BOOK2006
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 《2005|2006− 1011122007



2006年1月

岡田尊司『人格障害の時代』平凡社新書
異常な事件が多発し、日常生活でも誠実に良心的に生きる・暮らすことが難しくなっている。「社会が化膿し、個人が膿を発している」と著者はいう。いまの子供たちは、行動・感情をコントロールし、適切な対人関係を結ぶ能力が劣っている、という。これは自身の経験からもたしかにそうだと思う。小児の「我慢」する能力は、2〜30年前より2〜3歳分は低下している。だが著者によれば「我慢できない大人」のほうが急増している。「金と知恵と力を持っていて、怖いもの知らずで欲張りの、大人の姿をした子供」である。米国精神医学会のDSM-Wに沿って人格障害を解説してある。その違いよりも人格形成の「発達遅滞」ともいうべき共通点が強調されている。人格障害を多発させている「社会」または「時代」的背景についての病因論が、著者の最も書きたいことだったのであろう。治療論に1章が割かれてはいるが、人格障害者との接し方は専門家でもきわめて難しいことであるらしく、特効薬も妙案もない。2006.01.07

井上ひさし『円生と志ん生』集英社
ときには軽い読み物もいい。苦難の現実を笑い飛ばして前へ進んでいければいいのだが、やはりそれは物語の世界ではのことである。2006.01.08

高橋伸彰『少子高齢化の死角』ミネルヴァ書房
数字に問う日本の豊かさ」「優しい経済学」の著者が本格的に社会保障を論じる。期待が大きかったぶん物足りない気もするが、今後に期待したい。財政論が暴走している昨今、「人間の心を大切にする」経済学者が輩出し、現場を見つめながら議論を展開してくれることを願ってやまない。2006.01.11

香山リカ『いまどきの「常識」』岩波新書
リベラルな主張をする人が、いまどきの世の中でどんな扱いをされるか‥ぼやきの混じったエッセイ集。ちょっと考えれば分かりそうなスリカエの論理が横行している。平和、反戦、人権、平等、などの単語を口にしただけで言葉が通じなくなってしまう。そんな思考停止のトラップが、社会のあちこちにちりばめられている。2006.01.23

東大ベストセラー出版会『東大生が書いたお役人コトバの謎』三省堂
書店に平積みされていた。わざわざ「東大」を名乗るほどの内容でもないが、うまい商法ではある。役所でひそかに「用語集」が出回っているていると聞いたことがある。たとえば、「ただちに」「すみやかに」「遅滞なく」の使い分けなどを書いてあるとのことだが、実物を見たことはない。ひとつの社会で流通している言語は、その社会の性質・雰囲気を反映する。役所の場合は責任回避がその根底にある。2006.01.26

滝沢荘一『名優・滝沢修と激動昭和』新風舎
著者は滝沢修の息子。劇団民藝の滝沢修は、絵描きになりたかったのに役者になった、という。演劇そのものよりも、その時代を描写し、治安維持法で拘引され、農業にいそしみ、激動の時代をしたたかに生きた父の姿を伝える。2006.01.29

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2006年2月

井上ひさし『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』新潮文庫
「作文」を材料に、日本語論、日本文化論を展開する。多くの人が、いい「書き手」になろうとすれば、いい「読み手」になり、それが知的なエネルギーを高め、「日本を建て直す一番の基礎工事」になる。2006.02.01

橘木俊詔編『封印される不平等』東洋経済新報社
不平等化、すなわち格差の拡大と固定化が進行している。「勝ち組」はそれを意図的に黙殺し、「負け組」は関心を払わない。そのような状況を「封印」と表現している。第一部で橘木(経済学)、苅谷剛彦(教育社会学)、佐藤俊樹(社会学)、斎藤貴男(ジャーナリスト)が討論し、第二部で橘木がまとめをしている。佐藤は「機会の平等が確保されていれば、結果がいくら不平等でもかまわない」と、「競争社会賛成派」を自認する。しかし、いまの日本は「競争まがいの社会」だという。結果の不平等が機会の不平等を拡大再生産している。斎藤は、「構造改革の正体は、日本のエリート層がアメリカのエリート層を見てしまった結果」だという森永卓郎の言葉を引いている。すなわち、破格の処遇を受けるアメリカのエリートへの憧憬であり、エリートによるエリートのための改革である。苅谷は、教育の場でも格差が拡大し、とりわけ意欲の格差(意欲格差)が再生産されているという。かつては「努力すればナントカなる社会」だったが、いまは「努力してもしかたがない社会」(佐藤)になりつつある。「運だと思わないとやっていけない」社会(斎藤)になっている。アメリカは機会平等・結果不平等の社会だととらえられがちだが、じつは厳しい機会不平等がある(苅谷・佐藤)という。日本の社会は不平等化が進行している。アメリカ型の社会を目指すのか、ヨーロッパ型の社会を目指すのか、現に存在する不平等を直視することから始めなければならない。折りしも政治の場で「格差」が話題になりかけているが、「格差は高齢化や核家族化による見せ掛け」と「封印」を試みたかと思えば、首相は「格差があってどこが悪い」と開き直る。救いようがない。まずはこの内閣が退場することが先決のようだ。2006.02.05

