BOOK2001
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 《2000|2001− 101112| 2002



2001年1月

○高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』岩波新書
 昨年10月に亡くなった著者が病床で書き綴った書。「安全文化」をさまざまな視点から論じている。たとえば職人の技術を例に引きながら、現場を知らない技術者による数式とコンピュータに頼った設計に対して、リアリティの感覚の大切さを主張する。安全技術ではなく安全文化をテーマにせざるをえない日本の科学技術の現状に、著者は死んでも死にきれない思いだったのではなかろうか。巻末に、死を覚悟した著者からのメッセージが収録されている。2001.01.11

○二宮厚美『現代資本主義と新自由主義の暴走』新日本出版
 新自由主義は広く深く浸透していて、マスコミもお先棒を担ぐ。市場原理を神のごとくに信奉する、これは一種の原理主義宗教だ。「ことの勝敗、損得の判定を市場に委ねるだけではなく、善悪の判定までマーケットの裁断に任せる」--危険性な宗教だ。「現代社会版ダーウィニズム」「規制緩和ファシズム」「市場帝国主義」「会社自由主義」「市場バーバリズム」「ジャングルの法則」「カジノ経済」「企業フェティシズム」・・・いろんな表現を駆使して小気味よく批判を展開する。2001.01.19

○山内桂子・山内隆久『医療事故』朝日新聞社
 医療事故報道は、ともすれば「ずさん」「初歩的ミス」などと最終施術者の失敗を攻め立てる「告発糾弾」型になりやすい。それが世間に受け、また当事者(患者・医療担当者)の心情にも大きな作用を及ぼす。この本は「誤りは人の常、安全は組織の智恵」をキーワードに、ほんとうに医療者・患者、そして社会のために、何が必要かを検討している。著者らは人間の「失敗」を研究する心理学者である。いままでにない(日本では)新しい視点に、眼からウロコが落ちる。2001.01.24

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2001年2月

○本郷美則『新聞があぶない』文春文庫
 新聞をはじめとするマスメディアは事実上「報道の自由」を独占してきた。ところが、インターネットの発展などにより技術的に安価なメディアが出現し、いっぽう世論がマスメディアを信用しなくなってきている。広告主と政府(情報源)に阿ることへの反発は、彼らの想像以上だ。事実を重視するか解説を重視するか、というあたりにそのギャップが典型的に現われている。医学でいうEBM(証拠にもとづく医学)を準用すればEBJ(事実にもとづくジャーナリズム)が求められている、と言えよう。2001.02.01

○小林至『僕はアメリカに幻滅した』太陽企画出版
 著者は、東大経済学部卒、プロ野球選手(ロッテ)、コロンビア大学大学院、米国企業に就職、解雇、とユニークな経歴をもつ。日本で美化されすぎる競争社会の醜さを、リアルに描いている。アメリカを崇拝しみならうのではなく、反面教師として、じっくり観察すべき時だ。2001.02.05

○佐和隆光『市場主義の終焉』岩波新書
 いまや市場主義または新自由主義が論壇を風靡している。「社会主義への幻滅は、ケインズ主義への幻滅につらなり、ひいてはそれが市場主義の復権をうながした」。「(市場主義は)所得分配の不平等、公的医療・教育の荒廃などの副作用を不可避的にともなう」(序章)。市場主義者の言う「セーフティネット」は優勝劣敗の競争からの落伍者を、(市場の邪魔にならぬよう)社会的に無害化し隔離する、いわば収容所あるいは居留地である。著者はリベラリズムに依拠し、「第三の道」を提唱する。2001.02.24

○林望『パソコン徹底指南』文春新書
 リンボウ先生のエッセイは諸所方々でお目にかかるが、単行本を手にするのは初めてではないかと思う。氏は国文学・書誌学が専門であって、パソコンが専門ではないが、パソコンを道具として駆使している「パソコン使い」のプロである。パソコンに怖気を持つ人の心を奮い立たせてくれる読み物。2001.02.25

