地域雑誌「新川時論21」第11号の紹介



  目次

◇リサイクルからリユースへ(寺島邦男)
◇新川時評(野崎弘)
◇直球・変化球
◇詩とエッセイ(谷口恵子)
◇オウム民事裁判の記録〈3〉(大山友之・やい)
◇拠点都市構想で新川地区はどう変わる〈8〉
◇ルポルタージュ・片貝川源流を行く-1-(佐伯邦夫)
◇介護保険の導入前夜-その2-(谷口恵子・小熊清史)
◇東京通信第7信・混戦の都知事選に思う(北海人)
現場からの教育〈5〉
  非行の広域化に手を焼く毎日(本誌取材班)
◇新川元気人・市民ミュージカル--北原俊郎さん
◇新川元気人・麺はうす「三華」--三浦輝幸さん
◇編集者における辛口とはなにか(宮津豊)


表紙  愛場砂里(朝日町)
裏表紙 田中光幸(魚津市)

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現場からの教育<5>
中学校はどうなってるの? - - - - 非行の広域化に手を焼く
(教育問題取材班)


 「いじめ」「不登校」「学級崩壊」「校内暴力」「荒れる学校」……小・中学校に由々しい事態が広がっている。特に新川地区の中学校では、魚津市、黒部市を中心に非行グループが広域的に形成され、学級どころか学年として教育活動が成立しない学校さえ出てきた。年明け早々、朝日中学の女子生徒が男子生徒に教室整頓の足場にしていた机を蹴られとうとう死亡する事故が発生。魚津市内の中学でも体育教師が女子生徒にわいせつ行為を繰り返し懲戒免職になる事件が報道された。新川地区の中学校はどうなっているかを検証してみる。

 女子中学生 事故で死亡   
 「ふざけ」か「いじめ」か 
─朝日中学の場合─

 1月21日付北日本新聞によれば、「14日午後(略)同級生がふざけて机の脚を蹴った (略)。女子生徒は休み時間にカーテンを直そうと、机の上にいすを載せて立っていた。男子生徒が別の男子生徒らにけしかけられ、横からいすの脚部を手で揺らした。男子生徒は女子生徒が腹を立てたため、いったんその場を離れたが、ふたたび近づいて女子生徒の後ろから机の脚を蹴ったところ……」意識不明の重体となる事故が発生したと報じてい る。
 町教委の公式発表はその後なく、学校側もPTA臨時集会で事故の経過と「いじめの結果ではない」ことを追加してその後は沈黙を守っている。3月6日のPTA年度末総会 で、女子生徒の保護者から「事故後の見舞に対するお礼の言葉と、生徒の現在の容態(意識不明の状態は変わらず)の報告」が行われただけだという。(3月14日、女子生徒は死去)
 朝日中学PTA会員からは次の発言がある。「男子生徒と女子生徒の間ではいじめがなかったかもしれないが、けしかけた生徒のグループとの関係はどうだったのか。また、女子生徒の日直当番が他の生徒よりも異常に長く、彼女の自発的意志でそうなったか、他の生徒の強制でそうなったのか、不明の部分が多い。いじめの存在を否定されても保護者の不安は消えていない」といっている。別の意見として「事故直後の女子生徒の学年(1年)は調査やら反省、部活の自粛など一時は授業にならないほど不安定であった。いまやっと落ち着いたところなのでそっとしておいて欲しい」とも言う。
 学校や町教委が、被害者の保護者への対応、再発防止対策が具体的にどう展開されているのか、肝心な点になると現場責任者が「貝」になってしまうところが問題として残る。

学校・教師不信強まる
魚津市内中学教諭の不祥事件

 1月22付北日本新聞朝・夕刊から抜粋する。「教諭は昨年6月市内で開かれた大会で、マッサージと称して女子生徒の脚などに触るわいせつな行為をした。このほか普段の部活動でも、この生徒を含む複数の女子生徒に対し同様の行為を繰り返した」「県教委は22 日、この教諭を懲戒免職処分にした。(略)部員から被害届が出ておらず、刑事事件として立件はされていないが、『(略)あってはならない行為。厳しく受け止め、処分を決定した』と話している。」
 この教諭は、前任校からずっといまわしい風評が絶えず、新聞報道を見て地域、同僚らから「やっぱり…」「とうとう…」の声が聞こえてくる。管理職からも厳重な注意や指導があったと報じられているが、それでも「これだけは治らない病か」との声とともに、 「教員社会にはこういった人物の存在を許す甘い体質があるのではないか」「教員採用試験の方法も再考する必要がないか」との厳しい見方もある。家族の将来を気遣う声はあっても、この教諭の処置については妥当の声は圧倒的。
 いずれにしても、困難な事情を多く抱えている教育情勢の中で、教師・学校不信の傾向がますます強くなる結果を招いたことは確かだ。