F.アバネイル/S.レディング(佐々田雅子訳)『世界をだました男』新潮文庫
16歳から21歳までのあいだに偽造小切手を使い、世界をまたに掛けた詐欺をはたらき、のちに詐欺対策コンサルタントとなりFBIとも協力関係を持つという、数奇な人生を送った実在の人物の自伝。ただひとつの例外(高級コールガール)を除いて、個人に損失を被らせる犯罪は行わなかった。2006.02.07

橋田信介『イラクの中心でバカとさけぶ』アスコム
ブッシュ大統領は「イラク」という毒まんじゅうを食べてしまった。小泉首相も‥毒まんじゅうを食べてしまった。‥選択したのは小泉首相であり、その小泉氏を首相に選んだのは、我々日本国民‥(まえがき)。あの手この手でイラクに潜入し、文字どおり「爆弾を落とされる側」からイラク戦争の現場を取材する。戦場記者は戦況は語れるが戦争を語ってはならない、とはいいながら、あまりのばかばかしさに「バカ」と叫んでしまいそうになるのだ。著者は04年5月27日、バグダッド付近でゲリラの襲撃にあい死亡。享年61。2006.02.08

湯浅浩史『植物ごよみ』朝日新聞社
身近な植物の名前の由来、人との歴史的なかかわりなどを1月から12月まで、季節を追って紹介している。分類上の詮索よりも、名前の由来や人間とのかかわりなど、内外の古典に記述されている内容の紹介のほうが圧倒的に大きなウエイトを占めているが、著者は植物学の専門家である。2006.02.12

井上俊夫『初めて人を殺す』岩波現代文庫
1922年生まれというから、とうに傘寿を過ぎているはずだが、自作パソコンを操り、インターネットを活用する。サブタイトルは「老日本兵の戦争論」。捕虜の刺殺訓練など戦争体験に向き合う。だが、多くの戦争体験者は、口を閉ざしたまま世を去っていく。ちかごろの「反戦平和」への風当たりの異常な強さを「銃声が聞こえる」という詩で表現している。書名になっている「初めて人を殺す」では、軍隊時代の生活を、当時の気分感情を、リアルに記述している。(著者のHP→「浪速の詩人工房」) 2006.02.16

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2006年3月

堀武昭『「アメリカ抜き」で世界を考える』新潮選書
反米ではなく非米、「非覇権主義」を唱える。著者は「シビック・アクティビスト」を自称するが、著者の拠って立つものが、いまひとつよくわからない。「畜生には畜生に応じた懲らしめが必要」‥広島・長崎に原爆を投下したとき、トルーマン大統領がローマ法王に宛てたメッセージに、そう書かれているという。アメリカ外交には、常にそうした自己中心の思い上がりがある。民主主義と人権を好んで掲げるが、実態としては覇権主義と利権に基づいている。チェコのハヴェル元大統領、ヨルダンのハッサン王子、南アフリカのデ・クラーク元大統領などを著者は高く評価している。ハワイ併合、メキシコのサパティスタの蜂起など、あまり知られていない現代史の紹介は、この部分だけでも拾い読みする価値がある。2006.03.03

