ひとりごと99  

北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」 1999

 北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」欄に掲載した文章を収録しました。版権は北日本新聞社が所有しております。引用などの際には、掲載日付と出処「北日本新聞」を明記してください。

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1998年6〜12月 1999/01/05 レモン汁 1999/01/12 兎角
1999/01/26 真夜中の電話 1999/03/29 激安駐車場 1999/05/24 休日当番
1999/06/28 ホタルイカ 1999/08/02 介護保険説明会 1999/09/06 西暦二千年問題
1999/10/18 ひょっこりひょうたん島 1999/11/01 オンブズパーソン 1999/12/06 役人道
2000年

1999/01/05 レモン汁

 仕事中、BGMがわりにラジオをつけている。音楽がかかっているな、何かしゃべっているな、という程度に聞き流している。しかし、職業というのは変なもので、歯の話が聞こえてくると、聞き流しているはずの話に耳をすませている自分に気づくことがある。
 ある日、いつものようにラジオを聞き流していた。女性の声が聞こえる。いかにもおしゃれっぽい口調で、ファッションや化粧やダイエットの話を延々と続けている。ごくろうなことだ。若い女性は熱心に聞き入っているのかもしれない。いや、若くなくても、かな。そうこうするうちに、とつぜん歯の話が聞こえてきた。レモンの絞り汁に荒塩を加えたもので歯磨きすると歯が白くなる、というのだ。つくり置きしておいて使うのだともいう。びっくりして治療中の手が止まってしまった。
 PHは酸の強さを示す数字である。PH7が中性で、小さくなるほど酸度が強い。食酢で3程度、レモンの絞り汁は2ほどになるはずだ。きわめて強い酸である。歯は燐酸カルシウムを主成分としているので、酸には弱い。虫歯は虫歯菌がつくる酸で歯が溶かされるために生じる。レモンの絞り汁を歯につければ、表面が溶かされて柔らかくなる。それをブラシでこすれば一皮むける。白くなるのは道理だけれど、カンナで歯を削っているようなものだ。
 歯を白くしたい一心で、こんな荒っぽい方法を、誰かが考え出したのだろう。ピアスの穴は放っておけば自然にふさがるらしいが、歯はそうはいかない。表面の硬い層が削れていくと、そのうちに水や風がしみるようになる。しまいには丸みがなくなり形がかわっていくだろう。
 歯磨きの民間療法には荒塩やナスの黒焼きがよく知られている。鶏糞の黒焼きというのもあるらしい。これらの効果はともかくとして、すくなくとも弊害はなさそうなので、とやかく言わない。しかし、レモン汁はすぐにやめてほしい。

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1999/01/12 兎角

 とにかく、ともかく、とかく─これらに「兎」と「角」の漢字を使うのは当て字である。ただ単に音で当てたものかと思っていたら、由緒正しい言葉から来ているらしい。「亀毛兎角(キモウトカク)」がそれだ。亀の甲には毛が生えず、兎の頭に角が生えないことから、ありえないことのたとえだという。また、事実誤認のばかばかしい議論を指す。
 ウサギには角どころか犬歯もない。それはともかく、まったく根拠のない話が大手をふって歩いていることがある。
 消費税を福祉目的税にする、という話などは、ウサギに角・カメに毛のたぐいの最たるものだ。同時に税率引き上げの話が出てくるところをみると、福祉名目税と言ったほうがいい。  「経済戦略会議」は首相直属の諮問機関である。中間報告のなかで、「西暦2003年度以降は消費税を毎年1%ずつ引き上げ、将来的には10%台にする必要がある」と言っている。審議会や委員会などの「中間報告」は「最終報告」とほとんど同義である、と当事者から聞いたことがある。含みを持たせてショックをやわらげる。うまい演出である。大蔵省は18%まで想定してソロバンをはじいている。10%台とはこういうことである。
 政府税調会長は「消費税がヨーロッパの二桁と比べて5%と低いこと」をあげて、日本の低所得層は優遇されている、と言っている。しかし、肝心なことに口をつぐんでいる。ヨーロッパでは住宅取得・教育・食料品・医薬品・水道・書籍・電力など生活必需品を非課税や軽減税率にしている。日本の低所得層はヨーロッパの人よりずっと多額の消費税を支払っているに違いない。
 生活必需品の物価が割高であること、生活環境の整備が遅れていること、社会保障のレベルがヨーロッパ諸国の半分程度でしかなく自衛のために貯蓄に励まなければならないこと、などなど国民が冷遇されていることはウサギの毛のように確かである。

