北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」 2000
北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」欄に掲載した文章を収録しました。版権は北日本新聞社が所有しております。引用などの際には、掲載日付と出処「北日本新聞」を明記してください。
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2000/01/31 子どもの医療費
昨年の小杉町の町長選挙で、乳幼児医療費無料化の拡大を公約した土井氏が当選した。少子化が社会問題にされながら、子どもの医療費助成が公約になるのはめずらしいのではないだろうか。
日本の社会保障の特徴は子どもに対して冷たいことだ、と何かで読んだことがある。ヨーロッパでは子どもの医療費や教育費が手厚く保護されているのが普通だ。もっとも、日本の社会保障は全般的にレベルの低いのが特徴である。先進諸国のほぼ半分だ。他の国と比較して遜色ないのは公務員の年金くらいのものである。世界最高水準の貯蓄は、手薄な社会保障のうらがえしだ。
平成11年度の厚生白書は「社会保障と国民生活」を副題にした意欲的なものだ。その序章で、「我が国の社会保障は、欧米諸国と比較しても相当の水準に到達している」と自画自賛している。「相当」とは、相当に範囲の広い言葉であるらしい。
せんだってある婦人団体の方の話を聞く機会があった。
乳幼児医療費無料化には二つのピークがあるという。70年代、革新自治体があちこちにできたころ第一のピークがあり、90年代にはいって少子化がクローズアップされてから第二のピークがある。最近の特徴は、1歳未満や3歳未満といった年齢制限を引き上げ、就学前あるいは義務教育期間中というように範囲を拡大していることだ。
その婦人団体では「家計簿をつけよう」と呼びかけている。若年世帯の家計簿からの調査によると、未就学児をもつ家庭の医療費支出はそうでない家庭の5割も多いとのことである。幼い子どものいる家庭では母親の就労率が低く、したがって世帯収入が低い。負担感はよりいっそう大きくなる。
乳幼児医療費の助成をまったくしていない自治体が、全国にただひとつ関西にあるという。子どもがいないのだろうか。家計簿をつける人がいないのだろうか。
2000/02/17 効果的な少子化対策に未就学児の医療費助成
(この稿は北日本新聞朝刊「談論自由席」掲載のものです)
従来ゼロ歳児までだった通院医療費の無料化が三歳未満児まで拡大されるという。県が市町村に半額を助成することによって実施している制度である。未就学児の医療費無料化を求める県議会自民党と県当局の折衝によって合意された。一歩前進を喜びたい。
桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年、柚のばかたれ十八年、などといわれる。その伝でいくと人間はおおばかたれだ。二十年たってもなかなか独り立ちできない。
少子化が社会問題になり、各地で子どもの医療費無料化の制度を拡大する動きが広がっている。未就学児はもとより義務教育期間中まで助成するところもある。
県当局は、少子化対策としての効果に疑問、と難色を示したという。
ある婦人団体の調査によると、未就学児をもつ家庭の医療費支出は、そうでない家庭の五割も多いという。そのうえ、未就学児をもつ家庭では母親の就労率が低く世帯収入が少ない。したがって医療費の負担はより重くのしかかる。
子育てのリスクを軽減するセーフティネットとしては、児童手当を薄く広く支給するよりも、ずっと効果的な少子化対策ではないだろうか。
ところが、子どもの医療費を助成することに水をさすような仕組みがある。ほかならぬ少子化対策の元締めの厚生省の制裁制度だ。「療養給付費等国庫負担金」という国庫補助が、医療費の助成に応じて減額される。窓口無料にすると減額幅が大きくなるので、事務経費が余計にかかるのを承知の上で償還払い制(市町村から払い戻す制度)にするところが多い。
