北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」 1995後半
北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」欄に掲載した文章を収録しました。版権は北日本新聞社が所有しております。引用などの際には、掲載日付と出処「北日本新聞」を明記してください。
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1995/07/05 ごまめの歯ぎしり
力がないのにいくら頑張ってみても無駄なことを「ごまめの歯ぎしり」という。「ごまめ」とはカタクチイワシの干物、イワシに歯ぎしりができるのかどうかわからない。そもそも干物に歯ぎしりができるわけがない。歯ぎしりさえできないとなると、よけいにあわれではある。
「田作」と書いて「ごまめ」と読ませるのはどうしてだろうか。どうひねっても「ごまめ」とは読めそうにない。昔の農民が雑魚のような存在だった、という意味だろうか。
歯ぎしりは寝ている間にするのがふつうで、目がさめているときに、歯と歯を噛み合わせて音を出せと言われても、なかなかできるものではない。たいへんな力がかかる。歯や歯を支える骨に悪影響を及ぼすような力がかかるばあい、痛みや不快感を感じて、それ以上力をいれないのように、しぜんに抑制がかかるはずである。
いずれにしても、歯ぎしりをするときには限界を越えた力がかかっていると思っていい。歯がすり減るのは当然、歯がかけることもあるし、長い年月のうちに歯を支える骨や繊維組織に障害をもたらすこともある。
それを防ぐには、歯ぎしりの原因になるようなストレスをなくするのがいい、などと書物には書いてあるのだが、じっさいのところはどうだろうか、そう簡単にストレスがなくせるとは思えない。それに、ストレスは一種の「からし」みたいなもので、まったくストレスがないと人間はだらけてしまう、と適度なストレスの効用を説く人もいる。そこで、少々原始的な方法かもしれないけれども、マウスピースのような装置を作って、寝るときに使用させることもある。
ところで、健康保険の自己負担の拡大、介護保険の創設など、社会福祉や社会保障の後退が急ピッチで進められている。こんなことでいいのだろうか、と将来を危惧するのだが、これも「ごまめの歯ぎしり」だろうか。
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1995/07/17 梅雨
梅雨、うっとうしい季節だ。暑いような涼しいような、汗が出ていいのか引っ込んだほうがいいのか、身体のあちこちで迷っているような、どうにも落ち着きの悪い気候である。
体調をくずしている人が少なくない。そこまでいかないまでも、抵抗力が落ちている人が多いのだろう。歯ぐきが腫れたり、顎が腫れたりして来院する人が多い。抜歯などの治療をしたあとの治りも悪いような気がする。
この時期は学童の検診後の受診で混雑している。待合室は、保育園と小学校合同のロビーのような状況になる。そんな中で、大人が腫れと痛みをこらえている姿は、きのどくとしか言いようがない。
ひどい腫れをおこす原因の筆頭は智歯(おやしらず)だ。正式名は第三大臼歯、臼のような形をした大きな奥歯の三番目、前歯のまん中から数えると八番目なので「八番」とも呼ぶ。
「第三帝国」、「第三の男」など、「第三」というとあやしげな雰囲気がただよってくる。智歯もそうだ。忘れたころに生えてきて悪さをしたり、あるいは顎の中に留まったままいつまでも出てこなかったり、もともと欠如していることもある。
中高年に多いのが歯周病(歯槽膿漏)の急性化。ほんらい歯周病は慢性の病気なのだが、身体が弱っていると急性症状を起こすことがある。歯が浮いたような感じになって、歯ぐきが腫れ、噛み合わせることができなくなる。顎まで腫れることはまれである。
似たような症状を起こすものに歯の根の化膿がある。これは虫歯が原因。治療済みの歯が再発することもある。痛みはこちらのほうが強いようだ。
「うっとうしい」の「うつ」は、「うっそうと茂る」の「うつ」、人間にとってはうっとうしい梅雨も草木にはめぐみの雨だ。雨の合間に日が照ると、かすかに夏のにおいが風にまじってくる。もうすぐ暑い真夏がやってくる。
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1995/07/19 豆腐
「豆腐にかすがい」は「ヌカに釘」や「のれんに腕押し」と同じで、手ごたえがなく、効き目がないことのたとえである。豆腐といえば柔らかいものの代表。もっとも五箇山の豆腐のように固いものもあるが、それとて豆腐としては固いというレベルの話だ。
いっぽう、私たち歯科医が歯型を作るときに使う石膏は固くなければ役にたたない。その石膏が豆腐を作るときに使われているというのでおどろいた。まさか、と思ったが豆腐屋さんに聞いた話である。
歯型を作るときみたいに、石膏そのものの固まる反応を使っているわけではない。そんなことをしたら五箇山の豆腐どころでない、歯がたたなくて、「豆腐で歯を痛める」という、ありえないことのたとえが本当になってしまう。「にがり」の代用品として豆の汁が固まる反応を起こすのだという。だから、ふつうの柔らかい豆腐になる。ご安心あれ。
なぜ石膏(硫酸カルシウム)など使うのだろうかと不思議に思ったら、いまは「にがり」が入手できないのだという。正確には「天然にがり」が手にはいらない。人工物はあるが「にがり」とは表示できないので「凝固剤」となっている。本当かどうか、冷蔵庫の中の豆腐を調べてみたら、たしかに「凝固剤」として硫酸カルシウム、塩化マグネシウムなどが表示されている。「にがり」は海水を濃縮して食塩を作ったときの残りの成分として産出される。ところが、海水の汚染のため、天然食塩は生産されていない。食塩の製法が変わってしまって、副産物としての「にがり」ができない。こんなところにも環境汚染の影響がおよんでいる。
なお、「豆腐と女中(女性の意)は京がよし」などとことわざにあるように京都の豆腐は有名だが、豆腐の命は水であり、名水に恵まれた富山の豆腐は京都の豆腐に負けないのだ、とのことである。富山の豆腐(女性も?)は自慢していいもののようだ。