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1999/01/26 真夜中の電話

 夜中の一時半ころに電話のベルが鳴った。こんな時間に電話してくるのは夜更かしの息子か、それとも単身赴任している旧友か。どっちだろう、などとぼんやり考えながら受話器を取ったら、若い女性の声である。いっぺんに目がさめた。
 あのォ、いまから診ていただけますかァ・・・・ 歯を抜いてほしいんですけどォ・・・・
 まるで夜が昼になったかのような、そんな錯覚を起こさせる、あっけらかんとした声だ。スタッフはいない、器具類も準備されていない、アタマは半分眠っている、という状況では、できることに限りがある。診るほうも診られるほうも、十分な態勢にはないのだから、よほどのことがないかぎり抜歯などの血を見るような治療は避けたい。
 昼のうちにどこかヨソで治療を受けたのだが、夕食のあと痛くなってきた、その医院へは電話が通じないのだという。夕食後からはずいぶん時間がたっている。それとも遅い夕食だったのか。いずれにしても、その間ずっとガマンしていたらしい。どんな治療を受けたのかはわからない。どうも智歯(おやしらず)らしい。話を聞くと、簡単な応急処置で済ますわけにもいかない状態のようだ。苦しそうな話ぶりでもないので不思議に思ったら、痛がっているのは本人ではなくて、友だちの男の子だという。
 恋人なのだろうか。本人になりかわって夜中に電話するなんて、いまどきは女の子のほうが積極的なのらしい。いや、今にはじまったことでもないかもしれない。表面上の態度や言葉はともかくとして、結局のところ、最後に取り仕切っているのは女のほうかもしれない。なまじ顔を立てられた男のほうは、なんのことはない矢面にたっているだけで、これじゃ兵隊と大将だ──などと、半分眠った頭は、ばかなことを考えている。
 さて、果報者の男の子には、薬を飲み、患部を冷やして、朝まで我慢してもらうことにした。

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1999/03/29 激安駐車場

 30年ほど前の新宿駅西口は、裏口と言ったほうがいいほどさびれたところだった。線路にへばりつくように飲食店が並ぶ一角があり、クジラのカツだけを出す店があった。当時は鯨肉が安く流通していて、トンカツの代用品として、学生に人気があった。小路には熱燗の自動販売機があって、硬貨を入れると酒がコップに注がれる仕掛けになっている。そこによりかかるようにして酔眼を宙に漂わせるサラリーマンの姿があったものだ。
 出張で、西口かいわいを歩くことがある。すっかりオフィス街になってしまった。ビルが立ち並び、巨大なカメラ店やパソコンショップが軒を並べている。いちじ話題になった地下道のダンボール長屋は撤去され、かわりに斜めにカットされた丸椅子のようなもの─したがって座ることもできない奇妙なものが並んでいる。都庁がひときわ異様な姿でそびえていて、駅に面した方角が正面だとすると、裏庭にあたるのが新宿中央公園だ。「新宿白糸の滝」「新宿ナイアガラの滝」と名づけられた構造物があり、その名の仰々しさにあきれる。
 この公園を境にして、街の風景ががらりと変わる。
 大通りに面した場所にはマンションや商業ビルが並ぶが、それでも切れ間があって、古い建物が混じる。街の角々にはコンビニが進出している。一歩裏通りにはいると、小さな庭のある民家や、木造アパートなどが連なっている。
 そんな街を歩いていたら、「激安百円駐車場!」という大きな看板が目に入った。地上げが中途になったような変形した敷地だ。近づいていくと、脇に小さく「12分」と書かれているのが見えてきた。1時間500円になるが、それでも都心部では安いほうなのかもしれない。
 いま医療の分野で、宣伝広告の規制緩和が図られようとしている。まさか「激安!」なんて看板を掲げる病院はないだろうけれど、何でも規制緩和すればいいというものではあるまい。