いま、県の制度は「桃栗」なみになった。さらに拡大して人間なみに近づけてほしい。利用者に便利で経費も少ない窓口無料制にすることも強く求める。また、それを抑制する時代錯誤的な厚生省の制度を撤廃するよう、地方自治法九十九条による意見書を厚生省に提出することを県や市町村に提案したい。
--- 付記 ---
岐阜県笠松町と柳津町は義務教育期間中の医療費を無料化している。京都府園部町では高校卒業まで医療費助成(一部?)を実施している。
秋田県は2000年8月から乳幼児医療費の無料化を就学前まで拡大する。所得制限はあるものの、県単位で入院外来ともに未就学児の医療費を無料化するのは全国初。秋田県に続いて長崎県も未就学児の医療費無料化を決定した。
国庫負担金の減額調整は「国保法の国庫負担金及び被用者保険等保険者拠出金の算定等に関する政令」で規定され、その額(率)については「国保法の事務費負担金等の交付額の算定に関する省令」で定めている。
非常に複雑な計算式を規定している。たとえば半額の助成では 0.9369 を乗じ、全額助成(窓口無料)では 0.8427 を乗じる。
97年6月の国会付帯決議で、就学前児童の医療費一部負担を「少子化対策の観点および地方公共団体における単独事業の実情も踏まえ、その軽減を検討すること」となっている。現行のペナルティ制度の継続は、国会の付帯決議の趣旨にも反する。
2000/02/28 舌が出る
入れ歯を直してほしい、と言って来院した患者さん。総入れ歯を入れている80代後半の品のいい女性である。どこかが当って痛いのか、ゆるくて不安定だとかいうのだろうと思ったら、「舌が出る」とおっしゃる。子どもでは、指しゃぶりの後遺症などで上の歯と下の歯との間に隙間ができて、舌が出ることは珍しくない。
噛み合わせてみると、長く使っているせいですり減っているが、舌が出るような隙間はない。顎に合わせてみたが、そんなにゆるいわけでもなさそうだ。
口から入れ歯を取り出して、手にとって調べながら、患者さんの様子を横目でうかがう。口がモグモグ動いている。一見、ものを食べているかのような動きをしているかと思うと、口笛でも吹くような口元になる。そして、何かへまをしてチョロっと舌を出す時のようなしぐさ。これらの動作を、ほとんど休みなく繰り返している。
舌が出る原因がわかった。「オーラル・ディスキネジア」と呼ばれる症状である。自分の意思にかかわりなく、口がモグモグ動いてしまう。口を閉めようとすれば閉まるし、開けようとすれば開くので、運動の全てが障害されているわけではない。何もしないでじっとしていることのほうが苦手なのである。筋肉と脳をつなぐ神経の経路の途中で、何かの障害がおきているらしい。晩年の昭和天皇にも、テレビに映った姿から、軽いけれども同じ症状がうかがわれた。
原因がわかっても、気休めにもならない。これといった治療法が思い浮かばないのである。さいわい食事をしたり話をしたりすることに不自由はなさそうだ。口のまわりが力なくだらりとなって、食べ物をこぼしたりするよりはいいだろう。筋肉がせわしく動いていれば、血の流れも活発になるかもしれない。などなど、理屈をつけて我慢してもらうことにした。
舌の先で丸め込むしかなかったことに無力感が残る。
2000/05/01 釈迦に説法
治療に通えない。忙しくてそれどころじゃない。痛みだけとめてほしい ・・・・
初めて来院した患者さんが、治療椅子に座ったとたんに、にらむようにして口にした言葉である。こういう注文は、じつは、少なくない。何か秘薬のようなものを塗り付けると痛みがすーっとおさまるような、つまり魔法のような治療を期待しているらしい。しかも、それくらいできなきゃプロとして失格だ、とでもいいたげである。
この歯の状態は、ああでこうで、かくかくしかじかの治療をしなければいけなくて、そのためには最低三回、もしかしたら四回くらいは通わなければなりません・・・・などという説明は、馬耳東風だ。いや馬になぞらえては失礼であろう。そんなことは先刻承知の上といったふぜいであるから、釈迦に説法、としておこう。
秘薬というほどのものではないが、ごく普通に使われている薬を詰めるだけで、しばらくの間は痛みを和らげることができる場合もある。だが、逆に、いじくればよけいに痛みがひどくなる場合もある。
