地域雑誌「新川時論21」第16号の紹介


 《地域雑誌メニューへもどる》《総合目次へもどる》


記事の紹介
石原都知事の「三国人」発言
新川元気人・小林美悠紀さん
魚津・黒部両市長選無競争を斬る



 日本社会の暗部を覗くー石原都知事の「三国人」発言

北海人 
 
 石原都知事が4月9日に自衛隊練馬駐屯地(旧米軍基地グラントハイツ)で行ったいわゆる「三国人」発言ほど「現代的国粋主義者」であるこの人の本音をあからさまにしたものはない。この発言の意味するところとその後の世論の反応について今回はレポートしてみたい。
 発言の論点は3つある。第一に「三国人」という歴史的に汚された差別的な言葉を人の痛みを省みないだけでなくむしろ意図的に投げつけたこと。第二に、大きな災害が起きたときは不法入国した外国人による大きな騒じょう事件すら想定される、と根拠の無い憶測を責任ある立場で公にしたこと。第三に、その時の治安出動を自衛隊に要請したこと、である。

議会には謝罪
 発言から10日後、都議会民主党に「この(「三国人」という)言葉は、私が意図した意味とは異なり差別的に使われていたため、在日韓国・朝鮮人をはじめとする一般の外国人の心を不用意に傷つけることとなったのは、不本意であり、極めて遺憾です。」と事実上謝罪し「今後は使わない」と約束した。
 当初、この人の常套手段である責任転嫁を図ろうと、「不法に入国した外国人・第三国人」という発言の内「不法に入国した」という部分を省略して報道した共同通信の記者に責任をなすりつけ、辞書まで持ち出して我田引水の理屈を展開していた。しかし、文脈を見れば明らかなように、第三国人=不法というマイナスイメージを根底に置いた発言であり、敗戦国民となった日本人が屈折した差別意識を込めて旧植民地の人々を「第三国人」と呼んだのと同様な差別観にもとづいている。
 そして、多くの人の指摘で分が悪いと見ると開き直るのは止めて「意図した意味とは異なり」であたかも単純な「不明」であるかのようにして済ませてしまった。計画犯が単純過失で済ませてしまったのである。しかも、開き直りは多くの記者を集めた会見で行い、謝罪は都議会の政党にこっそりと行われ報道量も圧倒的に少なかったのである。
 
 意図的な扇動
 第二、第三の論点については、ほとんど語られていないので少し言及しておきたい。まず、「不法に入国・滞在する外国人が騒じょうを起こすかも知れない」というのは根拠の無いデマの類であり、排外的気分を扇動するものである。あれほどの被害にあった阪神淡路大震災時にもそんなことは無かった。確かに現在国内に約23万人とも言われるオーバーステイの外国人がおり、外国人による特異な犯罪の報道にも接する。しかし、最近の宇都宮の宝石店での放火・殺人・強盗事件をはじめとする凶悪犯罪は日本人においても同様であり、犯罪の凶悪化や残忍化は日本社会の病理として我々が向き合わねばならぬものである。これを簡単に不良外国人や不法滞在の外国人のせいにするのは、フェアーでないだけでなく「神国日本の美徳」といった偏狭な民族主義につながるものである。
 まして、外国人による犯罪が「騒じょう」事件となり、警察ではなく自衛隊の「治安出動」が必要となるという想定には、大きな飛躍があり、むしろ意図的な扇動を感じる。「そうした事態をも想定するのが都知事の責任だ」と言うが、警視庁の指揮権すら国に奪われている自治体の責任者が自衛隊に治安出動を要請するなど現実離れもはなはだしい。自治体の警察権を強化し、都市における凶悪犯罪の防止を市民の安全の観点から強化する方がよほど先決ではないか。
 また、経済的に困難な地域からの外国人の流入は先進諸国に共通する問題であり、これらの国は地球的南北問題を自国の中に抱え、これと向き合って行かねばならぬのが今日の国際化時代の課題である。別の言い方をすれば流入してくる外国人と「いかに共生していくか」こそが最重要課題であり、これに対応するのが国際都市東京の知事の任務である。自衛隊による治安を真っ先に言い出すのは時代錯誤的「軍事国家」の思想である。

舞い上がった?石原知事
 想像するに、行進する自衛隊の「雄姿」を見て、石原知事は気分が高揚し少し「舞い上がった」のではないか。自衛隊の幹部は「暴動鎮圧などは本来機動隊(警察)の役割で自衛隊が代わりに使われるのは困る」と冷ややかであり、政府首脳も取り合ってはいない。いかに石原知事の「治安出動要請」が荒唐無稽の跳ね上がりかが知れる。
 かつて、三島由起夫という作家が自衛隊市ヶ谷の駐屯地に突入し隊員に決起(クーデター)を呼びかけたが、やじり飛ばされ自決した。これに似たものを感じるのは筆者だけではあるまい。かつては一作家と数人の「私兵」であったが、今回は一作家ではあるが同時に「都知事」である。都知事がクーデターを呼びかける危険度は計り知れないほど大きい。