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1995/07/24 顔色
まえの歯医者さんで、何回も治療したんだけど、なかなかよくならなくて、そのうちに歯ぐきが腫れてきたんです。そしたら、その歯医者さん、顔色かわってしまって・・・・・・
三歳の子をつれたお母さんである。患者は子供のほうだ。見ると、根の先に膿をもっている。乳歯の根は複雑に枝分かれしているため、治療がたいへん難しい。根を掃除して消毒するのだが、なかなかきれいにならない。かといって、抜いてしまうと、あとあと永久歯の歯並びに影響がでることがある。それを防ぐ方法もあるのだが、保険が適用されないうえに、効果もイマイチ確実でない。だから、なるべく抜くまいとするのだが、治療してもなかなかよくならない。歯科医泣かせである。どうしてこんなになるまでほっかっていたの?と言いたくなる。
腫れたからといってうろたえるはずもないだろうに、顔色かわって・・・・なんて、そんなふうに見られているものなのだろうか。私は軽い近視なので、ときどき眉をしかめ目を細めることがあるが、これは困った、うかつな仕草はできない。
私たちは、患者さんの顔色をよく見るように、と教育された。診察室に入ってきたら、話を聞くまえに、まずその顔色や表情、態度を観察しなさい、というのである。治療中も気分が悪くなったりしていないかどうか、観察しなければならない。とくに麻酔したときなどは顔色に注意しなければならない。ときには呼吸の状態を見るために胸や腹のあたりも観察する。
麻酔の注射をしたあと効いてくるまでの間に、他の仕事をしながら、ときどきチラリと顔色をうかがう。ときには、患者さんと目と目が合ってしまって、それが若い女性だったりすると、なんだかバツの悪い思いをする。これも仕事のうちなのでご了承願いたい。
蛇足。厚化粧では顔色がわからないので、なるべく薄化粧でおいで下さい。
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1995/07/26 スポーツドリンク
一歳一カ月で前歯が全部むし歯になった子がいる。奥歯はまだはえ始めたばかりだから、はえた歯が全部むし歯になったと言っていいくらいだ。
こんな場合には、もう何も聞かなくても原因の予想がつく。哺乳ビンにスポーツドリンクをいれて飲ませているのである。聞いてみると、やはりそうだった。この種の飲料の代名詞になっているある製品の名前が返ってきた。
ジュースや乳酸飲料を哺乳ビンに入れて飲ませる人はさすがに少なくなった。それにかわってスポーツドリンクが増えている。便の通りが悪いときや高熱がでて脱水状態のとき、小児科の先生からすすめられることもあるようだが、それは、ほんらいいっときだけのはず。味をしめた子供が欲しがるのか、スポーツ飲料=健康飲料=身体にいい飲物、と親が錯覚してしまうのか、とにかくおどろくほどたくさんの量を飲ませている。
二〜三歳になると大きなペットボトル一本を一日で飲んでしまう子もいる。ボトル一本は一・二リットルから一・五リットルである。
味噌汁がわりに食卓に置かれることもあるようで、古い世代の人間には、なんとも奇妙に見えるのだが、いまや不思議でないことのようだ。まさかタクアンのかわりにチョコレートがならぶ時代がくるとは思わないけれど、食生活の未来に不安を感じる。
スポーツドリンクは他のジュース類にくらべると糖分の量はすくない。しかし、ひんぱんに、大量に飲めば同じことだ。
問題は糖分のとりすぎだけではない。飲料のとりすぎのために、唾液腺が怠け者になってしまって、唾液の分泌が少なくなることを心配する学者もいる。唾液は口の中を掃除する働きもあるから、少なくなれば、口のなかは汚れやすく、むし歯や歯肉炎にかかりやすくなる。
悪い飲物とは言わないが、ものには程度というものがあろう。
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1995/08/02 内外格差
二〜三年前、ワインの価格は安いものでも千円はした。今は五百円以下、三百円台のものもある。これは円高のおかげであろう。しかし、身近にあって値下がりしたことを実感できるような例は、残念ながら多くはない。輸入品はもとより、国産品でも、原料を輸入しているものは安くなっていいはずだ。
二年まえのデータだが、日米の物価を比較した資料があって、それをみると、ガソリンが三・一倍、電気料金が二・七倍、ビールが二・五倍、というように日本のほうが高い。(大和総研調べ) このところの円高で、その格差はさらに広がっているのではないだろうか。
日本の医薬品が国際的にみて価格が高いことが問題になっている。それが見かけ上の医療費を高くする。全体として二倍ほど高いが、古くからある薬では、むしろ日本のほうが安く、新しい薬ではビールか電気料金なみに日本のほうが高い。新しい薬ほど単価が高いから、全体への影響が大きい。
歯科では薬はあまり使わないが、こまかい材料には輸入品がかなり多い。これらも円高になったからといって安くならない。米国に留学していた人などの話によると、どうやら歯科材料や治療器具の日米価格には二〜三倍のひらきがあるようだ。日本製の品物でも米国で買ったほうが安い場合があるという。これはいったいどういうことなのか、理解に苦しむ。
ちかごろ、アメリカからのダイレクトメールで医療材料の通信販売の案内がくることがある。たしかに安い。ためしにいくつか注文してみたが、そのうちのいくつかは日本国内での販売許可がおりていない、ということで納品されなかった。医療材料は厚生省の許可がなければ製造や販売ができない。人体に影響を及ぼすものなので、あるていどの規制はやむをえないだろう。
アメリカからたたかれないうちに円高を還元してほしいものだ。
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1995/08/09 ムルロア環礁
