ひとりごと98下  

北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」 1998後半

 北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」欄に掲載した文章を収録しました。版権は北日本新聞社が所有しております。引用などの際には、掲載日付と出処「北日本新聞」を明記してください。

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1998年1〜6月 1998/07/27 母親大会 1998/07/29 世界の壁
1998/08/25 6万6千人の運命 1998/09/07 叱責 1998/10/05 カルテ開示
1998/10/26 初めての入れ歯 1998/11/10 特別徴収 1998/11/30 ヨッパライ
1998/12/21 高齢者医療保険  1999年 

 
1998/07/27 母親大会

 この夏、第44回日本母親大会が富山で開催される。
 ちかごろは家庭においても地域においても父親の影が薄い。むしろ、父親のあり方を研究・交流する「父親大会」が必要なのではないかと思ったりもする。ともあれ北陸地区で初めての大会で、全国から1万人の女性が集まるとのことだ。
 全国大会に先立って、6月に富山県母親大会が開催され、医療保険について考える分科会に参加した。保険証を確認し、保険診療をし、保険請求をし、というように医療保険は私たちにとっては日常そのもので、かえって気がつかないところがある。
 さすがに主婦の感覚は鋭く、保険料や窓口負担などについての発言は細かいところを衝いてくる。とりわけ昨年9月からの薬の負担増は、想像以上に家計を圧迫しているようだ。薬を「自主規制」して病状が悪化し、入院したという人もいた。正確な情報を伝えずに、薬にたいする不信を煽るマスコミの被害者ともいえる。長期入院の制限についても、多くの人が体験している。3カ月たったら退院を強く勧められたというのはまだマシで、入院のときに退院の約束をさせられた、という人もいる。面と向かって話をする看護婦らが恨まれ役になりがちだが、保険の仕組みがそうなっているのである。今年10月からはもっと強化される予定だ。
 医療保険の「抜本改革」はまだまだ序の口。自己負担の増加はもとより、介護保険や「高齢者医療保険」によって、とくに高齢者には負担増がおおきくのしかかってくる。年金生活の世帯や、近々年金生活になる世帯の財布を預かる主婦にとっては深刻だ。長いあいだ保険料を払い続けてきて、今までは元気だったけれど、これからが病気の心配な年齢になってくる。なのに、いまになって年金も医療も給付が制限され負担が増えるのでは騙されたようなものだ。
 「父親」たちへ。国に財布を預けっぱなしにしてはいないか。

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1998/07/29 世界の壁

 ワールドカップサッカーで、日本は1勝もできずに敗退した。善戦したと言えなくもないが、勝ち点ゼロで最下位は事実。世界の壁は厚かった。監督や個々の選手の責任を云々する向きもあるが、それは酷というものだろう。決勝トーナメントのゲームを観戦していると、レベルの違いは素人目にも明らかである。
 いまさら言うまでもなく、日本は先進国のなかのエリートともいうべきサミット(主要国首脳会議)のメンバーであるし、俗に「先進国クラブ」ともいわれるOECD(経済協力開発機構)の大スポンサーでもある。世界のGDP(国内総生産)の2割近くを占め、アメリカについで2位。3位のドイツに対しては2倍。1位と2位が他を大きく引き離している。いわば第2シードの経済大国だ。
 しかし、社会保障に関して言えば、日本は予選落ちのレベルなのである。たとえば医療費。94年OECDのデータによると、対GDP比の医療費は加盟国27カ国中22位である。医療・福祉・年金など社会保障全般への投資額を示す「社会保障給付費」(GDP比)は、主要先進5カ国の中で比較すると、他国の半分にすぎない。
 ところが公共投資の比重を示す「一般政府固定資本形成」は3倍。こればかりは文句なしに超大国である。さぞや暮らしやすい生活環境が整備されているに違いない、と他国の人には想像されることだろう。ところが、多くの公共投資は、人の暮らしている町の環境をよくするためではなく、山や川、海などに巨大な人工物をつくるために費やされている。「アメリカの半分の人口、25分の1の国土の日本が、同じ量のセメントを消費している。日本の破局への道は公共事業によって舗装されている」とアメリカの新聞に書かれるほどだ。
 世界のレベルに達していないのは、サッカーばかりではない。これじゃ慰めにはならないか・・・・・。

