時論-7  

地域雑誌「新川時論21」第7号の紹介





 
特集・現場から見た教育シリーズ<その2>

草創期の心に学べ  求められる教師の変化

濱田 實


 中学生の教育は難しいーという声をよく聞く。いま中学生による凶悪犯罪が続出し、これを裏付けているが、難しいからと教師や家庭・地域が責任を放棄している面がないだろうか。新制中学も五十年の歴史を重ね、「新中」という言葉も死語になっている。草創期は「生徒の天下」であったはずの中学校がどう変わったのだろうか。

中学は高校への通過点か
創立50周年の苦悩

 魚津市立西部中学の校同窓会長田中光幸氏は頭を抱えてしまった。平成九(一九九七)年に創立五十周年を迎え、大々的に記念事業を計画し、記念事業実行委員会を設置したまではよかったが、再三の呼びかけにも一向に委員が集まってこないのである。
 同中学では二十年前に三十周年記念事業を行い、庭園造成、同窓生名簿の発行など一応の成果を挙げていた。当時のスタッフを実行委員長、事務局長に据え、ノウハウを生かそうとしたが、同窓生の反応が二十年前とまるでちがう。
 この二十年で同窓会員数は二万三千人と倍増し。会社役員、高級官僚、大学教授など有力者は以前とは比較にならないほど増えたというのに、この無関心ぶりはどこに原因があるのか。最後まで実行委員の盛り上がりが低いままに、記念式典と祝賀会だけをやり、募金も三十周年を下回る六百万円で記念事業を終えてしまった。田中氏はいまだに中学校の同窓会活動の不振を量り損ねている。
 中学校は戦後の教育改革で生まれた新しい学校だから、全国のどの中学校も創立五十周年事業を行っているはずである。そういえば、記念事業を計画している時に地元新聞社から広告掲載を依頼されたことを田中氏は思い出した。「富山の芝園中学と高岡の志貴野中学が(広告を)出す予定だから、魚津西部中学もぜひ出してほしい」との話。乏しい事業予算から多額の広告費を出すのは大変だが、“名門校”と比肩されるのなら仕方ないと出費を覚悟していたが、芝中も志貴野中も出す気配がない。内々両校に探りを入れると西部中学と同様に、いやもっと深刻な事情で「広告は出せない」という。
 富山県下、ほとんどの中学で同窓会が主体になった記念事業が実施出来ない事情が明らかになってきた。「魚津西部(同窓会)は自前で式典・祝賀会をやっただけまだ立派だ」との声もあるくらいだ。
 一方で、旧制中学・専門学校を母体とする「県立○○高校百周年事業」「県立××商業高校百十周年事業」が数億円規模の予算で華々しく展開されている。新制中学だって、五十年の歴史と伝統を重ねている。旧制とはそれこそ「五十歩百歩」の差ではないか。  記念事業を進めている中で、田中氏は実行委員から「中学校生活に思い出はない」「高校への通過点にすぎない」「母校というほどの意識はない」など言われて歯ぎしりした思いがある。結局は“愛校心”の差なのだろうか。
 六・三制の申し子といわれ、50の年輪を重ねた新制中学が、これまで積み重ねたものは何か、田中会長は否応なしにこの問題と正対することになった。

生徒を支える地域の視点

 昨年9月から1ヶ月間、富山県教育記念館(富山市千歳町)で「新制中学から50年」特別展が開かれた。「新制中学のおいたち」「苦しみの中から」「うつりかわり」「地域とともに」「栄光へのあゆみ」「はばたけ!世界へ」各コーナーがあった。学制改革50年を振り返りながら、これからの課題や展望にまで及ぶ展示が行われた。
 展示を主宰した須山盛彰氏(元富山東高校長。教育記念館・教育資料部会専門委員長)は、この催しを次のように総括している。
 「中学校が発足して半世紀。その間、社会や経済が大きく様変わりし、学校を取り巻く状況も大きく変化した。いまあらゆる点で改革の必要性が論議されているが、ともすれば学ぶ側の生徒やそれを支える地域の視点を忘れがちである。
 予想される多くの課題に対処するためには、中学草創期の地域との連携の姿に学ぶべきところが多いということを教えられた」(館報『教育記念館』より)
 須山氏はまた、自身が教職を目指した動機について次のように書いている。
 「私が社会科の教師になった最も大きな要因は、新制中学の授業にあったと思います。新しく社会科という教科が誕生し、その最初の授業が『憲法のはなし』という小冊子による学習でしたが、とてもストレートに理解できたように思います。また、その時代の社会科の特徴はコアカリキュラム(課題を設定し、それを中心に学習を展開する)でしたが、私たちの学校では『新聞ができるまで』というのを先生がた手作りのガリ版刷りの資料をもらって興味をもって学んだことを覚えています。また、何人かの先生によって校下の総合調査をされ、それを印刷した『村勢概観』という副読本はいまも大切に持っています。」(全国普通科高等学校長会誌・第43号より)
 筆者は前号で「それは生徒の天下であった」と草創期の魚津西部中学を形容したが、同年代の須山氏が過ごした呉羽中学でも同じような教育実践が行われていたようだ。これは一部の新制中学ではなく、全国どこの中学でも展開されていたに違いない。そして、多数の少年に「人生の指針」を与えたことであろう。

