北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」 1998前半
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1998/01/06 トラの歯
干支にちなんで、トラの話。とは言っても本物のトラではなく、自分をトラだと思った人間の話だ。中国革命の指導者であり、中国共産党主席として絶大な権威を持っていた毛沢東である。
一八九三年、湖南の農民の子として生まれた。辛亥革命、五・四運動、中国共産党創立に参加。三四年長征を指揮し、四九年中華人民共和国を建設、国家主席となった。六六年文化大革命を起して、一時弱まりかけた権力を再び掌握した。一九七六年八三歳で死去。晩年の誤りを指摘されたりもするが、いまだに中国の英雄である。
文化大革命のころ発行された「毛語録」「毛選集」「毛詩抄」の印刷部数は一四五億五千万冊、紙四〇〇万トン。毛バッチ八〇億個、使用したアルミおよびプラスチック六千万トン、そのために物資の不足さえ招いたといわれる。
人間の歴史のなかには、ときおりこのような集団ヒステリーの現象がみられる。事の大小を問わないなら、いまも頻繁におきているのかもしれない。いつの世にも時流に迎合する者がいて、それに付和雷同する者がいて、それらを先導するのがマスコミだ。
話を戻して、毛沢東である。彼は歯を磨かなかった。「トラは歯を磨かない」というのが毛沢東の言い分であったという。森の英雄であるトラに、中国の英雄である自分を重ねたのである。歯を磨くかわりに、茶で口をすすいで、出し殻をかむだけだった。茶の成分に虫歯予防の作用があるとはいっても、最低限の掃除もしないのでは問題外だ。また、トラやネコは、その歯の形などのために虫歯になりにくいという。しかし、人間の歯を持った毛沢東にはあてはまらない。
歯は無惨な状態だったという。当然である。
毛沢東は実践を大切にした思想家である。人間の歯はトラの歯ではないことが実践的に証明された。いまさら「毛思想」でもあるまいが、これはすなおに学んだほうがよさそうだ。
1998/01/07 口腔常在菌
30年ほど前のアルバムをひっくり返してみた。当時出はじめたカラー写真がときどき交じるが、ほとんどが白黒写真だ。カラー写真は色あせてしまい、輪郭もぼやけている。それに比べると白黒写真のほうは安定している。ときどき変色しかかった白黒写真があるのは、下宿の押し入れに現像機を持ち込んで、自分で現像したものだ。定着処理か水洗処理が不十分だったようだ。
その変色しかかった白黒写真のなかに、東京歯科大学教授の奥田克爾先生と東北大学歯学部助教授の岩倉政城先生が私と一緒に写っている。両氏は当時、大学院生だったはずだ。私は専門課程に進んだばかりの頃だろう。何の集まりだったのか記憶にない。みんな楽しそうな表情でいるところをみると宴会だったのかもしれない。共通するのは、富山県出身で在京の歯科学生ということなのだが、なぜ一緒にいるのかも思い出せない。
前置きが長くなった。
奥田先生の講演を聞く機会があった。先生の専門は口腔細菌学である。口の中の細菌と人間の健康との関係についてのお話だった。
口の中に細菌がたくさん繁殖していることは歯科医の常識である。口腔常在菌と呼んでいる。口の中は、細菌の餌になる食べかすなどが豊富な反面、咀嚼によってこすられたり、熱い食べ物や飲み物にさらされたりする。そこで生きるために、細菌はネバネバの物質を分泌し、集団をつくって歯や粘膜にへばりつく。
高齢者の死因のなかで肺炎が大きな割合を占めることは内科医の常識である。肺炎の原因は細菌であり、そのほとんどは元々口の中に住んでいた連中だという。何かのひょうしに肺に入り、もちまえのくっつきやすさで肺に感染をおこす。
