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 「カルテの余白」北日本新聞 1992〜1993

 北日本新聞日曜版「カルテの余白」欄に掲載した文章を収録しました。版権は北日本新聞社が所有しております。引用などの際には、掲載日付と出処「北日本新聞」を明記してください。

〈 「カルテの余白」 目次へ戻る 〉


1992.08.23 夏休み
1992.09.27 かなりや
1992.11.01 合わせ鏡
1992.12.06 入れ歯の悩み
1993.01.17 日本の北欧
1993.02.21 分身
1993.03.28 迷子
1993.05.02 桜吹雪
1993.06.06 ムシ歯予防デー
1993.07.11 保険と自費
1993.08.15 平和の医療
1993.09.19 入れ歯が合わない。
1993.10.24 鯨波
1993.11.28 千歳飴

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1992.08.23 夏休み

 まるで小学生みたいなもので、夏休みになるとホッとする。例年、ゴールデンウイークが明ける頃から、学校検診の治療カードを持ってくる子供たちで夕方の診療が忙しくなり、それが夏休みまで続く。一日の診療が終ると、茶の間の壁にもたれて三0分程は口もきかず焦点の定まらない目でぼんやり。家人にも見られたくない姿だ。夏休みになると、ラストスパートの部が少し楽になる。
 ある日の診療室での会話。
「ウバを治してほしいんですけど、ウバってなんですか」
「え? ウバ・・乳母車のウバかな?」
「これですけど・・・」 
差し出された治療カードには「う歯」と書かれている。
「これはウシ、むし歯だよ」
「なーんだ」
奇病でなくておたがいに一安心。
 文部省の定める「学術用語」では、むし歯は「齲歯」。齲は当用漢字にはないので、
「う歯」と書くのがたぶん正しい用法なのだろう。
 むし歯は学校検診で最も多く見られる疾病である。WHOの「二000年に向けての歯科保健目標」によると、一二歳児童のむし歯(処置歯含む)を一人あたり三本以下にしよう、となっているが、日本の現状はおよそ五本。まだまだ目標には遠く及ばない。
 「要注意乳歯」とカードに書かれていることがある。どう注意したらいいのか歯科医自身が戸惑う。そろそろ生えかわる歯ですよ、との意味で、自然に抜けてしまえばラッキー。しかし、永久歯が真っ直ぐ生えてくる子が少なくなっていて、抜歯が必要になることが多い。
 まるで悪いことしたみたいな「不正咬合」。どうも先人のネーミングのセンスには首をかしげたくなる。
「夏休み中に治るでしょうか」
「とんでもない。最低二〜三年、歯並びの治療は年単位ですよ」
夏休み中はこんなやりとりが多くなる。
 さて、これらの検診と治療勧告は、学校保健法および関連法令にもとづいて実施される。勧告とはいうものの、かなりの強制力をもっている。いっぽう、保険は三割自己負担。歯並びの治療にいたっては保険給付外。これでは片手落ちのような気がするのですが、いかがでしょうか。


小熊清史(おぐま・きよし)
昭和二三年富山県魚津市生まれ
昭和四七年東京医科歯科大学歯学部卒業
甲府共立病院勤務を経て
昭和五一年魚津市にて開業
富山県保険医協会理事

