地域雑誌「新川時論21」第3号の紹介
第3号目次
巻頭言 「辛口」は本物か 濱多 和
その昔『新川時論』がありました(その3) 野崎 弘
早月川を歩く(ルポルタージュ第3回) 佐伯邦夫
動乱の世界を行く 観堂義憲
女性が考える新川新時代 田中純子 辻口佳枝 法原洋子 浜川真理子
黒部市「風の塔」異聞 若井直美
「国際化」はまず内側から 鈴木 修
KITAのTOKYO通信 北 海人
町内会長ただいま奮戦中(1) 濱田 實
新川元気人 FMとやまで爆裂中 吉田 大
とやまのキョンキョン─住吉今日子さん
『富山わが町ここが一番』(富山学研究グループ)
『おらっちゃらっちゃの富山弁』(蓑島良二)
『生きる─老いの光と影』(田辺順一)
読者からのお便り
同人一覧・編集後記
古きよき新川を愛する人へ 泊グルメマップ
表紙・藤田 功(入善町) 裏表紙・田中光幸(魚津市)
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「国際化」はまず内側から
−前号「新川に見る国際交流」に寄せて
鈴木 修(富山市在住・僧侶)
ラーメン屋での体験から
最近、魚津市内のラーメン屋さんで聞いた話。市内のある企業へ研修に来ている東南アジア系の女性社員たちが来店した。注文したラーメンに、カウンターに備えてある胡椒、塩、七味唐辛子などの調味料を次々にかけている。
驚いて見ていると、「シュガー」と言う。砂糖を出すと、それも入れて、スープをかきまわして食べはじめる。それを見ていた男性客、「これやからな、やっとられんちゃ」と呆れ顔だったという。
が、日本人の食文化にもとづく価値観からすれば、「やっとられんちゃ」になるが、彼女らの国の食文化からすればどうだったのか。ラーメンのスープを下地にして各種の調味料で整えた味は、きっと懐かしいものだったのだろう。おかみも「あの子ら、スープまでぜーんぶきれいに食べてかれた」と笑顔で話してくれた。
いま、「国際化時代に乗り遅れるな」が強迫観念のように僕らのまわりに渦巻いている。海外渡航経験者や在住外国人も格段に多くなり、また「国際交流」があちこちで叫ばれるなど急速な「国際化」を感じることもある。
海外進出企業が、社員研修と称して現地採用社員を招くケース、また人材交流や、留学生として来県し、在住している人たち。「経済大国」日本に夢を託しての来日者たち。しかし、現実の僕らの生活領域で日常的に交流する機会は少ない。直接の交流体験を持たないのに、僕らの中には外国や外国人に対するある種のイメージ、予断や偏見がある。
予断と偏見がある
以前、ある新聞に紹介された、K県立高校英語教師をしていたアメリカ黒人青年の声。
学校の体育館で、バスケットボールをしつこくせがまれた。スナックに行くとダンスをせがまれた。出来ないと言っても信用しない。知らない酔客が、いきなり股間に触ってきた。日本人には、黒人はすべてバスケットボールが上手でダンクシュートができ、リズム感が抜群に良くて、セックスは魅力的で強いという固定観念があるらしい。
黒人の中にも私のように思索と静かな音楽が好きなものもいるという当たり前のことを理解してほしい、という内容だった。ことばを替えれば、白人社会に古くからあるステレオタイプな黒人イメージである粗暴、感情的、動物的という偏見が日本人の意識にも根強くあるという抗議。
肌の色に意味を持たせただけ
そもそも、肌の色が黒か、白か、黄色かは、色彩上の区別。その間に何かの意味を持たせるのは、我々の恣意による。たまたま歴史の経緯において白人が経済や武力などの上で優位にあり、黒人を支配した。支配服従の関係を固定化するのに色の違いは分かりやすい。そこで肌の色に意味を持たせた。白は、理知的、勤勉などと。単なる差異に意味を持たせたのは社会的諸関係というわけ。
言葉、習慣、考え方などに大きく言えば文化の面で、日本は独自のものをもっている。僕らが慣れ親しんでいる文化も、彼、彼女らには異質なもの。しかし、それは異質というだけで、その間に優劣の関係があるわけではない。僕らの側の価値観だけでその間に優劣などの判断をもちこむことはどうであろうか。文化の違いを認めあって交流してこそ、お互いに視野が広がるというもの。
国際化、国際交流は、目に見える取り組みだけでなく、目には見えない意識の内側からも取り組んでいくことが必要ではないだろうか。
新川元気人〈2〉FMとやまで爆裂中
富山のキョンキョンこと・住吉今日子さん(魚津市)
ともかくもエブリデイ元気はつらつ、パワー全開といった感じ。
「FMとやま」で、月曜・火曜の『電リクパニック97』(18〜20)を担当するDJ(ディスクジョッキー)。さらに日曜の『ミュージック10』でも大活躍。さすがに音楽番組のパーソナリティだけあって、音楽ー特に洋楽ポップス、ニューミュージックに大変に造詣が深く、感心させられる。