口の中を清潔にすると肺炎が減ることが老人施設などで実証されている。歯科医の常識と内科医の常識と、いままでは結びついていなかった。感染源を断つことが大切なのだ。
1998/01/20 成人式の朝
重い障害をもったIちゃんを、初めて診たのは7歳のときだった。目は見えず、耳も聞こえているのかどうかわからなかった。口の中を調べようとすると、かすかに嫌がるような仕草をするものの、ほとんど「植物人間」に近い。けいれん発作をおさえるための薬のせいで歯肉が盛り上がり、歯が埋もれて見えないほどだった。
お母さんと養護学校の先生が協力しあって、熱心に機能訓練を続けていた。Iちゃんの世話をやりくりして、放っぱらかしだったお母さんの歯も治療した。やがて、鼻からチューブで食事を摂っていたのを口からも食べるようになった。だんだん上手に食べられるようになり、それとともに目に見えて表情が豊かになった。もしかしたら、再来年の、彼女の成人式までには、何か喋るようになるかもしれない。まさか、こんなに訓練の効果が上がるとは思っていなかったので、内心慌てた。鼻チューブから経口摂取へ切り替えて1年ほどの間に、全部の歯がひどい虫歯になった子を実際に見たことがある。
しかし、お母さんは歯の手入れも怠らなかった。以前よりも歯肉の腫れがおさまり、虫歯は1本もできなかった。それが自慢でもあったお母さんから「歯が3本抜けちゃったんです」と電話をもらった。昨年12月中旬のことだ。急に体調を崩して入院し、呼吸を維持するため、気管に管を入れるときに抜けたのだという。こういう緊急処置のときには、残念ながら時々あることだ。集中治療室から出て、おちついたら、お見舞いを兼ねて見に行きます、と言っていて、それっきりになってしまった。Iちゃん、ごめん。
成人式の日、関東地方は記録的な大雪になり、富山でも朝方は久しぶりの雪景色だった。この日の朝、Iちゃんは静かに息を引き取った。
Iちゃん、お母さん、ほんとうによくがんばった。たくさんのことを教えてくれて、ありがとう。
1998/01/27 石の唐櫃(からと)
銀婚旅行に行った。子供たちがお金を出し合って、宿を予約してくれた。行き先は、新婚旅行と同じ、飛騨路である。どちらかというと若い人好みのペンションに泊り、翌日、観光案内で知った「石の唐櫃」を見に行った。
奥飛騨温泉郷・新平湯温泉にある。なかなかみつからなくて、土地の人に聞いて、やっとたどりついた。仰々しい案内図などもなく、墓地の片隅にひっそりとたっている。
「からびつ」と読むのだろうと思っていたが、同史跡を管理する方によれば「からと」だという。辞書を引くと両方の読みがある。「衣服・甲胄・文書などを入れる唐風の櫃」(広辞苑)であるが、「屍櫃・辛櫃」と表記するばあいには「ひつぎ」を意味する。おそらく両方の意味にかけてあるのだろう。
中は真っ暗。一人が座るのでさえきゅうくつそうだ。傍らに立て札があり、村の教育委員会の名前で説明書がある。それによると、死期を悟った老人が入寂のために造ったとされている。これだけみると宗教的美談だが、腑に落ちないところがある。入寂するなら、そのまえに形だけでも出家するのが普通ではないか。
別の資料をみたら、姨捨にかかわる言い伝えがあるという。
一刀彫の仏像で知られる円空と同時代に生きた半右衛門という老人の話である。当時、飛騨の貧しい山村では、姨捨が行われていた。捨てられた老人たちの霊魂が宿る山の木を使い、鎮魂の願いを込めて、円空は仏を刻んだのだという。この村へはたびたびやってきて多くの仏像を残した。円空に心服していた半右衛門老人は、捨てられる者も捨てる者も、それぞれに心苦しいから─と自ら石の櫃を造り、そこに入った。切ない話である。
気になることがある。
ここに入ったのは後にも先にも半右衛門老人ひとりなのだろうか。美談を真似る人が後に続き、さらに、真似させられる人が続かなかったか。
1998/02/04 むずかしい?
