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2004年1月
中見利男『国連のナゾQ&A』NHK出版
国連は、話題にされることが多いのに正確に知られていない。そもそも「国連」や「事務総長」という用語さえ正確とはいえない。94の質問に答える形で国連の仕組や課題を解説している。建前とは異なる裏話なども紹介し、国連に「就職」するための知識も紹介している。ニューヨークに本部が設置されたのはロックフェラーの寄付による。ハーグの国際司法裁判所はカーネギー財団の建物を借用している。アメリカの横暴、多数を占める開発途上国の横暴。そこでは「国益」がぶつかり合っている。期待される任務に比して少ない予算や人員。これらをリアリスティックに見て、「国連信仰は禁物」としたうえで「それでも国連は必要です」と主張する。2004.01.01
佐和隆光『日本の「構造改革」』岩波新書
小泉構造改革は市場主義の看板を掲げてはいるが「財政改革に尽きる」と言い切る。理念さえもない、との酷評である。前著で明らかなように、著者は「第三の道」をめざす「構造改革」論者である。それは、ひと言であらわせば「平等な福祉社会」である。ただし「ポジティブな福祉」だけですべての福祉は説明できないだろう。医療費(薬剤費)についての言説は少々的が外れている。2004.01.10
大嶽秀夫『日本型ポピュリズム』中公新書
1990年代以降の日本の政治史を「ポピュリズム」というキーワードをもとに分析する。通奏低音としての政治不信を背景として、改革の衣をまとって、悪玉に対する善玉としての期待を背負うリーダーが登場する。やがて失望され捨てられる。「期待と幻滅のサイクル」であった。また、その過程でマスコミが重要な、ときには決定的な役割を果たしてきた。政治家のタレント化、政治のワイドショー化である。第2章、第3章が小泉政治の分析に、第5章がマスコミの分析に充てられている。2004.01.18
青木雄二『ボッタクリ資本論』光文社・知恵の森文庫
5ページ前後で1話が終わるので、細切れの時間で読むのに手ごろ。「資本主義社会の本質は”勝ち逃げ”であります」「皆さんにきれいごとはいっさいいいません。この腐れ資本主義のなかで、地球上の限られた富を、お互い奪い合って生きていこうではありませんか」「ゼニはゼニのあるところに集まり、ゼニのないところにはヤミ金が寄ってくる」「ゼニを儲けた者が社会的に認められ、ゼニ儲けができなかった者は、社会から無視される」2004.01.20
宇沢弘文『経済学と人間の心』東洋経済新報社
「人間の心を大切にする経済学」を求めつづける著者には、なにか浮世離れした人の良さを感じる。「神の国」発言の森首相批判につづいて、時代の荒波に飲まれて消えていった多くの学徒への鎮魂の言葉は、胸に迫る。主要なテーマは「社会的共通資本」であり、そのなかでも環境と教育に多くのページを割いている。2004.01.26
天木直人『さらば外務省!』講談社
イラク戦争を批判し、日本の対米追従政策に異を唱える「意見具申」して首を切られた当時のレバノン大使。告発の書を世に出すにあたって、「人は私怨だと取るかもしれないが‥その通りだ。私のはらわたは煮えくり返っている」と開き直っている。内部事情に精通する立場にいた外務省キャリアの告発だけに、迫力がある。マスコミは、これでも小泉をかばいつづけるのだろうか。2004.01.29
2004年2月
田城明『知られざるヒバクシャ』大学教育出版
中国新聞(広島)の特集記事が元になっている。地方新聞が、世界各地に取材して、これだけの報道をする。他社も見習ってほしいところだ。米国では、いわゆる湾岸戦争症候群、劣化ウラン弾工場や実験施設周辺を取材し、次いで英国、イラクなどへ範囲を広げている。劣化ウラン弾の問題は、ウラン238の放射能(アルファ線)、残留ウラン235やプルトニウムの放射能(ガンマ線)、重金属毒、などがある。そのあたりの純科学的な事柄が整理されず解明されていないところにもどかしさを感じる。2004.02.01
劣化ウラン研究会『放射能兵器劣化ウラン』技術と人間