「中央公論」編集部『論争・中流崩壊』中公新書ラクレ
格差の問題を3つにわけて整理している。すなわち@所得格差、A世代間の地位再生産、B世代間の学歴再生産、である。この書は賛成反対を含めての論争集である。大竹文雄(阪大)の「格差は拡大していない」とする議論は珍奇。同一年齢層での賃金格差や資産格差は拡大していない、という統計を根拠にして、非正規労働者の急増、単身世帯の増加、高齢者の増加などをノープロブレムとする。要は構造改革路線のせいではない、と政策を弁護したいのであろう。そもそも「中流」という言葉は厳密なものではなく、「中流意識」の変化はかならずしも経済格差を表わすものではない。そのことをとらえて格差拡大の現実を見ようとしない論者もいるが、これは論外というべきだろう。いままでは「中流意識」で覆い隠されてきた格差が拡大&固定化し、「はたと格差に気づいた」状況だ、と高村薫は表現する。2006.03.07

フレディ松川『60歳でボケる人 80歳でボケない人』集英社文庫
父のボケは短期記憶の障害が急にはっきりでてきたので、気づくのが容易だったが、母の場合には見当識障害が先行し、生来の性格とあいまって、気づくのが遅れた。父のほうは進行が遅く、母は早かった。ボケの症状は10人10色だが、共通している部分も多い。生活習慣病の予防が、そのままボケの予防になるという。2006.03.19

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2006年4月

中国引揚げ漫画家の会編『ボクの満州』亜紀書房
赤塚不二夫、ちばてつやなど満州で敗戦を迎えた漫画家9人の思い出話。挿絵ふうに各人の絵が入る。漫画家の子供時代の感性がとらえた戦争の日常は苦しいけれど場違いな明るさがある。巻末に座談会の記録が掲載されていて、「地平線を見て」育った満州体験が「大陸的」な性格を形作ったという。「戦争も引き揚げも知らない若い人たちに、もう二度とこういう体験はしたくない、させたくないという思いをこめて、この一冊を贈る」とあとがきに記されている。2006.04.04

読売新聞科学部『地球と生きる「緑の化学」』中公新書
「緑の化学」(グリーンケミストリー)は@廃棄物を生成しないA原料を無駄にしないB生成物の低毒性B省エネC再生可能資源の活用D高性能触媒の開発E製品の生分解性F有害物質の生成抑制G化学事故の最少化、などを原則とする国際的な取り組みである。科学文明は、人間の生活の利便のために、実に多種かつ大量の化学物質を作り出してきた。それが環境を傷つけ、人間の生存をも脅かすようになってきた。日本で開発された「グリーンケミストリー」技術を29件紹介している。2006.04.10

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2006年5月

永田照喜治『おいしさの育て方」小学館
いわゆる「永田農法」の家庭菜園むけ入門書。常識を覆すような農法は「断食農法」「スパルタ農法」などと称される。たしかに肥料のやりすぎや有機栽培への過度の思い入れが失敗を招いている場面は多くある。2005.05.08

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2006年6月

斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』岩波新書
半年たらずの間に母と父の葬儀を営んだ。たいへん疲れた。結局は葬儀屋さんに任せてやっていくしかないのだが、親戚にうるさいのがいたりすると大変。シキタリだ、と言われ思われていることの多くが、世につれて変化し、主に商業的動機から流行り廃りがある。と分かっても、まわりと違うカタチにするのは、相当に勇気とエネルギーが要る。葬式不要、と遺言でも書いておくしかない。団塊の世代が葬送を受ける時代になると、かつて結婚式のあり方が大きく変化したように、葬儀も変化するかもしれない。2006.06.27

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2006年7月

香山リカ『テレビの罠』ちくま新書
2005年9.11の衆院選挙は、予想外の自民党圧勝であった。なぜこうなったのか、自民党支持者や小泉支持者までもが慶びを通り越して行く末を案じるような、国民の投票行動・精神構造を分析する。マスコミは意図的に小泉を持ち上げたわけではない、という。小泉陣営もまた、もちろんマスコミ対策・世論対策を練ったには違いないが、これほどの「成果」をもくろむほどの精緻な計画がたてられたわけではない。経済界が金の力でマスコミをコントロールしたわけでもない。ひたすら視聴者におもねるテレビメディアが、おもねる側とおもねられる側の相互作用によって作りだした現象である。「リセット」志向、イメージ優先路線 瞬間的真剣さ、などの小泉パフォーマンスが見事にフィットした。ある意味、より深刻な状況といえる。ファシズムとの類似性についていろんな議論がある。格差拡大を推進する方向から、格差是正を旗印に掲げる方向に転換したとき、むしろファシズムに近づくのではないかと懸念される。2006.07.16