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  1998/08/25 6万6千人の運命

 ピーポーピーポー
 救急車の音が遠くで聞こえる。音が止まった。現場に到着したのだろう。隊員が症状などを調べ、無線で本部とやりとりする。患者の移送先を確認して、再びピーポーピーポーと走り出す。救急受け入れの要請に際して患者の年齢を訊ねられることがあり、老人だと、なかなか受けてもらえないことがあるという話を聞いた。
 老人は病気の治りが遅いうえに、いくつもの病気を合併していることが多い。入院期間は長くなりがちだ。ところが、一般病棟の入院患者のうち老人の比率が高くなると、老人病棟と見なして、保険からの支払いが全体に減額される制度がある。さらに、入院期間が長くなるにしたがって、同じ治療・同じ看護をしていても、支払われる額が徐々に減らされる仕組みになっている。入院治療の基本料金にあたる「医学管理料」についてみると、一般病棟に入院して6カ月たつと若い人で当初の5分の1、老人では7分の1になってしまう。また、病棟全体の平均入院日数によって、どんなに設備やスタッフが基準を満たしていても、保険の支払いに差がつけられる。とてつもなくヤヤコシイのだが、老人を入院させると病院にとって不利になることははっきりしている。
 入院期間を短縮し、医療費を削減するための一連の方策である。しかし、なにごとも平均値でモノを考える官僚の発想を押しつけられて現場は混乱している。これらの基準が、今年10月1日からさらに強化される。たとえば入院して6カ月たつと老人の「看護料」は半分になる。一般病棟に6カ月を超えて入院している患者が、全国で6万6千人いるという(老人病院などは含まない)。いまでさえ、点滴注射や酸素吸入を続けながら退院しなければならない状況がある。この先どうなるのか、空恐ろしい。
 皮肉なことに、10月1日はWHOが定めた「国際高齢者の日」である。


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1998/09/07 叱責

 出張の新幹線車内。空いていて、よく効いた冷房が寒いくらいだった。
 「ナニ言ってんだ。アマエルんじゃないよ」
 とつぜん近くの座席から、言い争うような、叱りつけるような声が聞こえてきた。激しているから声が大きい。ただし片方の声しか聞こえない。携帯電話である。ちょうどメダカの本を読んでいて、自分がメダカになったような気分に浸っていたところだった。そこへ大声である。まるでカワセミにでも襲われたみたいにびっくりした。
 「営業ってものはだな──」などと聞こえてくるところをみると、仕事関係の話らしい。痴情のもつれなら、聞き耳をたてて想像をたくましくするのもおもしろいだろうけれど、これではうるさいだけだ。客席での携帯電話はご遠慮ください、という表示やアナウンスもされるが、あまり守られてはいない。
 ともあれ、否応なく聞こえてくる怒声によって、小川に群れるメダカの世界から俗世に引き戻された。部下を叱るような口ぶりから察するに、課長か部長か、それとも社長か、いずれにしても人を率いる「長」の肩書きのつく人であろう。厳しい経営環境の中で奮闘しているに違いない。いっぽう、状況の厳しさを認識しない部下がもどかしいのだろう。
 思えば他人事ではなくて、自分にも「院長」などという肩書きがあり、経営責任を負っている。「経営者」としての自覚・能力ともに欠けている「院長」が、私を含めて世に多い。多いどころか、ほとんどかもしれない。医療をとりまく環境がたいへん厳しくなってきて、「生き残り」などという言葉がよく聞かれる。まじめに医療に取り組んでいれば大丈夫という時代は終わり、ビジネスライクな経営手腕が求められているらしい。そんな下世話なことに時間を取られるのはイヤだという院長は経営者として失格である。
 なんだか自分が叱られているような気がしてきた。