「ねえ歯医者ってむずかしいの?」
五才の女の子にたずねられた。器具を操る手元を興味深げに見ている。歯医者の仕事がむずかしいのか、歯医者になることがむすかしいのか、どちらを聞きたいのかよくわからなかったが、「うん、むずかしいよ」と答えた。
どこかの歯科大学で、歯を削る機械を使ってタマゴの殻を削る練習をさせている、という話を聞いた。使用後の殻ではない。生タマゴである。中味を傷つけないように殻だけを削るのだという。殻の厚みがどれだけあるのか知らないが、なるほどうまい方法だと感心した。私達が歯を削るとき、数10ミクロン単位の精度が要求される。髪の毛の太さの更に何分の1かである。
われながら信じられないようなレベルである。歯科大学に入る前にそんなことを聞かされたら尻込みしたにちがいない。器用な人間だけが入学するわけではないから、教育カリキュラムの中に指先の訓練のような科目も入ってくる。そして、訓練によって、人間の能力は相当なレベルまで高めることができる。
6年間このような職人養成講座のようなことばかりしているのではない。それはごく一部で、ほとんどは歯科医学の学科である。これが半端な量ではない。いまは6年で国家試験に合格すれば免許がもらえるが、法改正により、卒業後2年間の研修を義務づけられることになりそうだ。
さきほどの子供に尋ねた。
「ねえ、歯医者になりたいの?」
「べつにぃー」
そっけない返事だ。何になりたいのかは聞き出せなかったが、毎日習い事で忙しいのだという。明るく、得々として話す。自分が挑んでいることにくらべて、それ以上にむずかしいことが世の中にあるはずがない、といった自信がのぞく。
そうだな、むずかしそうに見えても、たいがいのことはできるものだ。女の子の明るさに教えられた。
1998/02/24 ルーズソックス
半年ほど前だったろうか、列車に乗るためにJRの駅へ行った。たまたま、そこへ普通列車がはいってきて、おおぜいの乗客が改札口から流れ出てきた。ちょうど通勤通学の帰りの時間帯である。しばらくのあいだ、ぼんやり眺めていたが、そのうちに奇妙な気分になってきた。原因は、高校生とおぼしき女の子たちの足元である。ソックスのほうに余裕がありそうにないような立派な足にも、ひとり残らずルーズソックスだ。流行とはいえ、かくも画一的になっていいものか。だぶだぶの、しわしわの、しらじらしい主張が、ヒタヒタとあるいはドカドカと、群れをなして歩いてくる。みているうちに、気持ちが臆してきて、後ずさりしそうになった。
ある生命保険会社が募集している創作熟語に、隔靴掻痒をもじって靴下象様というのがある。まさしく象の群れに迷いこんだような気分であった。
斎藤弥生・山井和則共著「高齢社会と地方分権」(ミネルヴァ書房)を読んでいたら、スウェーデン・ルンド市に女子高校生の市会議員がいる、という話がでていた。選挙権も被選挙権も18歳からになっている。もちろん彼女が最も若いが、20歳前後の議員が定員65人中6人もいる。学生ばかりか公務員の議員もいるという。同書に、別の市の副市長の言葉が紹介されている。
「この国の地方政治はアマチュア精神を大切にしています。『しろうとの政治』なのです。『しろうと』がやっているからこそ、現場の声、市民の声が議会に届くという大きなメリットがあります。地方政治家に必要なのは、理論うんぬんよりも生活感覚ではないですか」
制度や文化的背景が違うとはいうものの、ルーズソックスと市会議員と、あまりの違いに戸惑うばかりだ。さいごに「高齢社会と地方分権」の結論を引用しておく。
「スウェーデンと日本の福祉の落差は、じつは、政治の落差であった」
1998/03/10 長野オリンピック
建国記念の日、白馬のスキー場へ行った。快晴の休日にもかかわらずゲレンデは閑散としている。リフトを運行しているのが気の毒になるほどである。オリンピックのためにスキー客から敬遠されたらしい。あちこちの交通標示が、長野県への車の乗り入れを自粛するよう呼掛けている。ほんとうに交通規制されているのは会場周辺と主要なアクセス道路だけのはずだが、長野県そのものを避けさせるような表示である。オリンピックの光と影と言ったらおおげさだろうか。
光りかがやく表舞台のいっぽうで、地味な裏方の仕事がある。
オリンピックの選手村には健康管理のために診療所も設けられた。内科・外科・整形外科・眼科・歯科などを備える総合診療所だ。そのなかでもっとも「人気」のある診療科が歯科なのだという。そのため、他の科では医師一人なのに、歯科は二人が配置された。