フランスの画家ゴーガンの絵で知られるタヒチ島は南回帰線に近い南太平洋の島だ。面積は富山県の四分の一弱、人口は約十分の一、島としては規模が大きい。ふたつの火山島がくっついてひょうたんのような形をしているという。フランス領ポリネシアに属する。南の楽園として知られる美しい風景が観光客を集め、大型観光船が定期航路を持ち、国際空港もある。
世界地図で、このタヒチ島から東に経度にして十度ほどたどるとフランス領ムルロア環礁がある。中央部に島がないドーナツ状のサンゴ礁を「環礁」というが、もとをただせば火山島である。かつては人が住み、ココヤシを栽培していたが、一九六三年、フランスの核実験場となり、住民は移住し無人島になった。
以上、百科事典や世界地図などを引っかきまわして、いまフランスの核実験再開で話題になっているムルロア環礁とその周辺のことを調べてみた。
島とは言っても、海底からそびえる火山のてっぺんで核実験をするようなものだ。火山国に住む日本人の感覚では、なんだか危なっかしい。
戦後の世界では数多くの核実験が行なわれてきた。それによって大気中に有害無害を問わず各種の人工的な物質が放出された。そのうちの炭素14という炭素の同位元素を調べている研究グループがある。
歯はいったん形ができると物質の出入りがないので、その成分中の炭素14を調べることによって、いつころ生まれた人か推定が可能になる。つまり、核実験以前の人と以後の人では炭素14の含有量に差がある。更に詳しくみていくと、核実験が多かった時期には増え、そうでない時期には少なくなる、といった変化がある。
未来社会の考古学者が発掘した人の歯から年代を推定するのに有効な研究手段になるかもしれない。それまで人類が存続していれば、の話ではあるが。
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1995/08/21 漱石
土用の丑の日にウナギを食べると夏負けしない。ということで、丑の日に限らず、夏場はウナギの消費が増えるようだ。ウナギにとっては迷惑な話だろうが、それを広めたのは江戸時代の学者・平賀源内だといわれている。
多才で知られる源内は、歯磨き剤の広告も書いている。
『はこいりはみがき・漱石香・歯を白くし口中あしき匂いを去る』というタイトル、一箱七十二文などの表示のあと、『東西々々』ではじまり『カチカチカチカチ』(拍子木の音)でおわる九百字ほどの本文が続く。この中で、歯磨き剤は防州砂に薬剤や香料を加えたものであり、歯を白くし、口の中をさわやかにし、口臭をとりのぞき、熱をさますなどの効能が富士の山ほどあるが、それは二の次であって、要は歯をみがくことが肝心なのだと言っている。
歯磨き剤は何がいいでしょうか、という質問を受けることがあるが、現代の歯科医がするような答えを平賀源内がしていることにおどろかされる。
「漱石香」という商品名も源内がつけたものだろうか。中国の故事「漱石枕流」(そうせきちんりゅう)からとっているのは明らかである。「漱」は「あらう」とか「すすぐ」の意味。昔、中国の偉い人が「石に枕し、流れに口をすすぐ」というべきところを、「石に口をすすぎ流れに枕す」と言いまちがえたが、漱石とは歯をみがくことで、枕流とは耳を洗うことだとこじつけて、そのまま押し通したという話である。それで、へそまがりのがんこ者を「漱石枕流」、または略して「漱石」という。
夏目金之助の筆名「漱石」も、この故事からとっているのであろう。してみると、「夏目漱石」は「夏目頑固」であり、「夏目歯磨」でもある。
ともあれ、文豪の名前を歯磨きにこじつけ、歯の衛生に利用しようという魂胆でありました。おあとがよろしいようで・・・・カチカチカチカチ
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1995/08/30 CO
CO(シーオー)と書けば、通常は一酸化炭素をあらわす。年配の方ならば、練炭や豆炭のにおいを思い出されるかもしれない。環境問題に関心のある方なら、自動車の排気ガスに含まれる有害成分だ、と言われるかもしれない。
じつは、まったく別の「シーオー」について話そうと思いながら、始まりから脱線してしまった。
今年度から、学校検診の歯科の診査基準に変更があり、記入用紙なども新しくなった。歯肉の異常や噛み合わせについてのチェックが三段階評価されることになった。新年度に先だって、新基準についての講習が行なわれた。チェック項目が増えた分、検診にも時間が余分にかかるだろう、三段階評価は理屈どおりに分けられるものだろうか、などの不安があったが、どこの学校でも大した混乱はなかったようだ。
チェックが細かくなったぶん、検診後の事後処理もきめ細かく対処することが求められているが、これはまだまだのようだ。
ここでやっと「シーオー」の話。虫歯の程度をあらわすのにC1(シーワン)、C2(シーツー)と、Cに数字をつけている。C4まである。こんど英語で「観察」をあらわす「オブザベーション」の頭文字のO(オー)をくっつけてCO(シーオー)という基準ができた。というと厳しくなったように感じるかもしれないが、全体としては従来の基準よりは緩やかになっている。いままでC1(シーワン)とされていたもののうち、かなりの部分はCO(シーオー)になるはずだ。
虫歯のなりかかり、あるいは、ごく初期の虫歯がCOと診断されることになるが、「観察」の「オー」がつくのは、すぐに治療しないでしばらく様子を見てみよう、執行猶予期間を設けようという趣旨である。歯みがきを指導したり、進行予防の処置をする必要がある。
何もせずにただ眺めていたら確実に虫歯は進行する。
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1995/09/05 夢うつつ
夜中に寝返りをうったら、前歯がどこかにひっかかって変な音がしたような気がする。夢だかうつつだか分からないで、また寝てしまったが、朝おきたら前歯がぐらぐらになっていた。じゃまになって食事がしにくい。どうも夢ではなかったみたいだ・・・・
そう言って来院した人がいる。問題の歯は、風に吹かれても揺れそうなくらいになっていて、レントゲンで調べてみると、根元で折れていた。折れ方によっては、助かる場合と、抜かなければならない場合がある。この人の歯は抜くほうだったかと記憶している。