学年そのものの崩壊
魚津市・黒部市の広域非行グループ

 直接暴力に至らないまでも教師に対する反抗的言動、廊下の羽目板を蹴って破損する、騒いで授業を妨害する、注意すると教室を出て他の教室から仲間を誘い出す、教師の目が届かない所にたむろして喫煙し、吸い殻を所構わず捨ててボヤを出す。このような「学級・学年崩壊」が、魚津市と黒部市が境を接する複数の中学校に起きていた。
 魚津市の中学校では女子生徒を含む10名以上のグループがつくられ、他の生徒に対して金品を強要し、暴力を振るって「いじめ」の温床にもなっていた。報道されないが、学校にとってはこの方がよほど深刻な問題である。
 このグループが学校から外に出て、パチンコの不正玉出しや大型店での夜間侵入窃盗に及び、警察沙汰になって地域の問題になる。いま数名の生徒が家庭裁判所に送られ、保護観察中である。
 ところがこのグループを操る者が隣接の黒部市の中学生にいるというから、話はややこしくなってくる。隣接する魚津市、黒部市のめぼしい中学生(学校生活に余り適応していない)に目をつけ、電話や呼び出しをかけて仲間に入れ、着々と勢力を広げていったらしい。
 ほんの数人の中学生の影響下にある非行グループが周辺中学校につくられ、彼ら同士授業中に自由勝手に他の中学校に出入りして連絡を取り合う。教師たちは巡視、監視を強化して、いつもその対応に追われる始末。生徒たちも落ち着いて学校生活を送れる雰囲気ではない。そこに「いじめ」などの学校崩壊現象が忍び入ってくる。

保育所・幼稚園からも
教師も指導力低下

 荒れる学校……現象は全国的に広がっている。平穏な小・中学校でも学級崩壊の前兆がよく見られるようになったと取材先の教師、父母から聞いた。
 PTAの「授業参観」、教師たちの相互研修「公開授業」は事前にある程度準備され、学級にボロがあってもうまく隠されているのが常識だが、そんな時でもトイレに途中出ていく生徒、私語が多くてとても「参観」「公開」として見るに忍びない授業風景が多くなったという。
 お母さんたちの中から「たった20〜30分間、椅子に座っていることさえ我慢できない子供が保育所・幼稚園から増えてきた」という話を聞いた。生徒たちからは「面白くない、つまらない授業をする先生を選んで、わざと騒ぎ立てている」とも聞いた。「生徒からそんなにされても、注意もしない先生がいる。もっと厳しく指導して欲しい」とはまたお母さんの声。
 昔は「教師の権威」の傘の下に隠れてなんとかごまかせたが……とは古手教員の嘆き、今は学識、指導力、人格、行動力を兼ね備えていなければ中学校教師は勤まらない。若手教師の間で「不登校」「途中退職」などの挫折現象が多くなったともいわれる。
 複数の現役校長からも「今の若い教師たちに『教育愛』『情熱』『体を張って』などを期待することはできない。忘・新年会や送別会などの親睦の会さえ欠席するようになった。パソコンなどに逃避して、人間的触れ合いを忌避するようではダメだ。校長のいうことに反抗もしないが、ついてもこない」と愚痴がこぼれる。

「学級崩壊」がやってきた
5年前都会の小学校から

 毎日新聞は2月22日付で学級崩壊について特集している。それによれば「学級崩壊は5年前から大都会で発生していると報告された。授業中だれかれとなく子供が騒ぎ、歩き回り、反抗し、教室が無秩序な状態と化す『学級崩壊』が全国の小学校に広がっている」また、学級崩壊を引き起こす背景として「いじめ、暴力、仲間はずしなどから生まれる子供相互の不信感、あるいはそれに対して有効な対策を打てない教師への怒りや反発」としている。
 そして、次の興味あるデータをあげる。「東京、京都、長野、福島の保育園の保母456人から回答を得たアンケートで、『子供と親の最近の変化』についてここ数年で子供たちの言葉が荒々しくなり、子供同士のコミュニケーションがうまくとれないと感じていることがわかった。一方『親の変化』については『基本的生活習慣を身につけさせる配慮が弱い』『しっかり子供を遊ばせていない』『親のモラルが低下した』といずれも高率であった」