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1999/05/24 休日当番

 年一回くらいの割で休日救急歯科診療の当番がまわってくる。県内を富山・高岡・砺波・新川の四つの地域に分けて、それぞれの地域のなかでまわり持ちになっている。当番の拘束時間は午前九時から午後五時まで。
 いままでは一日に数人の受診だった。窓口にインターホンを置いて待機していればいい。器具の準備なども、慣れない手つきながら自分でする。受付は家内がする。三ちゃん農業ならぬ、二ちゃん医療だ。
 今年は連休の最中に当番があたった。この本を読んで、あの書類を仕上げて、日が長くなったから終わったあとは実家の畑仕事を手伝おう─などと心積もりをしていた。
 ところが、受け付け開始時間には、すでに何人かの患者さんが待っていた。その後はてんやわんや。午前中に10人余りの急患を診ることになった。会計は後日にして─とお願いして診療に専念したが、とても二ちゃん医療では間に合わない。きゅうきょ職員を呼び出して手伝ってもらった。たまたま家にいた職員は災難だっただろうが、おおいに助かった。
 救急医療の当番制がなかった頃、患者さんは電話帳を見ながら片っぱしから電話をかけまくっていた。自宅と診療所が兼用で電話も兼用にしていて、電話帳の先頭に近いほうが急患の電話を受ける確率が高い。これでは不合理だ。国や県が補助金を出して、いまのような当番制を普及させた。市町村の広報や新聞などに掲載され、すっかり定着した感がある。
 いま、国の台所事情のせいで、救急医療や健康増進のための予算が減額されている。まさかそのせいで救急当番制がなくなることもないだろうし、そうなっては困る。いっぽう「患者の希望による緊急性のない時間外診療の患者負担」がすでに制度化されている。時間外の加算を患者負担にするというものだ。「緊急性」の解釈しだいでは救急医療の体制が根底からひっくりかえる危険性を含んでいる。

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1999/06/28 ホタルイカ

 四日市市へ行った。ひさしぶりに特急「しらさぎ」に乗った。古い車両を大事に使っている路線である。
 会議や研修などの濃厚なスケジュールを終え、地元の人に連れられて夜の街に繰り出した。繁華街の規模は大きく、しかも賑わっている。公害で有名になっちゃたけど、もともとは港町ですから、とのこと。港町では飲み屋が繁盛するらしい。やがて、ここのオヤジはジョギング仲間でね、と小さな料理屋に案内された。
 そこで出されたのが、なんと清酒「立山」と、ホタルイカの料理だった。いつもの調子で、ホタルイカの足のほうからかじりとり、骨を歯ではさんで取りだそうとしたら、ない。変だな?と、もうひとつつまんだが同じだ。一匹づつ骨を抜いて料理してあるらしい。ずいぶんていねいに扱われている。
 ホタルイカは食べるのもいいが、獲るのもおもしろい。「ホタルイカの身投げ」のシーズンになると、魚津の漁港は、にわか漁師でにぎわう。海面に光をあて、ホタルイカが泳いでくるのを見つけると、すばやくタモですくう。昔はアセチレンのカンテラと短いタモを手に、ヒザまで海に入った。いまは、歩いて入ることのできる海辺は姿を消した。だから、港の岸壁から長い柄のついたタモですくう。よほど長くないと届かないので、伸縮式のつり竿を加工したものや、物干し竿をつないだものなどが登場する。
 光源にもそれぞれ工夫がある。懐中電灯がポピュラーだが、より強い光を出すために、発電機と投光器を持ちこむ人もいる。「やったー」という声のほうを見ると、タモの中で青白い光の粒々がゆらゆらとしている。見ているだけでも楽しい。
 地元で食べるだけというのが、いちばん有り難味が薄いようだ。ちかごろ日本の医療に対する風当たりが強い。国際的に見ると、最小限の費用で国民皆保険を実現している、たぐいまれな成功例なのに。

