ご挨拶(謝辞)


 実行委員長として、ご挨拶を申し上げます。

 日ごろは音楽とは縁のない生活をしていますが、奇妙な縁で、音楽イベントのお世話をしています。前実行委員長で現市長の沢崎さんも似たようなもの(失礼!)で、クラシック音楽とは縁遠い人です。演歌が好きなだけ、むしろ私より音楽に親しんでおいでです。第1回のコンサートを計画したとき、脅迫めいた手紙などが来て、実行委員長を引き受ける人が見つかりませんでした。当時市会議員であり、慰霊碑に最も近い集落の住人でもある沢崎さんが引き受けてくれました。そういう侠気のある人です。

 6回目となる「都子さんメモリアル愛とヒューマンのコンサート」が無事終了し、ほっとしています。音楽ホールを使用してのコンサートは2回目です。前回はかなりの赤字を出してしまいましたが、今回は赤字にならずにすみそうです。
 私事になりますが、昨年12月に母が、今年5月に父があいついで他界しました。長期の介護のあと、気が抜けたか腑が抜けたかみたいで何かと物事に集中できずにいます。時間に余裕ができたはずなのに、遊びに行く気にはなれません。本を開いてもちっとも読み進みません。老いた親を亡くしてもこうですから、娘と孫を亡くした大山さんたちの心情はどんなにかひどいものだったことでしょう。
 ゆるんだ精神に鞭打って、コンサートにとりくみました。実行委員は少ない人数ではありますが、心ひとつに、みなさんたいへんなパワーを発揮してくださいました。本番当日は、実行委員外からも応援をいただきました。毎回思うのですが、このようなイベントは、都子さんの詩にあるように、多くの人と人の結びつきがなければ成しえません。
 入場者にアンケートをお願いしたところ、108件もの回答をいただきました。運営や進行に対する厳しい意見もありましたが、いっぽうで、裏方へのねぎらい、いたわりの言葉もたくさん頂きました。感謝に堪えません。  「こんなすてきなコンサートを続ける魚津はいい人がいっぱいでうれしいですね」と、うれしい言葉もいただきました。こんな世の中だけど、まだまだ捨てたもんじゃない。心強いかぎりです。

 7年前の99年8月18日、わけもわからないまま駆りだされて、慰霊碑へ行きました。雷雨、やがて鮮やかな二重の虹。虹の下での演奏。そして慰霊碑の都子さんの詩を読んだときの驚き。魚津の言葉で言えば、「そぼれあがった!」。信仰心の薄い私ですが、このときばかりは「都子さんが虹になって現れた!」と思いました。
 おぞましい事件への怒り、都子さんや堤さん龍彦ちゃんへの追悼、鎮魂としてコンサートはスタートしました。しかし、慰霊碑の詩がきっかけとなって、都子さんたちの生き方に目を向けるようになりました。回を重ねるにつれ「生きた証を伝える」ことが大きなテーマになってきました。今回の大山さんのお話(詩が書かれた背景)は、まさに、その課題に答えてくださるものでした。

 またまた個人的なことになりますが、私はしばらく山梨県に住んでいました。必要があって山梨県の住所を調べていたら、上九一色村(かみくいしきむら)がなくなっていました。オウムのサティアンなる建物が立ち並んでいた村です。ここで教祖の麻原が捕まりました。市町村合併でどこかの市や町の一部になったというなら分かりますが、半分は甲府市に、半分は富士河口湖町に併合され、村が雲散霧消してしまいました。オウムがアーレフと名を変えて生き残っているのに、村がなくなるなんて皮肉な話です。
 上九一色村とは多少縁がありまして、この村で寝泊りしたことがあります。と言いましても40年も前の話ですから、オウムの施設はありません。戦後、外地から引き揚げてきた人たちが開拓した村です。富士山の裾野に牧場が広がっていました。村の集会場に泊めていただいて、朝起きたら一面が霧におおわれていました。自分の立っている足元しか見えないような濃い霧です。風が吹いて、すーっと霧が流れると草原の一部が姿をみせます。まるで空をとんでいるみたいでした。
 学生時代の夏休みは僻地での住民検診や健康相談などのフィールド活動に明け暮れていました。上九一色村もそのひとつです。都子さんの詩は北海道大夕張(おおゆうばり)でのワークキャンプがきっかけだということです。よく似た学生時代を送ったのだな、と共感を強めました。

 コンサートの1週間前、富山の水墨美術館へ「いわさきちひろ展」を見に行きました。安曇野の「ちひろ美術館」へは何度も行っているのですが、今回は、いままでになくじーんと感じるものがありました。ああ、ここにも「ひたむきに生きた人」がいる。子どもの絵を描きつづけ、子どもへの愛情、子どもからつながる人間への愛情を描きつづけた‥。
 そういえばちひろも、司法試験に受かるまえの夫を経済的に支えました。都子さんとそっくりです。でも、これは後から思い出したことです。ひたむきに生きた、そのことに共通点を見いだしたのです。
 「ひたむき」は漢字で書くと「直向き」、直球一直線の直です。そんな生き方を貫き通すことはとても難しいけれども、メモリアルコンサートに取り組んでいるあいだ何ヶ月間かだけど、ちょっぴり「ひたむき」になっていました。まわりの仲間もそうです。これがパワーのみなもとです。

 都子さんと、まわりの人々からパワーをいただいて、来年もまたメモリアルコンサートにとりくみます。演奏関係者の皆さん、目の手術後なのに遠路駆けつけてくださった大山さんとその一行、協賛広告に協力してくださった方々、合唱団員、入場者の方々、直接かかわれなかったけど応援してくださった方々、委員やスタッフ、そして長々しいこの文章を読んでくださった方々、すべての人たちに、ありがとうございました、とお礼を申し上げます。


2006.11.15 小熊清史

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1999年8月18日、慰霊碑前での追悼演奏の際にあらわれた虹
→ 拡大写真



上の写真ではわかりにくいが、虹は尾根の手前にかかっている。手を伸ばせばとどくかのような、とても近くに感じられた。

右は同じ日、別の場所で撮影した虹。これなら近さが感じられると思う。


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