北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」 1996(後半)

 北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」欄に掲載した文章を収録しました。版権は北日本新聞社が所有しております。引用などの際には、掲載日付と出処「北日本新聞」を明記してください。

〈 「ドクターのひとりごと」 目次へ戻る 〉


 〜1996年6月  1996/07/01 「て」の字  1996/07/16 歯周病
 1996/08/19 国民負担率  1996/08/28 退職  1996/09/03 損税
 1996/09/09 働くお母さん  1996/09/17 おばすて  1996/10/07 「やさしさ」の時代
 1996/10/30 歯が割れる  1996/11/13   1996/11/26 PL法
 1996/12/04 レセプト公開  1996/12/11 いまさら・いまから  1997年〜


1996/07/01 「て」の字

 そろそろ新学期がはじまろうとするころ、博多から大分へJRの列車に乗った。空いている。乗車率二〇パーセントといったところだろうか。本を読んだり、外の景色を眺めたり、のんびりした旅は久しぶりだ。夜更しをして朝は早くに起きたというのに、ふしぎと眠くならない。
 斜め向かいのボックスには、一年生か二年生と思われる女の子と、その弟らしい男の子、そして、祖母であろう年配の女性がいる。髪をうしろに大きく束ね、くりくりとした目の女の子は、なかなかのおしゃまとみえて、弟に対するのとおなじようにおばあちゃんに対しても、まるで年上であるかのようにふるまっている。
 弟のほうはもの静かである。椅子のかげになっていたので、最初は、おばあちゃんと孫娘の二人だけかと思っていた。およそ七割から八割を女の子がしゃべり、残りの七・八割をおばあちゃんがしゃべり、あとは相の手を打つくらいしか残されていない。
 女三人寄ればかしましい、というけれど、ひとりでもなかなかなものだ。女ふたりに男ひとりの道中とは、お気の毒に。退屈しなくて、それもいいか。
 さて、押されっぱなしの男の子である。とつぜんの発言。
 「て」は「わ」になるんだよね・・・・
 いっしゅん、会話がとだえた。それを聞いて、私も読みかけの本から目をあげて、考えてしまった。手が輪になるのかな、でも、それでは取り立てて言うほどのことでもない。子供はときどきふしぎなことを言う。
 「て」という字に棒を一本引くと「わ」になるというのである。字を覚えはじめた年頃だ。なるほど、と感心していたら、女の子の反撃が始まった。
 「て」は「わ」にはならない、というのである。横にして裏返しにするのはひきょうだという。おばあちゃんは何と言っていいか困っている様子だ。
 「て」が「わ」になるような柔らかさに拍手。

《もどる》


1996/07/16 歯周病

 朝おきると口のなかがねばっこい。冷たい水にしみることもあるし、前歯が少しぐらついているみたいな、たよりない感じがする。これは歯槽膿漏ですかね、もうじき総入れ歯かなぁ、まだ入れ歯になりたくないし・・・・なにか、いい注射か薬はないですか。
 こんなふうに聞かれることがある。注射か飲み薬で治るなら、どんなにか楽だろう、と私たちも思うのだけれども、そうは問屋がおろさない。治療の基本は歯みがきだ。薬を使うこともあるし、機械を使った清掃から歯肉の手術まで色々と治療はあるのだが、基本となる歯みがきがいいかげんだと効果を発揮できない。
 ところで、最近は「歯槽膿漏」とは言わなくなった。正しくは「歯周病」(シシュウビョウ)という。学術用語としては、ずっと前からそうだったのだが、健康保険での正式名が「歯周病」になったのは最近のことだ。もっとも、呼び名が変わった割りには治療法に進歩がないではないか、と言われると苦しい。
 歯周病の治療に対する保険のしくみがたいへん複雑で制約が多かった。この四月、保険の改定があり、そのしくみが少し簡略化された。いちがいには言えないけれども、おおざっぱに言えば、歯周病の治療がやりやすくなった。
 子供や若い人の「歯肉炎」は歯周病の初期段階である。その治療が、従来の保険のしくみでは軽視されていた。どんな病気でも早期発見・早期治療が大切だが、歯みがきを怠けていたのは自分の責任、そこまで面倒みれません、ということだったのかもしれない。
 ともあれ歯肉炎が一人前の歯周病として扱われることになった。こうした早期治療の効果はすぐには現れないかもしれないが、一〇年後、二〇年後には日本人の口の状態が良くなって、入れ歯人口が少なくなっていることを期待したい。
 そのためには、やはり私たち歯科医ばかりがいくら張り切ってもだめ。本人の自覚が不可欠である。

