ、とちょっとした混乱を引き起こしました。
 大急ぎで実際の患者さんの資料をもとに試算してみると、定率のほうが定額よりも窓口負担が少なくなることがやや多いようです。しかし、定額に慣れている患者さんが多く、そのつど支払金額が変わる定率制は窓口での混乱を招くことが心配です。定率・定額のどちらを選択しても医療機関の収入は変わらないのですが、どちらにしても患者さんの負担は増えます。医療機関や薬局の事務負担も増えます。
 結局、多くの医療機関は定額を選択しました。
 さきほども言いましたように、いずれにしても患者さんの負担は増えます。「負担が減る場合もある」と例をあげて解説したマスコミもありますが、あくまで例外と考えたほうがいいでしょう。負担を増やして受診を減らし、医療費を減らそうという政策の一環です。
 「老人の医療費は若い人の5倍」と言われます。老人が若い人より5倍も多く検査や投薬を受けている、と誤解している方がいますが、通院1回あたり、入院1日あたりの医療費の差はほとんどありません。老人のほうが病気になりやすく長引きやすいのです。老人の健康増進と適切な老人専門医療を受けられるような体制をつくることが先決です。窓口負担を増やして医療を受けにくくするのは邪道ではないでしょうか。


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2001/03/05 乳幼児医療費助成制度

 ワーよかった。助かります。……若いお母さんの喜びの声です。
 来年度中に未就学児の医療費が全県下で入院・外来とも負担がなくなります。昨年、県下すべての町村部で未就学児の医療費負担がなくなりました。こんどは市部も追いかけて助成対象を拡大します。射水郡など一部を除く町村では、いったん窓口支払をして役場で払い戻しを受ける「償還払い」。市部はすべて窓口無料の「現物給付」になるようです。ただし、居住する市町村外の医療機関に受診した場合には原則として「償還払い」になります。
 このように拡大されたとはいうものの「現物」と「償還」の格差がありますし、広域化の面で課題が残っています。
 この制度は県と市町村の合作です。
 県が未就学児の入院医療費と3歳児までの外来医療費を助成し、市町村がそれに上乗せして対象を広げています。全国を見渡すと、富山県は中の上といったところでしょうか。唯一秋田県が県として未就学児までの入院・外来医療費を助成しています。変わったところでは山口県が歯科医療費に限って未就学児まで助成しています。義務教育期間まで拡大している市町村もあります。(註1・2)
 この助成制度には国からの補助はありません。それどころか「ペナルティ」を課しています。厚生労働省によれば、乳幼児医療費助成に対する「国保療養費国庫負担金」の減額が全国で100億円(平成11年度)にのぼります。(註3)
 昨年5月、参議院「国民生活・経済に関する調査会」が、少子化対策として「国による乳幼児医療費の負担軽減」を提言しました。すこしさかのぼって、97年6月の国会付帯決議で、就学前児童の医療費負担を「少子化対策の観点および地方公共団体における単独事業の実情も踏まえ、その軽減を検討すること」としています。
 国は、国会の提言・決議や地方の実績に背を向けています。どうにかならないものでしょうか。

    註1:富山県単独の制度としては全国の中の上クラス。市町村の制度を加えると、所得制限や一部負担金がないなど、トップクラスとなる。県下全域で、横並びでこれだけの助成を行っているところはないと思われる。

    註2:岐阜県笠松町、柳津町では義務教育期間の医療費を全額窓口無料にしている。わざわざ転入する若いカップルもあり、出生率が大きく上昇しているという。

    註3:その後の報道で100億円は「窓口無料化している市町村への調整対象額」と知った。該当部分の調整額(減額)は6億円強。老人・ひとり親などでは一部助成や償還でも減額調整されているが、乳幼児については「窓口無料」の場合だけ減額している。


