BOOK2011
表紙 Top Page 総合目次 Menu 更新情報 What's New 読書録
 

 《2010|2011- 1011122012



星野仁彦『発達障害に気づかない大人たち』祥伝社
発達障害や人格障害など「障害」という用語が適切なのかどうか疑問に思う。個性で済まされる程度のばあいは線引きが難しく二次的に精神病などを発症して初めて明らかになることが多い。 /著者は「中枢神経系の発育・発達が何らかの理由で、生まれつき、または乳幼児期に損なわれ、言葉、社会性、協調運動、基本的な生活習慣、感情や情緒のコントロールなどの発達が、未熟、アンバランスになるために起こる」障害と定義する。 /小児の10%以上が何らかの発達障害を有するといわれている。米国のデータでは大人の10%強にADHDの可能性がある。 ADHDには「多動・衝動性優勢型」(ジャイアン型)、「不注意優勢型」(のび太型)の2型があり、特に後者は見逃されやすい。 アスペルガーも対人スキルが未熟だが、彼らはそれをもともと望まないので葛藤は少ない。ADHDでは対人関係を望むためにストレスが大きい。 /病因については、遺伝や周産期の異常が主たるもので、環境は装飾要因としている。いっぽうで「チャウシェスクの子どもたち」に自閉症類似の症状が見られ、脳に萎縮が見られたことから、高度なストレスにさらされると後天的な発症もありうる。(2011.01)

ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波書店
街はずれの円形劇場の廃墟にモモという少女が住みつく。「人の話に耳をかたむける」ことに長けたみなしごの少女は街の人々にとけこむ。やがて灰色づくめの「時間どろぼう」が町に入り込み、人々を支配していく。大人たちは、やたらあくせくと働き、ぎすぎすした空気に満たされる。それに気づいたモモと仲間達は反抗を企てるが失敗し、町の人間たちはことごとく「灰色」に支配されていく。時間の神とでもいうべき存在、マイスター・ホラの助けによって、モモは「時間どろぼう」を退治する。……以前に「エンデの遺言」という本を読み、興味を抱いて購入したまま10年も「積読」になっていた。(2011.01)


齋藤滋『よく噛んで食べる〜忘れられた究極の健康法』NHK出版
歯科界で早くから咀嚼の生理に取り組んできた著者の「ひみのこ歯がいーぜ」は、有名。すなわち、「ひ」肥満防止、「み」味覚の発達、「こ」言葉の発音、「の」脳の発達、「は」歯の病気予防、「が」がん予防、「い」胃腸快調、「ぜ」全身の体力向上&全力投球。この本では「脳を守る」「心を守る」にそれぞれ1章をあてている。(2011.03)


池上彰『知らないと恥をかく世界の大問題』角川新書
池上彰『知らないと恥をかく世界の大問題2』角川新書
知って得意になるほどのことでもないけれど、無難にまとめられた書。JMATに参加して震災被災地へ行くのに際して、宿舎で読もうと思ってバッグに入れた。(2011.04)


別冊宝島編集部『世界一わかりやすい放射能の本当の話』宝島社
たしかにわかりやすくまとめてある。単位系の解説はやや弱いように思うが、内部被曝については多くのページ数を割いている。(2011.05)

太田祖電、増田進、田中トシ、上坪陽『沢内村奮戦記』あけび書房
必要があって探していたが書棚に見つからず、注文してとりよせた。「あけび書房」の名前は、沢内村の施設でつくられている「あけび細工」に由来するとのこと。同社は医療福祉関連の出版が多い。(2011.05)

稲垣朝則『車中泊の作法』ソフトバンク新書
「車中泊」の愛好者が増えているらしい。昔、車での長旅の途中、SAで寝たことはあるが、快適といえるものではない。歩かずに気ままに移動できるというメリットはある。障害のある妻と二人で軽ワゴン車で旅している老夫婦の実話があって、本とドラマ(NHK「みちしるべ」)にもなっている。本は写真家の撮った写真集だったと記憶しているが、タイトルが思い出せない。実話のほうは軽ワゴン車だが、ドラマでは普通車になっていた。ともあれ、障害者になった妻と私にもそんなことができるだろうか、という思いがあって手にした。けっこうハードルは高そう・・・(2011.05)