《もどる》



1996/08/19 国民負担率

 「橋本行革ビジョン」によれば、国民負担率を最大でも四五パーセントから五〇パーセントに抑えるらしい。税金の負担と社会保障の保険料の負担の合計を国民所得で割ったものを国民負担率という。負担は軽いほうがいいにきまっているけれども、この数字、どうもうさんくさい。
 一九九〇年の先進国の国民負担率は、日本が三九・六、ドイツ五〇・八、イギリス五〇・六、スウェーデンはダントツの七八・四パーセント。数字のうえではたしかに日本の国民負担率は格安ではあるけれど、こういう数字で比較することがそもそも間違いだという専門家が多い。国によって統計の取り方がちがうのである。そもそも日本の国民所得が高いと言われてもさして実感はない。
 そればかりではない。
 社会保険のように、かならず国民に返ってくることになっている負担と、税金のように、何に使われるかわからない負担と同じに扱うわけにはいかない。ずぼらな友人に貸したお金と銀行に預けたお金と、同じようにアテにすることはできない。
 まだある。
 保険料を払ったからといって安心できない。健康保険を利用するときには、健保本人なら一割、家族なら三割の一部負担金を払う仕組みになっている。いま準備されている公的介護保険でも同じことで、一割の負担が予定されている。食費などは給付外になりそうだ。医療や介護のすべてを保険でカバーしているわけではないので、はみ出した分については自費での負担が強いられる。
 このような「追い銭」が必要な社会保障制度になっているのに、その分が「国民負担率」に入っていないのは、どう考えてもおかしい。シロウトにもわかることなのに、知らぬふりをして数字を振り回しているとしたらサギに等しい。
 「国民負担率」の数字が問題なのではない。不完全な社会保障からくる「国民負担感」が問題なのである。

《もどる》



1996/08/28 退職

 「徹底的になおしてください」
 初診で来院した患者さんの要望である。
 どこから手をつけていいか迷うほど、あちらこちらに虫歯があって、かなり長いあいだ治療を受けずに放っておいたことがわかる。
 「ずいぶん虫歯を貯めましたね。一〇年いや二〇年ぶんくらいですか。こりゃ治療は一年がかりですよ」
 ちょっぴり皮肉をこめて答えた。
 近々定年退職するので、いまのうちに治療しておきたい。退職したら保険の窓口負担が増えるから、とのことである。現在、健康保険本人は1割負担、定年退職したあとは「退職者保険」になるので、二割負担になる。負担が二倍になるとあってはあせるのも無理はない。
 しかし、こんな心配もいらなくなりそうだ。健康保険本人の窓口負担が二割に引き上げられそうだから。
 かつては健康保険本人の窓口負担は無料だった。月給取りの生活はきゅうくつだけど、いざとなれば健康保険があり、トシをとったら厚生年金があるから、という安心感があった。
 ところが、窓口負担率ばかりではなく、「特定療養費」などと立派な名前をつけた自己負担の仕組みができて、健康保険の窓口での支払いは増えるばかり。年金についていえば、付録のはずの厚生年金基金の財政破綻が、本体の厚生年金の運営をも脅かしている。薬害エイズ問題、医療食をめぐる疑惑、拙速の感のいなめない介護保険、などなど、どうも厚生省のやることなすことうまくいってないような印象を受ける。菅厚生大臣ひとりが光っているけれども、肝心の社会保障・社会福祉がうまくいかないようでは困る。働く人、働いてきた人を軽視しているように見えてしかたがない。
 医療保険の財政赤字が問題にされているいっぽうで、「住専」のために六千億円なにがしかの支出をする。税金の使い方が変だ。
 司馬遼太郎さん風にいえば、「この国のかたち」がおかしい。