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1999/08/02 介護保険説明会

 町内の公民館で介護保険の説明会があった。制度のスタートは来年4月からだが、要介護度の認定は10月からはじまる。事業者や施設の認可はすでにはじまっている。
 夜7時からの開会ぎりぎりに会場へ行ったら、部屋がいっぱいで入りきれない。あふれている人のほうがむしろ多い。きゅうきょ広い部屋に変更になった。パンフレットも足りなくて、市職員が急いで取りに行った。ドタバタ劇が介護保険の先行きを暗示するかのようだ。
 市の担当者が、パンフレットと黒板を使って説明する。生命保険にたとえたりして苦心しているが、なにぶんにも新しい制度である。厚生省の作業が遅れているために、「保険料はまだ決まっていません」、「料金も決まっていません」と「未定」の部分がたくさんある。
 「保険料は天引きです」、「寝たきりになっても死ぬまで払ってもらいます」、「保険料はひとりひとりが払います」、「納税している人は標準より高い保険料になります」との説明があったとき、会場にどよめきがおこった。「うちのじいちゃんは、ちっとだけだけど税金払っとる。どっちかこっちかにしてほしい」、「じいちゃんだけでなくてワタシも払わにゃならんのか」などのささやきが聞こえる。年金を頼りにしている高齢者世帯にとっては大きな負担だ。
 サービスを受けるときには1割が自己負担になる。いちばん重度の認定を受けた人が、サービスを目いっぱい受けたら3万円強の負担になる。その説明のときにも「えーー」という声が起こった。じっさいには保険で面倒を見てくれない部分もあるので、負担はもっと重くなるだろう。
 最後に質問・要望を受ける時間があった。
 「認定審査委員は誰が選ぶのか」、「エライ人やアタマのいい人でなくて人柄で選べ」という発言があった。市長が選ぶことになっているが、どうなることやら。いずれにしても前途多難である。

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1999/09/06 西暦二千年問題

 新聞のスクラップ帳をパソコンで管理するようになってから、かれこれ10年になる。いま小さな「二千年問題」に直面している。メーカーの言うことを信じるなら、パソコン本体は多分大丈夫だろう。プログラムのほうも大丈夫らしい。本当のところはその時になってみないとわからないが、いまは信用するほかない。
 問題は、自分が入力したデータのほうだ。4桁入力を省いて、年次を98年、99年のように2桁にしていた。このような手抜きは広く行われている。プログラムも、かつてはそれが普通だった。メモリ素子が高価だったので、できるだけコンピュータの記憶容量に負担をかけないようにするテクニックでもあった。
 いずれにせよパソコンで管理することによる効用は絶大である。膨大なスクラップの中から、見出しに含まれる言葉などを手がかりにして一瞬のうちに記事を探し出すことができる。
 最近は、料金さえ払えば大手の新聞社の記事から「検索サービス」を利用できるようになった。ためしてみたら、あまりに多くの情報が引き出されて取捨選択に困る。逆に、ローカルなニュースはでてこない。ある時期に自分が関心を持った事柄、というフィルターがかかっていることが個人的なスクラップの短所でもあり長所でもある。
 ためしに「医療」の二文字を含む見出しを拾ってみると、プラスイメージのものは少なく、マイナスイメージの記事が多い。マスコミの医療に対する姿勢がうかがえる。もっとも、記事になるのは美談よりも事件のほうが多いのだから仕方がないことなのかもしれない。
 ところで二千年問題。16進法表示にすればあと百年は大丈夫だけれど、やはり4桁表示に改めるのが正道だろう。技術的な問題のほかに、この際Bサイズで統一してきたファイルをAサイズに変更しようか、といったついでの思惑があったりして、なかなか手がつけられない。

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1999/10/18 ひょっこりひょうたん島

 ♪波を じゃぶじゃぶ じゃぶじゃぶ かきわけて
 ♪雲を すいすい すいすい 追い抜いて
 「ひょっこりひょうたん島」を憶えていますか。64年から69年まで、千二百回余り放送され、94年には復刻版が放送されました。その作者の井上ひさしさんが、ひょっこり富山へお見えになります─
 こんな書き出しで案内文をつくった。今年8月、「富山県保険医協会」という団体で講演会を開催した。しかし、申し込みが殺到したために、たくさん印刷したビラはごく一部しか配布されなかった。
 6月末、井上さんに講演を依頼したところ、快く引き受けてくださった。驚いたことに講演料は無料。そのかわり、講演内容については注文をつけないでほしい、という条件だ。
 井上さんと医療には因縁浅からぬものがある。
 まず、ご父君が薬剤師で、生家は薬局をしていた。井上さんが5歳のときに亡くなり、廃業。ついで、井上さんは入ったばかりの大学を2年あまり休んで、国立療養所(結核病院)に医事課職員として勤務し、ここで「残飯闘争」を体験している。患者自治会が残飯を養豚業者などに売って活動資金にしていた。残飯は国有財産だ、いや患者のものだ、と争われた。井上さんは、患者の味方をしたのがもとで退職している。
 こんな経歴もあってか、作品によく医師が登場する。代表作「吉里吉里人」では吉里吉里国の主要産業は医療だったし、「四千万歩の男」では入れ歯師の名人に蝦夷地で出会う。近作「東京セブンローズ」では町内のひょうひょうとした歯科医が登場する。
 講演のテーマは「憲法」だった。日本人は憲法に釣り合うだけの政治的な器量をもっていない、と手厳しい。憲法を遵守したうえで不都合を論じるのではなく、軽視し無視したあげくに改憲が論じられている。それを許しているのが選挙民なのだ。