アナウンサーという仕事を目指した動機のルーツは、中学時代の音楽好きにあるらしい。桜井高校では放送部で活躍した。大学(帝京大文学部英文科)時代には小遣いと余暇のほとんどをコンサートとライブ通いで使い切るほど音楽に入れ込んだ。
いまの人生の方向を決めたのは、92年、太閤山ランドで行われたJET(ジャパン・エキスポ・富山)でミニFM局のDJの担当が大きい。報道アナウンサーではなく大好きな音楽と関わりが持てるDJとしてやってみようとー。
就職超氷河期、女子学生への厳しい差別にメゲることもなく各社へ挑戦し、3年前に「FMとやま」に採用された。
花の東京から故郷へUターンするのにさぞや抵抗があったのでは?との問いに
「私、富山が好きです。数字化された住み易さではなく、なんというか人と自然にやさしい風土。特に立山を仰ぐといつも涙が流れます。富山の良さを全国に発信してみたい」と、いつもラジオから流れるさわやかな声で、こぼれるような笑顔でキッパリと言い切るキョンキョン(聴取者の愛称)は、間違いなく鋭敏な感覚の持ち主と見た。
人間大好き、と断言する彼女はいま一日百通以上の電話とFAXによるリクエストを支えに、台本のないハプニングドラマを期待する多くのリスナー(聴取者)と本音でコミュニケートしている。時には誤解が生まれ、相手が傷ついたりする悲しみを味わったり、点字でリクエストをくれる盲学校の生徒さんと触れ合い感動したりする。
番組の小窓からかいま見る最近の社会には、孤独が充満していると痛感するという。元気を与えてほしい、話を聞いてほしい・・・・。切々と訴える若者たち。
将来は、自分自身がマルチ・ラジオ・プロデューサーとなって、ミニFM局を持ちたいと目を輝かせる。ぜひ「FMにいかわ」をお願いしたいもの。
アナウンサーは声が命だからと身体のコンデション維持に相当気を遣っている。「健康管理も仕事のうち、甘えは許されない」といいながらも、「いつもノリノリでやってますよ」と若さ爆裂といったところ。
人気急上昇の彼女のこと、男性からのファンレターが殺到かも。結婚観は?「なにごともどこまでも自然体で…」とあっさりかわされた。
(吉田 大 記)
田邊順一 写真・文
生きる ─老いの光りと影─
田邊氏は写真家である。いまは珍しくまった「社会派」写真家のライフワークは「老人」である。
老人の実像をレンズにとらえることには、しかし、大変な努力が要る。一枚の写真のために、何ヵ月も足を運び、ともに時間をすごし、心が通ってから、やっと撮影の許しが得られる。一枚一枚の写真に、写す者と写される者の葛藤があり、信頼が込められている。
氏は、日本の老人問題を鋭くシャッターで切り取る写真家として、また、それを伝える「語り部」として、全国を駆け巡っておられる。県内にも何回か講演会に招かれている。
この写真集は、講演のときのスライドの編成とほぼ同じになっている。スクリーンに映し出された大画面の迫力や、飾り気のない純朴な語り口にはおよぶべくもないが、それでも読む者に強い感動と衝撃をあたえずにはおかない。
たとえば、第1章、「森永トナ」さん。
トナさんは東京の下町で五〇年間、独り暮らしを続けてきた。足を痛めて入院したことが、独り暮らしに自信を失わせ、住み慣れた家と町を離れる決心を促した。
遠くの老人ホームへ向かう日の朝。路地を行くトナさんの表情からは静かな覚悟が伝わってくる。
圧巻は「川崎政吉さん・ヤヱ」さんの章。
リウマチと骨折で寝たきり状態になった妻と二人、軽ワゴン車に家財道具を詰め込んで旅をしながらの「車上生活」一二年間を追っている。朝、奥さんのおむつを洗濯し、身体を清拭し、朝食を料理することから一日が始まる。さらに、「床ずれ」の手当や膀胱洗浄などの介護も政吉さんがひとりでやる。
ヤヱさんが肺炎で亡くなったあと、政吉さんは遺骨を車に乗せて、ふたたび旅にでた。政吉さんが亡くなったのは、それから一〇年後。遺骨を片時も離すことはなかったという。
私は政吉さんになれるだろうか、と自問させられる。
いっぽう、年をとると、住み慣れた街を離れて、どこかへ「収容」される。手足をベッドに縛られるかもしれない、素通しの大部屋でおむつを交換されるかもしれない、そんな日本の老人福祉の恐怖が目に焼きついて残る。
(小熊)
価格 1,000円 販売:ばるん舎
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鶴ハイム神楽坂一〇三号
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