福島、埼玉、新潟県で

 本誌賛助会員の藤井武子氏(元三条高校教諭・エッセイスト)から「ご参考までに」と新潟日報(2月7日付)の切り抜きが電送されてきた。それには「21世紀の子供を育てる手段として、教科センター方式・地域開放型の学校づくりを導入する」とある。新潟県北蒲原郡聖籠町の教育長が、平成13年開学予定の統合中学建設に県内初の新方式を導入するという。そこではどこからでも教室が見えるようなオープンの校舎を建設し、保護者や住民がいつも利用できるような運営を計画している。校舎建設にも行政が地域や教師と話し合いながら進めるという。
 福島県三春町や埼玉県加須市の先行地域の実践を参考にしたといいながら、聖籠町の手島勇平教育長は、「社会がこれだけ変わったのに先生たちは変わろうとしない」の声を背に「(勝負は)子供たちがどう変わるかでしょう」と手ごたえを語る。
 須山氏の取材の中でも呉羽中学の新校舎に触れた部分がある。独立校舎さえ覚束ない新学制発足当時にあって、呉羽村(当時)は地元出身の新進の建築家を起用し、Y字形の新校舎を建設した。その発想は、21世紀を目指す新潟県、福島県、埼玉県などのオープン型校舎と驚くほど似ている。須山氏ら呉羽中学出身者はその校舎を非常に誇りにしていたともいう。
 しかし、誇りの新校舎は何故か10年ほどで取り壊されてしまう。老朽化したわけではない。「先生がたが使いづらかった」せいだろうとは須山氏の弁。昭和30年代から始まった度重なる指導要領改定でコアカリキュラムは崩れ、系統学習が導入されたのが引き金かと思われる。学力増強の世論?を背景に、指導内容が増え、教師主導の授業(教師の講義を主体に進める一斉授業)に切り替わると斬新な発想の校舎が使いづらくなったということだ。
 昭和40年代から指導要領改定はさらに加速し、指導内容は過密化し、「新幹線カリキュラム」のもとに受験競争が激化し、それについていけない子供が取り残され、非行の増加が社会問題化していく。

新幹線教育の行方

 教育現場の荒廃については、ありあまるほどの報道がある。いまそれに言及するつもりはない。ただ、「学校」の題名で公開された映画監督・山田洋次氏の作品の舞台が、「夜間中学」と「特別養護学校」であったことは象徴的だ。いまの教育現場の「片すみ」でしか「学校」が本来の働きをしていないということか。
 学校をそこまで追いやったものは、高度経済成長下の国の教育政策にあると見る。教育は経済政策に隷属し、量的拡大と効率化を目指し走る。指導要領改定については前述したが、現場では教職員と生徒に対する「管理」が横行する。そこから生まれた弊害を列記すれば次のようになる。
 ・カネとモノを崇拝する価値観が中心となる。
 ・「能力と適性に応じた教育」の美名で、生徒と学校に対する格づけが生まれる(偏差値による差別と学校格差の発生)。
 ・生徒や教師の個性と人格を軽視し、民主的な教育活動が失われる。
 ・「ゆとり」が失われ、地域や家庭にあった生活習慣と結びついた道徳、情操、宗教教育が退化する。