《もどる》


1996/09/03 損税

 消費税が平成九年度から五パーセントになることが決まった。某革新政党などは、たしか税率引き上げどころか消費税そのものに反対することを公約していたのではなかっただろうか。もっとも、党の名前さえ変えてしまったから、公約なんてとうの昔に反古になっているのかもしれない。
 医療費、正確には保険診療の医療費には消費税がかからない。しかし、診療に使う医薬品や器具材料などには消費税がかかってくる。医療機関から患者さんには転嫁できないので「損税」といわれている。いっぽう小規模な事業者は、お客さんから消費税をもらっても納税しないので「益税」といわれる。所得の少ない人にとって相対的に負担が重くなる「逆累進性」とならんで消費税の二大不合理である。
 その「損税」を埋め合わせるためにということで、消費税が導入された当時、〇.三パーセントだかの診療報酬の引き上げがあったが、名目だけのものだった。それ以降、医療機関、とくに病院の経営が急速に悪化し、「病院全国平均で赤字」、「公立病院の九割以上が赤字」と新聞で報じられるような異常な事態を招いた。
 県内の四〇〇床弱の某公立病院の「損税」が年間一億円、二〇〇床弱の某民間病院で三〇〇〇万円、との試算がある。病床のない一般の診療所は平均で六〇から七〇万円と推定されている。
 税率が五パーセントになると、この額が七割ほど増える計算になる。おそらく病院の赤字は七割増しどころか何倍にもなるだろう。
 日本医師会などが医療費を「ゼロ税率」にせよとの要求をだしている。患者負担を増やさずに損税を解消するため、払いすぎた消費税をサラリーマンの年末調整のように差し引きする制度であり、外国には先例もあるらしい。低所得者や年金生活者には消費税を払い戻す仕組みになっている国もあると聞く。
 税率の高い低いよりも、その仕組みや使い方を見直してほしいものだ。


《もどる》


1996/09/09 働くお母さん

 連日のように、五時すぎに急患でやってくる子がいた。痛いと言って指さすところを調べてみても異常がない。子供が指さす場所はあてにならないことが多い。だから、口の中ぜんぶ調べるのだが、それでも異常がない。
 毎回、お母さんが連れてくる。一見して勤め帰りとわかる服装である。
 ある報告の一節を思い出した。
 『働くお母さんが増えてきて、お母さんの仕事のストレスが子供に反映して発熱をくり返したり、落ち着かない子もいる』(「新医協」一三六六号)
 富山県の女性は就業率が高い。全国で六位。既婚女性に限定すると全国で四位、共働きの率は三位になる。既婚女性のほうが上位になるのは面白いが、深く考えないことにしよう。どうも男に分が悪くなりそうだ。(平成五年版「統計からみた富山」より)
 働くお母さんにもいろいろある。
 最近は男女機会均等とかで女性の責任が重くなっているようだ。仕事に疲れたお母さんが子供に対してつっけんどんになったり、受け答えが場当りで一貫性がなくなったりすると、チックのような習癖や心身症があらわれることがあるという。子供の心のSOS信号だ。
 逆に、家事や子育てをおじいちゃんおばあちゃんに任せて、仕事という大儀名分のもとにルンルン気分で出歩くお母さんもいる。母子のふれ合いが少なくなると、幼児期には一見おとなしくて育てやすい子でいるが、親離れができていないため、やがて問題が生じることがあるといわれている。
 たとえ時間は短くとも、めいっぱい子供と接触していれば問題ない。じっさい、そうやって、共働きでもすばらしい親子関係を築いている人はたくさんいる。逆に、専業主婦だからといって、それだけで安心できない。
 さきほどの常連の子は、口の中に消毒薬を塗ってもらって、なんとなく満足して帰る。もちろん、それで心の傷がなおったわけではない。