スポーツ選手の歯に大きな負担がかかることはよく知られている。以前に治療してあった部分が欠けたり外れたりすることが多いのが、繁盛しているひとつの理由。そして、もうひとつの理由は、この機会に先進国の歯科治療を受けようとする外国の選手や役員たちがいることだという。二週間ほどの間にどれほどの治療ができるのか疑問だが、通い詰めた患者もいたのだろう。
歯が悪くて、しっかり噛み合わせられない場合には瞬発力が低下する。これは実験的に確かめられている。芸能人だけでなく、スポーツ選手も「歯がいのち」なのだ。逆の発想で、歯を良好な状態にすることによって瞬発力やバランス感覚を向上させようとする試みもある。以前の冬季オリンピックで、たしか北欧のチームだったと思うが、マウスピース状のものを装着して好成績をあげ、注目された。
もちろん、天性の素質と地道な練習と、そして幸運が明暗を分けるのだろうけれど。
1998/03/11 雑誌広告
コンピュータの雑誌を読んでいたら、目薬の広告がのっていた。ウィンドウズだのインターネットだのといった言葉が踊っている誌面のなかに、目薬は異彩を放つ。コンピュータの画面を見つめていると目が疲れる。なるほど需要のあるところに広告を掲載するのか、と感心してページをめくっていると、こんどは肩こりの薬の広告がのっていた。「マウス」という入力装置は、簡単そうに見えて、じっさいには手と指の微妙な動きが必要だ。すばやく2回つづけてボタンを押す「ダブルクリック」という操作は、中高年からのパソコン入門者がもっとも苦手とするところらしい。肩がこるのも無理はない。
歯科の雑誌にはどういう広告がのっているのだろうか、と思い立ち、手元にある何冊かをめくってみた。治療椅子、機械、小器具、薬剤、材料──ぱらぱら見ても、画期的な製品はそんなにない。「歯科往診車」の広告があったので、価格を「一十百千万」と桁をたどって読んでみて、びっくりした。家が1軒建つではないか。求人広告もあり、完全週休2日の文字が並ぶ。さまざまな歯科製品にまじって講習会や研修会の広告が目を引く。2割ほどにもなるのではないだろうか。
最新の技術や治療法の講習会が多いのは当然だが、近年目立つのは、「生き残りのための経営戦略」といったタグイの、経営講習会である。昔は、そんな講習会はなかった。せちがらい世の中になったものだ。
市場原理にもとづく自由競争がなければコストの削減も質の維持もできない、医療にも競争原理を導入しろ、と主張する論者が少なくない。その道の大先輩アメリカは世界の医療費の約半分を使いながら15%の国民は無保険の状態になっている。これは明らかに失敗である。この一事を見ても、社会保障の分野は単純な市場原理にはなじまないことが明らかだろう。ただ、国の補助を減らすには都合のいい理論である。
1998/03/24 センター試験
今年のセンター試験の英語の問題のなかで歯が題材になっていた。
日本人留学生が、カナダで歯の治療を受ける話である。いつから痛みだしたかといった問診があり、甘いものが好きなことを「甘い歯をもっている」ということや、第三大臼歯(親知らず・智歯)を「知恵歯」と呼ぶことなどのやりとりがある。甘いものを控えるように注意され、「ミッション・インポッシブル」と映画のタイトルでジョークを返す。
痛んでいるのは智歯である。詰め物をする必要があり、虫歯が広がっているけれども、一回の治療で済む──と、歯科医が診断する。学生は「日本では詰め物をするために何回も通院する」と語る。
一回で済むほうが進んだ治療法で、日本の歯科医療が遅れているかのようなニュアンスが感じられて気になった。ちかごろは医療のあら探しが盛んで、治療に回数をかけるのは金儲けのためだ、などとしたり顔で解説する評論家さえいる。
日本では、奥歯の治療に「インレー」という治療法がよく用いられる。歯を削り、型をとって、金属の詰め物を作り、後日歯に接着する。よその国では、まず行われることがない方法である。アメリカの歯科学生向けのテキストをみると、「優れた治療法だがコストが高くつくので現実的ではない」と書いてある。健康保険制度の差が原因である。
ところで、夜も眠れないほどの痛みを訴えている学生に対して、詰め物をして完了、というのは「誤診」だと指摘する歯科医が多い。虫歯が神経にまで進行していることを疑うのがふつうだ。見えにくい隣の歯との間の部分をレントゲンで調べる必要もあるだろう。