よほどひどくぶつけたりしないかぎり、健康な歯はそう簡単に折れるものではない。それが折れたということは健全な状態ではなかったことを意味している。
まずは治療済みの歯。詰めものがしてあったり、かぶせてある場合、歯と人工材料との境界は弱い。また、いわゆる「神経の治療」をした歯はもろくなっている。
つぎに考えられるのは根元の虫歯。歯肉が下がって歯の丈が長くなったように見える場合、歯の根が露出している。根の表面は虫歯にたいして抵抗力が弱い。年配の方に多い虫歯だ。見た感じよりも深くまで進行していることが多く、そのうえ、痛みを感じないことが多いので、気づくのが遅くなりがちだ。
もうひとつ、根元がすりへってクサビ状の切れ込みができていることがある。これは人工的にできるものだ。歯磨き剤を使いすぎ、強くこすりすぎることによって、硬い歯がすりへっていく。少々ではない、歯の断面の半分以上すりへってしまう人もいる。よほど力をこめて歯を磨いているのだろう。
さきほどの夢うつつで歯が折れた人は治療済みのケースだったと思う。
寝ている間に歯が折れたというのは初めての経験だったが、折れないまでも無理な力がかかっていることは案外あるのかもしれない。
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1995/09/12 居眠り
治療椅子の上で居眠りしてしまう人がいる。なかにはグーグーと気持ちよさそうにいびきをかく人もいる。大人だけではない。いまどきの子供は疲れているのだろうか、ぐっすり眠ってしまって、起こすのに苦労することがある。歯を削っている最中に、だんだん口が閉じてきて、居眠りしていることに気づくこともある。なかなかの大物だ。
子供にはオーイと声をかけて起こす。ちいさな子だと目がさめたとたんに泣きだすことがあるので、びっくりさせないように、軽く手を触れる。
大人の場合には声をかけて起こすのもなんだか気がひけるので、近くでわざと器具の音をたてたりして、それとなく気づいてもらう。たいていは、それで目がさめるのだが、ときにはうまくいかないこともある。やむなく治療椅子に付属している強力なハロゲンランプのライトを顔に向ける。これでだめなら椅子を上下に動かすという手もあるが、そこまでしたことはない。
「ああ気持ちよかった。この椅子は寝ごこちがいいですね。一台いくらくらいするんですか」
居眠りからさめた男性である。てれかくしであろう、椅子の値段を聞いてきた。
「そうですね、いろいろあるけど、最低三百万ってところですね」
値段を聞いて、いっぺんに目がさめたようだ。少しいい製品になると五百万円以上、一千万くらいまである。とても昼寝用に買えるようなしろものではない。
車一台分の値段は高いじゃないか、と業者に文句を言ったことがある。車にはライトがふたつついているのに、こっちはひとつだ、車の半分くらいにならないのか。おしなべて医療機械は高すぎる。
業者には業者の言い分がある。強度にも余裕をもたせてある。生産台数が少ないから、コストがかさむ。
ともあれ、機械を買い替えるときなどは、居眠りどころか、眠れないような思いをするのである。
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1995/09/20 陰翳礼賛(インエイライサン)
『われわれが歯医者へ行くのを嫌うのは、一つにはがりがりと云う音響にもよるが、一つにはガラスや金属製のピカピカするものが多過ぎるので、それに怯えるせいもある。』 これは谷崎潤一郎の随筆「陰翳礼賛」の一節である。日本的な美しさや安らぎは、まばゆい明るさのなかではなく、ほの暗いくらいの、ひかえめな光と陰のなかにある、と主張する。だから、蛍光灯などでこうこうと照らされた掛軸や置物は、ほんらいの美しさを見せていないことになる。
『壁が砂壁か何かで、日本座敷の畳の上で治療を受けるのだったら、患者の興奮が静まることは確かである』とも言っている。数年まえから重度の障害児にかぎって和室で定期検査をしているが、たしかに、診療室よりも気持が落ち着くようだ。
ともあれ谷崎潤一郎の要望を満たそうとなると大変なことだ。ガラスや金属製の器具類が多いのは、消毒のためにはやむをえない面もある。プラスチックやゴム製の器具類もあるのだが、これらの消毒はやっかいだ。最近は耐熱性のあるプラスチック材料が使われているが、熱による消毒をくりかえすともろくなってしまう。やはり金属にはかなわないようだ。金属の表面に色をつける技術も、だいぶ進んできたようにみえるが、やはり使っているうちにはげてしまう。
もっとも、「陰翳礼賛」は昭和八年から九年にかけて書かれたものだから、今どきの人の感覚とは違うかもしれない。たとえば、ある調査では「歯の治療でいやなこと」のトップスリーは「ピリッと神経に触るとき」、「キーンとなる機械の音」、「麻酔注射」となっている。「ピカピカする器具」というのは上位にははいってこない。けれども、それは大人の話であって、子供たちにとってはやはりピカピカした器具は恐ろしいようだ。
着色や塗装の技術がもうすこし発達するのを期待したい。
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1995/10/02 僧ヶ岳
魚津の町から東を見ると真っ先に目にはいるのが海抜一八五五メートルの僧ヶ岳である。これといった特徴のない形が特徴といえるだろうか。ミズバショウが自生する池や、高山植物のお花ばたけが自然のまま残されているというが、魚津の人にとっても、山登りをする人を除けば、どちらかというと存在感のうすい山である。
それがオウムの事件でいちやく全国に名が知れわたった。ふだんなにげなく見ていた山のふもとに遺体が埋められていた、というので、あらためて僧ヶ岳を注意深く見た人が多いことだろう。山の中腹に、真横に定規をあてて線をひいたように見えるのが「僧ヶ岳林道」だ。雪が降りはじめた時期や雪どけの時期には特にはっきりと見える。