劣化ウラン弾が使われた地域などのルポから始まり、物理化学的な解説、核産業や兵器産業の思惑などをまとめている。核燃料精製の段階で生じた「劣化ウラン」だけでなく、使用済み核燃料の再処理の過程で生じたもの(回収ウラン)も劣化ウラン弾に使われている。後者のほうが、プルトニウムなどの「不純物」を多く含み、より危険である。直径10マイクロメートル(ミクロン)の酸化ウラン(238)の微粒子は、1分に1個ほどのアルファ線を放射し、微粒子から0.1mm程度の範囲のホットスポットの年間被爆線量は約100シーベルトとなる。アルファ線被爆(体内被曝)は、さまざまな疫学的な徴候から危険性が指摘されているが、アルファ線の性質から研究が困難であり、そこにつけこんでアメリカなどは「因果関係はない」と言いつづけている。2004.02.05
⇒劣化ウラン研究会 http://www.jca.apc.org/DUCJ/index-j.html
⇒原子力資料情報室 http://cnic.jp/
加藤義松『野菜づくり名人の知恵袋』講談社+α新書
著者は代々続く専業農家であり、体験農園を主宰している。「自然農法」を謳っているが、神がかり的な自然農法ではなく、とっつきやすい。実際的なヒントに満ちている。あと1ヶ月もすれば、畑が始まる。この本は座右の書になりそうだ。2004.02.18
⇒練馬区の農業体験農園 http://www.city.nerima.tokyo.jp/sangyo/noen/taiken.html
安楽玲子『暮らしのバリアフリーリフォーム』岩波アクティブ新書
「バリアフリー」というと、車椅子・段差解消・手すり、の「三点セット」を連想しがちである。著者は住宅改修アドバイザーとして数多くの生活現場を実際に見てリフォームに取り組むなかで、状況に応じた改善策を提案する。バリアフリーという概念自体が新しく、即「車椅子」という発想になりがちだ。そのために、せっかくの改修が中途半端になったり、ちぐはぐなものになって、余計にストレスになることもある。2004.02.28
2004年3月
養老孟司『バカの壁』新潮新書
帯に「話せばわかる」なんて大うそ!とある。本文でも冒頭と最後に、そう書かれている。不可知論を強調しすぎるのも危険ではないだろうか。著者は、考えること、共通認識を求めることを否定しているのではない。見ようとも聞こうともしない、考えようともしない、そんな「壁」を問題にしているのだ。わかったつもりになる、わかったつもりにさせる、そんなありかた(脳化社会の一元論)を批判している。2004.03.06
橘木俊詔『家計からみる日本経済』岩波新書
GDPの6割は「家計」である。にもかかわらず注目されないばかりか、あらゆる経済政策が供給サイドの立場で立案される。その結果、貧困家計の増加と所得格差の拡大をもたらしている。日本の最低賃金は生活保護水準より低い。失業保険制度は先進国の名に値しない内容だ。著者は公共部門が社会保障に果たす役割の小ささから、日本とアメリカを「非福祉国家の典型」と称している。2004.03.13
付記:著者の年金改革案について。橘木氏は公的年金を基礎年金に限定し、財源として「累進消費税」を提唱している。公的年金を生活保障に絞ることに賛同する。所得補償部分は「二階建て」ではなく、別立てでよい。ただ、財源論には異議がある。軽減税率やゼロ税率などの小細工は、ますます税制を複雑にし、徴税(および納税)コストを高める。むしろ消費税などは廃止し、蔵出し税(旧物品税)に戻したらどうか。あわせて、所得(累進)税の一部と、企業にたいしては事業規模に応じた社会保障税(目的税)を財源とする。
永六輔『伝言』岩波新書
「放送はいいよなぁ。返品されないものなぁ。返品してやりてぇテレビ番組ばっかりでサ。」--永さん流の「語録」を並べながら、いまの政治とテレビメディアを批判している。2004.03.18
酒井啓子『イラク 戦争と占領』岩波新書
まず戦争ありき、であった。米国の姿勢は徐々にあきらかになってきた。米国追随一本槍の日本の方向に、多くの国民は気づいてはいても、あえて声をあげない。イラクでの世論調査で、戦争の理由は「石油利権の確保のため」と見る人が47%、「イスラエルの安全保障のため」が41%、「大量破壊兵器を廃棄するため」は6%にすぎないという。2002年2月14日、世界の600の都市で1000万人が反戦のデモに参加した。しかし米国は既定のレールの上を突っ走り、「有志連合」を率いての開戦に至った。「戦争」はあっけなく終わったが、戦闘は続いている。一見イスラム勢力が台頭しているようだが、イラク国民の多くはイラン型の宗教国家よりも西欧型の民主国家を望んでいる。アメリカの「民主化」の輸出は、「民主主義」の芽を摘み取ることから始まった、「テロに対する戦い」が「テロを拡大する戦い」に転じてしまった、と手厳しく批判する。2004.03.29