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1998/10/05 カルテ開示

 カルテの開示が法制化されそうだ。
 東京でカルテ開示をめぐる公開シンポジウムがあった。医師側からは、患者に知らせることがためらわれる病名や、「指示をまもらない」「わがまま」といった看護記録の記述などが開示にたいして足をひっぱるとの発言があった。開示を前提としたカルテとは別に内部向けの患者記録が必要になるのではないか、との声もある。患者団体側からは、開示を求めるからには不利益な情報も受け入れる心構えが必要、患者としての責任にも目を向けなければならない、という発言があった。権利だけを振り回しているのではなく、話し合いの糸口がありそうだ。
 ミミズがのたうっているのだか、カモメが飛んでいるのだか──という発言に笑いがおこった。きれいな字を書く医師もいるのだろうけれども、カルテというと、日本語と英語やドイツ語、何語ともつかない略語などが、渾然一体となって慌ただしくなぐり書きされているのが相場のようだ。日本の医師は忙しすぎる。
 「保険病名」も問題になる。歯科の場合は、こわれてもいないのに「破損」などと書くが、これは保険の支払機関からの要請による。審査しやすくするためだ。
 シンポジストの話のあと、一般参加者からの発言になった。
 しょっぱなに意味不明の質問があった。半分英語、つまり言葉のなかの名詞の部分がぜんぶ英語で、要するに「過去1年間のもっとも重要な医学上の発見を5つ述べよ」というもの。「答えられなければ答えなくともよい」とのことである。わざと答えられないように質問し、不勉強だと言いたいらしい。シンポジウムの主旨に沿わないから、と司会がさえぎると、「ヤブイシャ!」と捨てぜりふを吐いて立ち去った。怪人物である。
 せっかく話し合いの緒についたと思ったのに、水をかけられたような気分だった。先は険しい。

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1998/10/26 初めての入れ歯

 午前中に入れ歯を入れた患者さんが、午後になって、またやってきた。入れ歯が外せない、という。もちろん入れたときに外し方を教えているのだが、わかったつもりで家に帰って、いざ外そうとしたら外せなかったのである。もういちど練習してもらう。2・3度繰り返して、こんどは大丈夫だろう、と帰っていった。ところが、夕方になって、こんどは外したら入らない、という。また練習を繰り返す。何回もすみません、と飲み込みの悪いのを、さかんに恐縮している。
 80歳をすぎてから初めて入れ歯を入れた患者さんである。若い人でも初めて入れ歯を入れたあとは、着脱のやりかたをおぼえ、口の中の違和感に慣れるのが大変だ。せっかく作った入れ歯を使わずにしまいこんでしまう人が少なくない。高齢になって初めての入れ歯に悪戦苦闘するのは無理がない。いままで歯無しで放置していたのではない。入れ歯が要らなかったのである。80歳になっても20本以上の歯を残そうという「8020運動」の優等生のような方である。入れ歯の出し入れで苦労させるなんて、こちらのほうが恐縮する。
 高齢になると指先の器用さが衰えるという。皿に盛った豆粒をハシでつまんで別の皿に移す実験をした人がいて、40〜50歳くらいで低下し始めるというので、歯科医の仕事を続けていけるのだろうかと心配になったことがある。しかし、音楽家などは、高齢になっても見事に楽器を演奏しているし、書家や画家や彫刻家にしても、指先が衰えるとは思えない。訓練しだいで能力は維持されるものらしい。
 高齢になっても歯が残っていることは、健康のバロメーターでもあり、それ自体が健康維持に役立つことは言うまでもない。しかし、歯だけ残っても健康とは言えない。つまるところ、アタマから指先まで、からだ全体を使うことが健康の維持のためには大切なようである。

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1998/11/10 特別徴収

 約20年前、病院を退職して開業した。その翌年だったと思うが、市役所から税金の未納分を支払うようにとの通知がきた。「特別徴収」されるはずだった税金が納められていないという。いままで特別な税金を余分に納めていたのかとおどろいた。「特別徴収」が「普通徴収」に切り替わるとも書いてある。なにが特別で、なにが普通なのか、わけがわからない。
 市の担当者にたずねてみた。なにも特別なものではなく市民税を給料から天引きすることを指しているのだいう。退職したために天引きされなくなり、その分の税金が未納になっていたらしい。最初から「天引き」と書いてくれれば戸惑うこともなかったはずだ。役所の文書には、特定・特別・特例などとまぎらわしい言葉がよく使われる。それぞれに意味のある使い分けなのだろうけれども、われわれにはピンとこない。
 再来年からスタートする介護保険の保険料は天引きが原則である。65歳以上の人は、年金から天引きされる。これを「特別徴収」というが、ほとんどの人が該当するから、ちっとも特別なことではない。ごく一部の人だけ現金で納めることになるが、こちらを「普通徴収」という。
 40歳以上65歳未満の人は健康保険や国民健康保険の保険料に含めて支払うことになる。会社に勤めている人にとっては天引きである。そのぶん保険料が高くなるが、多くの人は気づかないのではないだろうか。
 いま国民年金の保険料をまともに納めている人は3分の2しかいない。その二の舞にならないようにするための工夫である。しかし、知らないうちに保険料を支払わせる仕組みも変だ。保険あって介護なし、といわれる介護保険制度への後ろめたさがあるのかもしれない。すくなくとも介護保険の保険料を徴収しました、とわかりやすい形で知らせるべきだ。
 なによりも保険料を払うに値する制度にすることが先決だろう。