この林道をバイクで走ったことがある。片貝川の上流から、つづら折りの坂道をのぼりきると、あとはアップダウンのすくない道になる。これが市街地から横線のように見える部分だ。道の片方はガケ、路面は石だらけ。石といっても岩を砕いたような荒々しいものだ。岩そのものが頭を出していることもある。山は里から見るよりもずっと険しい。
気軽に行けるようなところではない。だからこそ入りこむ人も少なく、自然が残されている。観光のために林道を整備する計画があったが、頻発する落石や土砂崩れのために断念された。
遺体が坂本弁護士の奥さんであることの確認に手間がかかったようだ。飛行機事故の時の歯による身元確認などの例をあげるまでもなく、歯があれば身元を確認する有力な手がかりになる。しかし、治療を受けたこともないような良い歯の人は記録が残っていない。歯にちいさな穴をあけて、識別番号を記した金属片を埋め込む方法があるらしいが、ムシ歯になっていない歯を削るのには抵抗を感じる。
こんど僧ヶ岳林道へ行く機会があったら忘れずに花をもっていこう、と思う。
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1995/10/11 ゴム床義歯
いまの入れ歯はピンク色のプラスチックでできている。合成化学の進歩によってプラスチックの入れ歯が普及するようになったのは戦後のことだと聞いている。それ以前は「ゴム床(ショウ)義歯」だった。二十年ほど前、ゴム床義歯を見たことがある。患者さんが実際に使っていたものだ。
「さきの戦争で、つれあいが兵隊にいった年でした。神明神社のお祭りのときに作った入れ歯です」というおばあちゃんだった。かなりの高齢の方だったので、「さきの戦争」が太平洋戦争にしては、「つれあい」の年齢とつりあいがとれないし、かといって日清・日露では昔すぎる。いわゆる支那事変のころの話なのだろうか。いずれにしても、四十年以上使い続けていたことになる。
ぐにゃぐにゃのゴムではつかいものにならない。細かく刻まれたゴムを石膏の型に詰め込んで、それを圧力釜で加熱する加硫(カリュウ)という処理を行なう。この処理によってゴムが硬くなり、入れ歯として使えるようになる。硬化したゴムは茶褐色をしているので、前歯の部分だけピンクに着色されたゴムを使う。
年配の歯科医の話では、圧力釜で加熱するときに釜が破裂する事故がよく起きたそうだ。釜のフタが飛んで天井に穴があいてしまった、というような事故が少なくなかったらしい。入れ歯を作るのは手間がかかるだけでなく危険な作業だったのである。いまも入れ歯を作るのは手間のかかる作業だが、すくなくとも危険性はなくなった。
ゴム床義歯はいまや歴史資料的な価値がある。機会があれば譲り受けたいものだと思っている。しかし、このおばあちゃんの入れ歯は、夫が出征したときの想い出、若いころの祭りのにぎわいの想い出としっかりむすびついている。使えなくなったとしても身近に置いておきたいにちがいない。とても、「ください」とは言えなかった。
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1995/10/17 セメント
歯の治療には「セメント」と呼ばれる材料がよく使われる。セメントと聞いて、歯の治療を思い浮かべる人は、歯科関係者か、さもなくば、よほどの「通」だ。歯の治療の「通」なんて、歯が悪いことの証明でもあるから名誉なことではない。
歯科大学にはいって、はじめて「セメント」という用語を講義で聞いたとき、すぐに思い浮かべたのはコンクリートだった。建設材料のセメントを連想するほうが普通だろう。口の中に砂がはいったような、いやな気分になったものだ。
コンクリートのセメントは正式にはポルトランド・セメント。石灰や粘土を高温で焼き、できた塊を砕いて粉末にし、セッコウなどの添加物を加えてある。水を加えて混合し、放置すると固まる。歯科用のセメントは、石灰ではなく酸化亜鉛、水ではなくリン酸というように、原料は違うが同じような製法、同じような性質をもっている。要するに、このような材料を一般にセメントと呼ぶのである。
歯科用セメントは、詰め物や接着剤として使われる。最近では、有機化学の発達のおかげで、樹脂系の材料が多く使われるようになった。ほんらいの定義にあてはまらないはずだが、便宜上セメントと呼んでいる。
建築現場などで「養生中」と表示して立入り禁止になっているのを見かけることがある。病人がいるわけではない。セメントは、固まったように見えても最初のうちは十分な強度を持っていない。そんなときに外力が加わると、見た目にはなんともなくとも、内部に細かいヒビができて、将来こわれやすい弱いものになってしまう。そのため、一日か二日のあいだ、そっとしておくのである。養生というより熟成といったほうがいいかもしれない。
歯科用セメントも同じで、固まったように見えても、最初はもろい。治療直後は無理をかけないようにしていただきたい。
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1995/10/25 フォッサマグナ
糸魚川市の郊外、美山(ビザン)公園にフォッサマグナ博物館がある。地殻に関する展示のほか、鉱物、化石なども数多く展示されている。「世界一大きいダイヤモンド」にびっくりしたが、複製だった。ハチの巣みたいなものがあって、説明書きを見ると「糞石」(ふんせき)といって古生物の糞の化石である。ひとかかえほどもある。よほど大きな動物の糞なのであろう。
一緒に行った人と、フォッサマグナは何語だろうという話になり、たぶんラテン語だろうという結論に落ち着いた。確かめていないので、本気にしないでほしい。後で調べてみたが、何語かは分からなかった。命名は「ナウマン象」で知られるナウマン博士だとのことである。
解剖用語にはラテン語を使う。動物学、植物学でも学名はラテン語である。地質学もラテン語を使うのかどうかは知らない。学名がなぜラテン語なのか、理由を聞いた記憶があるのだが、はっきりとは思い出せない。言葉と言葉をつなげて新しい単語をつくりやすい、というのも理由のひとつだったような気がする。