カナダの歯科医の診断能力が劣っているわけでも、日本の歯科医の技術が劣っているわけでもない。試験問題のための作り話なのだろうけれども、多くの受験生に誤った印象を与えたのではないかと心配だ。
1998/04/01 ピンピンコロリ
「長野はピンピンコロリですから」
ある会議で長野県の医師と話していたときに聞いた言葉だ。長野県と健康については、何かと話題になる。長野県民の平均寿命は長い。男性では断然のトップ。女性も三位だ。内陸にあり、寒暖の差の激しい風土である。沖縄や熊本などが温暖な気候にめぐまれて長寿なのとは異なる。それ以上に注目されているのは、一人あたり医療費が全国でも最低に近いことだ。長寿なのに、どうして金がかからないのか、という話のなかで「ピンピンコロリ」が出てきたのだ。
五年ほど前、長野県佐久市の三浦大助市長の講演を聞いたことがある。元厚生省の官僚で、富山県の厚生部長を務められたこともある。佐久市は長寿の長野県の中でもトップクラス、日本一の長寿都市を誇っている。「平均余命」も大事だが「活動余命」がもっと大切だ、と強調された。大学の協力を得て、市内の高齢者の「活動余命」を調査しているところだ、という。
トップレベルとなると、量から質へと評価の基準も高くなるものだと感心した。佐久市は人口約六万、市立浅間総合病院(三百床)に常勤歯科医師三人、歯科衛生士四人を含めて歯科スタッフ一二名。在宅患者の往診歯科治療でも全国にさきがける実績をあげている。病院に勤めていた経験から、ベッド百床につき常勤歯科医一人が必要、とかねがね思っているが、実現しているところはまれだ。
長野県の医療費は低いが、健康のために投資していないわけではない。保健婦の数をみると、人口一〇万人当りで四〇人を超え、全国平均の二倍である。医療・福祉・公衆衛生のバランスがとれているのだろう、と思う。
最新の都道府県別平均寿命の統計で富山県は大躍進した。男性が前回の二四位から九位に、女性が一三位から五位、長野県に迫る勢いだ。長寿の質を問題にする段階にきているのではなかろうか。
1998/04/08 セーフティネット
国の台所が火の車で、総理大臣は火の玉で、非常事態だから仕方がないと観念し、消費税の引き上げや医療費の自己負担増などをしぶしぶ受け入れた。負担増の総額は九兆円、一人当り七万五千円、国民年金二カ月分に近い。やれやれこれでこれで世の中が落ち着くのかと思ったら、金融業界の支援のために三〇兆円、公共投資に追加一〇兆円の大盤振る舞い。なんだこれは、と大騒ぎになりそうな機先を制して二兆円の減税。九引く二は七、しかも所得がなければ減税の恩恵にもありつけない。これで財布のヒモが緩むほどアタマは緩んでいない。バカにするのもいいかげんにしてほしい。
以上、ある年金生活者の怒りの声である。
どうやら財政改革のしわ寄せがぜんぶ社会保障にかかってくるようだ。ソ連をはじめとする社会主義諸国の崩壊から以降、社会保障や社会福祉など「社会」のつくことがはやらなくなったらしい。
社会保障の考え方の基本に「セーフティネット」というのがある。すなわち、サーカスの空中ブランコや綱渡りが演じられるときに下に張られる網である。プロとはいえ、このような安全対策があればこそ思い切った演技ができる。国家には見えない網が張られている。国民が惨めな状況にならないように、国が責任をもって最小限の保障をする。それによって、社会が混乱に陥るのを未然に防ぎ、国民に安心を与え、活力を引き出す。
このように「セーフティネット」を理解していたが、国政のレベルでは違うようだ。仮想敵国と対抗し、国民をなだめて囲いこんでおくための、生簀の網のようなものだったらしい。緊張緩和で大砲やミサイルも必要が薄れたが、網のほうも必要がなくなってきた、ということだろうか。
ほころびの目立つ「セーフティネット」を見下ろし、不安で足がすくんでいる。それが昨今の不況の姿のように見える。
1998/04/22 キシリトール