久門易『今日からデジカメ写真がうまくなる』ソフトバンク新書
ソフトバンクが本格的に出版業に乗り出し、新書を発行した。そのなかから手軽に読めそうな1冊を手にとった。出版というプロセスそのものは、ほとんどアウトソーシングでできてしまう。逆にいうと、資力さえあれば、ほとんどあらゆる業種に進出可能な時代なのかもしれない。2006.07.17

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2006年8月

都留重人『市場には心がない』岩波書店
著者は93歳である。約5年ごとに出してきた著書も、これが最後になるだろう、と冒頭でのべる。市場は経済を活性化する仕組として有用ではあるが、そこには「心がない」どころか、しばしば邪心が入り込む。現代社会は「労働による所得」を「資本による所得」がはるかに上回っている。技術革新による効率化のもつ本来的な方向である。「労働の人間化」のために、あえて生産性を下げて、より多くの人間が生産活動に関わることができるようにする、それがいま必要な「改革」であり、「成長なくして改革をこそ」と主張する。それにしても卆寿をすぎて、このような著作をものする都留氏には脱帽するしかない。2006.08.21

小熊英二『日本という国』理論社
1962年生まれ、東大農学部から出版社勤務をへて東大大学院へ。現在、慶応大学助教授。専門は「歴史社会学」。年に何回かライブ活動をするギタリストの一面もある。 膨大な資料を渉猟し、緻密な論理を繰り広げる気鋭の論者である。前半は福沢諭吉の言葉を手がかりに明治維新と教育について述べ、後半はサンフランシスコ講和条約を軸に戦後日本のいびつな「独立」を解説する。子供向けに出版されているシリーズであり、ルビが煩わしいが、内容はオトナ、とりわけ感情的感覚的な右傾化が顕著な若い世代に読んで貰いたい本である。2006.08.22

赤木昭夫『アメリカは何を考えているか』岩波ブックレット
アメリカは、世界における覇権の維持をめざす。そのため、第一に軍事で威圧する。第二にエネルギー(石油)を押さえる。第三に、金融を支配する。第四に、いわゆる「民主化」を世界中に進める。アメリカの総合的な力は70年代がピーク、その後は世界における相対的地位が低下しつづけていて、それが焦りにつながっている。キーワードはオイルとマネー。オイルをドルで取引させ、オイルダラーは回りまわってアメリカの虚業を潤す。すなわち「オイルダラーのリサイクル」である。アメリカにとって、本当に手ごわいのは「ならず者」国家ではなく、中国・インド・EUといった「したたか者」国家群であろう。加えて南米には「あばずれ」国家が輩出している。中印ロが手を結び大ユーラシ連合‥これはアメリカにとって悪夢であろう。アメリカの焦りが極まったとき、忠実な番犬・日本を連れてどこへ向かうのか‥‥。「何を考えているかと検討してきた結果、実はブッシュ政権は深くは何も考えていないことが判明した」─これが著者の結論である。2006.08.24

柳生真吾『男のガーデニング入門』角川新書
俳優・柳生博の息子で、NHK「趣味の園芸」のキャスターを務める。ガーデニングは手がかからないようにしようと思えば、それなりに方法があるらしい。畑よりは楽して楽しめるかな? 2006.08.29

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2006年9月

高橋伸彰『グローバル化と日本の課題』岩波書店
「経済成長は絶対必要で、望ましいものなのか」と問いかける。 社会保障あるいは公共サービスを考えるときに「『真の弱者』を絞り込む必要がある」(田中直毅)という論者がいる。強者または勝者の本音に忠実な政治家や学者が幅をきかせている。 日本は「ドルの威を借りた経済大国」だ。経済成長なるものは国民には還元されない。「働く者」は報われず、「市場競争」にお墨付きを得て不当な利益を享受する者が輩出する。国民に「痛み」を押し付ける安易な論理が「改革」の名のもとにまかり通っている。 市場とは淘汰のメカニズムであり、分配のメカニズムではない。先進国では、成長の持続よりも、富をいかに分配するかのほうが重要である。環境負荷や社会的不利益などの、いわゆる「外部費用」は統計には表れない、あらたな「公害」である。 権力の濫用を「信念」とかリーダーシップと呼んで持ち上げるマスメディアの罪は重い。2006.09.12