2004年4月
小澤勲『痴呆を生きるということ』岩波新書
著者は精神科医。痴呆症という病理現象を外側から解説するのではなく、徹底的に寄り添い、その心の中に入り込んでいこうとする。「中核症状の成り立ちは脳障害から医学的な言葉で説明するしかないが、周辺症状を理解するには、痴呆という病を生きる一人ひとりの生き方や生きてきた道、あるいは現在の暮らしぶりが透けて見えるような見方が必要になる」(第1章)。老いと痴呆(劣位に立つこと)を受け入れることが出来ず、人に面倒を見られることの苦手な人が妄想の世界に入っていく。女性は「物盗られ」、男性は「妻盗られ」妄想になりやすいという。「いま・ここ」で暮らしていることに不安になり、どこか安心できるところへ逃れようとする、これが「徘徊」の動機だ。最後のほうで著者が肺がんにかかり全身に転移があることを告白している。2004.04.03
藤井孝一『週末起業』ちくま新書
転職による収入減は「七五三」だという。よくて7割、普通は5割、悪くすると3割。いきなり退職-独立開業を勧めるような「起業」はリスクが大きすぎる。ローリスク、ローコストの「起業」として、週末を使ったオンラインビジネスを提唱する。後半は実務的なノウハウ。成功体験をふりかざしておおぼらを吹かない姿勢に好感が持てる。2004.04.04
藤原瑠美『残り火のいのち/在宅介護11年の記録』集英社新書
11年間の在宅介護のすえ、自宅で実母を看取った記録。これだけ濃厚でかつ継続したケアを続けられたのは奇跡的だ。介護保険実施後は、むしろ難しい。ともあれ、在宅介護における、さまざまな困難やトラブルを克明に記録してあり、介護に直面している者には参考になる。叔父さんのターミナルケアのエピソードとして入れ歯の話が紹介されている。2004.04.15
呆け老人をかかえる家族の会『痴呆の人の思い、家族の思い』中央法規
「家族の会」が会員の経験を集めたもの。それぞれ1ページまたは2ページの短い記述だが、実際の体験ならではの内容だ。呆け老人の奇妙な言動は、本人にとっては故あるものなのだ。しかしそれをくみ取ることは、しばしば容易ではない。2004.04.17
中島早苗『「北欧流」愉しい倹約生活』PHPエル新書
北欧の暮らし振りを紹介する。その質素というか、虚飾を排した機能的なシンプルさのなかに豊かさがある。無駄が削ぎ落とされた社会システムが「うまく回っている」と著者は言う。「クラインガルテン」に似た「コロニーヘーウ」という分譲庭園の話が紹介されている。低廉な費用で利用でき、居住は不可。クラインガルテンンは菜園中心だが、コロニーヘーウは庭いじりが中心だという。2004.04.26
2004年5月
小沢昭一『川柳うきよ鏡』新潮社
「小説新潮」の投稿句の入選作を94年〜02年までまとめたもの。背景となる当時の出来事も簡潔に記述されている。年金で細ぼそ暮らす鶴と亀/知ったふり知らぬふりする聞き上手/断って二度目の誘いを待っている/右に母左に妻の弥次郎べえ/さりげなく女よこがお盗ませる/腰まげて余生に馴染む足場組み/紫陽花は公明党のように咲き/リモコンを炬燵の妻の背に向ける/他人事でなかったこんな齢になる/女房の尻を輪ゴムの的にする/片足を突っ込んでから皆ながい/痛みとは「欲しがりません勝つまでは」/新入りを靖国神社待っている/年金のふんわり泳ぐ鯉のぼり/などなど。2004.05.04
田中宇(たなか・さかい)『イラクとパレスチナ/アメリカの戦略』光文社新書