フォッサというのは大きめの溝やくぼみをあらわす。たとえば「こめかみ」のくぼみはフォッサ・テンポラーリスである。マグナは「大きい」の意味だ。
細い溝や裂け目はフィッスーラである。フォッサから派生した言葉であろう。英語ではフィッシャーがこれにあたる。奥歯の噛み合わせの部分にあるシワのような細かい溝をフィッシャーと呼んでいる。ムシ歯になりやすい場所だ。溝の底に汚れがたまってしまう。それなら溝を埋めて浅くしてしまえばムシ歯になりにくいだろう、ということでいろいろな材料が試されてきた。最初のころは実用に耐えないものが多かったが、今はずいぶんと改良されて、健康保険にも採用されている。
ナウマン象の歯の大きな溝は何と呼ぶのだろうか。
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1995/10/31 嘔吐反射
歯科治療中の患者さんが、「オェッオェッ」と吐き気がして苦しがることがある。一番多いのが歯の型をとるとき、次いで歯のレントゲンをとるときであろうか。ふだん触ることのないような場所に異物が入ってくるのだから、それを排除しようとするのは生体の自然な防御反応である。これを「嘔吐反射」という。
誰もが持っている反射なのだが、人によって敏感さに差がある。口のなかに器具を入れただけで「オェッ」となる人もいるし、口を大きく開けただけでも気持ちが悪くなる人もいる。逆に反射が弱いと、誤って異物を飲み込んでしまう危険がある。
嘔吐反射の強い人の治療には、スプレー状やゼリー状の表面麻酔剤を使うのが一般的で、治療の前に精神安定剤を服用させる場合もある。たいていは、少々気持ちが悪くなったとしても、処置を手早く済ますことでなんとかなるのだが、あまりに反射が強い場合には笑気ガスの吸入や鎮静剤の静脈注射なども行なわれる。全身麻酔も考えられるが、私の見聞した限りでは、嘔吐反射だけが理由で全身麻酔が必要になるということは、めったにないようである。いずれにしても、異常に反射の強い人は病院の歯科に受診したほうがいいだろう。
嘔吐反射が強い人も、ふだんは普通に食事をし、眠いときにはあくびもしている。緊張や恐怖が反射を強くしているようだ。日によって差が大きいところをみると体調とも関係するらしい。
障害児などで過敏反応がある場合には、最初は指で、次いで歯ブラシで、歯や歯肉を刺激していく訓練が効果をあげることがある。手間はかかるが、自分でできる訓練だから試みてみるのもいいかもしれない。また、嘔吐を催したとき、左右の鎖骨の合わさりめの少し上にあるくぼみ、「天突」(てんとつ)というツボを指で斜め下の方向に押すのも効果があると言われている。試してみる価値はあるだろう。
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1995/11/07 保険証
最近、保険証の偽造事件があったと聞いた。架空の人物の保険証がつくられていた。これだけコピーの技術が発達しているのだから、保険証くらいは簡単に偽造できるのだろう、と思ったら、コピーではないらしい。一部に誤植があるという。コピーには誤植はありえない。わざわざ印刷したもののようだ。
保険で治療を受けるためにしては手がこんでいる。保険の治療費の請求手続をすれば、該当者のいないことがわかってしまう。何かほかに目的があるにちがいない。密入国者か、どこかの国のスパイか、はたまた某宗教団体の地下活動メンバーか、と想像をたくましくしているぶんにはおもしろい。
しかし、毎日たくさんの保険証を扱う立場であることを思うと、これは困ったことである。この事件の偽造保険証にはいくつかの特徴があり、そこをチェックすれば百パーセント見分けがつく。しかし、実際に診療しているときに、そこまで点検できるだろうか。はなはだこころもとない。
以前、他人の保険証を持ってきた人に、あやうくだまされそうになったことがある。年かっこうが同じくらいだったので、最初は気づかなかった。名前に見覚えがあったので、古いカルテを探し出してきて、その人の歯の状態とつきあわせてみると、どうもおかしい。治療したはずの歯がまっさらな健康な歯だったり、抜けて無くなっているはずの歯がちゃんとあったりして、とても同一人物とは思えない。同姓同名ということもありうるけれども、カルテに書かれている住所は保険証の住所と同じである。
どうなってるんですか、あなたは誰ですか・・・・
と、たずねたら、頭をかきながら、じつは友達の保険証を借りてきたのだと白状した。外出中で、保険証を持っていなかったので借りたのだという。さほど罪悪感はない様子である。
注意! 他人の保険証を使うと詐欺罪になりますよ。
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1995/11/14 みゃあらくもん
東京からのお客さんと、富山市内の居酒屋へ行った。全国各地の地酒が棚いっぱいに並べられ、壁には酒の名前が貼り出してある。マスターから酒造りと味の違いについて講釈を聞きながら、いろんな酒を飲む。ある地方では、辛口の酒を「おとこざけ」、甘口の酒を「おなござけ」とも言うそうだ。私は、あんまり飲めないほうだが、どちらかといえば辛口のほうがいい。
「みゃあらくもん、ってのは何ですか、どんな字を書くんですか?」
壁に並んだ酒の名前のなかに「みゃあらくもん」と書かれているのを見て、お客さんが不思議に思ったようだ。
「自由人」と書いて「みゃあらくもん」と読ませるのは、意味をしめすうえで、じつによくできた当て字だと思うが、それでは半分しか答えになっていない。たぶん「身が楽な者」と書くのだろう。富山弁では、「これが」と言うところが「きゃあ」になり、さらには「か」になる。「身が楽」が「みゃあらく」になり、「者」が「もん」になったのだろう、と説明したものの、いまひとつ自信がなかった。先日、本紙の記事に「身が楽者」だと書いてあった。間違っていなかったようだ。
さて、東京からのお客さんというのは、さきごろ刊行された『開業医はなぜ自殺したのか』(あけび書房)の著者と出版元の方である。二年前富山で起きた事件のルポルタージュである。取材にはずいぶん苦労があったようだ。