魚津市「いじめ暴力対策」
3年前から取り組むが…

 荒れる学校は、なにも新川地区の限られた中学校だけの問題ではない。全国的な社会現象であるとしても目の前の火事は消さねばならない。親たちはじめ地域住民からは「その場しのぎの対症療法しか学校はとっていない」あるいは「グループが卒業するのを待っているだけ」と、ここでも学校・教師不信の声が聞こえる。
 魚津市ではこの事態を想定してか、平成8年1月から「いじめ・暴力等対策推進会議」を結成し、現在「地域教育活性化センター活動推進事業」に発展させている。
 関係者は結成の動機として「15・6年前に荒れる状態があったが今は第2のピークが来たと強く感じている。しかも以前とは荒れる内容が違う。『地雷型』というか、特定非行グループではなく、ごく普通の生徒がいつ、どこで暴発するか全く予想がつかない事故、事件が多発している。これには学校だけではとうてい対応できない。学校、地域、家庭一体となって取り組む重要性を強調したかった」と言っている。
 魚津市教委発行の資料「(新)地域教育活性化センター」によれば、事業内容として次の4項目をあげている
(1)運営委員会の開催
(2)いじめ対策の推進
(3)校下巡回補導の推進
(4)継続的・日常的な学校外活動事業
 もっとも注目されるのは(2)であろう。具体的には「いじめ根絶マスタープランの策定」「いじめ根絶フォーラム、子供主張会議などの開催」をあげている。特に「いじめフォーラム」は過去3年間に4回開催され、初め学校教育関係者だけの会合だったものが、PTA、婦人会、スポーツ団体、地域公民館などを含む社会教育団体が参加するようになった。3回以降のフォーラムには一般市民参加を求め、小中学生代表をも招致するようになった。「…フォーラムパート3.」では1000人を超える参加者の大集会に発展している。子供フォーラムも開催され、「あいさつ運動」「楽しみ会」など学級作りが報告され、(4)の公民館などが中心となった地域子供サークル活動の強化とあいまって、子供主体の自主的取り組みが非常に評価できる。

センター頑張っても非行止まず
総論だけ各論これから

 事業の目的となった「学校、地域、家庭が一体となって『いじめ根絶』に取り組む」(パート3.アピールから)体制はほぼ出来上がったかのように見える。
 しかし、「…活性化センター」は昨年からの市内中学校の「荒れ」「崩壊」現象に有効な対策をとったとは言えない。例えば、魚津市内の広域非行グループの目にあまる行動について、学校からセンターに指導・助言を仰ぐどころか報告さえしていない。中学校が問題を学校だけで抱えて対応が後手後手にまわっている。センターがうたう「学校・地域・家庭一体化で取り組む」姿勢と余りにも落差が大きいではないか。関係者は「センターは総論であり、活動の方向づけが主体となっている。具体的な活動は加盟団体の各論的対応にゆだねられている」といっているが……
「…活性化センター」は今のところ、研究協議機関であり、加盟団体に強力な指導をする体制にはなく、問題に即対応できる機動力を持ったスタッフも持っていない。このままでは、「縄張り意識」「縦割り行政」などの官僚的体質にからみ取られてセンターが機能しなくなることが心配だ。
 「地域教育活性化センター活動推進事業」は各自治体から注目され、同様な組織をつくる動きがあると言われる。非常に優れた構想に裏打ちされ、正しく方向づけされたこの推進事業が、これからどのように展開していくか大いに期待される。

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東京通信第7信
混戦の都知事選に思う

都知事選と疎外感

 都庁の中から見ていて、今回の都知事選をめぐる報道と多くの候補者の言説から感じるものは一種の「疎外感」である。都庁の実態を少しは知る者として、候補者のあれこれの言説が必ずしも正確でないというレベルの違和感ではなく、都庁や都民とかけ離れたところで議論が行われている空虚さを感じるのである。多くの都庁職員だけでなく少なからぬ都民もまた同様の疎外感を味わっているのではないか。

国政の争いなのか

 都知事選挙は、確かにこれまでも、単に東京の知事を選出するというにとどまらず、その時々のわが国全体の政治的争点の象徴的意味合いを持たされてきた。
 4年前の都知事選は、新進党などを軸とするめまぐるしい政党の生成消滅・集合離散の中で、政党不信に陥った国民の政党離れが起こり、おおかたの予想を裏切って「無党派」が、共産党を除くほとんどの政党の野合的な相乗り候補に引導を渡し、「意地悪ばあさん」を都知事に押し上げてしまった。
 古くは、美濃部氏が都知事選で当時長期政権の座にあった佐藤栄作首相をターゲットに「ストップ・ザ・佐藤」を掲げ、あまりの長期政権に飽き飽きしていた都民の気分をつかんで大勝したこともあった。これも都民VS国政の図であった。

巨大で複雑な都政

 美濃部知事には学者をはじめとするブレーンと住民運動や労働運動の政治的な支えがありこの意味で福祉や教育、公害対策等の具体的施策を通じての都民との結びつきも強いものがあった。
 しかし、青島知事について言えば、福祉や教育、都市問題等の今日の東京の重要問題全般について十分な見識を持っていたとは思われないし、政策ブレーンを持つことも拒否した。都市博の中止後、こうした多くの問題に直面するや見識とブレーンを持たない青島知事は「都庁の職員がブレーンだ」と言って、青島色を出すことをあきらめ多くの都民の期待を裏切ってしまった。
巨大で複雑な東京問題は、大きな転換を図ろうとすれば各方面の専門家や強力な推進力なくしては取り組み得ない。解決モデルもなく、まして中央の言うがままや隣の県の横並びではいかないのである。