古関彰一『憲法九条はなぜ制定されたか』岩波ブックレット
憲法1条と9条はセットで(天皇の)「戦争責任」の回避のために必要だった。また、そのことは国の戦争責任すなわち過重な賠償責任をのがれるのにも好都合だった。のちに冷戦構造のなかで、出てきた米国の「日本再軍備計画」の経済的重圧を避けることができた。その代償として沖縄が要塞化された。このように、9条は、平和主義を深く議論したうえに出来たというより、ややご都合主義的な経過をたどった。このような経緯をふまえたうえで、武力だけでは解決できない現代の世界のなかで、やはり9条が掲げる理念を貫く必要がある。2005.09.20

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2006年10月

斎藤貴雄『ルポ改憲潮流』岩波新書
立憲主義とは「国民の権利を侵害しがちな国家権力に縛りをかけるため」に憲法を定めることである。換言すれば「国家がしてはならぬこと、国家がなすべきこと」(樋口陽一)を定める。その原理原則を無視し、国民の義務を定めるものにしようとしている。 「憲法改正の何が悪い、車のモデルチェンジと一緒じゃないか、という雰囲気ができあがりました」と与党関係者が言う。 90年代以降の改憲論は、旧来の復古的なものとは異なる。米英の同盟が欧州〜中東での「安全保障」のかなめであるように、日米同盟をアジアのかなめにする、という米国の戦略に迎合する。 第6章で、読売新聞と朝日新聞の論説委員にインタビューしているのが興味深い。朝日新聞の楽観論は本気とは思えず、与党との対決を避けているとしか思えない。「白虹(はっこう)事件」&「NHK番組改変事件」のトラウマだろうか。 2006.10.02


橘木俊詔(たちばなき・としあき)『格差社会』岩波新書
著者は『日本の経済格差』(1998)で「格差」論争に火をつけた。衝撃的な内容だった。もう8年も経ったのかと思うと感慨深い。この間に格差はさらに拡大した。日本の「相対的貧困」はアメリカに近づきトップクラスになっている。論争のポイントは「格差があるのかないのか」ではなく、「格差はどこまで許されるか」に移ってきている。非正規雇用の増大が格差をことさら拡大するのは、日本の最低賃金制度や雇用制度の欠陥による。格差の固定化、再生産が進んでいる。安倍新政権は「再チャレンジ可能な社会」なるスローガンを掲げるが、それは勝組予備軍のための敗者復活戦である。予選落ちした者にまでチャンスを与えるものではない。(経済的)効率性と公平性はトレードオフの関係にあるのか‥明らかに今の政府はトレードオフを前提として効率を優先する立場に立っている。著者は「両立可能」との立場である。雇用や教育をはじめ社会保障への日本の公的支出は先進国の最低クラスである。「公務員を減らせ」、そうすれば世の中がよくなる、‥というような荒っぽい「小さな政府」論が幅を利かせている。日本の「再分配効果」はOECD加盟国中の最低である。社会保障制度が機能不全に陥りつつある。アメリカ型の国をめざすのか、ヨーロッパ型の国を目指すのか、と著者は問いかける。2006.10.18

池上彰『ニッポン、ほんとに格差社会?』小学館
著者は2005年3月までNHK「週刊こどもニュース」のキャスター(父親役)をしていた。現在はフリーのジャーナリスト。「こどもニュース」風に平易に書かれている。さまざまな「常識」について、いろんな角度からデータを収集して「〇△×」に評価する。表題になっている「格差」についている「△」の評価は少々甘すぎ。2006.10.21

田村秀(たむら・しげる)『データの罠・世論はこうしてつくられる』集英社新書
第1章は統計調査のイロハである「サンプリング」や調査手法に注目して、実例をあげて解説している。ちかごろはRDD電話調査やインターネット、テレゴングなどが多用されるが、問題が多い方法である。これらは数字になるまえの問題であるが、第2章以降はたとえ個々に正しい数字であっても、その扱い方の誤りを取り上げている。人は多かれ少なかれ数字で表わされたものを鵜呑みにする傾向がある。「データリテラシー」とでもいうべき数字を見る目が必要だ。2006.10.26

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2006年11月

門倉貴史『ワーキングプア』宝島社新書
生活保護水準にみたない年収200万円未満の勤労者が約550万人いる。非正規社員の増加により格差が拡大し、努力しても報われない社会が、ますますその傾向を強めている。中高年になってからリストラなどで「ワーキングプア」になった人たちの自殺が多発し増加傾向にある。すべては企業の論理から発している。各章末にはインタビューが掲載されている。2006.11.25