先生は変わらない

 呉羽中学のY字形校舎の運命のように、草創期の自由で奔放な新制中学教育はあっという間に消え去った。高度成長下の「新幹線教育」「管理主義教育」は日本経済の奇跡と一緒に40年も続いた。バブル崩壊後の経済政策の転換に苦しんでいるように、学校の荒廃が明らかになった頃からさすがに文部省も教育政策の変換に踏み切ったようである。
 昭和50年代からの「ゆとり」「自由裁量の時間」の導入。平成からの「週5日制」の採用。そして、「心の教育」「生きる力」の重視が指導要領に盛り込まれた。
 しかし、「社会が変わっても先生は変わらない」という現場の風潮は生きている。いまの教職員構成は、管理され、管理することの安易さにどっぷり慣れ切っている「団塊の世代」以降が中心である。「生徒の指導の問題で職員会議を開いた時、体罰の肯定や管理の強化を『若い先生』が主張するのに驚くことがしょっちゅうある」とは藤井氏の弁。
 また、いまの教職員の給与体系や任命権者が違うなどで、中学の先生は小学校としか行き来しないことにも一つの要因があると思われる。つまり小学校の「子供」という意識を引きずったまま中学校の「生徒」に相対しているのではないか。驚くほどに「大人」に急成長する中学生についていけないところがないか。中学校教師の「とまどい」「悩み」を見る一つの方向であろう。
 「学校の先生たちが社会の変化を直視し、自らの変化を恐れずに地域(生徒)との向き合い方を変えられるかにかかっている」とは新方式の統合中学建設の成否のカギを説いた新潟県聖籠町の手島教育長の言だが、手詰まりのいまの教育状況を切り開くカギとなるであろう。

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人と人との間に<1>
〜差別・人権を考える〜
鈴木 修(本誌同人・僧侶)



 「差別」をテーマにして、何回になるかは分かりませんが、書かせていただくことになりました。しかし、本誌読者の皆さんからの通信を見ますと、地域に密着したテーマを取り上げるべきとの声が断然に多い状況があります。
 その中で、本シリーズー「差別・人権の問題」というやや固苦しいテーマにページを割くということは、編集担当者の先輩諸氏に相当無理を強いていると考えねばなりません。したがって、読者の皆さんの反応が悪ければすぐにも中止させられることは明らかです。  私としては、皆さんが、「差別」について日頃から思っておられることや、体験した具体例などを寄せていただくことによって、「差別」について対話していくシリーズとして続けられればと思っています。是非、ご意見をお寄せください。

「差別」はウルサイ問題?

 「差別」というと、重たい、煩わしいなどと、敬遠しがちの人は、存外多いのではないでしょうか。しかし、「差別」という問題は、過去においても現代においても、政治や経済問題よりもずっと身近な問題で、関心事であったろうと思います。
 私自身は、人の一生も人間の歴史も「差別」の呪縛から脱するという思いを底流にして展開しているのではないかとさえ思っています。
 二千五百年前、お釈迦さまは、無差別平等、世俗の見方にとらわれず真実を見る目を持つ覚者、等正覚と称えられ、その教えはいまに続いていますが、それだけ深刻なテーマであり続けているということではないでしょうか。
 現在、社会問題として意識されている「差別」としては、こども虐待、いじめ問題、女性差別、セクシュアルハラスメント、老人差別、部落差別、アイヌ問題、在日韓国・朝鮮人問題、外国人労働者問題、エイズ問題、非嫡出子問題など、あるいは、職業や学歴などの社会的地位による差別、宗教や思想信条による差別などなど……。その他にも、日常生活の中において様々な「差別」の問題があります。
 差別問題をこうしたスタイルで展開すると、「アレモサベツ、コレモサベツト、ウルサイナア。モノイエバ、クチビルサムシデハナイガ、ゲンロンノジユウノアッサツデハナイノカ」と対話を拒否し、思考が中止してしまうのではないでしょうか。あるいは、「サベツトイウガ、クベツシテイルダケダ」と内心で思ってしまうのではないでしょうか。
 しかし、言論の自由は弱者の権利の擁護尊重のためのもの。「区別しているだけ」とは、常套句となっている回避手段ですが、「差別」と「区別」をどう区別しているのかと問われれば困ってしまうのではないでしょうか。
 とは言うものの、「ソレハ、サベツデハナイカ」「アナタハ、サベツシャダ」式に、言動の一つ一つをあげつらい、非難するアプローチでは、対話が中断するだけでなく、差別問題についての自由な論議も問題の深化もないのでは、と私も思います。
 「ナンデサベツナンダ」「オレニハ、アクイナドナカッタノニ」と思いつつも、口は閉じられ、沈黙こそ金ということになってしまうのではないでしょうか。そこで、対話の出発点として、「差別」という概念はどう意識されているのか、つまり「ナニヲモッテ、サベツトハンダンスルノカ」というあたりから進めてみたいと思います。

「差別」が正しいこともある?