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2001年3月

○別冊宝島編集部『もっと使える!インターネット検索術』宝島社新書
 手ごろな入門書。また、ネット上で利用できるいろんなサービスの紹介もあって、便利。記事情報なら佐賀新聞(http://www.saga-s.co.jp/pubt/ShinDB/search.html)などという裏技も。2001.03.03

○松谷宏『正直者が馬鹿を見る国民健康保険』宝島社新書
 著者は「国民健康保険料徴収員」として12年間働いた。その経験から、「7倍違う」保険料や悪質なフリーライダーなどの事実をもとに、「公平」な保険のありかたを問う。制度の統合と保険方式から税方式へ、が結論。2001.03.04

○池谷裕二『記憶力を強くする』講談社(ブルーバックス)
 脳科学から「記憶」のメカニズムを解説。タイトルにある「記憶力を強く」するノウハウを求めると肩透かしだ。ほんのつけ足しの1章があるだけ。記憶力を高める「K90」なる薬が実用化されるを待つしかないか・・・ 2001.03.04

○鳴橋直弘(編)『とやま植物物語』(C.A.P)
 富山県に関係の深い植物50種余を17人が執筆している。学術論文風のものあり随筆風のものありで統一がとれていないが、それはそれで面白い。カラー写真が少ないのはさみしいが、そのかわり線画が豊富。2001.03.07

○俵孝太郎『どこまで続くヌカルミぞ』文藝春秋
 父母の介護にまつわる、親族への恨みつらみを、これでもかこれでもかと書き綴ってある。感心するというか呆れるというか.....。2001.03.08

○五十嵐敬喜・小川明雄編著『公共事業は止まるか』岩波新書
 公共事業告発のコンビによる新著。川辺川、吉野川など全国の巨大公共事業の反対運動に関わっている人たちの分担執筆形式をとっている。おりしも長野で田中知事の「脱ダム宣言」が議会の強い抵抗に遭い、諫早では漁民の要求に県や市町村が対立している。公共事業を、もっと緻密に分析する必要がある。多くの有能な研究者が参入することを望む。2001.03.20

○ビル・トッテン『「脱アメリカ」が日本を復活させる』徳間書店
 在日30年の「反米的米国人」の近著。だんだん「国粋」的になってきた。石原慎太郎のためなら、アメリカ国籍を捨てて日本人になってもいい、と決意を表明している。2001.03.22

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2001年4月

川口由一『自然農から農を超えて』カタツムリ社
4月1日、八尾町で映画と講演の集いがあり、その会場で買い求めた。「よそに持ち出さず、他から何も持ち込まず」が原則。「耕さない、農薬を使わない、肥料を使わない」農業を追求している。有機肥料も使わないという徹底ぶりだ。最小限の手を加えるだけとはいうものの、その作業の性質上、農機が使えず、たいへんな労働に見えた。また、大規模化は無理であり農「業」として成立するのは難しい。やや神がかり的な自然崇拝が気になる。2001.04.01

武田龍夫『福祉国家の闘い』中公新書
著者はストックホルム大学留学、在スウェーデン大使館勤務の経歴を有する。福祉国家を守るためにきれい事ですまない闘いが内外で続けられた。北欧を盲目的に賛美するのは間違いであり、冷静・公平に見ることが必要だ、という指摘はもっともだが、この書はやや「冷淡」に傾いているようだ。2001.04.03

河野和彦『親がボケたと思ったら』主婦の友社
サブタイトルに「家族こそボケの名医だ」とある。たしかに他人の前では、とてもボケているふうには見えない。たいへん実戦的な本。それにしても老人の特性にあった診断・治療をする医療機関が少なすぎる。2001.04.07

天野礼子『ダムと日本』岩波新書
「日本のダム」ではなく「ダムと日本」。欧米のダム政策=河川政策を日本と対置している。ダムはもはやクリーンエネルギーではなく、新規につくらないばかりか、既存のダムを解体している。それにしても著者のダム問題にかける情熱はすさまじい。原子力分野での高木仁三郎を思わせる。2001.04.09