さいきん「キシリトール」という文字を目にすることが多い。コンビニやスーパーへ行くと、レジのそばにキシリトール入りをうたったガムなどが並んでいる。虫歯を防ぐ甘味料、という触れ込みである。キシリトールじたいは以前から知られていた甘味料であるし、70年代にフィンランドや旧ソ連で行われた研究により、虫歯を防ぐ効果についても知られていた。インシュリンの分泌に影響を受けないカロリー源として点滴注射用に広く使われている。なぜ今ごろになって注目されているのかと不思議に思っていたら、日本では昨年まで一般の用途に使用することが制限されていたのだという。97年春、制限が解除されて市販の食品に使えるようになり、お菓子メーカーが競ってキシリトール入りの製品を売り出したということのようだ。
砂糖のほかにも甘味をもった物質はいろいろとある。ぶどう糖、果糖、麦芽糖といった糖類はもちろんだが、キク科の植物から得られるステビオサイドや、アミノ酸から合成されたアスパルテームなどがある。キシリトールは糖アルコールに分類される物質で、ソルビトール、マルチトールなどの仲間があり、同じく甘味をもっている。糖類以外は虫歯菌の栄養になりにくいために虫歯になりにくい。さらに、キシリトールの仲間は虫歯菌に一種の消化不良を起こさせるために、菌の活動を抑え、歯垢のネバネバを低下させて、歯の汚れが落ちやすくなるという。
かつて、似たような性質をもった「カプリングシュガー」が注目を集めた時期があった。液状であるために使いにくかった。最大の欠点は、同じ甘味を出すためにはカロリーが砂糖よりも高くなってしまい、ダイエットの風潮にそぐわなかったことかもしれない。
いずれにしても、虫歯の予防のために甘いものを奨める、というのが古い頭にはなかなか抵抗がある。変な時代になったものだ。
1998/05/12 キレる
歯科治療は、大人でさえも恐いのだから、子どもにとってはよほど恐いにちがいない。診療室で泣き声が聞こえるのは日常茶飯事だ。治療が終わったあとも執拗に騒ぐ子がいる。手足をばたつかせ、手に触れるものは、あたりかまわず放りなげる。足に触れるものは蹴飛ばす。そして親を叱り飛ばす。
これが二歳か三歳の子どもなら、それほど奇妙には思わない。言葉による意思の伝達が上手にできないから爆発もする。だが、最近は四〜五歳の子にこのような行動が目立つ。すべての不満を親にぶつける。親離れができていないのだ。わが子に罵られる哀れな親のほうはといえば、子どもに乗り移ったような必死な目つきで、まわりのことは目にも耳にも入らない。「ごめんね」などと声をかけながら手を握りしめている。親のほうも、子離れができていない。
ここでいう「親」は、ひとむかし前なら、母親にきまっていたが、いまは違う。治療や検診に父親が子どもを連れてくる姿が目立つようになった。きっと、家庭でも夫が家事を分担しているのだろう。男女平等の時代を実感する。
一部ではあるけれど──「父が父でなくなっている。父が父の役割を果たしていない」(林道義『父性の復権』中公新書)という指摘にぴったり当てはまるような父親がいる。母子関係に割りこんで、母親が二人になっている。子どもの最初に接する他人がこれでいいのだろうか。そのうえ、文句なしに親のほうが体力知力とも優っている時期なのに、子どもに負けてしまっている。泣く子と地頭に立ち向かうことを父親に求めたい。
ナイフを使った少年の事件が相次いでいる。キレやすい子が多いという。逆恨み、逆上、これらの短絡的な行動には幼児性が強くうかがわれる。その原因が親離れ子離れにまでさかのぼるのではないか、そしてますます増加するのではないか、と心配である。
1998/05/25 パラジウム
パラジウムの値上がりがすごい、と聞いて、新聞の経済欄をひらいてみた。株式や商品相場など、ふだんはまったく見ることのないページだ。
健康保険の歯科治療に使われる金属のうち、もっとも広く使われているのが、「金銀パラジウム合金」、通称「金パラ」と呼ばれるもので、パラジウムが約20%含まれている。他に銀が50%以上、金が12%、銅が10%ほど含まれている。本来なら、多い順に「銀パラジウム金合金」と呼ぶのが正しいのだろうけれども、金銀を先にもってくるのが通例になっている。歯科用のほか、産業界では触媒にも使われている。
新聞の経済欄に戻る。
むやみに数字の並んだ紙面から、「パラジウム」の文字を探すのに一苦労した。やっとみつけた価格を見て、びっくりした。金1グラムが1300円ほどなのに、パラジウムが1グラムで1400円をはるかに超えている。参考までに、銀はグラムで25円たらず、白金は1800円ほどだ。
パラジウムは産地がかぎられており、最大の産出国であるロシアが輸出を削減しているために、値上がりしている。先のエリツィン大統領の訪日の折、魚釣りをする暇があるなら、パラジウムの輸出拡大について話し合ってほしかった。