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1992.09.27 かなりや

 金糸雀、これで「かなりや」と読む。その鳴き声を金の糸にたとえたものだろうか。
「唄を忘れたかなりやは」から始まる童謡(西条八十作詞)は、「象牙の船に銀の櫂(かい)月夜の海に浮かべれば忘れた唄をおもいだす」と結ばれる。
 人間は咬み方を忘れることがある。咬み合う歯がないのに長く放置していた場合、流動食を摂っていて咬まない期間が続いた場合、合わなくなった入れ歯を無理に使っていた場合などによくあることだ。お年寄りが一週間ほど寝込んだら歩けなくなってしまったという話は珍しくない。咬み方を忘れてしまうのにも、意外と時間はかからないのかもしれない。
 長く病気で寝ていた患者さんが入れ歯をなくしたので新たにつくることになった。型をとったあと咬み合わせをを復元するための作業が必要になる。これは「咬合採得(こうごうさいとく)」といって入れ歯の出来を左右する大事なステップだ。
「はい、ゆっくり咬んでください。そうそう、そんな感じですよ。では、もう一回。はい、咬んで。」
あれ?さっきと違う。
「じゃ、こんどはカチカチとやってみてください。カチカチカチ・・」
またまた違う。どうも決まらない。これは「かなりや」さんだな、弱ったな。
「ちょっと待っててくださいね。」
焦ると余計にうまくいかない。知らん顔して、要りもしない器具を探してみたり、どうでもいいところを磨いたり、間をもたせてから再度挑戦だ。
「すみませんね。もう一回やってみましょう。」
このように苦労して作っても誤差は避けられない。あとは根気よく調整を繰り返す。誤差が大きければ最初からやり直すこともある。
 ところで、保険の総入れ歯は上下で約5万円。ある試算によれば、これは適正な価格のほぼ半分だという。割りに合うはずがない。一番のしわ寄せをうけているのが歯科技工士という職種だ。いま、彼らの間に転業・廃業が増えている。入れ歯を断る技工所もある。国内では入れ歯は作れなくなって、外国へ下請けに出すようになるかもしれない、という冗談のような話も聞く。ある発展途上国で作られた入れ歯を見たことがあるけれど・・・コメントは差し控えさせて頂きましょう。
 こんな状況をみかねてか、名古屋・静岡・高知などの地方議会が「保険でよい入れ歯を」との意見書を採択している。


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1992.11.01 合わせ鏡

 患者さんに手鏡を持たせる。こちらはデンタルミラー(柄の先に十円玉くらいの鏡がついたもの)を持って、合わせ鏡の要領で口の中を見せて説明する。二人三脚ならぬ二人合わせ鏡だ。照明がうまくあたっていないと見えないし、ちょっと角度がずれると見せたいところから外れてしまう。テレビカメラを使って口の中はもちろん虫歯の穴の中まで見せる装置もあるが、おいそれと購入できる価格ではなく、カタログは溜息といっしょに抽出にしまってある。
 「えー。そこもですかぁ」
 素っ頓狂な声をあげたのは五十歳をすぎたばかりの男性だ。がっちりしたからだつき、日焼けした顔。いかにもやり手のビジネスマンという風貌である。
 「はい。でも、まだあるんですよ」
 がっかりしてるところへ追い打ちをかけるようで悪いけれども、大小あわせて四・五本の虫歯をひととおり合わせ鏡で説明する。
 「こんなに虫歯があったんですか」
 先ほどとはうってかわって、こんどは消え入りそうな声だ。けっして虫歯の多い人ではない。過去に治療した歯も何本かあるが、全体的に見ると丈夫な歯だと言っていい。本人もそれを自慢に思っていたことであろう。
 虫歯の罹患率には男女差があり、女性のほうが高い。女性の虫歯は二十代から四十代にかけて急増するが、その間、男性の虫歯はあまり増えない。男性の場合は、生涯のなかでもっとも歯が安定している時期と言ってもいいだろう。子育ての時期に男女差が大きくなるのは面白い現象だ。男はすねをかじられ、女は歯をかじられるのだろうか。ところが、五十代になると男性の虫歯が急増し、男女差が徐々にせばまって、六十代にはほとんど差がなくなってしまう。
 老年期に近づいてからできる虫歯は若い人の虫歯とはちょっと違う。歯が長く見えてくることが多いが、その分だけ歯肉がさがり、歯の根の部分が露出してきたことを意味している。根の表面は抵抗力が弱く、虫歯になりやすい。しかも歯と歯の間にできることが多いために、見逃されがちである。そのうえ治療がむずかしい。先ほどのビジネスマン氏は、幸い早期に治療できたので、簡単な治療で済んだ。
 最近は職場で歯科検診をするところが増えてきた。しかし、歯科検診は法的に義務づけられていないので、定期的に検査を受けている人はまだまだ少ない。経済大国ニッポンを第一線で支えている年代の人たちに対して、これでは申し訳ないような気がする。