 「差別されることが、大多数によって正当であると支持されるものもある」と言ったら、どう思いますか。コイツは何をほざくのかと思いますか。
 インガーという人は、差別と、それを社会がどれだけ許容するかの関係を見て、次のように三分類しました(とりあえず、「差別」とは**によって異なった取り扱いをすることと考えて進めます)。
 一、規範的差別 異なった取り扱いをすることとその基準を、大多数の人が合理的で妥当性を持つと認める場合です。
 二、社会的差別 異なった取り扱いをすることとその基準を、多数の人が妥当と認めたり、あるいは集団内において認める場合です。
 三、個人的差別 個々人の恣意によって異なった取り扱いが為される場合です。
 一の規範的差別は、例えば、喫煙や飲酒を一定年齢未満のものについては禁ずるというのがそうです。日本では二十才を区分にして差別しています。店に行って、君は**だから(例:学歴、職業、性別、居住地など)売りませんといわれたとしたら、これは許せない差別でしょう。しかし、現在の日本では、未成年者へのタバコや酒の販売については、異なった取り扱い=差別をしても許されるだけでなく、積極的に差別しなければなりません。差別することが正しいということになってしまうのです。
 三の個人的差別とは、依怙贔屓(えこひいき)です。社会的妥当性もないし、妥当とする多数者が存在するわけでもなく、個々人の好き嫌いによってなされるものです。
 そして、二の社会的差別とは、規範的差別のように大多数によって合理的で妥当性ありとする社会規範にまではなっていないが、多数の人によって、あるいは集団内では、異なった取り扱いをすることを規範であるかのように当然とするもので、インガーは、これを「差別」と限定して使用します。

「差別」の基準は変化する?

 しかし、一つの時点で見れば、二の社会的差別だけを「差別」として限定できるのですが、異なった取り扱い=差別の基準が、時代や社会に進歩の中で変化していくということがあります。
 かつて、選挙権は納税額の多寡によって異なった取り扱いがされていました。選挙権に関する女性への異なった取り扱いがなくなったのは、やっと戦後になってからです。  差別することが合理的で妥当性ありとされていた異なった取り扱い=差別の基準が、時代の進展によって変化しているといえます。そして今は、在日外国人の選挙権の是非をめぐって妥当性が問題となっています。
 選挙権は、規範的差別として当たり前であったものが、規範の変化により(もちろんその背景に意識の変化と運動があるのだが)、一挙に解決したものです。
 ところで部落差別は、江戸時代の封建的身分制度のもとでは規範的差別としてありました。そして、明治四年の「解放令」によって規範となる制度は消滅しました。したがって、公式には大多数の人が部落差別は非合理的で妥当性がないと認め、いまや過去のこととなっています。しかし、残念ながら、非公式には結婚や就職、交際などにおいて異なった取り扱いをすることが暗黙に妥当とされている実態がいまだに見受けられます。つまり、<二の社会的差別>として存在しているということです。
 人種差別も同様です。規範の上では差別はなくなっているはずですが、今も深刻な問題であることは誰もが認めるところでしょう。
 規範がなくなっても存続しているということは、差別を支えるものは規範ではなく他にある、むしろ規範は差別をおおっぴらにするための仕掛けにすぎないということが言えます。
 様々な差別がありますが、それを支えているものは何なのか、共通するものはあるのかないのか、このことも考えていきたいと思います。

