BOOK97  

読書録

 西和彦氏が、アルバイトを雇って自分の蔵書を整理した経験を語っています。「なるほど、自分のアタマの中はこうなっていたのか」と感心したそうです。過去にさかのぼるのは大変ですが、せめてこれからは、読んだ本を記録していこう、と思い立ち、97年8月からメモしはじめました。自分のアタマのいびつさを世間に晒すことになるかもしれません。

 《1997− 1011121998





1997年8月

○新藤兼人『ボケ老人の孤独な散歩』(新潮文庫)
 先月から、新藤さんの本を続けて読んでいる。『老人とつきあう』(岩波ジュニア新書)、『現代姨捨考』(岩波・同時代ライブラリー)、そして、この本。80才になっても、これだけ物を感じ、考え、文を書けるのは驚異だ。いや、そうしつづけることがボケない秘訣なのかもしれない。

○三橋規宏『ゼロエミッションと日本経済』(岩波新書)
 大量生産・大量消費・大量廃棄型の経済は、資源と環境を食い潰してきた。このままでは、人間の営みが行き詰まるところまできてしまった。さまざまな試みが紹介されているなかに、砺波広域圏の廃棄物固形燃料化プラントがある。しかし、この方式はダイオキシンの先送りでもある。新川広域圏でもゴミ焼却施設を更新するとのことだが・・・

○佐江衆一『老い方の探求』(新潮社)
 いわゆる「老老介護」の実体験にもとづく前著『黄落』は衝撃的だった。この本は『黄落』と前後して書かれたエッセイ集。家庭内介護の体験から、介護の社会化を訴える。長男の私には他人事ではない。

○毎日新聞社会部編『破滅』(幻冬文庫)
 昭和54年、銀行強盗に入り店内に籠城、四人を射殺した凶悪犯・梅川昭美の記録。彼には強盗殺人の前歴があった。15才のときである。少年犯罪だから刑罰はうけず、少年院を経て社会に復帰した。短気・わがまま、反省がみられない、など、先ごろの酒鬼薔薇少年と似通うところが多い。

○小島ブンゴード孝子・澤渡夏代ブラント『福祉の国からのメッセージ』(丸善ブックス)
 著者らは結婚してデンマーク人になった「元日本人」。
 福祉とは、国家と国民のありかたをめぐる文化なのかもしれない。なにげない日常の記述においても「カルチャーショック」の連続だ。人口520万の小国に出来ることが、なぜ日本ではできないのか・・・日本でも、先進的な取り組みを行っているのは小さな町村である。

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1997年9月

○水野肇『医療・保険・福祉改革のヒント』中公新書
 著者は老人健康福祉審議会の委員。ただし、本の中ではこの経歴については書かれていない。あまりに一方的な内容で話題になった『介護革命』の著者、京極高宣氏(日本社会事業大学)も年金審議会の委員(会長)。厚生省による巧妙な情報操作の一環か。
 長年医療ジャーナリズムにかかわっているだけに、幅広く情報を集め(厚生省提供の情報も多い)、なるほどと思うところも多い。が、しかし、胡散臭い論理展開がところどころにある。たとえば、「社会保障費は公共事業費の1.7倍」(一般予算だけを見ている)、「日本ではこの10年間に薬価基準を半分に下げた」(薬価改定=既存薬の単純合計)、「日本の年金は平均20万円以上」(厚生年金のモデルケースか?)など。(1997-09-02)

○萱野茂『アイヌの昔話』平凡社
 自然への感謝に満ちた昔話。人間と同じように失敗したり悲しんだりする神々が活躍する。絶対無謬の神を発明するする以前の、本能に近い人間の倫理というものは、あんがい頼りになるものだ。(1997-09-03)

○宮城谷昌光『史記の風景』新潮社
 『史記』が完成したのは紀元前90年ころといわれる。そのなかに収められている話のうち、もっとも古いものは紀元前2000年をゆうにこえる。見たこともないような漢字で表記される中国の地名・人名に難儀しながら読んだ。
 司馬遼太郎さんが、中国の哲学は春秋時代が最高で、あとはだめになるばかり、と何かで書いていた。だめになったかどうかは別として、この古い時代に、人間の考えそうなことをあまねく考え尽くし、しかも、それを堂々たる文章で残していることに驚嘆する。いっぽうでは、科学技術ばかり発展した現代の人間の知恵がみすぼらしく見えてくる。(1997-09-14)

○バルブロー・ベック・フリス著・ホルム麻植佳子監訳『スェーデンのグループホーム物語』ふたば書房
 この本の原著が書かれたのは1988年。スェーデンは日本より一足先に高齢社会を迎えたとはいえ、10年前に、すでに「グループホーム」が開始され、テキストが出版されていたとは驚きである。(この本の原著は介護職種のための教科書として出版された)
 −−痴呆性老人にとって一番いいのは、環境のととのった小規模なグループホームだ。「ゆっくり」「いっしょに」「たのしむ」がキーワード。施設もさることながら、そこで働く介護スタッフの質に左右される。スタッフにはたいへんなストレスがかかる。スタッフを支える配慮が不可欠であある−−−とまとめられている。
 1992年末時点でスェーデンのグループホームは1350ケ所、人口は約8500万である。ひるがえって日本は−−と考える気力が失せる。(1997-09-15)