患者や職員に対しては威張っているように見える医師が、ヘビににらまれたカエルのようにすくむ姿を想像できるだろうか。医師や歯科医師は、保険制度をとおして行政の強いコントロール下にある。ときには「マインドコントロール」のように心をさいなむ。
つい最近も、北海道で医師の自殺があったと聞いた。職業区分で「自由業」に分類されることもあるが、どうも「みゃあらくもん」には程遠いようである。
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1995/11/22 電話相談
東海地方のある放送局が、半日づつ二回、電話とファックスで歯科治療につての相談を受け付けたところ、二百五十件近くの問い合わせがあったとのことである。担当した歯科医は息つくひまもないほどだったらしい。
歯科治療について疑問や不安を感じている人が多いことにもおどろくが、それ以上に考えさせられたのは、相談を申し込んできた人のうち、半数ちかくが「現在治療中」だったことである。つまり、疑問を感じながら治療を受け、それを治療にあたっている歯科医に告げていない、ということである。
歯科治療は、口の中をいじるのだから、治療中は会話ができない。おまけに治療機械が派手な音を出すから、歯科医からの一方的な説明さえ聞き取れない。そんなハンディが確かにある。
電話での相談は、実際の病状を見ないで話だけを聞いて判断しなければならないから、靴の上から足を掻いているようなもので、なかなかむずかしい。相談するほうも、されるほうも、もどかしい思いをしたのではないだろうか。治療している歯科医から話を聞くのが一番である。治療にとりかかる前、そして治療がすんだ後、きちんと時間をとって話をすれば、こんな疑問や不安のほとんどは解消するはずだ。それがなかなかできないところに悩みがある。
歯科医が直接手を動かさないと治療がすすまない。しかも、休むひまなく手を動かしているくらいでないと、帳尻が合わない。患者さんのほうでも、忙しそうにしている歯科医に話かけるのを遠慮するのであろう。忙しいときなどは、ほとんど口もきかずに診療し、終ったら終ったで、疲れきって口もききたくない。一日のうちにどれだけの言葉を口にしたか、そのうち言葉を忘れてしまうのではないか、と心配になるくらいである。
疑問があったら思いきって質問してほしい。うやむやにしておくのは双方にとって不幸な結果になる。
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1995/11/29 T女史
雑誌を見ていたら、懐かしい顔に出会った。太いマユ、小さめの鼻に大きめの口。小柄な身体に似合わない大きな声・・・・などと書いたことが知れたら、「なんじゃこれーー」とどやされるかもしれない。
学生時代の私は、健診や健康相談などのフィールド活動に明け暮れていた。過疎地や下町へ出かけていって、集団健康診断や健康相談、衛生指導などを行なう。いまは有名になってしまったが、当時は知る人のほとんどない山梨県の上九一色村へも足を運んだ。
そのときの女性メンバーのなかで、もっとも頼りになるリーダーのひとりが、太いマユの彼女であった。彼女のいないところで、つまり陰では、「T女史」と呼んでいたものである。頼りない男性リーダーたちが、T女史らに吊し上げられることもあった。その頼りないほうのメンバーを思い出してみると、いまは歯科大学の教授になっているS君、開業せずに病院勤めを続けているA君など、私も含めて、いずれも恐妻家ぞろいである。女性に口ごたえすると手ひどい目にあわされることを、しっかり学んだようだ。
さてT女史の書いた物を読んでみると、いまや名実ともに女史と呼ぶにふさわしい活躍をしていることがうかがえる。おおざっぱにいうと、医療人としての職業意識の高揚を説いているのだが、それはさておいて、脱線ぎみの話から・・・・
アメリカには歯科衛生用品を売る専門の店があるという。歯磨き剤から電動ハブラシまで、いろんな品物を扱っていて、売るだけでなく使い方をアドバイスする。品揃えは日本のスーパーよりも少ない。商品を吟味して絞りこんでいるためである。だから、A社製とB社製と似たり寄ったりの商品を前にして、どちらにしようかと迷うことがないのだそうである。専門店はそうあるべきものなのかもしれない。専門家もまたそうあるべきだ、とT女史の大きな声が聞こえてきそうである。
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1995/12/06 携帯電話
トゥルルルル、トゥルルルル・・・
診療中にベルが鳴る。何だろう、ときょろきょろしていると、患者さんが起き上がってごそごそしはじめる。以前にはポケットベルのことが多かったが、最近ではほとんど携帯電話である。
「ハイ。うん、いま歯の治療中。え、何だって。ああ、そのことなら分かっているから、帰りに寄っていくよ」
などと、治療椅子の上で仕事の打ち合せが始まったりして、こちらのほうが面くらう。喫茶店などで、一人でしゃべっている不思議な人がいて、よく見ると携帯電話を使っているなんてこともある。人通りの少ない夜道なんかだと、不思議というより不気味に見えるにちがいない。
「治療を受けたいのだけどいいですか。いま、そちらに向かっています」
と、船の上から電話を受けたことがある。なるほど便利なものだと感心した。
しかし、ところかまわず呼び出されるのは、便利というよりきゅうくつではないかとも思う。同業者でも使っている人が少なくない。たしかに急患などの緊急の用事があるときは便利かもしれないが、鉄筋の建物の中だと電波が届かないこともあるようだ。講演会や演奏会などで、通話口に出られない場合もあるだろう。連絡がつかなかったら、いらぬ心配までされるのではなかろうか。
私はポケットベルも携帯電話も使ったことがないので、よけいに便利さよりも不自由さのほうが目についてしまうのかもしれない。それほど必要性も感じない。なぜかと考えてみると、出かけるにしても、ほとんどが行き先が分かっていて、せいぜい途中で本屋に立ち寄るくらいのもので、連絡不能になる時間はたかが知れている。夜の盛り場へ繰り出すのは年に数回、それも、心配されるほど遅くまで飲み歩くこともない。