岩槻邦男『植物とつき合う本』研成社
前半は植物学についての科学論的な内容。後半が植物の同定の話になる。2001.04.21

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2001年5月

阿辻哲次『漢字の社会史』PHP新書
文字と書体、筆記具と記録素材、印刷など、文字にかかわる歴史はおもしろい。かつて情報技術の発達を妨げるとみられていた漢字が、いまは情報機器の発達によって使いやすくなっている。著者が悪筆で、それにコンプレックスを抱いていた、という話(終章)は意外だった。2001-05-02

山藤章二他編『平成サラリーマン川柳傑作選・十貫目』講談社
「一生を賭けた会社に先立たれ」、会社に象徴される「仕事」あるいは「人生」が、荒波に揉まれている。世の中どうしてこんなにせわしいのだろう? 2001-05-10

山路憲夫『医療保険がつぶれる』法研
「国民が論議に参加する」ことに異議はない。しかし、議論の基礎となるよう、公平でしっかりした事実をまとめていただきたいものだ。ともあれ、マスコミの認識はこういうものだ、という貴重な資料ではある。言っていることは単純で分かりやすい──薬漬け検査付けの日本の医療費は国の財政をも脅かす。受診抑制が収入減少につながる医師会は、改革にことごとく反対し、自民党を操って改革を遅らせている。欲の皮のつっぱった医師が諸悪の根源だ──。読み始めてじきに気になることがあって巻末を見たら、案の定、著者は厚生省(当時)の審議会委員を務めている。マスコミ界の幹部が審議会委員になることを禁じるべきだ。近頃は御用学者よりも御用記者に用心しなければならない。委員禁止のかわりに、各種審議会委員会を公開にすればいい。一般公開が無理ならマスコミだけでも傍聴(取材)を許せばよい。2001-05-13

平野拓也『税金の常識・非常識』ちくま新書
日本の消費税は約10兆円、税収に占める比率は20%。イギリスの付加価値税(17.5%)と同じ比率。「わが国の消費税が見かけは低くとも、暮らしに重い税金」。貧弱な社会保障なのに、公共事業につぎこんだ借金の増加で、「潜在的国民負担率」はヨーロッパ並になってしまった。日本の税の課しかた税の使い方における失政の集大成が今日の姿だ。著者の主張は、最終的には、「平等社会から競争社会」と新自由主義に毒されている。 同じ著者の本⇒『酷税・驚愕のしくみ』(小学館)。2001-05-26

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2001年6月

小山修三・岡田康博『縄文時代の商人たち』洋泉社
縄文時代は紀元前1万年前後から前五〜四世紀までの気の遠くなるような長い時代だ。無知蒙昧な原始的な時代というイメージは近年おおきく修正されつつある。ヒスイの製品ばかりか原石が青森県三内遺跡に運ばれ、加工されていた。単に、隣りの部族どうしとの交換による交易では説明のつかないモノと技術の交流が、相当な規模と範囲で行われていた。2001-06-05

門野晴子『介護保険不幸のカラクリ』講談社
「介護とセックスはやった者にしかわからない」などと、相変わらずの毒舌。自身の「老老介護」体験と介護保険とのかかわりを、この調子で書き綴っている。「リストラされた中高年たちが自殺なんかしないでヘルパー業に参入できるような」魅力&報酬のある職業に、はもっとも。最後のほうでは老母の要介護認定をめぐる不服審査や、施設ジプシーの体験などが記されている。以前の著作『ワガババ介護日誌』では、比較的軽症の母の介護を、物書きが面白おかしく書いている、という印象を受けた。この著作では、かなりせっぱつまっていて、リアリティがある。2001-06-20

井堀利宏『公共事業の正しい考え方』中公新書
著者は東大教授、自民党「21世紀の公共事業を考える有識者会議」のメンバーである。国の財政の機能は以下の4つにまとめられる。@資源再分配(「市場」によって配分されない社会的な財・サービスの供給)A所得再分配機能(勤勉・努力・能力にもとづく「適度な格差」を超える格差の是正)B経済活動の安定化(市場の調整機能を超える変動の緩衝や景気刺激)C将来世代への配慮(目先の利害が将来を食いつぶすことへの歯止め)…まず「市場」があって、それを補完する財政(=公共経済≒公共事業)という視点。2001-06-28