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 2001.04.15 資格証明書

 「資格証明書」と書かれた書類を手にしたら、どう思いますか。資格があるのだから、なんら問題はない、心配無用と思うのがふつうではないでしょうか。ところが問題おおありなのです。
 国民健康保険の保険料を長期滞納して、督促にも応じなかったときは保険証によく似た「資格証明書」が発行されます。病院や診療所の窓口にこれを出すと、普通は3割自己負担のところ10割自己負担になります。保険証がないのと同じじゃないかと思われるかもしれませんが、後に保険料を納めたら7割相当額を役所で支払います、というところが違います。これが資格を証明することの意味らしいのですが、たいへ分かりにくい話です。
 保険料の請求書や督促状が届いていたけど、何の書類かよく理解できずにしまいこんでいた。そのうちに「資格証明書」が発行され、それを保険証だと思っていた……高齢者の世帯で、実際にあった話です。
 じゅうらいは市町村の裁量に任せられていた「資格証明書」の発行が、国民健康保険法の改定によって、市町村の義務になりました。滞納の程度によって、有効期間の短い「短期保険証」が発行されることもあります。県内の市町村では、法の定めるとおり厳格に実施することをためらっているようですが、この先発行が増えることは間違いありません。医療機関の窓口での混乱も心配されます。
 保険料を滞納するのはよくないことですが、国民健康保険制度にもさまざまな問題があります。医療費の自己負担割合や出産などの給付が他の医療保険より劣ります。病気での休業に対する保障はありません。さらに保険料の市町村格差が大きいこと、低所得者や独身世帯に負担が重いこと、などなど。
 日本は国民皆保険の国です。国民健康保険はその基礎部分にあたります。脱落者がでない制度であってほしいものです。

    資格証明書の交付を都道府県でみると、最も多い福岡県で26693、少ない埼玉県・青森県でゼロ。(2000年6月、厚生省) これが交付の義務付けにより激増することが予想される。

    県内市町村でも交付状況に格差が大きい。昨年度の短期保険証の交付は、魚津市ではゼロ、小矢部市では100件を大きく超えている。

    資格証明書、短期保険証とも、赤枠で囲まれたデザインが普通。大阪市では2001年1月末で2万4千件余の短期保険証を交付しているが、赤枠を撤廃する方針。

    資格証明書による保険診療は、窓口で10割徴収し、医療機関は「療養の届書」を国保連合会に提出する。様式はレセプトに準じる。上部に「特別療養費」と朱書する。

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2001.05.21 医療保険改革

 「改革」を掲げて小泉内閣がスタートしました。
 カイカク…いい言葉です。医療保険改革も対象のひとつですが、そのじつは「高齢者医療制度」の改革です。高齢者が増えると医療費が増える。それに逆らって医療費を減らそうという難題です。
 国の審議会をはじめとして経団連、日経連、経済同友会や日本医師会が改革案を示し、百家争鳴の状態でしたが、独立した新しい保険制度をつくる方向にまとまりつつあります。いずれにせよ、対象年齢を70歳から75歳に引き上げ、窓口負担をふやし、高齢者からも保険料を徴収することになりそうです。財源確保を理由に消費税も引き上げられるかもしれません。
 医療保険制度が論じられるとき、いつも不思議に思うことがあります。医療を担当する側以上に、保険料の一部を負担する企業側の発言が大きく前面に出てきます。肝心の、保険料を納め医療を受ける患者からの発言がほとんどないのはどうしてでしょうか。
 とりわけ、高齢者医療制度の問題については、国じゅうの高齢者が申し合わせて口を閉ざしているのではないかと思うほどです。
 高齢者の医療費が増えて保険制度がパンクする。少子高齢化で日本の将来は真っ暗、高齢者が社会保障の恩恵を受けるのは世代間不公平、などなど、あたかも高齢者が社会の害悪であるかのように言う風潮があります。そんな空気を察知して息をひそめているのでしょうか。
 「首切り」が「リストラ」と言い換えられたら、事の重大さがぼやけて、人間が軽く扱われるようになってしまいました。いま、社会福祉・社会保障を「セーフティネット」と言い換えるのが流行りです。それは、国民の権利・国家の義務(憲法第25条)からみちびかれるものではなく、経済の効率を高めるために考え出された安全装置です。
 ひびきのいい言葉に惑わされてはいけません。