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1992.12.06 入れ歯の悩み

 先日、健康講座で話をするよう依頼を受けた。場所は郊外の公民館、同地区の中高年者が対象とのこと。人前でしゃべるのは苦手だけれども、市の保健婦さんの勢いに押されて、ふたつ返事で引き受けた。あとで送られてきたチラシには「あなたの歯は大丈夫? 〜年をとっても自分の歯で〜」とタイトルがはいっている。なかなかいいですね、さすが保健婦さん。
 せっかくの機会だから簡単なアンケート調査をさせて頂くことにした。アンケートに回答した人のうち約半数が取り外しのできる入れ歯を持っている。しかし、入れ歯を持っている人の四分の一が実際には使っていない。残念ながら、実態はだいたいこんなものかなと思う。しかも、使っていない人のほとんどが「新たに作りたいとは思っていない」と回答している。よほど懲りたのだろうか。あるいは日常生活に不自由しない程度に歯が残っているのかもしれない。
 このような使われていない入れ歯を「箪笥義歯(たんすぎし)」などと言う。つぎつぎと作ってはしまいこんで、ちょっとしたコレクションになっていることもある。身体の一部のような気がして捨てるに捨てられないのであろうか。私が開業したての頃、「市内の歯医者さんを全部回りました」という患者さんが入れ歯を持参して来院され、おどろいたことがある。私の作った入れ歯もコレクションのひとつに加えられたことであろう。
 入れ歯を使っている人のうち、「良くかめる」「まあまあ」と答えた人が約半分、残り半分はどこかに不都合なところがある。一番多いのは「入れ歯と歯ぐきの間に物がはいりやすい」という訴えであった。年月がたつと歯ぐきがやせていく。個人差がおおきくて、いちがいにはいえないが、五年もたつと合わなくなっていることが多いので、調子がよくても検査を受けたほうがいい。歯科医から見ると「とてもかめそうにない」と思えるような古い入れ歯を、舌や頬でおさえて上手に使っている人がいる。口の中で皿回しをしているようなものだ。逆に、よく合っているのに痛くて使えないことも往々にしてある。
 つくづく入れ歯は難しいと思う。入れ歯で悩んでいるのは患者さんだけではない、歯科医も悩んでいる。裏方で入れ歯をつくっている技工士も悩んでいる。百近くの地方議会が「保険でよい入れ歯を」という要望書を採択しているが、ではどうすればいいのか。悩みは深まる。


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1993.01.17 日本の北欧

 新年会で集まった友人たちに「岩手県から何を連想するか」と聞いてみた。原敬・石川啄木・宮沢賢治・金田一京助・千昌夫。けっこう有名人を輩出している。さらに、三陸海岸・平泉の中尊寺・南部の鉄器と名所が続く。「日本のチベット」などとも呼ばれるが、私にとっては「日本の北欧」だ。
実は北欧へも岩手県へも行ったことがない。なのに特別な感情を抱くのは「自分たちで生命を守った村」という映画のせいである。同じ表題の本が岩波新書にある。本棚を探してみた。大学生協のカバーがかかっている。変色しかけた表紙をめくってみると、一九六八年の初版本だ。映画を見たのも、その頃だったと思う。
 その村の名前は岩手県和賀郡沢内村。秋田県と境を接する山村である。全国平均の二倍だった乳児死亡率をゼロにし、全国に先駆けて乳児・老人の医療費を無料にした。「人間の生命と健康を守ることは政治の原点」これが村長の信念であった。ラストシーンで往診用の雪上車が雪煙をたてて走る。全編白黒の映画が、いっしゅんカラーになったような気がしたものだ。数年まえ上演された演劇「燃える雪」もこの村が舞台である。
 昨年十二月、沢内病院院長・増田進先生の講演を聞く機会があった。昭和五十年頃、病院に歯科が開設されたこと、それがいま存続の危機にあることを噂に聞いていたので、講演のあと増田先生に尋ねてみた。二人の歯科医師・四人の歯科衛生士・二人の歯科技工士が力をあわせて約四千五百人の村民の歯の健康管理に努めた結果、虫歯は激減した。一方、病院の歯科外来は赤字。村当局から閉鎖を求める声がでている。噂は本当だった。
「歯科は保健活動の成果があらわれやすい。うらやましいですよ。外科はなかなかそうはいきません」
増田院長の専門は外科である。とはいうものの、それだけの予防効果は並たいていの努力では得らえなかったことだろう。
「それにしても、成果をあげた結果が赤字のための閉鎖では、もとのもくあみです。ぜひ、存続のために御尽力をお願いします。私たちにとっても心のよりどころなのです。歯科をなくさないでください」
初対面にもかかわらず、非礼を顧みずに何度も念を押してしまった。
「もちろんです。村民の健康が第一です」
 力強い返事であった。沢内の雪は燃えている。