《もどる》


1996/09/17 おばすて

 松本に用事があって列車で行くことになったが、昨年の豪雨からこのかた大糸線が不通になっている。直線距離では近いのだが、こうなるとたいそう不便だ。直江津まで北陸線、長野までは信越線。ここで乗り換えに時間があったので、駅ビル内の店で信州ソバを食べた。
 長野から松本へは篠ノ井線に乗る。
 盆地のへりをゆるゆるとまわりながら次第に高度をあげて、やがて山なみの間をぬうようにして盆地を抜けていく。その途中に「おばすて」という駅がある。
 「おばすて」といえば深沢七郎の小説「楢山節考」である。今村昌平監督の同名の映画はカンヌ映画祭のグランプリを獲得している。「棄老伝説」は全国各地にあるというが、この小説の舞台は信州だから、ここがそうなのかもしれない。
 孫が「おりん」ばあさんをからかって「鬼の歯の歌」を唄う場面がある。ばあさんには歯が三十三本もある、というのである。ふつうは智歯(親知らず)をふくめて三十二本だ。ありもしない数をいいたてて、そろそろ山へ捨てられる年齢なのに身体が丈夫すぎるのを皮肉っているのである。身体が弱ったら捨てるのではなく、時期がくれば口べらしのために捨てなければならない。それが貧しい村の掟である。
 「おりん」ばあさんは自分からすすんで山へいこうと思っている。歯が立派すぎるのは山へいくのに不似合いだからと、まいにち火打ち石でたたいて歯を弱らせる。そして村祭りの日、石臼のかどにわざとぶつけて前歯を二本欠かしてしまう。
 息子に背負われて山へ行く最後のクライマックスとならんで、盛り上がりのある場面だ。鬼気迫る、といってもいい。
 いま、公的介護保険が問題になっている。公的な介護保障の必要性は万人が認めるところだ。が、介護保険構想はどうも経済優先のようだ。介護保険が棄老保険になってしまわないか、心配である。


《もどる》


1996/10/07 「やさしさ」の時代

 もう来てあげない!
 待合室にいるときからずっと泣いていた幼児が、帰りぎわに口にした捨てぜりふである。頼んだおぼえもないのに、「来てあげない」とはおそれいるが、じつのところは私たちに向けた言葉ではなくて母親に向けた言葉のようだ。つまり、母親の頼みを聞いてやらない、との意味。
 この論法でいくと、学校へいくのも親のために「行ってあげる」ことになるし、勉強するのは「してあげる」、食事は「食べてあげる」ことになる。この薄気味悪いほどのやさしい気づかいは、「親乞行」とでも言うべきか。
いまほど「やさしさ」があふれている時代はない。肌にやさしい、手にやさしい、胃にやさしい、人にやさしい、などなど、商品の宣伝はもとより、政治家までも連発する。耳に「やさしい」けれども、いざとなると責任のあいまいな便利な言葉でもある。
 「やさしさ」が充満しているけれども、その意味するところは中年以上の世代とはずいぶんちがっているらしい。コワレモノのような自我をまもる発泡スチロール、冷ややかに干渉を拒んだうえでの潤滑油のような「やさしさ」だ。(大平健「やさしさの精神病理」岩波新書)
 子供が親の言うことを聞かない時はどうしていますか、とたずねると、「説得します」と答える親が少なくない。これもまた「やさしさ」なのかもしれない。が、説得がうまくいかないとどうなるのだろうか。最初は説得だったものが、だんだん「お願い」みたいになる。しまいには泣き落し。どっちが親だか子だか、子供がふんぞりかえっていて親がひざまづいているような、変な構図になってしまう。
 場合によっては説得に徹するのもいいかもしれない。従わなかったときの結果を教えることも必要だ。しかし、もはや選択の余地がないという場合には、うむを言わさず親の権威で押しとおすことも必要ではなかろうか。