○田中琢・佐原真『考古学の散歩道』岩波新書
 佐原さんのファンである。学説がどうの、というほどに関心があるわけではない。単に、話がわかりやすく、おもしろいというだけだ。考古学というのは、どうころんでも、現在の政治経済社会に害悪を与えそうにない。(じつはそうではない、という話がこの本に書かれているが)−安心して楽しめる。(1997-09-19)

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1997年10月

○外山義『クリッパンの老人たち』ドメス出版 ISBN4-8107-0305-3
 クリッパンはスウェーデン南部にある人口1万6千人の田舎町である。そこに足しげく通い、訪問した老人たちの身の上話から始まり、スウェーデンの福祉政策の全容が解説されている。「高齢者ケアの基礎は住宅であるといい切ってしまってもおそらく過言ではない」という記述は、建築家である著者の我田引水ではない。北欧の福祉は住宅(住居)政策が基礎にあり、そのことが高齢者や障害者の自立を助ける上で不可欠の要因になっている。(1997-10-4)

○小林信彦『現代〈死語〉ノート』岩波新書 ISBN4-00-430484-9
 1956年(昭和31)から1976年までの、消えてしまった「流行語」を収録し、出典と時代背景を解説している。うんうん、そうだった、とうなづきながら読んだ。ということは、自分自身が「死語」に近い人間なのかもしれない。(1997-10-6)

○森永晴彦『原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ』草思社 ISBN4-7942-0769-7
 ちょっと毛色のちがった「脱原発論」。著者は海外での経歴のほうが長い核物理学者である。原発にかかわる「運動家」ではない。いちぶ、自分の専門であるアイソトープへの我田引水のようなところもあるが、核融合炉も高速増殖炉も、見込みがないからやめるべきだ、とバッサリ切捨てる。さいごに太陽光発電を推進するための「プロメテウス」プロジェクト(著者命名)を提唱している。良くも悪くも、専門家であって運動家ではない。(1997-10-7)

○原寿雄『ジャーナリズムの思想』岩波新書 ISBN4-00-430494-6
 ジャーナリズムのあるべき姿からの批判はごもっともな点が多い。新聞ジャーナリズムを優位におき、とくにテレビへの批判にウエイトが置かれている。「あるべき」像は好意的にとればジャーナリズムの自負ともいえようが、思い上がりと紙一重でもある。(1997-10-15)

○本田桂子『父・丹羽文雄-介護の日々』中央公論社 ISBN4-12-002696-5
 年老いた両親がともにボケていく。佐江衆一『黄落』とおなじような展開である。『黄落』では、母が父の首を絞める場面があったが、この本では父が母の首を絞める。ボケの進行とともに人格が変容していく。どういう人がどういう変容をするのか、興味あるところだ。(1997-10-19)

○佐瀬稔『うちの子が、なぜ!』草思社 ISBN4-7942-0390-X
 1989年に東京の綾瀬でおきた女子高生コンクリート詰め殺人事件。当事者たち、その肉親たちの証言や周辺のインタービューで構成されている。おぞましい事件を起こした少年たちの「普通」さが無気味だ。「うちの子が、なぜ!」と叫ばずに済んだのは幸運に過ぎないのか・・・ 「念には念を入れて子を愛せ....けっして手を抜くな」(「あとがき」より) (1997-10-20)
PS 少年犯罪については松江警察署「異界に住む子ども達」が出色。一見の価値あり。

○佐高信『さらばおまかせ民主主義』岩波ブックレット ISBN4-00-003359-X
 4つの対談からなる。手続きとしての民主主義は、たしかに「ある」。しかし、どうもウソくさい。「おまかせ民主主義」、「指令民主主義」、「居候民主主義」と批判するのは、ある意味では易しい。「民主主義は民主化の永久運動」(久野収)なのだ。(1997-10-25)

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1997年11月

○食生活消費情報研究会『お米なぜなぜ質問箱88』大蔵省印刷局 ISBM4-17-140010-4
 ゲーム形式の絵本。米についての常識をチェック。(1997-11-06)

○高橋昭男『仕事文の書き方』岩波新書 ISBN4-00-430517-9
 「仕事文」は文学・文芸ではない。仕事文の条件は、正確性・品位・わかりやすさ・読みやすさ・説得力である、という定義から始まる。一部の作法を除いては、文章の基本である。さいきんのマスコミは、不正確な事実にもとづいて、断定表現を避けながら、たくみに断定的な印象を植え付ける。ジャーナリストは、仕事文に学ぶ必要がある。(1997-11-07)