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2001年7月

北沢栄『公益法人』岩波新書
特殊法人(法に基づき「強制的に」設立された法人)の問題点はさまざまに指摘されてきた。しかし、それをとりまく財団・社団法人の衣をまとった「公益法人」が蜘蛛の巣のように張り巡らされて、「官益」を支え、非効率なだけでなく民業を圧迫している。著者はそれを端的に「見えない政府」と表現する。2001-07-03

渡辺治『「構造改革」で日本は幸せになるのか?』萌文社
「構造改革」=「新自由主義」、このことを隠蔽したままマスコミが「改革」推進への大合唱をしている。おおきな問題点は対立軸となる勢力が存在しないことだ。欧州社民勢力の「第三の道」は、日本でひとつの勢力になりうるのか? いまのところ形になっていない。著者は「新しい福祉国家」というオルタナティブを提起し、まず手始めに「福祉を中心にすえた革新自治体づくり」を、と呼びかけている。2001-07-08

滝上宗次郎『「終のすみか」は有料老人ホーム』講談社
有料老人ホーム、ケア付きマンションなど、派手な広告とは裏腹に、多くのトラブルが発生している。著者は銀行勤務(調査部)、大学講師をへて有料老人ホーム「グリーン東京」社長を務める。日ごろ歯切れのいい議論を各所で展開している。安心できる「終のすみか」があれば、多くの潜在需要が顕在化するだろう。2001-07-30

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2001年8月

伊藤周平『介護保険を問いなおす』ちくま新書
著者は一貫して介護「保険」制度に反対してきた。介護保険制度の問題点がもちろん中心だが、その背景にある老人保健制度の問題点についても多くのページを割いている。医療保険と介護保険の双方について、これだけ包括的に議論を展開できる論者は貴重な存在。2001.08.24

山本圭一『わたしは悪い歯医者』三笠書房(王様文庫)
ふざけたタイトルの割りにはマトモな内容。金儲けの数々のテクニックには、なるほどなと感心させられた。著者が「もうからない」として嫌う年寄り&子どもが、うちでは大半を占めている。都会と田舎の違い、よりも、やはり考え方の違いだろう。2001.08.27

飯島愛『プラトニック・セックス』小学館文庫
「不良少女」の半生記。プラトニック・ラブと言えば、セックスを伴わない愛だけど、これは、飯島的愛? 2001.08.28

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2001年9月

和田秀樹『間違いだらけの老人医療と介護』講談社+α文庫
65歳を「高齢者」の区切りにくることに疑問を呈する。医学的には75歳あたりで区分したほうが妥当だという。いわゆる「後期高齢者」だ。大学の老年科などは、じつはこの年齢層をあまり診ていない。血圧、血糖は少し高めでもよい。骨粗鬆症は騒ぎすぎ。老人の心はきわめて傷みやすい。夕方から夜にかけて心身に変調をきたしやすい(夕方症候群)。痴呆症の大部分はアルツハイマー。などなど、「実用書」を目指したというだけに、実用的な内容だ。2001.09.01

レイチェル・カーソン(上遠恵子訳)『センス・オブ・ワンダー』新潮社
「センス」と言ってしまうと薄っぺらな外来語だ。この本では「感性」と訳している。子どもらに「教え」ようとやっきになる大人たちが多い。「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。同名の映画を観たが、「本」の紹介がほとんどで、「感性」がいまひとつ伝わってこなかった。2001.09.01

広井良典『定常型社会』岩波新書
日本は2007年をピークに人口が減少する。(少子)高齢化社会と環境親和型社会を統合するコンセプトとして「定常型社会」を構想する。換言すれば「持続可能な福祉国家」という立場である。著者は、大学で哲学を専攻し厚生省キャリアを経て大学人へ、と華麗な変身を遂げた。理念へのこだわりはとっつきにくいところもあるが、傾聴に値する。2001.09.04