パラジウムで相場を張っているのなら、ほくほく顔かもしれないが、製品を使う立場としては、じつに困ったことだ。パラジウムが値上がりすれば、とうぜん、私たちが購入する「金銀パラジウム合金」も値上がりする。ところが、この4月、厚生省の定める材料価格基準が引き下げられたばかりである。保険上はこの価格基準で請求することになるので、使えば使うほど赤字になる。値上がりしているのに、引き下げとは変な話だが、今回から、10年間さかのぼって「標準偏差」を出して決めることにしたのだという。
厚生省は、したたかな相場師でもあるらしい。
1998/06/02 民営化
診療が終わってから、翌日の会議のため、列車で東京へ向かった。
ほんじつは「はくたか17号」をご利用いただきましてありがとうございます。新幹線の車両故障のため、ダイヤが大幅に乱れております。あさひ336号には接続いたしません──越後湯沢に近づいたころに、ありがたくないアナウンスがあった。遅れている前の列車にでも接続するのかと思ったら、最終列車までは全部運休とのことで、待ち時間が1時間半もある。
夕飯を食べずに家を出たので、腹拵えしようと見回したが、駅の売店はすべてシャッターが下りている。改札口を出て、駅前を眺めたが、スキーシーズンの終わった湯沢は閑散として、開いている店はまばらだ。こぎれいそうに見える店の暖簾をくぐったら、中は、狭くてこぎたない。期待せずにウドンを注文したら、案に違わず、ふやけて太くなり、短くちぎれた麺だ。観光地のいきずりの食堂に期待は禁物である。
どうにか乗り込んだ最終の新幹線だったが、熊谷で下車させられ、赤羽まで在来線の「かぼちゃ電車」。ここで赤羽線に乗り換えて池袋へ。池袋から新宿へは山手線。西口からタクシーに飛び乗って宿に着いたら午前1時をまわっていた。
月に1回か2回、出張で利用するだけなのに、よく列車のトラブルに遭遇する。過去1年でも、3〜4回はある。特別に運が悪いのだろうか。国鉄が民営化されて、経営効率がよくなったとか、サービスがよくなったとか言われるが、故障が多くなったという印象のほうが、私には強い。
日本の医療は、公定価格のもとでの「自由開業制度」による徹底した民間活力の利用が特徴だ。それによって、世界に類をみないような低いコストで医療保険制度を実現した。いま、乾いた雑巾をさらに絞るような、医療費の抑制が計られようとしている。あちこちで故障がおこるのではないかと心配である。
1998/06/10 古書店
雑誌を読んでいたら古書店の話が出ていて、学生のころを懐かしく思い出した。さいきんは昔ながらの古書店が少なくなり、新刊に近い本と中古の音楽CDを扱う新しいタイプの古書店が増えているそうだ。
大学が神田川をはさんでお茶の水駅の向かいだった。駅前からゆるやかな坂道を下っていくと駿河台下。交差点を渡ると正面に三省堂があり、右に曲がると八木書店や書泉があり、そこからずっと靖国通りに沿って古書店が並ぶ。店を覗きながらぶらぶらと歩いていくとやがて神保町の交差点だ。そこを渡ってすぐに岩波書店がある。『人間のしるし』や『健康と人類』といった古典的名著をそこで買ったことを覚えている。
古書店との付き合いは入試に始まる。当時、国公立大学は一期校と二期校の二回の入試があり、二期校の受験を終えたあと、受験参考書を抱えて古書店へ入った。どれほどの額になったものか覚えていないが、売り払ったお金でパチンコ店に入った。戦果のほどは覚えていない。不謹慎と叱られるかもしれないが、受験のための勉強に反発を感じていて、それを表現する行動のように気取っていた。受験参考書を売って、教養書を買ったほうが筋が通っていたかもしれない、と今は思う。
入学後も、古書店にはお世話になった。当時は和書の専門書が極めて少なく、洋書は高価だった。古書店で買い求めた専門書を、いくらも使わずに、また古書店に持ち込んだ。2年ほどもたっていただろうか。「新版が出たから、旧版には価値がない」と、引き取ってもらえなかった。翻訳書さえない日本と、どんどん改訂版が出される欧米と、大きな較差があった。
神田神保町界隈をうろついていた学生が、ふたまわりほど横に大きくなり、白髪頭になった。いまは和書の専門書が量・質ともに向上し、洋書は手にとる必要もなくなった。洋書を読む気力の失せた言い訳かもしれないが──。