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2001.06.25 モノサシ

 何かを比較するには共通のモノサシが必要です。
 公共事業の改革で、あたらしいモノサシを使う、と財務相の「塩爺」さんが言っています。国内総生産(GDP)がそれです。公共事業の対GDP比を10年かけて他の先進国並にするとのことです。
 国際比較に用いられる公共事業費の指標は「一般政府総固定資本形成」といいます。形のあるものが後に残る公共投資であって、土地の取得や補償費用を除いた純粋な建設費用を指します。また、中央政府や地方自治体の事業に限定されます。日本は土地の価格が高いので、実際にかかった費用よりずっと少なくなります。
 日本の公共投資の対GDP比は先進国平均の3倍もあり、異常な突出ぶりです。「米国の半分の人口、25分の1の国土の日本が米国と同じ量のセメントを消費している。日本の破局への道は公共事業によって舗装されている」(ニューヨークタイムズ)と酷評され、OECDからも批判されています。
 いっぽう、社会保障の分野では「国民経済の伸び」という枠をはめようとしています。つまりGDPの伸び率以下に抑える─言い換えると、このさき社会保障の対GDP比率をいま以下に抑えるということです。
 社会保障を国際比較するときは、ILOが定義した「社会保障給付費」という指標が使われます。年金、医療、福祉その他の3項目に分けて集計されます。対GDP比を見ると、どの部門をとっても日本はずば抜けて低いレベルにあり、全体として先進国平均の2分の1です。
 それを先進国レベルに引き上げるのではなく、すくなくとも現状維持にとどめる、できれば引き下げたいというのが政府の考え方です。無駄を排除しつつ、先進国レベルに引き上げていくのが本筋だと思いますが……。
 同じモノサシを使っても、まっすぐにあてないと、ずいぶんと違った結果がでるものです。


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2001.07.30 「痛み」

 参議院選挙が終わり、「聖域なき構造改革」がいよいよ本格化しそうです。改革には痛みが伴う、と耳にタコができるほど聞かされました。
 日ごろ「痛み」を訴える患者さんと向き合っています。ところが、この「痛み」なるもの、一筋縄ではいきません。
 「ヒトの感じるもっとも原始的で、しかも苦しみに満ちた感覚」(歯科医学大辞典)と定義されていますが、体温や血圧のように測ることができません。患者さんの訴えを聞き、見たり触ったりして反応を確かめる、という原始的な方法でしか診断できません。痛みへの感受性には個人差が大きく、そればかりか関連痛や心因性疼痛といって、原因がないところに幻のような痛みを感じることもあります。
 自発痛、持続痛、圧痛、咬合痛、冷水痛、鈍痛、電撃痛、打診痛……などなど、さまざまな用語が使われます。しかし、ほんとうの痛みの度合いは本人にしかわかりません。
 「構造改革の痛み」もまた人によって受け取り方が違うようです。構造改革にともなう倒産と失業について、民間の調査と政府の調査とでは、ずいぶん開きがあります。調査の誤差ばかりではなく、「痛み」のとらえかたに大きな差があります。
 民間の調査機関は、大手銀行の不良債権処理によって58万人〜130万人の「失職者」が出ると予測しています。政府の予想では、54万人の失職者が出るが、うち24万人は転職し、13万人は就労をあきらめ、残りの17万人だけが「失業者」だとしています。「失業者」以外の37万人は痛みを感じないかのような扱いです。
 医療改革では、老人の医療費に上限を設けることが検討されています。医者と老人が痛みを分け合えば済む話だ、と簡単そうに解説したマスコミもあります。ごく軽い痛みだと見られているようです。
 痛みは生命を守るための防御反応の仕組みです。痛いときは、はっきり「痛い」と言わなければなりません。