イラク戦争の「大義」がころころ変わる。「アメリカ政府は、常識では説明のつかないおかしな行動をとっている」。歴史を振り返れば、フセインはイラクを反米親ソから親米反ソに方向転換した立役者であり、イラン・イラク戦争にみられるようにイスラム革命への防波堤でもあった。湾岸戦争は、アメリカの暗黙の了解のもとに開始され、また、崩壊寸前に追い込まれたフセイン政権をわざと温存した。冷戦後のアメリカが、実質上たいした脅威ではないが、見かけが悪党っぽい仮想敵を必要としていた。右派系シンクタンク「ランド研究所」のレポートには「イラクは戦術的要所、サウジは戦略的要所、エジプトは戦利品」とかかれているという。かの国の奢りはどうにかならないのだろうか。いっぽう、この国はアメリカの属国であることを有利とみて、反米的傾向を抑圧し親米的振る舞いに努めている。2004.05.13
金子満雄『ボケてたまるか!』角川文庫
賛否はあるが「ボケは治る」という信念でとりくんでいる浜松医療センターの著名な医師である。ボケの多くは生活習慣病であり、一種の廃用萎縮、グータラボケだという。「生き方のツケがボケにでる」。出不精、遊び下手、付き合い下手などを言われると他人事でない。著者らの診断基準では、通常言われている痴呆症の5〜6倍の頻度となる。早期発見により治療あるいは予防の効果をあげている。従来、老人性うつ病あるいはうつ状態とされていたケースはほとんど早期の痴呆症に該当するであろう。2004.05.16
大沢周子(ちかこ)『自分でえらぶ往生際』文春新書
いくつかの話をまとめてある。いずれも著者が聞き取りして、極力、語り手の言葉のままに書きとめたものだという。死そのものにまつわるもの、介護、相続にまつわるものなど、多岐にわたる。実母の介護費用として月45万円を要求する親族など、身内というものは、とんでもない思考をするものらしい。2004.05.20
2004年6月
鎌田實『患者が主役』日本放送出版協会
NHK教育テレビ人間講座のテキスト。長野県茅野市、諏訪中央病院での地域医療の実践から、「がんばらない、あきらめない」医療を語る。著者の顔を、最近、NHKなどでも見かけることが多くなった。地域医療に熱心なのは佐久病院以来の信州の伝統ともいえようか。2004.06.07
石澤靖治『総理大臣とメディア』文春新書
テレビニュースの中に小泉首相がアップで登場し「しかたないですね」「いろいろありますね」「わかりません」などと、どうでもいいようなコメントをひとこと言って引っ込む。なんじゃこれは、と思っていたが、飯島秘書官が仕組んだものらしい。小泉・飯島のコンビはメディア操作にかけては天才的な能力を発揮する。01年参院選に際して、痛烈に与党を批判した政党CMが放送を拒まれた。歴史を振り返ると、記者出身の政治家が非常に多い。政治記者はしばしば取材を超えて、アドバイザー、ブレーンあるいはフィクサーとして振舞ってきた。2004.06.13
加藤仁『定年後をパソコンと暮らす』文春新書
パソコンを使った定年起業から、ボランティア、リハビリ、生きがい探しなど、多岐にわたる。パソコンは、老後のために案外役立つものらしい。ただ、パソコンだけというのは寂しい、プラスアルファがあれば活きる。2004.06.21
草野双人『雑草にも名前がある』文春新書
著者が一人の名前になっているが、実は草と歴史が好きな二人の共著。雑草とは、人間によって攪乱された環境に適応して繁殖し、人間活動にとって邪魔者扱いされる一群の植物をさす。これらしぶとい「雑草」に、歴史上の人物や出来事を重ね合わせて描く。草そのものより歴史のほうにウエイトがある。2004.06.25
2004年7月
金田洋一郎『デジカメで「花を撮る」』SCC
見慣れない出版社と思ったら、園芸関係専門のようだ。花好きな人の目指す写真は「図鑑写真」、花の特徴や性質を知らなければ写真は撮れない。このところ野の花を見に行く時間がとれない。こんど出かけるときには参考にしよう。2004.07.01
山口二郎『戦後政治の崩壊』岩波新書
帯に「失われる平和、崩れゆく平等」とある。戦後、これほど平和と平等がないがしろにされた時代はない。小泉政治の本質は、思考を忌避することにある。重大な路線転換が、思考回避のまま進められている。自民党のなかには平和主義の勢力が確固として存在したが、戦後世代に代がわりするにつれ、それは崩壊した。二世三世議員らの現実離れした独りよがりがまかりとおる。外交は米国追随に単純化されている。半ば揶揄をふくんで「成功した社会民主主義」と言われる平等主義はグローバリズムのなかで崩れていく。日本は議員内閣制ではなく「官僚内閣制」だ。「族議員」ばかりか「族学者」が存在し、官僚の政策決定を助ける。憲法解釈は「神学論争」だと小泉は言う。護憲にしろ改憲にしろ、憲法が大切だからこそ議論する。小泉には、そういう論理がすっぽり抜け落ちている。2004.07.11