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1993.02.21 分身

 たいせつに使っているエンピツが一本ある。見かけは普通のエンピツだ。
 最近では「謄写版」さえ見かけることがすくなくなった。ましてや「こんにゃく版」なんて、見たことがない人もいるかもしれない。細い線があまりシャープに出ないけれども、多色刷りが簡単にできる。学校の手作り教材などによく使われていたが、カラーコピー機さえある時代だから、もはや骨董品の類と言ってもいい。
 私の宝物は「こんにゃく版」印刷に使うもので、芯にはアルコールに溶ける染料がはいっている。が、印刷用に使っているわけではない。
 「どうされましたか」
 「先生。入れ歯が痛くて噛めません」
 義歯には神経がないから痛いのは歯ぐきのほうだ。心がかよい合っているのも結構。すなおに聞きましょう。
 「はいはい。どこがあたるのかな」
 「ここらあたりです」
 患者さんが指し示す範囲は恐ろしく広い。
 「そこいらじゅうです」と答える人もいる。そう感じるのは事実なのだろうが、実際には、ほんのゴマ粒か飯粒くらいの範囲に「あたり」があることがほとんどである。そこを正確に見つけて、最小限、ほんとうにすこしだけ削る。削りすぎると、せっかくの義歯が合わなくなってしまうおそれがある。ヤスリやサンドペーパーを買ってきて、自分で削ってしまう人がいる。無惨に削られた義歯を見ると、やはり腹がたつのは当然でありまして、たとえ口に出して怒らなかったとしても、その心中は察して頂きたい。ついでに言うと、そうやって削った跡は一目瞭然、専門家には分かってしまう。
 話をエンピツに戻そう。実は、義歯の「あたり」を探すときに使っている。消毒用アルコールをつけて、ここぞと思われるところをマークして確かめる。たいへん重宝しているのだが、使えば減る。なにしろ十数年も使っている。
 いつの頃からか、短くなっていくエンピツが自分の分身のように見えてきた。「歯を削っているんじゃないよ。自分の命を削っているんだよ」と言っても、家族でさえ駄洒落にしか取ってくれない。歯科医の寿命は一般人より一〇年ちかく短い、というデータを見た記憶がある。それでも結構、と言い切るほどの聖人君子ではない。やはり人並の老後がほしい。分身はいま三分の一ほどになっている。


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1993.03.28 迷子

 二十歳代前半の若者がやってきた。初診である。口の中を見ると、まあたらしい治療の跡がある。
 「これを治療したのは最近でしょ。まだ治療の途中じゃないのかな」
 「じつは先週・・」
 バツが悪そうに頭に手をやりながら、若者は話しはじめた。引越して来たばかりで、地理不案内だという。
 歯が痛くなったので、タクシーの運転手に行き先を任せて受診したが、どこだったかわからなくなってしまった。今回もタクシーに乗ったら、ここに連れてこられた。違うみたいだけど、まあいいか。
 いやはやそそっかしい人もいるものだ。
 どうやら、「神経の治療」の途中らしい。歯には根の先から神経や血管が入り込んでいる。歯が生きている証(あかし)でもあるし、ムシ歯になったときに痛みを感じるもとでもある。できるだけ残したほうがいいのだけれども、ムシ歯が進んでしまうと取り去るしかない。細かい、と言われる歯科の治療の中でももっとも細かい治療である。
 針のようなものを歯の中に突っ込んで、回したり引いたり、顎がくたびれるほど長い時間がかかる。ああ、あれかと心当たりがある人もいるだろう。このとき使う針のような器具には、ラセン状に刃がついていて、一〇号・一五号・二〇号という具合に番号がある。一〇号が先端の直径〇.一ミリ、一五号は〇.一五ミリ、と定められていて、一〇〇号つまり一ミリを超えるものまである。細いものから始めて順次太いものに取り替えながら歯の根を掃除する。
 歯の長さはそれぞれ違うので、いろんな器具をつかって測定する。こうして治療している部分の太さと長さを記録しておかないと、つぎの回の治療が円滑にできない。途中で歯科医を変えられると、いちからやり直しになってしまう。
 前に受診したところを探しあてるに越したことはない。
 「そのとき、線路の下をくぐりましたか」
 「さあ、どうだったかな。わかりません」
 「途中、右側にデパートはなかったですか」
 「そういえばありました」
 「向かい側に電気屋さんがあったでしょう」
 「そうそう、そうです」
 これで見当がついた。早速、電話する。確かに受診していた。
 「あなたが行ったのは○○歯科医院ですよ。こんどは忘れないでくださいね」
 若者はタクシーで去って行った。やれやれ。これにて、迷子の一件落着。