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1998/11/30 ヨッパライ

 久しぶりに夜行列車に乗った。狭いとはいえ個室になっていて、ぐっすり眠って、上野駅に近づいて連れに起こされるまで、まったく意識がなかった。夜行列車というのは、眠れないのも辛いし、眠りすぎて空っぽの車内で車掌さんに起こされるのもみっともない。どうも苦手だ。
 学生時代、上京するにはもっぱら夜行列車だった。蒸気機関車が重連で引っぱっていた。寝台などはぜいたく。座席に坐れれば上等で、夜通し床に坐っていくのがあたりまえ。床に敷くための新聞紙が必需品だった。よほどずぶとい神経がないと安眠などできない。
 あるとき、ヨッパライと乗り合わせた。酔ってさえいなければ「田舎の気のいいおやじさん」といった風体なのだが、ろれつのまわらない口調でいろいろしゃべっては、そうだろ、と相づちを求める。すぐそばにうら若い女性が乗り合わせていて、その女性に話しかけるだけでなくて抱きつこうとしたりする。痴態をさらしても、あとは覚えていないで済んでしまう。ヨッパライの特権乱用はけしからん、とやっかんだのではなく、当時純情なフェミニストであったので、その女性にそっと耳打ちして場所を替わった。ヨッパライには恨まれたが、聞こえないふりをした。近ごろは車内禁煙が普通になったが、禁酒車というのは聞いたことがない。迷惑な酔っぱらいは少なくないと思うのだが、社会は酒に対して寛大なようだ。
 酒を飲んで来院する人がまれにいる。酒の勢いを借りてこわーい歯医者に来る、というのは同情するが、実際には困る。血管が拡張しているので、麻酔が効きにくいし、出血はとまりにくい。酔った勢いで、もうどうでもいいから抜いてくれ、などと言われても、はいそうですかと聞くわけにはいかない。適当な手当でお茶をにごして、今度は飲まずに来てください、と引き取っていただくしかない。
 夜行列車以上にヨッパライは苦手だ。

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1998/12/21 高齢者医療保険

 老人だけを対象とした高齢者医療保険制度をつくることが検討されている。医療保険福祉審議会が、報告書でいろいろと理由をあげている。その要点をまとめると次のようになる。
 老人は若い人よりも少ない負担で高額な医療費を使っている。これは不公平だ。今どきの老人はお金持ちである。もっと保険料負担や窓口負担をしてもらおう。
 ・・・・またか、とげんなりする。老人金持ち論は厚生省がしつこくキャンペーンをはっていて、識者のあいだでさえ誤解を生んでいる。老人世帯の平均所得を老人個人の所得と混同した議論なのだ。調査対象は独立して生計を営む老人世帯。これは老人全体の4割にすぎない。おまけに平均以下が7割にもなるという奇妙な統計である。
 今回の報告書では、所得だけでなく資産もふくめて金持ちだと言っているところが、抜け目ない。たとえ所得は少なくても自分名義の土地や建物などの資産をもっていれば、保険料も医療費負担もしっかり支払っていただきます、ということだ。ツケにしておいて、死亡時に精算するらしい。どうせ墓まで持っていけないのだから使い切っていただきましょう、という意味のことが審議会の議事録には記されている。
 世代間の不公平は、医療保険ばかりでなく年金保険についても言われており、聞き飽きるほどだ。不公平という言葉にマスコミは弱い。では、保険料を納めない小児や専業主婦は不公平でないのか、と言いたくなる。そもそも社会保障とは、社会的弱者を守るために、能力に応じて負担し必要に応じて保障を受けられるようにする仕組みのはずだ。社会的弱者をのけものにする制度は社会保障とは言えない。
 報告書には「老人は弱者ではない」というフレーズがたびたび登場する。歳をとったからといって半端者扱いするなと言いたい老人の気持ちに、うまく付け入る作戦のようだ。いやはや、どこまでも抜け目がない。

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