中野雅至『格差社会の終末』ソフトバンク新書
小泉について評価は甘い。規制緩和などは同じことを以前の政権もやってきたし、格差の拡大も小泉以前から起きていたことではある。が、議論に蓋をしてきわめて強引に物事を進め、生活の基本である社会保障や教育・雇用の分野にまで踏み込んだ「功績」は小泉ならではであろう。小泉のポピュリズム傾向を指摘し、随所で改革の不徹底を批判していることから、著者は経済の面では市場主義に近いようだ。知識エリートの一員として、充分に報われていない、という意識があるのかもしれない。格差について議論が盛んになってきたとはいえ、大騒ぎにはなっていない。日本人が格差に寛容なのは、それによって貧困層も含めて富が社会全体に行き渡ると信じているからだ。いわゆるトリックルダウンへの期待である。やがて忍耐の限界を迎えたとき、どうなるか。日本の世論は「怒り狂う」レベルには至らないだろう、と著者は予想する。そのうえでの対応策として、ある程度は累進税などの「応能負担」を強めると同時に、ウエルフェアからワークフェアを重視する(働くことを福祉と考え、弱者・敗者の生活を保障しない)よう提案している。ポストバブルは市場という経済原理とトラスト(信頼)という社会原理がうまく折り合いをつけていくことになるというが、はたしてどうなることか。2006.11.29

井上ひさし『ふふふ』講談社
前書きがなく、いきなり本文がはじまる。後書きもなく、パタッと終わる。「小説現代」に掲載されたコラム風のエッセイをまとめたもの。帯には「苦笑、失笑、嘲笑、哄笑─世の中、笑い事ではないけれど。言葉、政治、文化‥‥思いを書き綴った徒然の記」とある。心身ともに草臥れた日々の徒然に読む本を探していて見つけた。さすが資料魔、いろんなエピソードを紹介している。昭和20年夏、大阪の陸軍司令官が「本土決戦に備えて、戦闘の足手まといになる老人や幼児や病人は皆殺しにせよ」と発言した、とある。「病気をしたらおしまい、年をとったらおしまい」という国になってしまった、今の日本と通じるものがある。2006.11.29

相沢幸悦(こうえつ)『品位ある資本主義』平凡社新書
市場原理主義が幅を利かせている。「努力した者が報われる」というお題目は、ずるがしこい金儲け主義にお墨付きを与え、報われない者にナマケモノの烙印を押し、つまるところ正直者がバカを見る社会を容認する。 経済格差が小さく「弱者にやさしい社会」をめざすことを「品位ある資本主義」と著者は定義する。「品位」という言葉でひっくるめてしまうのはどうかと思うが、縦横に「品位のない」市場主義を批判する。「改革なくても成長」する時期に登場してカイカクを叫んだ小泉、「株式の通貨化」により繁栄する虚業。 「金を食べて飢えを満たすことはできない」(アリストテレス)という言葉を引いているが、はたして道徳や倫理だけで片付くのか。どうも「品位」という切り口だけでは迫力がない。2006.11.30

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2006年12月

C.ダグラス・ラミス『経済成長がなければ私達は豊かになれないのだろうか』平凡社
▽経済成長を求めることが現実主義であり常識的とされる。疑問をさしはさむのは非現実的理想論であるかのごとくに扱われる。氷山に向かってタイタニックに全力前進を命じる「タイタニック現実主義」である。なにが本当の「現実」「常識」なのかを論じる。 ▽「万人と万人の闘争」(ホッブス)を生み出さないために国民は国家に対して秩序、治安や防衛のための合法的暴力をふくむ権力を負託した。「国家」によって殺された人の数は過去100年で2億人にのぼる(ランメル)。ほとんどは「非戦闘員」だ。しかも約1億3千万人は自国民である。コスタリカの平和憲法は、他国と戦火を交えないためよりも、軍隊が自国民を殺さないための方策であった。 ▽グローバライゼーション=「投資の自由化」は「搾取の自由化」であって、植民地主義、帝国主義の時代と本質は変わらない。「貧困」を著者は4種に分類する。@「伝統的な貧困」:自給自足の生活は、当人たちは貧しいと思っていないが、他からみると貧しい。A「絶対貧困」:食うや食わずで、健康・生命が危険にさらされる状態。B「金持ちに対する貧困」:リッチ層に支配され、侮辱され、反抗できない状態。C「根源的独占から生まれた貧困」:なくてもいいはずのものが、なければ困る。経済・技術の「発展」にともなって生じる貧困。経済の発展は貧困の合理化と言い換えることができる。 ▽政治形態だけが「民主主義」の形をとっていても、軍事と経済はそうはなりえない。軍事と経済は常に民主主義の足をひっぱる側面がある。また、政治的民主主義にしても、時間と精神に余裕がなければ実現できない。奴隷のように働きづめの民衆には民主主義を考え実行するゆとりがない。▽2006.12.11