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1993.05.02 桜吹雪

 裏の公園に桜が数本あり、見事な花を咲かせる。連休一週間前の週末は荒れ模様の天気だった。桜の花びらが風に舞う。まさに桜吹雪である。家の中の思いがけない場所に、花びらを見つけたりする。外を歩くと、水溜りに花びらが貼りついて「ちぎり絵」のようになっている。散りかけていた桜の木々は葉ばかりになった。
 このように、最もポピュラーな桜・ソメイヨシノは葉より先に花が開く。八重桜は逆に葉が繁ってから花が咲く。そこに引っかけて、「出っ歯」のことを八重桜などと言う。鼻より歯が前に出ている、との意である。
 背が低く、出っ歯で、メガネをかけ、首からカメラをぶら下げている。これが欧米の漫画に描かれる日本人の典型的な姿である。鼻が低いから出っ歯が目立つというハンディもあるが、確かに頻度は高い。多いがゆえに、「赤信号みんなで渡れば・・」とかいう冗談と同じで、日本では少々の出っ歯は異常視されない。したがって治療の対象にされることも少ない。たまに治療を求められる場合には難症例であることが少なくない。
 出っ歯の正式名は「上顎前突症」(じょうがくぜんとつしょう)、いかにも上顎が大きくて歯も前に出ているような印象を与えるが、実際には上顎の大きさは普通で下顎がちいさいことが多い。下の前歯が上顎の歯肉に触るくらいに深くかんでいる過蓋咬合(かがいこうごう)を伴っていることも多い。
 外傷で歯が欠けたり抜けたりしてやってくる患者さんがいる。学童に多く、とくに一学期に多いとも言われている。また、もともと出っ歯である人が非常に多い。おそらく、唇がきちんと閉じていないために、直接歯に外力が加わるためであろう。あわてて来院されるのは仕方ないとも思うが、ぜひ、欠けた歯のかた割れ、または抜けてしまった歯を探して持ってきてほしい。運がよければ、欠けた歯でも使えることがある。
 抜けてしまった歯の場合は牛乳の中に浸しておくとよい。気を回してオキシドールやアルコールに浸したらダメ。牛乳が手元にない場合は口の中に含んで、乾燥を防止する。飲み込まないように注意。受傷後30分くらいなら、くっつく可能性が高い。
 ソメイヨシノは花の寿命も短いが、木の寿命も人間並とか。樹木としては短い。江戸幕末に染井(地名)の植木屋から出現したというから、歴史も浅い。桜は散るのも風情のうちかもしれないが、歯のほうは長持ちさせてほしい。


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1993.06.06 ムシ歯予防デー

 日に日に木々の緑が濃くなっていく。「雑草という名の草はありません」とは昭和天皇の名言である。山の木々にも同じことが言えようが、残念ながら、その方面にはまったくうとい。知らない街に迷いこんだかのように眺めまわすだけである。同じ緑でも、木の種類によって随分と違っているし、さらに近づいて見ると、木によっても個性がある。いや、枝や葉ごとに個性がある。おびただしい緑色だ。そんな緑の中を、散歩なのか山菜摘みなのか、あいまいなままで歩くのが好きだ。カモシカや野ウサギに出会うのも、楽しみのひとつである。先日も、カモシカの子供を見かけた。沢で水遊びしていたようだ。こんな幸運があったあとは、一日じゅう気分がいい。
 うす緑の葉の片隅に、新芽の色をした虫がいた。その虫が食べたのだろうか、葉がところどころ虫食いになっている。これをムシ葉というのかどうかは知らない。多分、そんな奇妙な言葉はないのだろう。だが、ムシ歯という言葉は、こんなところに起源があるのかもしれない。
 葉・歯・刃・羽、これらは「は」と読まれる。同じ起源をもつ言葉ではなかろうか、とかねがね思っているのだが、確かめる機会がない。手元にある辞書を手当り次第に繰っても関連性については書かれていない。はしっこにあって大切なもの、という共通点があるように思うのだが、我田引水だろうか。
 六月四日は虫歯予防デーである。正式には四日から一〇日までの一週間を「歯の衛生週間」と称し、さまざまな行事が行なわれる。六と四の語呂合わせで「ムシ歯」。ちょっとセンスが悪いような気がする。それに、口の中の病気はムシ歯ばかりではない。たしかに小児期に歯を失う原因の大部分はムシ歯である。成人では、いわゆる歯槽膿漏(正しくは「歯周病」)によって歯を失う率のほうが高い。そこで、四月一八日を「よい歯の日」、一一月八日を「いい歯の日」として、歯の大切さを訴えようではないか、との声もある。いっそのこと、毎月八日を「歯の日」にしてもいいかもしれない。ムシ歯にしても歯周病にしても、手入れしだいで相当に防げる。逆に、手入れを怠ると、賽(さい)の河原で石を積むみたいに、治療するあとから悪くなる。
 とはいうものの、ムシ歯予防デーを知らない人はほとんどいない。この機会に歯と口の健康に関心を深めて頂きたい。