 疑問あるマスコミの世論
 それにしても、この件で石原知事への支持が7割近くあったというのは正直驚きである。都庁にきた反応や民放各社のアンケートでも同様な結果がでている。当初は批判の声が強かったようだが、4月12日の開き直りの記者会見後、急激に応援の声が高くなったという。都庁やマスコミの情報受信は、電話・メール・FAXであり、あたかも「住民投票」の様相を呈し、それが一つの「世論」として報道されているところに注目すべき特徴がある。つまり、積極的に発言するアクティブな勢力により「マスコミ的世論」をいち早く形成することが優位な戦略的地保を築くことにつながっている。
 組織的な応援が推測されるとはいえ、「三国人」発言を正当とする者や不法滞在の外国人をも治安対策の対象とすべきとする排外的な意見が「世論」の表層に数千の単位で析出する様は日本という社会が未だに戦後を迎えておらず、氷河のクレバスのような亀裂を抱えていることを感じさせる。機会あるごとに、そのような暗部の亡霊を引き出そうとしているのが石原都知事である。マスコミはこうした石原知事の意図に十分な批判力を持っているとは思えない。
 現在の政治の体たらくの中で石原都知事に単に「強いリーダー」を期待する声は多い。これが容易に民族的エリート主義や排外主義に転化することは歴史の教えるところである。

情報戦略の遅れ
 何人かの文化人の批判や在日外国人の抗議行動はあったものの、労働運動や各種団体の反応は決して素早いとはいいがたい。IT革命とさえ言われる情報化の中にあって、マスコミ操作を最重要戦略とする石原知事に対し、批判勢力が「世論形成」に遅れをとった結果が「7割」の支持の秘密ではあるまいか。 都庁の集計は、電話一本も1票、団体の決議による抗議文も1票である。今回は発言の3ー4日目から石原発言支持の電話が数千のオーダーで殺到し、いち早く7割の支持の世論を形成してしまった。労働組合や各種団体の立ち上がりは遅く、抗議の声が送られてきたのはほとんどマスコミ的世論形成の「決着」がついた後であるという。官庁情報を鵜呑みにして流すマスコミの責任も軽くはないが、批判勢力の情報戦略の遅れも深刻だと言わざるを得ない。

ページトップへ戻る


新川元気人<16>
花形アナから名ディレクターに変身
芸術祭に制作番組受賞 小林美悠紀さんの巻

 失明の宣告
夏の昼静か
 KNB(北日本放送)の小林美悠紀ディレクターが制作したドキュメンタリー番組「杯にひとひらの花〜ある中途失明者と妻の記録」の中にある俳句の一つである。この番組は、平成10年度の文化庁芸術祭で優秀賞を受けた。
 制作のきっかけは、小林さんがチーフディレクターを務めるラジオ番組「ラジオで茶!ちゃ!チャ!ビタミンわいど」に俳句コーナがあり、視覚障害者からの投稿を「アンソロジー朝のおと」として特集し、そこにある男性の投稿が届いたことから始まる。
 目覚めても闇の
中なる揚げ雲雀
 これを読んで小林さんは全身が震えるのを感じたという。この男性と妻の二人をドキュメンタリーで描こうと思い立ったそうだ。番組は、突然の事故で視力を奪われた中年男性が、夫婦二人三脚で障害を乗り越え、俳句の投稿を楽しむまでになった姿を温かく、さわやかに描いている。

生涯一アナウンサーと思ったが

 小林さんは、黒部生まれの魚津育ち。生粋の新川っ子として多感な学生時代を過ごす。ご本人はいたってまじめで、面白味がなかったとおっしゃるが、魚津高校時代は放送部員としてかなり目立った活躍だったとのこと(本誌同人の男子同級生の弁)。
 このころから、声に出して読んだり、伝えることが好きで、アナウンサーを志す。しかし、就職のとき学校の推薦で北陸銀行に内定(当時は大変な就職難だった)。ほとんど受からないだろうと試しに受けた北日本放送のアナウンサー公募にも合格してしまった。
 学校と自分の志望との板ばさみになった彼女は、大きな葛藤の末、自分の人生なのだからという先輩の後押しもあってKNBを選択(オレも一役買ったとは元放送部顧問・本誌同人・濱田氏の弁)。昭和41年のことであった。
 生き馬の目も抜くという放送現場でビシビシ鍛えられ、以後25年間、TVでは「おはようKNBです」「あなたの広場」。ラジオでは「おはようパートナー」「ハロー富山」など多くの番組で県民に親しまれた。
 生涯現役アナウンサーを続けたいと思っていたが、平成3年のある日、突如番組制作部・ディレクターに転出を命ぜられた。青天の霹靂だった。
 気持ちの切り替えに時間がかかったが、もう新人とはいえず、やらざるを得なかった。未知の分野を自分で切り開かねばならず、相当な苦労があったようだ。しかし、ディレクターになってから人脈が増え、いろいろな角度からものが見えるようになり、かえって良かったとのこと。