「いじめ」も差別問題?…「差別」はどんなふうに現れるか

 もう少し関心を持っていただきたいので、話す順序を少し変えて、「いじめ」の問題を取り上げたいと思います。
 「いじめ」の問題は、教育問題であって、差別の問題ではないのでは?という方もおられるでしょう。中には、こどもの問題に大人が立ち入るな、という強硬なご意見もあるでしょう。それはそれとして、私は、差別という視点で見ると、「いじめ」の姿がよく見えてくるのではないかと思っています。
 オルポートという人は、ナチスによるユダヤ人迫害の悲惨な歴史的事実を詳細に調査し、ユダヤ人に対する嫌悪・偏見が、ジュノサイド(虐殺)にまで至った経路を、エネルギー消費量の増大によりエスカレートして発現していく行動形態として次のように示しました。  まず、対象とする人や集団を言語によって攻撃する<1.悪口>。次に、接触・関係を嫌い回避する<2.回避>。さらに、対象とする人や集団を積極的に排除・隔離する<3.排除>。これには、ゲットーや強制収容所などによる物理的排除だけでなく、職場や学校、地域集団などからの社会的排除も該当する。そして、それに服従しない人や集団に対して体罰、リンチ、拷問などの攻撃を加える<4.身体的攻撃>。ついには、その存在さえも認めないという行動である殺戮へと至る<5.絶滅>。
 このパターンには、「いじめ」との著しい共通点があると思いませんか。まず「クサイ」「ダサイ」などの言語や落書による<悪口>、攻撃、無視・シカトするという<回避>、教室・集団内での<排除・隔離>、制裁、リンチなどの<身体的攻撃>。そして「死ね」などと、存在することの否定、<死の強要>という行動形態と経路。
 しかし、歴史的な大犯罪であるナチスによるユダヤ人迫害と、子供たちの中にある「いじめ」現象との共通項は、はたしてその形態だけにあるのでしょうか。このことについても、次回に話してみたいと思っています。



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町内会長ただ今奮戦中ー続・番外編ー

救援・福祉に名を借りて いかがわしい行為をしていいのか

日本赤十字社募金に抗議する

婦負郡内自治会区長 水上 昌造




 赤十字とはアンリ・ジュアンの名や様々な救援活動によって『好ましいもの』として広く知られている。そして、その基礎となる基金は社員の寄付による。社員は、毎年500円以上寄付することによってなることができる(日本赤十字社定款第15条)。
 また、寄付を毎年すべき額の3倍滞納すると脱退になる(同第13条、16条)。そして、社員により47の都道府県などの支部に総員1300名余りの評議員(富山支部25名)と、288名の代議員(富山支部3名)、61名の理事がいる。
 各都道府県代表47名の理事及び社長1名、副社長2名、監事3名、14名の理事は代議員会により選出される。常任理事は12名以内である。
 日赤本社は法律によらなければ解散されず(第10条)、定款の変更は厚生大臣の許可を必要とする(第9条)。現在、富山県の支部長は富山県知事である。毎年500円の社費を払えば誰でも社員になれる組織が、強く国の制御を受け、評議員は市町村長らである。  理想や精神に共鳴して参加し、意見を表明していく通常のボランティア組織とは少し違うようである。

社員募集と募金の違い

 しかし、いま問題にするのは日赤募金の『町内や村落の住民自治組織による強制寄付』の問題である。社員募集とは言っていない、募金と言っている。毎年450円集めるので、住民側には第15条の社員の権利は生じない。もし仮に『献血の行われ方』に疑問が生じても、その意見を表す機会がない。
 決算の報告も受けていない。役員選挙にも関わらない。500円を二十年間払えば一万円であるが、450円の二十年間九千円ではなんの権利も生じないのである。
 ここに2枚のコピーがある。富山県の南部のY町の区長会が各地区に割り当てた依頼金額と『社会福祉協議会』の費用と抱き合わせで徴収を依頼する文書である。日赤募金470円と社会福祉協議会費300円をセットで払ってほしいと書いてある。
 これに盾突くと、『福祉に反対しているのか』とも受け取られかねない。また文句を言っても、たかが数百円で文句を言うのかといわれるのが落ちである。ご丁寧に『免除を受けているところからは取らないように』と注意してある。自治体の連合体・区長会の決定及び依頼の形を取っている。

寸借行為はしたくない

 理想は高く、良い仕事をしている団体が、その構成員が不明で、寸借行為とも受け取られかねない行為を組織的に行っていると思われても仕方がない。
 はっきりと『社員募集』と500円以上社費を募ったほうが、真のボランティア活動として良いのではないかと思うとともに、このような行為の手伝いはしたくないと思う。そしてこのような基礎のあいまいな巨大な組織が、かくも長く存在し続け、さらに福祉の分野も担おうとする時代に、もう一度あり方を問い直すことが必要に思う。
 常に戦争と災害に『救護』という形でたずさわり、実績を積んできた赤十字社を敬愛するものとして、その運営のあり方、募金のあり方に問題を提起するとともに、もし、改革することがかなわぬとしたら、何か本質的なものがそこにあると考えても過言ではない。

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