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2001.09.03 混合診療

 ○○審議会、○○委員会、○○会議…さまざまな諮問機関が、国の行政機構に設置されています。法令にもとづくものだけでも200を超え、法令にもとづかない「私的諮問機関」をあわせると500を超えると言われています。
 調査や検討を諮問し、それにたいして審議して報告します。決定ではなく助言なのですが、しばしば国会の議決以上の重みをもって扱われます。
 マスコミによく登場する「総合規制改革会議」もそのひとつです。
 内閣府設置法という法律を根拠に、総合規制改革会議令という政令にもとづいて設置されました。内閣府の長、すなわち総理大臣の諮問機関です。かつて行政改革推進本部の規制緩和委員会として発足し、のちに規制改革委員会と改称された組織がもとになっています。
 15人の定員のうち、3分の2は財界経済界の大物が名を連ねています。ナンバーツーが病院経営に並々ならぬ関心をもつ企業の代表です。この「会議」が医療に対して、「混合診療の拡大」、「株式会社の医療経営」などの重大な提案をしています。(註)
 「混合診療」は、公的医療(保険診療)と私費診療の混合、という意味です。
 私費診療を自由化しよう。国際的にみて低い日本の医療費が増えていくことはやむをえないが、それは保険外でまかなおう。公的医療は必要最小限のものに絞っていこう。民間保険会社にもおおいに参入してもらおう……。
 要は公的医療の抑制、私費診療の拡大です。
 歯科医療には苦い歴史があります。入れ歯などの歯の治療では、保険の自己負担のほかに差額を支払うのがあたりまえの時代がありました。世論の厳しい批判を浴びて、保険と私費をはっきり区分するようになりました。いま時代はこれとは逆方向に進んでいます。
 やがて、病気になったら、従来の保険証のほかに保険会社の保険証やキャッシュカードを持って病院へ行くような時代になるかもしれません。


    (註)  総合規制改革会議委員名簿

    議  長 宮 内 義 彦  オリックス株式会社代表取締役会長
                    兼グループCEO
    議長代理 飯 田   亮  セコム株式会社取締役最高顧問

      生 田 正 治  株式会社商船三井代表取締役会長兼会長執行役員
      奥 谷 禮 子  株式会社ザ・アール代表取締役社長
      神 田 秀 樹  東京大学大学院法学政治学研究科教授
      河 野 栄 子  株式会社リクルート代表取締役社長
      佐々木 かをり  株式会社イー・ウーマン代表取締役社長
      鈴 木 良 男  株式会社旭リサーチセンター代表取締役社長
      清 家   篤  慶應義塾大学商学部教授
      高 原 慶一朗  ユニ・チャーム株式会社代表取締役社長
      八 田 達 夫  東京大学空間情報科学研究センター教授
      村 山 利 栄  ゴールドマン・サックス証券会社東京支店 ヴァイス・プレジデント
      森     稔  森ビル株式会社代表取締役社長
      八 代 尚 宏  社団法人日本経済研究センター理事長
      米 澤 明 憲  東京大学大学院情報学環教授