《もどる》


1996/10/30 歯が割れる

 がっしりした身体つきの中年男性の患者さんである。
 「けさ、あまじおのニギスを食べたんですが、ええ好物でしてね、もちろん骨ごと。そしたら、バキっと音がして、頭のてっぺんへ雷が落ちたかと思うくらいに痛みが走って、そのあと痛くて痛くて、物を食べるどころか、息をするのもやっと。しゃべるのも、おっかなびっくりです。ううう・・・」
 しゃべっているうちに歯に触れたのだろうか、顔をしかめる。口の中を調べるために、器具を近付けると、大の男が知らず知らず身体をよじって逃げ腰になる。
 ちょっと見ただけでは、どの歯が原因なのか分からない。レントゲンでも分からない。軽く触れて確かめるしかない。前から五番目の小臼歯が真一文字に割れていた。虫歯にもかかっていないきれいな歯である。割れ目がぴったりあわさっているから、見ただけでは分からない。
 さいわい抜かずにすんだが、歯の神経が露出してしまっていて、根の治療をしてかぶせることになった。
 たまに、このように歯が割れて来院する人がいる。食事中に突然痛みがはじまり、ずっと続く。触っただけでも鋭く強い痛みがあるのが特徴だ。たいていは男、それも歯の丈夫な人が多い。噛むときに力を加減するなどということとは無縁の、思う存分の力で噛むことのできる人である。
 歯は全体にすり減って、ぴったりと噛み合っている。この、ぴったりで「あそび」のない状態が、たまたま運わるく歯の構造の弱い方向に力が集中して、割れてしまう原因になる。
 歯を少し削って、わずかな「あそび」をつけてやれば予防することができる。しかし、せっかくぴったり噛み合っている健康な歯を削るのは、お互いに抵抗がある。「カズノコのツブツブを噛みつぶしたときの感触がかわってしまった」と言われたこともある。
 なにごとにつけ、余裕のない状態はよくないようだ。


《もどる》


1996/11/13 

 「柿を食べたね」
 「ピンポーン」
 小学生の男の子との会話である。ムシ歯の穴にだいだい色の果肉がはさまっている。学校の給食で柿がでたのだという。ただしこれは去年の話。今年はO157の騒ぎがあったから、生の果物は給食には出ないかもしれない。
 柿の原産は中国。東アジアに広く分布しているが、甘柿は日本独自のものだとのことである。桃栗三年柿八年梅は酸い酸い一三年とかいう。私たちのご先祖様が長い年月をかけて品種改良したのだろう。また、北海道では柿が育たないとも聞いた。北限に近い地域で品種の改良が進んだところは米に似ている。
 「柿が赤くなると医者が青くなる」という。この時期は人間の体の調子がよくて、病気になりにくいらしい。
 こんなことわざを知ったのは、二〇年余り前、病院に勤務していたころだった。年配の患者さんが教えてくれた。
 「ていねいに診てくれてありがたいけど、こんな安い治療費で大丈夫ですか。赤字でつぶれてしまったら私も困るからね」
 と、その患者さんは付け加えた。
 私が退職して郷里に帰って数年後、その病院が倒産した。リゾート開発などの副業に投資したのが裏目にでてしまったのである。放漫経営が原因での倒産と報じられたが、その遠因は、採算のわるい本業にあったのかもしれない。かつての仲間たちは自主再建のために大変な苦労をした。私だけが難を逃れたみたいで、申し訳なかった。
 数年前、学会で昔の同僚に会った。再建が軌道にのり、やっと学会出張にも出してもらえるようになったよ、と語っていた。
 だから、柿が赤くなると倒産した病院と仲間たちを思い出す。
 いま、入れ歯の自己負担を五割にする、薬の自己負担を増やす、などなど、医療保険の見直しが行われている。柿が赤くなろうがなるまいが、医者も患者も青くなる時代になったようである。

《もどる》



1996/11/26 PL法

 PL法(製造物責任法)が施行されて一年がたった。身近なところでは、電気製品などの説明書がおどろおどろしいものになった。交通標識のようなマークがたくさん並んでいて、読んでみるとまるで危険物である。
 乾電池ひとつでも、使い方を誤れば爆発する危険性だってあるのだから、気をつけるにこしたことはない。が、どうもメーカー側の責任のがれのための能書のような印象を受ける。ややこしい説明書など読めないような幼児や高齢者でも、安全に使える製品にしてほしい。
 以下は医療器械へのPL法の余波の話。
 医療器械の不調は人体に直接危害をあたえるおそれがある。だから、十分に管理されなければならない。器械が故障した場合でも、不完全な修理ではいけない。修理するためには、特別の講習を受けて、認定を受けなければならない。修理した場合には、しかるべき報告書を提出しなければならない。
 そんなわけで、医療器械を扱っている業者がいっせいに厚生省主催の講習会に通いだした。認定を受けなければ、簡単な故障でも修理はできず、メーカーへ送り返すことしかできなくなる。
 いやはや、たいへん面倒な世の中になりました・・・・とは出入りの業者の弁である。その話を聞いたとき、厚生省のあたらしい外郭団体ができるのは近いな、と思った。それからしばらくたって、やはりできたと聞いた。さすが官庁は抜け目なく縄張りをひろげていくものだ。
 公務員と準公務員を合わせると、勤労者の七人に一人の割合になるという。おかげで一週間に一日休めるのだ、とは皮肉な冗談。週休二日の時代だから、遠からず七人に二人の割合になるだろう、というのはやけっぱちな冗談。
 こんどの選挙では各党そろって行政改革を公約にかかげた。社会保障や社会福祉など、国民に還元すべきサービスを削減して「行政改革」とうそぶくようなマネは許すまい。