地方自治の原点から

 分かり切ったことだが、都知事選挙はあくまでも都民の生活と東京のありようをめぐる政治戦であり、都民生活をどうするか、巨大都市東京のありようがどうするかが議論の中心でなければならない。都民の選択が結果として他の地方や国政にインパクトを与えるとしてもそれは副次的な結果であり、国政にインパクトを与えることや他の地方に影響を及ぼすことを「第一義」に置いてはならない。このことは地方自治のイロハであろう。
候補者の選定をめぐって多くの政党は、勝ち馬に乗ろうと周りの様子をうかがい続けた。かつての失敗に懲りて最終段階まで様子をうかがっていた政党もある。マスコミを味方につければかなり有利になるという考えもあり、マスコミに露出度の高い無党派候補も政党候補に並んで登場した。
 政党の組み合わせであれ、マスコミに乗ってであれ勝つことを最大の目標に耳障りのよい政策を断片的に並べ、本格的な政策議論は走りながら考えるというのが多くの候補者の態度である。ここには、巨大で複雑な東京問題に取り組もうとする謙虚さは見えない。

全国ネットでゆがめるマスコミ 

 都知事選挙をめぐってジャーナリズムは、久方ぶりの多くの論客候補者に恵まれけたたましい報道合戦を行っている。「マスコミ選挙」は彼らにとって第三の権力者としての地位をアピールするための絶好の機会である。それ故に、タレントも揃いショーアップできる都知事選挙の動向が全国ネットで繰り返しテレビ放送されることになる。

 職員数削減も焦点

 全国で見てもらうためには、都民に密着したドブ板の話題は避けて知名度の高いハコ物(都庁舎や国際フォーラム、国際展示場等々)や19万人近くもいる職員(警察・消防・教員で12万6千人、その他の行政部局で6万3千人)の削減、職員給与のカット等全国の誰でも分かる問題だけに焦点が当てられる。
 しかし、職員数の削減も2万人とか5万人とかバナナのたたき売りのように言われているが、警察・消防・教員は法律等で決められた定数であり、地方制度の破壊的な解体なくしては削減できない数字である。単に職員数ではなく東京都の解体プランをセットで示さねば理解はできない。職員の給与カットもスト権剥奪の代償である人事委員会の勧告制度を無視しては語れないことは常識である。それは、日本の公務員制度を根底から変える議論である。勇ましく公約を掲げるのは良いが、橋本内閣が放り出した「構造改革」以上の改革を東京都だけで行えるとは思えない。

都の行政の特殊性

 マスコミはまた、都の行政が大都市の特殊性から市町村の仕事である清掃事業や上下水道、都市交通など多くの事務を持たざるを得ないこと、福祉・教育では依然としてかなり先進であること、都道府県では唯一の地方交付税の不交付団体であり地方財源の配分でも不利益を被っていること、こうした東京のローカルな事情には触れたがらない。東京都は23区との関係や歴史的経過から、どの府県よりも住民に身近な仕事を多く行っており、従って知事選は本来きわめて身近な生活にかかわる選挙なのである。

 「主婦感覚」でいいか

 また、鈴木都政時代のバブル経済の遺物ではあるが、できてしまった建築物は「子供」と同じで、建築主の意図を離れそれ自身の存在意味を持っている。運営上の努力や工夫は当然のことだが、安易な売却や転用は社会的な損失を招く。いかに都民と国民のものにするかの検討なしに、大きいから、贅沢だからと「主婦感覚」で非難する候補者やマスコミは、都庁の移転と豪華庁舎建設を批判したことすらなかったではないか。

虚像を見せつけられる
 視聴者

 候補者自身がテレビ討論会について「異常だった。番組を盛り上げようとあおる司会者に引きずられ、われわれも大向こうを狙った発言を言わされたような面がある。番組で『政策のたたき売り』が行われ、選挙を安っぽくしている。」「視聴者が本当に求めているのはもっとまともな政策論議じゃないですかね」と語っているのである。
 マスコミによってショーアップされた結果、選挙は都民にとっても生活から離れ、評論し見物するものになってしまっている。いわば、都民も「疎外」されているのである。
 東京以外の地方の人は、都民生活と都の行政の実際から遊離しているという点と東京という特殊な地方の話を全国に一般化しているという点において、二重にシンボル化された虚像をテレビで見せつけられている。

北海人(きた・うみと)
入善町出身。東京都庁に勤務。東京在住。

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