井上ひさし『日本語教室』新潮新書
日本語をさまざまな切り口で論じる。第1章(第1講)は「母語」について。第2講は、やまとことばと漢語、カタカナ語。とくに英語の流入による「ビジン語化」について。第3講は、話し言葉あるいは発音(音韻)。第4講は文法。それぞれにおもしろく、わかりやすく、深い示唆に富む。(2011.08)


須藤彰『東日本大震災 自衛隊救援活動日誌』扶桑社
災難にあって困っている人を目の前にして、ほうっておけないのが人間というものだ。そういう心情は、どのような組織の人間も変わらない。現場で懸命に動いている人には賞賛を送ろう。いっぽうで、政治の世界で足の引っ張り合いをしている連中にはレッドカードを。いっさいの言葉の説明をなくして動作だけを視覚的に比較してみるといい。自衛隊は軍隊組織であるから、兵站がある。そこが他の組織と基本的に違う。このような巨大な災害時には強みになる。(2011.09)

淺川凌『福島原発でいま起きている本当のこと』宝島社
著者はかつて原発の現場で働いていた技術者。さもありなんという内容で、それほど真新しいことはない。安全を追求するのではなく、安全だと思わせることに注力した結果がここにある。中国の新幹線事故を嗤うことができない。これが読売新聞の言う高度な技術・輸出産業の華につながるとはとうてい思えない。(2011.09)

井上安正『冤罪の軌跡』新潮新書
昭和24年8月に発生した弘前大学教授夫人殺害事件で「犯人」に仕立て上げられた青年と家族の苦悩に満ちた歴史を克明に描く。自白の強要、証拠の捏造、などなど。近年の冤罪事件と変わらない。それだけ権力(学界の権威も含む)の構造は変わっていないことを示している。真犯人が名乗り出ても誤審をなかなか認めない。読んでいるだけで息が詰まりそうになる。(2011.09)

水野倫之、山崎淑行、藤原淳登『緊急解説!福島第一原発事故と放射線』NHK出版
NHKの解説委員と記者3人による共著。このうちの水野氏はマスメディアにしては珍しい冷静かつ公正な判断が目を引いた人物だ。この本では第2章を担当している。原発事故の歴史、そしてそれに関わった報道を振り返っている。巻末に事故発生から2ヶ月の流れを表にまとめてある。「安全神話」の形成に果たしたマスメディアの役割は大きい。民放では原発関連企業が大口スポンサーであるし、NHKは政府や政治家の意向に弱い。これが反省の機会になればいいのだが。(2011.09)



広河隆一『福島 原発と人々』岩波新書
著者はチェルノブイリやパレスチナなどを取材し続けるフォトジャーナリストである。その現場主義は徹底している。事故直後から仲間とともに測定器を手に福島原発に向かい、そこで「つんぼさじき」で「野ざらし」になっている人々を見つけて警告誘導しながら移動する。第2章では、作業員の取材をとおして現場の問題点を探り、その原発を盲信する雰囲気を伝える。第3章では、津波と原発事故に追われて避難した人々の取材。原発が爆発するなんて考えてもみなかった、という。それも無理はない。チェルノブイリ事故で強制移住地域となった555kベクレル以上の地域が広がっている。第4章はマスメディア。電事連や政府は「ネット上の不正確情報の監視」を行なっているとか。第5章、第6章では現地の人々の葛藤をとりあげる。原子力関連御用学者の「安心」工作が破綻し、かわって医学者が「安心」工作の舞台に登場してきた。宣撫工作にだまされてはならない。第7章、第8章ではチェルノブイリの状況を紹介し、日本を振り返る。(2011.10)

児玉龍彦『内部被曝の真実』幻冬舎新書
参考人として出席した衆議院厚生労働委員会で「国に満身の怒りを表明します」と述べて話題になった。その国会での発言をまとめた書。ときに医学的な細かい議論もはいってくるが、内部被曝を軽視するな、きちんと現状を把握せよ、子どもたちの未来を守れ、と主張する。遺伝子レベルの記述は読むのがしんどいが、旧来の疫学的な判定にはない迅速性をもって変化をキャッチできる。低レベルの放射線障害の証明は難しく、それをいいことに「安全」を言いふらし、あげくは生活習慣病のリスクより低いなどとピント外れなことを主張して子供たちを危険にさらす…そんな御用学者がこれからも跳梁跋扈するだろう。児玉氏の考え方をもっと拡げる必要がある。(2011.10)