廣井脩『流言とデマの社会学』文春新書
「流言」とは、社会に流通する、虚偽ないし誇張された情報である。発生の背景に、不安や恐怖や願望など人々の強い感情的興奮がある。推測をもとに自然発生し、多くの人がもしかしたら本当かもしれない、と思い、次第にもっともらしさが加わる。いっぽう「デマ」は対立者を陥れるために、意図的に虚偽または歪曲した情報を流す。「流言の量は問題の重要性と状況のあいまいさの積に比例する」(オルポート&ポストマン)、「流言は情報の需要と供給のバランスが崩れたときに発生する」(T.シブタニ)。近頃の、デマ・流言に限りなく近いマスコミ報道に対抗するには「あいまいさ」を排除し、確かな事実を発信していくしかないようだ。2001.09.08

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2001年10月

河邑厚徳ら『エンデの遺言』NHK出版
副題は「根源からお金を問うこと」。今日、世界をめぐるマネーは300兆ドル。地球上に存在する国々のGDPの総計は30兆ドル。世界の輸出入高は8兆ドルだという(プロローグ=内橋克人)。エンデは、パンを買うお金と、金融取引で扱われるお金は、同じお金ではない、と指摘する。「お金を商品として売買してはいけない」。新古典派経済学とマルクス主義を超えた「第三の道」としてゲゼル理論を挙げる。モノは減価し、所有しつづけることにコストがかかってくるのに、お金は劣化しない。そのため、単なる等価交換の媒体から、モノ・ヒトに対する優位性を獲得し、社会に君臨する。イサカアワーなど「地域通貨」の運動は、減価しないという意味ではゲゼル理論に忠実なわけではないが、「狂乱する経済システム(グローバル・カジノ)に巻き込まれることを拒否するための手段」として積極的な意味を持つ。たいへん示唆に富む内容の書なのだが、文章がとても読みにくい。2001.10.06

今関知良ほか『定年農業のススメ』中経出版
「職業」とするには重い、かといって「道楽」では勤まらない。ロシアの家庭菜園の話。95年のジャガイモの9割、野菜の8割が「家庭菜園」(ダーチャ=小屋の意味)で生産され、食糧自給のおおきな支えになっている、という。あまり無理しない(過大な期待をしない)「帰農」を説く。2001.10.08

松村秀樹『病院屋台』小学館文庫
20xx年新宿が舞台のSF小説。医療保険の自己負担50%、完全包括払いで医療制度が崩壊、さらに廉価で高性能な「自殺マシン」が普及し、老人は病気で死なずに自殺するようになった。医師の7割が失業・・・ 検定試験で半分以上がふるい落とされ「仮免許」となった者や医療ミスを犯した者は「屋台医者」となる。2001.10.11

広河隆一『パレスチナ』徳間文庫
副題は「瓦礫の中のこどもたち」。果てしなくつづく紛争の中で、理不尽にいためつけられ、殺されていく子どもたちの写真&文。”Show the flag.”と無遠慮に押し付けるアメリカの「正義」に追従するまえに、パレスチナの現実を知る必要がある。2001.10.11

東谷暁『困ったときの情報整理』文春新書
ウマが合う、というのだろうか、似たような経緯をたどっていることに、まず親近感を覚えた。ホールソートカード、PERTが出発点だった、なんてところはそっくりだ。京大式カードやKJ法のカードなんかも、書斎のどこかの抽斗にあるはずだ。山根式ファイルとも野口式押し出しファイルともつかないモノが書棚の一角を占めている。ともあれ、著者は、「情報は分類すると検索できなくなる」、「本は最後まで読む必要はない」など、実直すぎる方法論に異を唱え、実戦的な方法を説く。失敗の経験のない者には理解しにくいかもしれない。2001.10.15