⇒山口二郎氏のHP
塩見直紀『半農半Xという生き方』ソニーマガジンズ
小さな農業で食べる分だけの食を得て‥‥小さな暮らしをし、好きなこと、やりたいことをして積極的に社会にかかわっていくこと、と定義している。帯に「年収300万円時代」云々という字句があって気になるが、経済的な逃避ではなく隠居でもなく、「農」とのかかわりが「X」と同程度に重視されている。土を掻き混ぜ、作物を育てるという営みは、なにか人間を人間らしくする作用があるようだ。2004.07.23
⇒「里山ねっと・あやべ」・「半農半X研究所」
佐高信・テリー伊藤『お笑い創価学会・信じる者は救われない』光文社
宗教団体というものは多かれ少なかれカルト的な、すなわち超論理的な熱狂があり、そうでなければ宗教とは言えないのかもしれない。社会と隔絶して奇妙なことをやっている小集団のうちは害悪はない。しかし、自前の政党をもち、与党として国の方向を決めるキャスティングボードを握っている創価学会の影響力はけた違いに大きい。2004.07.29
2004年8月
三田誠広(みた・まさひろ)『団塊老人』新潮新書
自ら団塊世代である著者が団塊世代の「老後」を論じる。前半は世代論。真面目で勤勉な努力家ではあるけれど、傲慢にして不遜。貧乏に対する恐怖。群れたがる。理屈っぽい。帰属意識が強い・・・。後半で老後を考察する。年金財源論では日本経団連の主張に冒されている。高齢者全共闘、団塊ホームレス、高齢者フリーターなどのキーワードから出発するが、それほど奇抜なことを言っているわけではない。2004.08.10
鷲谷いづみ『自然再生』中公新書
生物多様性がメインテーマ。地球温暖化は原因と対策がはっきりしていて、「実行に移すかどうかだけが問題」である。一方の生物多様性は未解明のことが多い。それは種の多様性、遺伝子(個性)の多様性、生態系の多様性に分けられ、地球環境を守りあるいは映し、人間に「自然の恵み」をもたらす。花を愛で、果物を好むヒトの本能は自然との共生関係を示すが、いっぽうでは狩猟民族に由来する征服型戦略が勢力を拡大し、ついには地球の生態系を脅かすに至った。生存に必要な生態系を地球面積に換算すると、1980年ころから20%の「赤字」になっている。また国別1人あたりに換算した「エコロジカル・フットプリント」では格差が極めて大きい。終章で「極みの科学」から「悟りの科学」へ、と提唱する。2004.08.22
2004年9月
亀田龍吉・多田多恵子『葉っぱ博物館』山と渓谷社
読む、というより見る本。山野草は花に目が向きがちだが、葉も面白い。実際に山野へ行けば、花より圧倒的に多くの葉が目に入ってきているはずだ。が、無意識のうちに見過ごして花ばかり探している。2004.09.12
平和をつくる17人『戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法』合同出版
戦争をなくすために特効薬も即効薬もない。それどころか、人々の心のどこかに、勝ち目のある戦争ならいいじゃないか、という意識がある。戦争体験者が少なくなっていく今、何ができるか、重い課題ではある。2004.09.15
鐸木能光(たくき・よしみつ)『デジカメ写真は撮ったまま使うな!』岩波アクティブ新書
デジカメ写真のノウハウ。撮ったあとの処理について、フリーソフトなどを紹介しながらポイントを解説している。最後のほうではオンデマンド出版やデジカメ選びのポイントなどにも触れている。「パーソナル編集長」でPDFファイルを出力して版下にする、などと同じ事をやっているので、少し安心。プロの方法とくらべるとけた違いに安上がりな方法なのだ。2004.09.19
2004年10月
横江公美(よこえ・くみ)『第五の権力 アメリカのシンクタンク』文春新書