さて、このお釈迦様の場合には、いじくれば痛い思いをするだろうと思われるケースであった。手を下しかねて、飲み薬を出すことにした。痛み止めである。
数日たって、この患者さんがまたやってきた。
おや、通えないんじゃなかったのですか、というと、「薬でおさまって、ヤンバイやと思ってたら、また痛くなってきた」とのこと。当然である。痛み止めの薬で治ってしまうなら歯医者なんかいらない。こんどは通えますか、とたずねると、やっぱりダメだという。またまた薬だけにした。
さらに数日たって、案の定、またやってきた。そして、三回目にして、ようやく通院する決心がついたようだ。仏の顔も三度というが、ようやく馬でもなくお釈迦様でもなく人間になったようである。めでたしめでたし。
2000/07/03 岩倉政治さん
5月6日、作家の岩倉政治さんが亡くなった。97歳だった。
先に亡くなった奥さんは歯科医で、息子さんも歯科医だ。そんな縁で、付き合いがあった。奥さんが療養中のころ、お宅に伺ったことがある。ありとあらゆる段差をなくして、徹底的にバリアフリー化されていた。すでに岩倉さんは90歳近かったと思うが、タオルを鉢巻にして介護に奮闘している姿に驚かされた。いっぽうで、奥さんを思いやる文章を書きつづけていた。そんな生活が5年ほども続いた。すごい人である。
奥さんが倒れ、息子さんは県外の大学勤務なので、私が代わって岩倉さんの義歯をつくることになった。年齢相応にアゴの骨がやせていて、あっちこっちをくりかえし調整しながら、なんとか使ってもらっていた。
ときおり具合の悪いところがあって来院されるときには、どこが、どんなときに、どんなふうに痛い、ということをきちんと整理して話される。年齢不相応な、と言っては世の高齢者に失礼かもしれないが、頭脳明晰、しっかりしている。物事のシロクロをはっきりさせておかないと気がすまない性分なのかもしれない。
いつものように義歯を削ったり磨いたりして、調整していたら、「先生は魔法使いだナー」という大きな声。「うーん、魔法つかいだ」----ご本人は真顔である。ほんの少しいじっただけで痛みがなくなるのを、率直に感心しての言葉だ。
そのするどい感性、表現力は、まるで詩人だ。この調子なら百歳を超えても書き続けられそうだ。そうあってほしい、と願った。
4月、義歯があたって痛いところがあると聞いた。富山へ行く用事があるときに、道具をもって入院中の病院へ寄りましょうか、と言っていて、なかなか果たせないでいるうちに訃報に接した。
「魔法使いだ」という大きな声を聞き損ねてしまった。
2000/09/18 都子(さとこ)さん
僧ヶ岳林道で坂本都子さんの遺体が発見されてから、今月7日でちょうど5年がたった。89年11月4日未明の事件発生からは、もうじき11年になる。
オウムの実行犯のなかに医師である中川智正も加わっていた。毒物をいれた注射器を用意していたが、注射ができなかったので素手で加勢した。都子さんの首を締めて窒息死させたのは彼だとみられている。
魚津市、片貝川の上流。東蔵の集落の先から別又谷に入って約4km、舗装が途切れて少し行くと、林道わきのわずかな平地に慰霊碑がある。坂本堤弁護士と、都子さん、長男の龍彦ちゃんをかたどった三つの輪が目を引く。
今年、何度かここを訪れた。そのたびに感心させられるのは、草が刈られ、花が供えられていることだ。地主の山本さんの心配りなのだろう。5年前、遺体が運び出されたとき、村の人たちが手に手に線香をもって沿道に並んだという。人の死を悼むのは、人の生命を尊ぶからだ。
昨年の夏、慰霊碑の前で追悼の演奏会が行われたとき、僧ヶ岳に鮮やかな二重の虹がかかった。それは、龍彦ちゃんと、堤さんへの思いを表しているように見えた。
慰霊碑の裏側に、都子さんの詩が刻まれている。それを読んだとき、体を電気が走った。人と人の心の掛け橋を虹の色に托している。都子さんの言葉が虹を呼んだとしか思えない。
このときのことは都子さんの父・大山友之さんの著書「都子聞こえますか」(新潮社)にも「形にないメモリアル」として記されている。その場にいた一人として、私も語り伝えていこうと思う。
赤い毛糸に
だいだいの毛糸を結びたい
だいだいの毛糸に
レモンいろの毛糸を
レモンいろの毛糸に
空いろの毛糸も結びたい
この街に生きる一人一人の
心を結びたいんだ (都子)