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2001.10.08 和と差

 ある新聞記事の中に「差をもって貴しとなす」という言葉(*1)がありました。市場競争賛美の風潮を風刺したものです。言うまでもなく、聖徳太子の十七条憲法、第一条「和をもって貴しとなす」をもじっています。
 足し算より引き算のほうが高度な計算かもしれませんが、それで「貴い」ことにはなりません。優勝劣敗、格差を認め、人々を競争に駆り立てるほうが、生産性があがり、豊かな社会をつくり出す、という意味です。
 これとは逆に、社会保障は、格差を少なくし社会を安定させようと努めます。社会保障によって、日本国民の所得格差が約16%改善された(*2.3.4)、と平成11年の厚生白書は述べています。
 大富豪と貧民が同居する不平等社会では犯罪や紛争が絶えません。南北格差など、国や地域間での格差を地球規模で是正するために「社会保障のグローバル化」(*5)を提唱する人たちもいます。
 ちかごろ「セーフティネット」と称して、競争社会の綱渡りから落っこちた人を助けることが強調され、それが社会保障だと誤解を与えています。「落っこちた」ときに助けるだけでなく、「落っこちないようにする」ことが、社会保障の肝心なところです。
 病気になったとき治療するだけでなく、病気にならないようにする保健活動や、早期発見早期治療を重視するのが社会保障の考え方です。いっぽう「セーフティネット」は、救済の対象を必要最小限にし、軽症の病気や健康保持は自己責任にする、という考え方です。
 西欧に比べて1段も2段も水準が低い日本の社会保障を、さらに縮小することが当然視され、「痛みをどのように分配するか」ばかりが議論されています。競争と効率を重視し格差を拡大するのか、格差を縮小し安心・安定を重視するのか、いいかえれば「和」か「差」か、という基本のところで分かれ道に立っています。
 さて、どちらの道を選びますか?

    (*1)日経新聞の経済解説記事。日付は失念。
    (*2)当初所得のジニ係数(格差の度合を示す)と再分配所得のジニ係数の比較により18.3%の格差の改善があり、社会保障による改善は15.7%だとしている。
    (*3)再分配所得は、当初所得から税金や社会保険料を差し引き、さらに社会保障給付を受けた分を金額に換算して所得に加える。たとえば、病気で入院すると、1ヶ月数十万円から重症なら数百万円の所得があったことになる。
    (*4)ジニ係数を使った国際比較では、「当初所得」「再分配所得」のいずれも、日本の格差は世界のトップレベル。西欧諸国を抜き、アメリカと肩を並べるところまできている。橘木俊詔『日本の経済格差』岩波新書より。
    (*5)広井良典『定常型社会』岩波新書



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2001.11.19 早期治療

 夕方、受付時間が終わろうとしているころに、痛みで顔をしかめた勤め人風の患者さんがやってくる─こんな光景に接することが、最近多いような気がします。統計をとったわけではないのですが、同業者に聞いてみると、多くの人が同感だといいます。
 虫歯の進み具合をC1、C2、C3、C4と表します。数字が大きくなるにしたがって重症になり、いちばん痛みのひどいのがC3です。歯の中に通っている神経や血管が炎症を起こし、歯髄炎(しずいえん)になって痛んでいるのです。さらに進むと根の先が化膿して腫れてくることもあります。歯の治療は総じて細かい仕事です。なかでもこの段階の治療は細かい。俗に「歯の神経の治療」といいます。歯科医にとっても「神経を使う治療」なのです。
 C1やC2程度なら、1回か2回の治療で終わりますが、C3となると治療の回数も多くなります。「神経の治療」が終わってから被せる治療をしますので、少なくとも4〜5回はかかります。
 97年に、会社勤めの人(健康保険本人)の窓口負担が1割から2割に引き上げられました。それ以降、これらの人たちが病気になったときに医療機関に行く頻度(受診率)が低下し、こんにちに至っています。早い段階で治療する人が減って、がまんできなくなってから受診する人が増えたのだと思います。
 予防と早期発見・早期治療を重視するのが、健康管理の定石です。国によっては、定期検診を受けなかった人には、病気になったとき自己負担を増やすという罰則を設けています。日本の健康保険制度は「治療」だけを対象にしています。そのため、予防や早期治療に無関心な人ほど保険の恩恵を受けるという不合理が生じます。
 いま「医療改革」が叫ばれています。そこで問題にされているのは、もっぱら目先の財政のことだけ。国民の健康、という視点がまったくありません。


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