森昭彦『うまい雑草、ヤバイ野草』ソフトバンククリエイティブ
題名の通り、食べられる野草と毒草を扱っているが、事典または図鑑ではなく「読み物」としての面白さを狙ったようだ。(2011.10)

澤田哲生(監修)『福島原発の真実』双葉社
監修者の澤田氏は、「専門家」が次々と脱落していくなかで、最後までTVの解説に出ていた。ちょっと変わった芸人風のメガネが印象に残る。とはいえ、基本的には原発を推進してきた側の人であって、技術的な視点からは辛口の指摘もあるものの、被曝の問題については国の公式見解を超えるものではない。チェルノブイリ原発と福島原発を比較して「より安全」と言うのは、いまさらの感がある。「メルトダウン」は俗語だと主張していたとおり、この言葉は使わず「溶解」でとおしている。意地であろうか。チェルノブイリでは外部被曝と内部被曝がほぼ半々になっていたというデータが紹介されているが、日本の公式見解では「寄与率10%」としていることは触れられていない。内部被曝年間5ミリシーベルトを目安とした食品の「暫定基準」についても、緊急時の暫定基準という本来の意味には触れず、いろんな食品を食べても基準内におさまる、とだけを述べている。こういう本が書店に並ぶのだということを知るにはちょうどいい。(2011.10)



飯田哲也、佐藤栄佐久、河野太郎『「原子力ムラ」を超えて』NHKブックス
”原子力ムラ”のプロパガンダに騙されるな(序)…これがこの本のテーマである。第2章は佐藤栄佐久。 第3・4章は河野太郎。デモや署名で満足してはダメ、国会議員に直接働きかけることを勧めている。「リビアと違って、政府軍が銃撃してくることはありません。北朝鮮みたいにそのままどこかに連れて行かれて行方不明になることもありません。声を上げますか、それとも泣き寝入りするのですか」と煽っている。裏話なども面白いのだが、政治家にありがちなパフォーマンスでないことを望む。第5章から第8章までは飯田哲也。原子力ムラでの議論あるいはそこから導かれる政策を眺めていると、これは原発を神とするカルトではないかと思う。 (2011.11)



エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワ『ゴーストタウン チェルノブイリを走る』集英社新書
バイク乗りで写真家の著者がゴーストタウンとなったチェルノブイリ周辺を走る。静寂のなかをシカやイノシシが走る。 現代の「ポンペイ」、プリピャチの郵便局はメーデーの飾りつけがされている。だが、1986年4月27日(事故翌日)にすべての住民が避難し、この町にはメーデーはこなかった。 子どもたちは、大好きなおもちゃを置いていかねばならなかった。誰もが、何もかも置いていかねばならなかった。 「オオカミの大地」は南北300キロ東西100キロに及ぶ。0.2μSv/h〜0.5μSv/hの地域も無人になっている。日本で言えば福島県中通地区の現在に相当する線量だ。 (2011.12)

小出裕章『原発はいらない』幻冬舎新書
いまや時の人といった感じがある。「私は生来、どちらかと言えば保守的な人間です」…と本人は語る(序章)。しかしながら東北大在学中に女川原発の反対運動に触れ、ずっと原発に反対し、冷や飯を食わされながらアカデミズムの世界に居続けていることには敬服する。住民のパニックを恐れて、国や東電は情報操作したが、いちばんパニックに陥っていたのは原子力村の人々だったろう、と指摘している。この人は夏でもクーラーのない生活をしている。「たとえ電力なんか足りなくなっても、原発はやめるべきだ」というが、誰もが真似できるわけではないだろう。この先、原発の後始末をする人材がいなくなることを心配している。 (2011.12)

《 PageTop 》


 《2010|2011- 1011122012

表紙 Top Page 総合目次 Menu 更新情報 What's New 読書録




ダイモンジソウ(大文字草)