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1993.07.11 保険と自費

 「やあ、ひさしぶりですね。最近、お目にかかりませんが、忙しいんですか」
 会議の休憩時間に声をかけられた。元来、人の顔と名前を覚えるのは苦手なほうだ。思い出すのに少々時間がかかった。パソコン通信(注)で知り合った東京の歯科医である。一度だけ会ったことがある。
 「最近、お目にかかりませんが」というのは、ちかごろパソコン通信に出てこない、との意味である。
 この先生とはパソコン通信で手紙(電子メール)をやり取りしたこともある。お互いに同じ目的のソフトウエア開発に関係していたため、最初は意見や情報の交換であった。共通の知人・友人がいることもわかった。そうこうするうちに、「本を出しました」との電子メールを頂いた。
 矢野正明著「歯医者のホンネ」(桐書房)。知人の書いた本だから、ということは抜きにして、良い本だ。健康に対する関心が高まっているせいか、一般向けの歯科の本も数多く出版されている。が、内容が公正でバランスのとれた本は少ない。
 こんな一節がある。『救急車で病院に運ばれたとき、「自費にしますか、保険にしますか」と聞かれたらどうしますか』(同書一六二頁)
 保険と自費、やっかいな問題である。
 「前歯の治療にどれだけかかりますか」と、「匿名」の電話を頂くことがある。もっと単刀直入に「おたくではいくらですか」と、やはり匿名電話を頂くこともある。あちこち電話して、情報収集してから受診するつもりなのだろうか。それほど差があるとは思えない。状況がわからずに金額だけ尋ねられるのは、気持のいいことではない。かぶせなくてもいい場合もあるだろうし、かぶせるに値しない場合もある。それは、歯と歯肉の状態や手入れの良し悪し、患者さんの要望などを総合して決めることであって、一方的に決めることはできない。診察もしないうちに「お金はかかってもいいから、いーぃのにしてくれ」という気前のいい患者さんもいるが、これは匿名電話と同様、いただけない。
 保険と自費、その背景には保険制度の問題がある。保険外負担は歯科や入院だけでなく、医療全般にわたって拡大される傾向にある。前掲書の副題は「自費か保険か、知って得する歯のはなし」とある。一読して損はない。