立法、行政、司法という三権に加えて、マスコミが「第四の権力」とされたのは1960年代のことだった。そして21世紀には、シンクタンクが第五の権力として認識されるようになった(第一章)。政策に影響を与えるにとどまらず、政権の人材供給源ともなっている。著者は「シンクタンク・ジャンキー」を自称する。日本の○○総研と名づけられた組織は、アメリカの定義(中立・非営利)からするとシンクタンクには該当しない。米国の税制との関連もあり、だからシンクタンクではない、とは言えないだろう。日本では、むしろ○○審議会などの諮問組織がシンクレスな「第五の権力」と化している。また、シンクタンクはその財政基盤が寄付や助成金であることから、国民のために、という志向性をもっているとは思えない。2004.10.03
青木雄二『青木雄二のゼニと病気』青春出版社
社会批評の漫画で身を立てただけあって、時代の空気を感じ取る能力には感心させられる。医療費の自己負担額や限度額、国保の「資格証明書」まで、かなり細かく例示していて、門外漢とは思えない。トンデモ本のたぐいではない、きわめてまともな内容だ。なお、著者は03年9月、肺がんのため58歳で死去。2004.10.04
保阪正康『大本営発表は生きている』光文社新書
「大本営発表」は昭和16年12月8日から昭和20年9月2日(降伏文書調印)まで、846回行われている。「大本営発表」という語は、いまも「権力による虚偽、誇張、隠蔽の比喩」としてしばしば登場する。しかし、これでは「本質を見失い矮小化してしまうことになりかねない」と著者は警告する。昭和8年ころから、すでに日本は病的空間になっていた、という。嘘で固められた空間の中で、嘘だと気づきながらも、そこに身をゆだね、むしろ嘘を煽っていくことでしか心の平穏が得られなくなっていく。新聞は「大本営陸海軍報道部」の機関紙と化した。言論人もまた「大日本言論報国会」(会長・徳富蘇峰)を結成してこれに応えた。テーマは違うが、「構造改革」をめぐって、今の時代は「病的空間」が形成されていないか。2004.10.15
2004年11月
斎藤貴男『安心のファシズム』岩波新書
04年4〜5月、日本を覆ったイラク人質事件をめぐる「自己責任」論争の奇妙さから話は始まる。「抑圧がさらなる抑圧や差別を生む悪循環。浅ましい心理のメカニズム」が底流にある。自由をみずから捨てて管理されることの安易さに慣れていく。国民統合のための手段として福祉は捨てられ、かわって恐怖と安心のコントロール=監視社会が支配する。「社会的ダーウィニズム」により格差が拡大・固定され、国内的には監視社会、国外的には軍事優先の社会=「ネオ封建時代」に向っていく。それは新しいファシズムだ。「この国はもう、少し前までの日本ではない」、「ファシズムは、そよ風とともにやってくる」。2004.11.09
広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか』集英社新書
災害の心理学。「パニック」は想像されているほど起きるものではなく、むしろ人間は危険を過小評価する傾向がある。被災直後の「火事場のバカ力」から虚脱、そしてPTSDへ、個人差はあっても人間のたどる心理的軌跡は同じ傾向にある。避難行動は家族単位で行われることが多く、それはサバイバルの確率を一般的には高めるが、場合によっては逆の結果になることもある。災害によって、貧富の差に逆比例して被害そのものが大きく、また被害の影響も大きくなる。さて、災害時に、適切な行動がとれるかどうか、あまり自信はない。2004.11.23
寺島実郎『脅威のアメリカ、希望のアメリカ』岩波書店
アメリカとどうつきあうべきか、がテーマである。随所に歴史的な考察が加えられる。日米関係はペリーとマッカーサーに象徴される。米国は決して民主主義と人権の国ではない。自国利害中心であり軍事力を背景にした押し付けである。第一次世界大戦当時のウィルソン大統領、第二次世界大戦当時のルーズベルト大統領は、それぞれ世界を制御する仕組についてのビジョンを持っていた。ブッシュには、「カウボーイ・メンタリティ」のほかなにもない。「親米入亜」を外交の基本に据えるよう提言する。なお、ブッシュ再選直後に寺島氏の講演を聞いた。「重心の低い視点」を生み出すにふさわしい、がっしりした体型の人であった。2004.11.29
一志治夫『魂の森を行け』集英社
自然保護の先駆者、「植物社会学」宮脇昭の評伝。「ふるさとの木によるふるさとの森づくり」をめざし、その土地に合った「潜在自然植生」にもとづく植樹をする。副題は「3000万本の木を植えた男の物語」。2004.11.30