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1999/11/01 オンブズパーソン

 要介護認定の受け付けが10月1日から各地で始まった。要支援と要介護度1から5まで、あわせて6段階で評価される。要介護度は介護の必要な度合いであって、重症度ではない。外見上のたいへんさとはかならずしも一致しない。
 いっぱんに排泄・入浴・食事にどれだけ手間がかかるかによって介護度が左右されるようだ。85項目の訪問調査、かかりつけ医の意見書などによって判定される。コンピュータによる判定が大きなウエイトを占める。コンピュータソフトは何度も改訂され、より正確になるよう改善されたという。
 とはいうものの相手は人間だ。モノの目方を量るようなわけにはいかない。誤差はつきものと思ったほうがいい。
 要介護度の認定結果に不服のあるときは、県に設置される「介護保険審査会」に、サービス内容などに不満のあるときは、国民健康保険団体連合会へ申し立てができることになっている。制度のなかに、このような不服申し立ての道筋を組み込んでいるのは、画期的なことではある。けれども、いかめしい名前の窓口は住民側からはとっつきにくい。
 もっと身近なものにしようと、市町村では相談窓口をつくるなどの対策をとっている。北海道の空知中部広域連合では条例でオンブズパーソンを設置した。八王子市ではオンブズパーソンのほか公募の「サービス評価委員会」や「高齢者見守り訪問員」の設置を求める直接請求の運動がおこっている。各地で民間団体によるオンブズパーソンつくりも盛んである。日本中オンブズパーソンだらけになりそうな勢いだ。
 この言葉はスウェーデン語に由来するという。人権を守るために、市民を代表して行政を監視する。ほんらい中立というより市民寄りの組織らしい。オンブズのカタチだけではなく精神が日本中にひろがることに期待する。そうすればこの国がもうすこしましな国になるかもしれない。

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1999/12/06 役人道

 介護保険の準備が急ピッチで進められている。要介護認定の受け付けも開始された。富山市では、80歳以上は10・11月、70歳以上は11・12月と年齢別に受け付ける。高岡市や滑川市は生まれ月、新川地区では地域別にするという。
 最初に話を聞いたときは冗談かと思った。申し込みが集中して混乱することを避けるための苦肉の策だという。認定には有効期間があるので、申し込みが早ければいいというものではない。ということを強調すると、こんどは後のほうに集中するだろうから、加減がむずかしい。
 各地で説明会が行われているが、関心度理解度には地区によってずいぶんと差があるようだ。説明の上手下手というよりも、制度がややこしいので、なかなか十分な理解を得られない。
 新しい制度の導入には混乱はつきものだ。それをあげつらっても問題は解決しない。行政と住民が歩みより、知恵を出し合って改善や見直しをしていかなければならない。住民と行政の距離を縮めるまたとない機会とも言える。また、そうしないと成果があがらないだろう。
 この1年ほどのあいだに、厚生省の担当官、県や市町村の担当者など、多くの方たちと接する機会があった。この時期に介護保険の担当部署に居合わせた人にとっては、気の毒としか言いようのないほどの忙しさだ。いっぽうで、歴史的な大事業に取り組む意気込みも感じられる。政治家に感じるエネルギーとは違い、私心のない、さわやかなエネルギーだ。仕事をしすぎて、役所の中で浮きあがってしまうのではないかと心配になる。いままで抱いていた役人観をすこし変えさせられた。
 司馬遼太郎さんによれば、日本の「役人道」は鎌倉時代にはじまり明治に花開いたという。晩年、この「役人道」が失われたと嘆いておいでだった。天国の司馬さんへ。日本の役人はまだまだ捨てたものではないですよ。


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