佐伯邦夫『天然ウドにはアクがある』桂書房
筆者は地元の元高校教員にして山岳家。以前、一緒に「地域雑誌」を作っていた。心臓疾患のため、山へ登れなくなったが、身辺の写真を撮って展覧会をしたり、文筆活動をしたり、と活性を保っておられる。もちまえの毒舌(このばあいは「毒筆」?)をふるって、手当たり次第に斬りまくる。マスコミは「特級戦犯」というのは、私もかねがね思っていたこと。「カイカク」礼賛でもマスコミは無反省ぶりを発揮している。2006.12.13

マガジン9条編集部編『みんなの9条』集英社
さまざまな分野の護憲派とみられる22人へのインタビューから成っている。改憲派は「お上にだまされたがっている」(辛淑玉)。「戦争の怖さについて、今の人はあまりにも知らなさすぎ」(太田昌秀)。「いいんじゃない?小泉さんが決めたのだし」と思っている人が多い(早苗NENE)。疎外感が「権力に対して恨むんじゃなく支持する方向へ行ってしまう」(雨宮処凛)。戦争は「いちばん弱い者のところに、ダメージを与えるようにできているのです」(愛川欽也)。「民主主義が全体主義を作っていく‥そこに手を貸すのは『私たちみんな』」(上原公子)。「今はもう戦時だ‥人びとの想像力が弱体化している」(石坂啓)。「軍隊は、外敵と戦うより‥権力を守るために国民に銃を向ける」(伊藤千尋)。「人は人を殺すことをためらう神経をもっている‥その神経をなくす訓練をすることに‥」(渡辺えり子)。押し付けで非現実だというなら「財閥を元に戻し、農地は地主に返し、華族制度を復活させ‥24条、25条も、男女不平等、不健康で非文化的と書き換えなければならない」(松本侑子)。最後は辻信一氏。「9条をまもるなんていう、ケチなことでなく」そこを出発点として「経済至上主義の物語に替わる新しい物語を紡ぎ出す」ことをめざさなければならない、と主張する。同時に「清く正しく」堅苦しい運動ではなく、楽しくかっこいい運動のスタイルが必要だと言う。2006.12.23
マガジン9条
辻信一さんのHP

小澤勲『認知症とは何か』岩波新書
04年末に厚労省が「痴呆症」に代わって「認知症」という用語を使用することを決定した。第一部は認知症の医学的解説、第二部は認知症の心の世界の内側を観察する。認知症の父母をあいついで看取ったあと、こうして認知症の書物を読んでみて、自分の判断と介護は大筋で正しかった、と安堵している。ふたりとも、最後には「ありがとう」を口癖のように言っていた。「中核症状」については、記憶障害以外は、人によって掲げる項目や用語に違いがあって、ややこしい。著者の挙げる中核症状は下記のとおり。「病態失認」を個々の知的障害と識別する重要な指標としている。周辺症状の発現および対処にあたって、コーピング(coping)の概念を重視する。なお、「アリセプト」の製薬会社が運営している「認知症を知るwww.e-65.net」は中核症状、周辺症状などを簡潔にまとめてある。2006.12.25
  認知症の中核症状
  記憶障害  短期記憶→エピソード記憶→意味記憶→手続記憶
  見当識障害 時間→場所→人物
  思考障害  失語・失認・失行
  病態失認  (状況を把握して障害をカバーすることができない)

太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』集英社新書
やたら理屈っぽい中沢よりも、太田のほうが、よほど鋭く本質を突いている。 自然や命を大切にした宮沢賢治が、一方では石原莞爾や田中智学ら国粋的日蓮主義者に傾倒した。類似の例はあまたある。非常時・戦時下という社会の影響は、それほどに強いのであって、個人を責めるのは酷かもしれない。そういえば、中沢は一時オウムに共感を示していたのではなかったか。戦争やカルト宗教になぜ共鳴していったかのメカニズムこそが大切だろう。2006.12.28

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 《2005|2006− 1011122007

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ダイモンジソウ(大文字草)