新川をもっとアピール

 一つの番組を完成するまでは大変な苦しみがあるが、終わったときの喜びはその何倍にもなって返ってくる。これからも素晴らしい人達と出会って、心の応援メッセージとなるような番組づくりをしたい、と生き生きした表情で語る。
 「新川は自分で自分をアピールする人が少ない。だが、実際には地道に頑張っている人がいると思うと嬉しくなる。そんな人たちを発掘して番組にも紹介したい。もっと新川をアピールしていこう!みんなで声を上げて表に出ていこう!少しでもそのお手伝いができれば、故郷へのお返しができるのでは……」と新川人へのメッセージ。
 とてもさわやかで美しい笑顔が印象的な女性ディレクターとの会見だった。
(葛節子・記)
ページトップへ戻る

無党派市民層に期待するのみ
魚津・黒部両市長選無競争を斬る
本誌同人・濱田 實


 黒部市の友人たちをからかったことがある。
 「黒部市も企業城下町の性格が強くなった。いっそのこと市名をY市にしたらどうか」
 真っ赤になって反対したのは当のY社の社員であった。
 「今でさえ社と市の関係が取り沙汰されるのに、そうなったら歯止めが利かない。社のためにも市のために良いことではない」
 黒部市もそうだが魚津市も市政に対する企業の影響力が云々されている。選挙ともなれば、どの候補が企業の後援を得ているかが当落にかかわってくるといわれている。また、保守勢力が支配的である新川地区にあっては、中選挙区時代の住、長勢両派の対立がもろに各レベルの選挙に大きな影響力を持っていた。
 黒部市の荻野、魚津市の石川両市長は各々6選、3選を無競争で果たした。「自由・競争」を旨とする民主主義の原則から見ても「決して良いことではない」「市勢の停滞をもたらす」と批判的な声が両市民に圧倒的に多い。
 対立候補を担ぎ出す動きがないわけではない。県外に目を転じて、中央官僚、著名経済人を待望する声、市内外の議会人、経済人への期待をよく耳にする。「4、5万人程度の人口の小都市に大物新人は食指を動かさない」とは清河前魚津市長筋からのリーク。「市の規模に応じた程度の人物でたくさん」とは魚津市長選に出馬を要請されたある経済人の発言だという。この人、自身の出馬は否定しながらも隠然たる勢力を保持し、キングメーカーに徹しているという。
 つまるところ「帯に短し、たすきに長し」。地元企業の動向、泥仕合に近い自民党派閥の争い、政党不信、政治的無関心などが重なって、既成権力保持層から地方政治が見捨てられてしまったのだろうか。そして、野党各派も保守勢力対立のすき間を狙うか、あわよくば保守勢力に取り入ることでしか存在を示そうとしなく、全く改革、革新を願う市民の要望に応えようとしない。
 かくして、魚津、黒部両市長選に止まらず、新川の政治状況は無難な内部昇格か先送り人事に終始し、多選・無競争に歯止めがかからなくなってしまった。
 目を野に転じて、高知に橋本知事を招聘し、青島、石原都政、ノック府政を実現失脚させた無党派市民層の動きは、新川ではどうだろうか。
 市民運動では文化、福祉面での少数グループの活動は見えるものの、一つの勢力として政治を左右する点では情けないほど無力である。例えば、いま元気いっぱいの婦人の活動だが、婦人会という組織はあるが、某政党婦人部的であったり、政治活動に背を向けていたり、お家騒動があったりと、とても期待できそうにもない。また、無党派を名乗る各レベルの議員が増えているようだが、それぞれお家の事情が優先し、大同団結は当分望めそうにもない。
 全くお先真っ暗のようだが、それでも政治運動としての市民に期待を掛けていかなくてはならないと思う。昨年の県会議員選挙あたりから、いわゆる選挙プロの予想を裏切る結果が新川地区にも生まれている。「三バン(ジバン・カバン・カンバン)」だけの分析では説明できない現象があるようだ。これは、決して政治に無関心ではない「無党派市民層」が何らかのサインを出しているのではないか。
 「だれがやっても同じ」だとか、ただ声高に現体制を批判するだけでは何も解決にはならない。我々が一人一人の市民にかえって、身の周りから積極的に課題を見つけ出し、同じ仲間と語り合って、行政に働きかける努力を続けること以外に方法はないと思う。
 最近、若手経済人のグループが来たる総選挙を目前に事実上の立会演説会に当たる「政治討論会」を組織していることは、不毛に見える市民運動に一つの希望の芽を与えるものとして注目される。
ページトップへ戻る
《PageTop》   《地域雑誌メニューへもどる》