横田濱夫『しろうとでも1冊本が出せる24の方法』祥伝社文庫
ノウハウ本の形をとっているが、要は出版の裏話。やたらたくさんの本が出る昨今、こんなふうにして本が作られている--少々がっかりさせられもする。2001.10.17

穗永豊『老人の心理』中央法規出版
昭和53年初版。平成11年に第31刷が発行されている。ロングセラーだ。著者は家庭裁判所の調査員ののち江南女子短大教授。現場での多くの体験が元になっている。学説の紹介や引用は最小限。ほとんどが著者の実体験をもとに書かれている。2001.10.18

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2001年11月

坂村健『情報文明の日本モデル』PHP新書
日本にビル・ゲイツのような大天才がいなかったにもかかわらず、ここまでやってきたことをもっと評価すべき、と著者は言う。日本人にはセロトニン受容体が少ないということを根拠にするのは、どうかとも思うが、アメリカに追随せず、日本のやり方でいこうということには納得できる。2001.11.03

藤井康広『楽しい生き方・すてきな死に方』善文社
副題は「在宅医療奮戦記」。在宅ホスピスが望ましいとは思うが、担当する医療スタッフにとっては、想像を絶する大変さだ。「自分の町の藤井先生を探そう」と永六輔さんが言葉を寄せているが、なかなかもってそううまくはいかない。在宅医療は、篤志の医師の頑張りで成り立っている。システムとして確立しているとは言いがたい。2001.11.06

平澤正夫『超薬アスピリン』平凡社新書
アスピリン(アセチルサルチル酸)は、消炎解熱鎮痛剤として開発され、100年間使用されてきた。昨年、抗血小板薬として使用することが認可され、同時に小児用バファリンなどの解熱鎮痛剤が販売停止になった。あたらしい適応の認可を得るにあたって、新薬扱いで薬価を高くしようとする思惑があったためのようだ。アスピリンには、がん予防・アルツハイマー予防にも効果が期待されている。なお、毎日新聞の曲解にもとづく報道を鵜呑みにした記述があるのは残念。2001.11.18


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2001年12月

山家悠紀夫『「構造改革」という幻想』岩波書店
90年代の不況は中間に回復局面があり、前半と後半に分けて考える必要がある。ひっくるめて「失われた10年」とし、短絡的に「構造改革」に結びつけることはできない。前半はバブルの崩壊にともなう必然的な調整の側面があり、後半は企業収益が増大しているにもかかわらず、それが消費に結びついていない。供給(生産)の強化ばかりを強調する「構造改革」は根本的に間違っている。「過去において賢明でもなく、先見の明もなかった市場が、今後においてそうなるとの保証は全くない」と、市場への幻想を痛烈に批判する。2001.12.02

佐高信『小泉純一郎の思想』岩波ブックレット
そもそも「思想」なんてあるのかどうか疑問ではあるが、クリーンだというだけで圧倒的な支持を得ている。「純一郎の純は単純の『純』・・・非常に明快である反面、あまり思慮深い人ではない」 2001.12.07

梅原麦子『雨上がり』新科学出版社
布絵画集。梅原麦子さんの夫は歌手・梅原司平さん、父は、作家の故・岩倉政治さん、母は歯科医の故・岩倉理恵さん。姉の高子さんは演劇人。弟の政城さんは歯科医で東北大学の助教授。この一家とは、さまざまにつながりがあるのだが、麦子さんとは、面識がない。以前から布絵のカレンダーを拝見していた。手芸ではなく絵画、と本人が言うように、変化してきている。画集ではあるが、ちょとした思い出などのエッセイが添えられていて、その家族を知る者としては、なるほど、と思わせられる。2001.12.28

自然エネルギー推進市民フォーラム編『だれでもできるベランダ太陽光発電』合同出版
前半は太陽光パネルを使ったシステムの紹介。新味のない内容。後半はエネルギー問題を扱う。「合同出版」といえば、かつては左翼的出版物で知られた会社だが、ちかごろは、こういう自然科学を扱ったものが多いようだ。2001.12.30


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