2004年12月
新井満(あらい・まん)『千の風になって』講談社
作者不詳の英語の詩(a thousand wind)が、あちこちで遺書がわりに記され、あるいは死者の追悼のために朗読されているという。友人の奥さんの死を悼み、それを日本語に訳して曲をつけた著者による同名の書。写真とエッセイが収められていて、30分もあれば読める。「私のお墓の前で 泣かないでください/そこに私はいません 眠ってなんかいません/千の風に 千の風になって/あの大きな空を 吹きわたっています/‥‥」。作者不詳だが、著者はアメリカ原住民ではないかと推測している。2004.12.01
和田宏『司馬遼太郎という人』文春新書
編集者として司馬と長く接してきた著者による司馬観。記憶に残る日常的な言動から司馬(福田定一)の人間を観察する。タイトルの「〜という」 は司馬のよく使う言い回しだ。司馬史観などと称して、極限まで司馬をもちあげて、そこにはしごをかけて自分を引き上げようとする輩もいる。たぶん、司馬はそんな扱いを毛嫌いするにちがいない。佐高信は、司馬と藤沢周平を対比して優劣を論じるが、これもおかしい。空高くから景色を眺めるように歴史を観るという視点は、おもしろい。縁の下から聞き耳をたてるようにして歴史を描くのもいい。どっちも好きならそれでいいじゃないかと思う。2004.12.02
川上和久『イラク戦争と情報操作』宝島社
権力による情報操作が情緒的に世論形成する。一見、言論の自由、報道の自由が保障されているかに見える社会の中で、メディア・ポリティックスはウソ臭さを巧みに演出の力で消し去る。ホワイトプロパガンダ(誇張)ブラックプロパガンダ(でっちあげ)カード・スタッキング(握りつぶし)ネーム・コーリング(レッテル貼り)バンドワゴン(大勢順応)などなど、多くのテクニックが存在する。1898年の米西戦争以来の米国の情報操作を見るとうんざりする。この国には自由や民主主義を口にする資格があるのだろうか。2004.12.03
石川徹也『日本の自然保護』平凡社新書
日本の「自然保護運動史」。日本では自然保護よりも、公害からくる人間のための環境保護に重点が置かれ、国立公園などにみられる自然保護は、実は「景観保護」であった。尾瀬沼を電源開発から守る運動が日本自然保護協会の設立(1951)につながる。しかし、尾瀬の現状は観光に主導され、オーバーユースに陥り危険な状況だという。行政は「スーパー林道事業」(65年)「大規模林道事業」(69年)など、地域振興を名目に、実際には観光目的の事業を推し進めている。富山県関連では立山黒部アルペンルート、黒部川のダム排砂が取り上げられている。巻末に日本自然保護協会の「自然保護憲章」(1974)が収められている。2004.12.12
青木雄二『ゼニの人間学』ハルキ文庫
理屈よりも経験にもとづいた毒舌がリアルで鋭い。「僕たち現代人は、自分たちの知らないあいだに、ゼニを基盤とする巨大で不可解なシステムに縛りつけられてしまっている」「ゼニには人間を狂気に導く魔力がある」「金持ちほどラクして儲かる‥ゼニには、そういう意地悪でやっかいな法則がある」「勝者は、かならず、ゼニを持っている人間である。ゼニのある奴だけが、ゼニの世界で勝ち残れる」「人間というものは、もともと、スケベで貪欲で、うさん臭い生き物なのである」「いまの日本を支配しているのは、正義でも法律でもない。‥巨大なゼニのシステムなのである」。2004.12.17
永山久夫(監修)『日本人は何を食べてきたのか』青春出版社
第1章は食材、以下、米、調味料、調理、道具、作法について歴史を紹介している。なかなか興味深い。縄文時代の貝塚からは、約70種類の魚、350種類の貝が見つかっているという。以前に博物館の展示で知ったところでは、植物300種類以上、動物60種類以上、鳥類20種類以上、ほかに爬虫類や昆虫も食べていたという。種類だけからいうと、現代は栽培・飼育されるものが中心となって、レパートリーが狭まっている。ともあれ、食べ物、料理、食べ方などの歴史は、意外なものもあり、面白い。2004.12.20
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ダイモンジソウ(大文字草)