 (注)パソコン通信ネット、ニフティサーブのなかに歯科関係の話題をあつかう「親知らずフォーラム」というコーナーがある。歯科関係者でなくても参加できる。


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1993.08.15 平和の医療

 終戦記念日である。戦後は終った、と言われてからすでに久しい。
 学生時代、歯科は平和の医療だ、と聞かされたことがある。世の中が平和でなければ成り立たない。戦時中は歯どころではなかったのであろう。保険の入れ歯と私費の入れ歯の違いは、などと言っていられるのも平和だからこそ。全ての歯科医が平和に感謝し、平和のために尽力すれば、多少とも世の中が良くなるかもしれない。
 平和の医療。これを逆に見ると、緊急性がない、重要性が低い、ともとれる。ちょっと待った。むかし読んだ本のなかにびっくりするような記述があった。第二次世界大戦の一方の立役者、ヒトラー総統が歯科医療について語ったものである。
 本棚を引っかき回す。満員御礼のため、ひとつの段を前後二列にして使っている。やっと見つけた。村瀬興雄著「ナチズム」中公新書、昭和四三年刊。
 一九四二年春、ナチスドイツがヨーロッパのほとんどを占領していた時期、ヒトラー総統が占領地政策について語った内容である。その医療政策に言及した部分。
 「衛生学の知識を被征服民族に与えることは、彼らの人口を急激に増加させることになるので望ましくない」と説き起こす。そして、「被征服民族に歯の治療をしてやることもいけない。しかし、かかる政策は用心深く実行して、原住民に奇異の感を与えないようにする必要がある」と述べている。要するに、生粋のドイツ人以外は歯を治療してはいけない。歯の健康と民族の繁栄とを結びつけている卓見には驚かされる。
 この政策がどれだけ実行されたのかは知らない。三年後にナチスドイツは崩壊し、ヨーロッパの歯科医は失業を免れた。実行された医療政策もある。ユダヤ人に対する健康保険の給付が制限され、ついで健康保険証そのものが没収された。ユダヤ人虐殺は余りにも有名であるが、おなじ時期に身心障害者もガス室に送っている。「国家財政の節約に役だった」との試算金額入りの報告が残されている。
 こうしてみると、歯科にかぎらず、医療や福祉、いや生活そのものが平和を前提に成り立っているのだ。私は戦後生まれの団塊の世代である。戦争を体験した大人に囲まれて育ってきたはずなのだが、あんがい大人たちは口が重かった。体験の余りの重みが口まで重くするのだろうか。いまは老齢の域に達したこの人々に、戦争と平和について語り伝えてほしいと願う。


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1993.09.19 入れ歯が合わない。

「入れ歯が合わん、なにも食べられん。
 こうやってしゃべっておっても、持ちあがってきて・・・」
 話しているうちに、入れ歯が舌にもつれてくる。数えなら八十歳、傘寿(さんじゅ)になる老人である。人生八十年の時代になった、とはいうものの傘寿を迎える頃には、かくしゃくとした人はそう多くはない。この患者さんは、足が弱っているようだ。診療所へ来るのでさえ、大変なことだろう、どうやって来たのだろう、と心配になる。
 さて、入れ歯。今年の春、新しい入れ歯を作ったはずである。たしかに全然合わない。とりだして、上の歯と下の歯を合わせてみる。どうも変だ。そうだ。この患者さんは、よく入れ歯を間違う。十年以上前に作った古い入れ歯を持ってきたこともある。
「上はアナタの歯ですが、下は違いますね。
 大きさがまるで違う。これはオバアサンの歯ですよ、きっと。
 取り換えて使ってみてください。」
「あれぇ、そうけ。
 年とったらモノの区別がわからんようになってしもて。」
 老人は、にが笑いしながら、納得して帰っていった。
 オジイサンがオバアサンの歯を使っているということは、その間、オバアサンのほうはどうしていたのだろうか。さぞかし具合がわるかったにちがいない。年をとると、こういう間違いも多くなるのだろう。入れ歯に名札を埋め込んだらいいかもしれない。ともあれ、取り違えただけなら、元の口にもどしてやれば解決する。が、新しい入れ歯を紛失すると面倒なことになる。
 昭和五六年に厚生省から通達が出て、入れ歯を作った場合は、それ以後六カ月のあいだ新たに入れ歯を作ることができなくなった。例外規定はあるものの、本人の不注意による紛失などは保険給付されない。別の歯医者に行けばわからないだろう、と思われるかもしれないが、そう甘くはない。歯医者はだませても、役所がちゃんと調べている。
 入れ歯は、作って入れて終り、とはいかない。何回も調整しなければ合わないのが普通である。しかし、調整に通わずに、別の歯医者へ行って、また新しい入れ歯を作ろうとする気の短い人がいる。これは医療費の無駄づかいだ、というので通達が出た。
 入れ歯の紛失は案外多い。お年寄りをかかえる家族の方に、入れ歯の手入れや管理を手伝って下さるようお願いしたい。