《もどる》


1996/12/04 レセプト公開

 医院や病院で診療を受けると、その費用の一部を窓口で支払い、残りは保険者から支払われる。保険者というのは、国民健康保険ならば市町村、健康保険ならば会社(健保組合)や都道府県であり、保険料を集めて各医療機関からの請求に応じて支払いをする。このときの請求書にあたるものが「診療報酬明細書」、通称「レセプト」である。
 レセプトは、英語でいえば「レシート」。カルテが「カード」とおなじで、ドイツ語かに由来する業界用語である。
 この、レセプトを「開示」する、というニュースが報じられた。全国紙のなかには一面トップで扱ったものもある。患者の求めに応じて、担当医の同意のもとにとの条件つきではあるが、原則として開示することになるようだ。
 学校の内申書が開示されるなど、情報公開の時代だ。これも時代の流れなのかもしれないけれども、なにかしら割り切れない思いが残る。
 どこの医療機関も、月末から月初めにかけて、レセプト書きの仕事に追われる。ほんのちょっとした記入ミスでも返却されるので、入念にチェックしなければならない。記載ミスがないか、診療内容は妥当なものか、医療機関から届けられたレセプトを調べることを「審査」といって、国保・健保それぞれに審査をする専門機関がある。近年はコンピュータ化がすすんできて、提出されたレセプトを機械で読み取って、医師の診療のクセなども分析できるようになりつつある。
 ある病気にたいして、ある治療法が妥当であるかどうか、という基準は、おおまかなところは医学常識に基づいて判断して間違いないのだが、実際の病状は千差万別、細かいところでは、判断が別れる場合もある。そんなとき、保険で支払うかどうかの基準は、実は公開されていない。よかれと思って行なった診療なのに支払いを拒否されることもある。これでは情報公開の片手落ちである。


《もどる》


1996/12/11 いまさら・いまから

 一二月五日の本紙朝刊に「不安な介護と医療の未来像」と題する社説が載っている。
 紙面を提供してもらっていながら批判めいたことをするのは気がひけるのだが、あえて、「いまさらなぜ?」と言わせてほしい。というのは、すでに一年余り前から、各種審議会の議事録や中間発表という形で、介護や医療の未来像が示されていたからである。報道機関はいちはやくその内容を知り得る立場にある。にもかかわらず、本紙にかぎらず、当時のマスコミは、批判どころか報道さえほとんどしなかった。選挙がおわるまで手を控えていたのだろうか。
 もうひとつ、公的介護保障と公的介護保険をごっちゃにしたような世論調査によって、厚生省の構想を結果的に後押しした。故意にではないと信じたい。ついでに、もうひとつ。医療費の無駄を排除しなければならない、というのは正論ではあるけれども、それが医師の過剰診療にすべての原因があるかのごとく論じられることが多い。しかし、日本の医療費が国際的な水準からみて、けっして高い部類ではなく、先進国の中では、むしろ最低レベルであることを忘れてもらっては困る。いっぽうで、医薬品や医療機器の価格が異常に高く、それが医療費をかさあげしていること、それら医療関連産業は役人の「天下り先」になっていることも憶えておいてほしい。
 さて、審議会の答申や建議が出されたからといって、決定したわけではない。国会での審議をへて議決されなければならない。にもかかわらず、審議会などの諮問機関の結論が最終決定であるかのように扱われる風潮がある。
 冒頭に「いまさら」とは書いたけれども、いまからでも遅くはない。厚生省の構想にまどわされずに、きちんとした議論を展開してほしい。おくればせながらそうしようという意思表示、スタートの号令として社説を受け止めることにしよう。今後の紙面に期待したい。

《もどる》