どうやら、不自由を感じるほどの自由を持ち合わせていないようだ。
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1995/12/13 ウィンドウズ
一一月最後の週末、東京へ出かけた。JR秋葉原で下車したら、ホームに行列ができていて、駅の外へも出られない状態だった。ウィンドウズ95発売記念の催しのためである。「画期的」なパソコンの基本ソフト、とのふれこみで未だかつてない大キャンペーンがくりひろげられている。
基本ソフトというにしては肥大しすぎている。車のオートマに例えるなら、車本体と同じかそれ以上の重い装置であって、やたらと燃費の悪いしろものとでもいおうか。おまけに、ときどきギアが動かなくなってしまう。
私にとってパソコンはなくてはならないものになっている。経理、検査データの処理、健康保険の請求事務、資料の整理、パソコン通信などなど。この原稿を書くにしても、パソコンに向かってキーボードをたたいている。しかし、その基本ソフトは旧世代のMS・DOS(エムエスドス)を主力にしている。そのほうが軽快に動くし、なんといっても信頼できる。
ウィンドウズ95の発売は一一月二三日午前零時。パソコンショップが夜中に店を開けるというので、その日その時刻、市内の店を偵察しに行ってみた。店には入らず、車の窓から眺めただけだが、思ったほどお客さんは入っていなかった。まずまず富山県人はまともな感覚を持っているな、と安心して帰ってきた。
しかし、テレビのインタビューに答えた街角の若者が「これはお祭りですから」とサラっと言ってのけるのを見て、なるほどと考えさせられた。ソフトの元締、マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏もしたたかだが、それに乗せられたかに見えて、軽く乗っているだけの若者も負けず劣らずしたたかである。
こんどこそパソコンが使えるようになりそうだ、とボーナスをあてにしてウィンドウズ95とパソコンを買い求めたオジサンたちが一番のお得意様だったのかもしれない。
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1995/12/20 棚卸
開業する前は三百床余りのわりあいに大きな病院に勤めていた。いろんな職種のスタッフがいて、仕事を分担しているから、よけいなことを心配しなくてもいい。経営管理や保険の事務はもちろん、住居や昼食の心配もいらなかった。歯科医も数人いたから、学会に出かけるときも休診にしなくていい。交代で休みがとれる。いま思えば、ずいぶんと楽をさせてもらっていた。
薬は薬剤部におまかせである。日本で使われている医薬品は二万品目近くあるらしい。いくら大きな病院でも、全銘柄を揃えているはずもないし、その必要もない。それでも、百や二百では済まない。子供用の抗生剤だけでも十種類ほどあって、どれがいちばん飲みやすいか「味見」をさせてもらったこともある。いったいどれだけの薬が置いてあったものか、いまとなっては見当もつかない。
ところで、開業したときの薬での失敗談。
歯科で使う薬の種類は少ない。鎮痛剤、消炎剤、抗生剤などが代表的なものだ。しかし、それぞれにいくつかの系統の薬がある。病院のようなわけにはいかないのだから、と採用する薬を必要性の高いものに絞ったつもりだった。
ところが、二年ほどたって棚卸をしてみると、使わないままで使用期限が切れてしまう薬がたくさん残ってしまった。一般の商店ならば、「在庫一掃バーゲンセール」などで大売出しをするところだろうが、薬ではそうもいかない。廃棄処分である。
それにこりて品目をさらに絞りこんだが、やはり使う頻度の少ない薬は最終的には廃棄処分の運命をたどらざるをえない。
欧米では「医薬分業」が徹底していて、医師は処方箋を書くだけで、薬は薬局で手にいれるのが普通だという。日本では普及が遅れていたが、最近になって、薬局間のネットワークなどの改善がはかられるようになった。薬の在庫管理などに悩まされなくなる日がやがてくるのだろうか。
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1995/12/26 二度目の大往生
『二度目の大往生』(岩波新書)のなかで、著者の永六輔さんが総入れ歯になったことを書いている。講演に招かれる機会が多いけれども、「総入歯になってから、しゃべっている途中で舌を噛み、意味もなく涙ぐんだりするので困っている」とのことである。
他人の顔を話題にするのは気がひけるが、芸能人の宿命ということでお許しいただいて、顔のことに触れる。
永さんといえば長いアゴがトレードマークである。アゴが外れて治療してもらった時、治っているのに「まだ元に戻らないですね」と医師に言われたというエピソードがある。もっともこれは立川談志師匠の脚色であって、ほんとうは「あら、永さんでしたか」と言われたのだ、とは本人の弁である。いずれにしても、そんな笑い話の種にされるほどアゴが長い。
おそらく噛み合わせが反対になっている。あの独特の発音も噛み合わせと関係がある。だから入れ歯をつくるにしても、難しかったことだろうと思う。しかし、長いアゴのことを差し引いたとしても、総入れ歯になると、微妙な噛み合わせの変化と、唾液の出ぐあいの変化などのために舌や頬を噛んだりしやすくなるし、やがて慣れるとはいうものの、しゃべりにくくなったりする。
しゃべる時の不都合や手入れの面倒なことも入れ歯のハンディだが、一番は食べることであろう。
ものを食べるときの入れ歯の能力は自分の歯には比べるべくもない。「そしゃく能力」を調べた実験のデータを見ると、総入れ歯の能力は天然の歯の二割から三割、どんなに良くても五割まではいかない。歯科医として情けなくなるくらいである。
「障害者手帳が出ないことが口惜しいほど、不便である」と永さんは言っている。そして自身の「語録」として、「義眼・義肢・義足、みんな障害者手帳が貰えるのに、義歯にはなぜ貰えないんだ」を収録してある。
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