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1993.10.24 鯨波

 東京へ行くにはもっぱら列車である。長岡経由、北陸線と上越新幹線を乗り継ぐ、おきまりのコース。なによりの楽しみは車内で本が読めることだ。行きにこの本、帰りにこの本、などと数日前から本選びを楽しんでいる。とはいうものの、実際には予定どおり読めたことはない。
 長岡にむかう途中、柏崎の手前、トンネルとトンネルの合間に「鯨波」(くじらなみ)という名のちいさな駅がある。特急列車の窓からは、駅名を読み取るのさえ難しい。
 京(けい)は兆の上の単位だ。鯨はサカナへんに「京」で、おおきな魚。鯨波というのは、鯨があばれるように大きな波が打ち寄せる磯があるのかもしれない。もしかしたら、津波がおしよせたことがあるのかもしれない。などと思いをめぐらせているうちに柏崎に着いてしまう。
 私が小学生だったころ、魚津大火の前だったか後だったかさえ記憶は定かでないが、鯨がとれたというので、魚市場へクラス全員で見にいったことがある。さすがに大きかった。ガリバーとこびとのように感じる一方で、図鑑で見た鯨より小さいな、と思ったりもした。
 日本海にはもともと鯨はいない、棲息には適していない、たまたまそそっかしいのが紛れ込んでくるのだ、と最近まで思い込んでいた。ところが、そうではないらしい。かつて、日本海にも鯨がたくさんいた。となりの加賀藩では「鯨組」を組織して、おおがかりに捕鯨を行っていたという。だとしたら、「鯨波」は本物の鯨に関わりのある地名なのかもしれない。図書館へ行って調べてみた。やはりそうだった。もとは「桂波」であったが、あるとき鯨の大漁があり、それ以後「鯨波」と呼ぶようになったとのことである。
 鯨は歯クジラとひげクジラに大別され、前者のほうが小型である。歯クジラの仲間のうち、とくに小さいものがイルカだ。いっぽう体長が三十メートルから五十メートルにもなるシロナガスクジラは歯を持たない。ひげが歯の代わりである。ひげでは咬みくだくことはできないから、オキアミなどを丸飲みしている。人間はどうだろうか。智歯(おやしらず)が生えない人が多くなっている。昭和初期には六割の人が生えていたが、最近では三割にも満たない。顎が小さくて歯が並びきれない。このように歯も顎も退化する傾向がみられる。やがて、歯がなくなり、ひげが発達してくるのだろうか。


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1993.11.28 千歳飴

 街で着飾った子供を見かける。七五三である。
 七と五と三を足して十五、それで七五三は十五日なのだろうか。十一月なのはなぜだろう。掛けてみても引いてみても十一にはならない。七五三につきものの千歳飴は元気で長生きするようにとの願いがこめられている。ところが、この飴が歯科医にちょっとした災難をもたらす。
 「どれどれ、どこがとれたのかな。何を食べててとれたの?」
 「アメ食べた」
 「へえ、アメか。どんなアメ?」
 「えーっと、白くて、長いの」
 「ああ、七五三のアメだね」
 「うん」
 このように歯の詰め物が千歳飴の被害にあう。毎年二・三例はあるだろうか。なにしろ口が開かなくなるくらい強い接着力を持っている。もっとも、くっつきやすいことでは「越後の笹飴」のほうが、うわ手かもしれない。新潟の土産店にはたいてい置いてある。「笹団子」を買うつもりが、間違って「笹飴」を買ってきて、それを食べて詰め物がとれた人もいる。笹でくるまれているから、紛らわしいと言えば紛らわしい。そそっかしい人・気の短い人にはお勧めしたくない食べ物だ。なお、とれた詰め物は捨てないでほしい。付け直しができることが多い。
 強い接着力が利用される場合もある。治療のために詰め物を外さなければならないことがあるが、いざ外そうとなると、なかなか外れないものだ。このとき千歳飴や越後の笹飴を使うとうまくいく、と聞いている。私は試したことがないが、たしかにうまくいきそうだ。
 飴の主成分はデンプンが分解されてできるデキストリンという分子量のおおきな多糖類である。紛らわしいが、デキストランというのは細菌が糖類を原料にして造った多糖類である。「リ」と「ラ」が違うだけ。名前も性質も似ている。虫歯菌は口のなかで千歳飴や笹飴のようなネバネバした物質をつくり、その接着力で歯の表面にくっつく。寄生する、と言ったほうがいいかもしれない。だから、うがい程度ではとれないし、なまはんかな歯磨きでもとれない。かといってむやみに力をいれてごしごしやっても駄目。かえって歯や歯肉を痛める危険性がある。ていねいに時間をかけるしかない。
 歯を磨くときには、「食べかす」でなく、千歳飴がくっついている(ようなものだ)という話を思い出してほしい。


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