○永六輔『芸人』岩波新書 ISBN4-00-430528-4
 永さんの『語録』モノには、ときどきはっとする言葉がある。「美人は3日で飽きるがブスは3日で慣れる」という美輪明宏の名言も、初期の「語録」モノに収録されていた。(1997-11-08)

○斎藤弥生・山井和則『高齢社会と地方分権』ミネルヴァ書房 ISBN4-623-02441-5
 スウェーデンの福祉と地方分権について、きわめて具体的に書かれた書。驚きの連続である。社民党が福祉を推進し、保守党がブレーキをかける、と単純な図式をイメージとして抱いていたが、違う。福祉を大切にするのは当然のコンセンサスになっている。つまるところ、スウェーデンと日本の福祉の落差は「実は、政治の落差であった」という著者の言葉に要約される。
 福祉、地方行政に関係する人、また、それらに関心を持つ人には、ぜひ一読してほしい本だ。なお、著者らは別姓を名乗っているが夫婦である。「やまのいくらぶ」というホームページもある。ここも一見の価値あり。(1997-11-15)

○山本夏彦『私の岩波物語』文藝春秋 ISBN4-16-735211-7
 超辛口の名コラムニスト。週刊新潮のコラムを愛読している。このタイトルは、岩波を賛美するものではない。岩波批判ではあるが、それは出版あるいはジャーナリズム批判である。《戦後の岩波書店は「世界」と共に栄え、「世界」とともに衰えた》などは、妙に得心がいく。戦後民主主義世代は、どこかで、岩波コンプレックスを抱き、なんだか変だと思いながら、恋人の心変わりに気付かないバカを演じ続けている。(1997-11-26)

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1997年12月

○広中克彦『お役人さま!』講談社+α文庫 ISBN4-06-256181-6
 30年間、都庁の入札業者として電気工事業を営んできた著者の告発。役人の仕事ぶりがわかっておもしろい。(1997-12-01)

○早川和男『居住福祉』岩波新書 ISBN4-00-430527-6
 「福祉は住居にはじまり住居におわる」−冒頭のこの言葉がすべてを言い尽くしている。阪神大震災で5千人以上の犠牲者を出したのも、貧困な居住環境があったためだ。貧困な居住環境のままで、介護保険を制定し、在宅介護を推進しても、その効率は著しく阻害される。「住宅」を西欧先進国並みの基準で数えたら、日本の住宅戸数は半分以下になるだろう、とも言う。あとがきには「住居は人権であり、福祉の基礎である」とある。(1997-12-07)

○京極高宣『介護革命』ベネッセ ISBN4-8288-1786-7
 介護保険証さえもっていれば、必要な介護サービスをどこででも受けることができる、もう老後は安心です、貯蓄も気にしなくていい、老後が待ち遠しくなります、と書かれている。絵に書いた餅だろう、と言われるのを先回りして、学者の言うことを信じなさい、とも書いてある。特大の御用提灯である。(著者は厚生省の審議会委員)
 この本は第2章から読むべきだ。自慢話と楽観的にすぎる記述にはへきえきするものの、福祉の全般について概説されている。第1章の大提灯を見てしまうと、後の章を読む気力が失せてしまう。(1997-12-08)

○埴原和郎『骨はヒトを語る』講談社+α文庫 ISBN4-06-256226-X
 朝鮮戦争のころ、米兵の死体鑑定にたずさわった人類学者の体験談および人類学の紹介。解剖学よりも、人類学のほうが形態を詳しく研究していることを知った。学生時代、ベトナム戦争での米兵の死体を処理する極秘のアルバイトがあるという噂が広がっていた。この本を読んで、やはりあったのかもしれない、と思う。(1997-12-17)

○後藤文康『誤報』岩波新書 ISBN4-00-430446-6
 松本サリン事件での河野さんを例に引くまでもなく、マスコミの「誤報」は数多く発生し、当事者にとりかえしのつかない深い傷を負わせている。この本は具体例に即して、背景・原因を解説している。予断、願望、混乱、美化、思い込み、手抜き、「筋」情報への依存、意図的なリーク情報、スクープ、締め切りなどなど、誤報への誘因は多い。クロスチェックなどで防止を図ることは、もちろん大切だが、誤報はこれからも発生するだろう。ちいさな誤報は日常茶飯事である。情報の受け手が、マスコミには誤報がつきものだという常識を持つことも必要だ。また、誤報の後始末がお粗末なことを、もっと問題視すべきだろう。(1997-12-24)

○上野正彦『死体は生きている』角川文庫 ISBN4-04-340001-2
 東京都の監察医として検死や解剖に長年携わった経験からのノンフィクション。疑問の残る死は、あとあと問題を引き起こす。死んだ人の人権を守るために、監察医制度の普及を提唱している。死ぬときは、疑われない死に方をしたい、と思う。(1997-12-31)

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