地域雑誌「新川時論21」第8号の紹介
目次
◇巻頭言 端境期はなくなった?<野崎弘>
◇拠点都市構想で新川はどう変わる(5)
中間総括してみました<グループPPM>
◇人と人の間に(2)差別と人権を考える<鈴木修>
◇自然が主役<小熊清史>
◇現場からの教育(3)生徒もイライラ教師もイライラ<匿名教師>
◇詩とエッセイ <谷口恵子>
◇蜃気楼の先に見えるもの<大成浩>
◇東京の街角で<江口美智夫>
◇しんめいはんのお祭り<稲葉敏雄>
◇この世の天国を味わう<宝田弘重>
◇まちのかおのある風景<谷口恵子・若井直美>
◇糖尿病に悩むあなたへ<濱田實>
◇にいかわ直球・変化球
◇新川元気人(7)志水哲也さんの巻
◇風の丘を越えて<松井康博>
◇書評・佐伯邦夫写真集「剱岳喝仰」<濱田實>
○表紙<善田優子>
○裏表紙<田中光幸>
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端境期はなくなった?
フリーライター 野崎 弘
読めない高校生
「端境期」を“ハザカイキ”と読めない高校生が増えている。先日、北朝鮮の食料事情が端境期を迎え、一段と深刻化しているという新聞記事を見せた。「ハシキョーキ」「タンキョーキ」などの答えが返ってきた。意味は見当がつかない、という。
私らの少年時代はコメ不足が深刻で、秋に新米が出まわるまでの端境期をどう乗り切るかという記事であふれていた。この言葉を理解できない者の方が少なかった。
今は違う。コメはあふれている。野菜や果物も旬(しゅん)の時期がわからないくらい。端境期が死語に近くなり、読めない、わからないという高校生が普通になった。結構なことかもしれない。
しかし、ほんとうに“端境期”はなくなったと言って良いだろうか。政治や経済、さらに思想・文化の面でも、行きづまりが顕著になってきている。私は、日本も世界も大きな端境期にあると敢えて言いたい。
経済も政治も死に体
92年のソ連の崩壊で、市場経済一辺倒の世界になってしまった。経済のグローバル化がすすみ、投機目当てに大量のドルが世界をかけめぐる。あおりを喰って韓国でもタイでもインドネシアでも、経済の大混乱が続いている。
「こんな不況は経験したことがない」と日本の経営者。昨日まで業界に君臨していた大企業も音を立てて倒れていく始末。莫大な公的資金=税金の投入も、ブラックホールへ吸収されてしまっで、ほとんど効果がない。
アメリカだけが好景気を謳歌しているが、あれもバブルだ。ニューヨークの株価が暴落して世界恐慌の引き金になる恐れは十二分にある。
55年体制崩壊後の政治の世界もまたしかり。保守と革新の座標軸が判らなくなる。いきおい政治的無関心層がふえ、大量の無党派層を生み、投票率の低下に拍車がかかる。
今度の参院選も、自民党が改選議席の過半数を制するか、共産党がどこまで進出するかが焦点。とても政権交代につながる状況ではないからさっぱり興味がわいてこない。
生きがいはどこに
思想界の混迷はなお深い。かつて一世を風靡していたマルクス主義の権威は地に堕ちてしまった。この空白を埋めるものが見当たらない。若者のエネルギーは空しく拡散し、生きがいをどこに求めたらよいのか判らない。刹那主義のトリコになるのが、オチというものだ。「キレル」「むかつく」子供らがふえる一方だ。
それだけではない。政治・経済・思想とトータルにかかわってくる環境問題が人類の生存そのものをおびやかしつつある。温暖化しかり、オゾン層破壊しかり。環境ホルモンまたしかり。
ハザカイキは何も北朝鮮だけではないのだ。日本の食糧自給率(カロリーベース)は42%にとどまり、穀物自給率に至っては、わずか30%だ。二○一○年には、農地面積が農地の転用と後継者難で今の8割に減り、もし輸入が止まれば供給カロリーも半減すると農水省が試算しているのである。これでは北朝鮮を笑えまい。
世紀末を目前にした今こそ二十世紀全体を総括すべき大端境期ではないのか。戦争と革命、バブルと環境破壊を行い、ツケを将来にまわしながら終焉を迎えようとする二十世紀そのものをソーカツしようではないか。
自然が主役
─ぼうずやまクラインガルテン─
小熊清史
長野県東筑摩郡四賀村(しがむら)を訪ねた。
さんざん道に迷って、ようやく村役場の前を通り抜け、坂道を上ると、コテージ風の木造建築の列が目に飛び込んできた。「ぼうずやまクラインガルテン」のラウベ(休憩小屋)である。
クラインガルテンはドイツ語で「小さな庭」を意味する。ちかごろ、グリーンツーリズムの名のもとに、農村での「滞在型レジャー」が提唱され、「市民農園整備促進法」(90年)が制定された。しかし、ただ単に補助金で施設をつくってみても成功はおぼつかない。
四賀村のクラインガルテンは一味も二味も違う。行政がトップダウンで企画したものではない。10年以上も前から地元農民が「自然農法研究会」をつくり、産直活動を通じて22万人もの都市住民との結びつきを築いてきた。その実績の中から「クラインガルテン研究会」を興し、欧州を視察するなど研究を重ね、行政を動かしたのである。
約100坪が1区画となり、それぞれにラウベが建っている。中を見せて頂いた。ユニットバスと台所が備わり、トイレは水洗だ。ワンルームにロフトがついた間取りは想像していたよりもずっと広く、住みやすくできている。これなら長期滞在も苦にならない。
建物のまわりは庭と菜園だ。各区画には、思い思いに花や野菜が植えられている。
ラウベ付き市民農園は4期に分けて53区画が造成され、すべてが契約済み。入会金が10万円と年会費が25万円である。クラインガルテーナ(会員)のうち県外在住者が3分の2を占める。遠くは四国や沖縄の会員もいる。退職者など時間が自由になる人が多いとのこと。応募者の倍率は通算で5倍近い。抽選以上に難関なのは、その応募条件だ。
有機栽培を行うこと、月に6日以上来園し3泊以上すること、村の行事に参加すること、などが「坊主山クラインガルテン倶楽部」の入会条件。「田舎の親戚制度」があり、地元の農家が指導や手伝いをする。手伝いは有償(時間給)だが、「草むしりはしない」ことになっている。自然の厳しさを知ってもらうためのアイデアだ。
村では、他に「日帰り型市民農園」や保養施設も設けている。四賀村へは全国から視察団が訪れるという。カタチだけを真似るのではなく、有機農業を中心に据えた心意気を見習ってほしいものだ。
日本カーバイト工業跡地やユニー跡地の活用が話題になっているが、「市民農園」はどうだろう。海の見える市民農園が人気を呼ぶことは確実だ。名称は「しんきろうクラインガルテン」──夢まぼろしの戯言、と片づけないでほしい。
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