第4回  都子さんメモリアル
(2004.10.30 交流会)



実行委員会を代表して挨拶

 川崎先生はじめ大山さん松本さん森崎さん、皆さん遠くからお越しいただきありがとうございます。また、今日は、到着するや否や休むひまもなく、出張コンサートやリハーサルと、たいへん過密なスケジュールで追い立てました。川崎先生は、合唱室に到着して、立ったままお茶を一杯飲んで、すぐに指導にあたられました。明日もまた休みのないスケジュールが待っています。

 メモリアルコンサートは今回が4回目です。前回までずっと沢崎さんが実行委員長を務めておりましたが、市長になって「栄転」しましたので、繰上げで、今回はじめて私が実行委員長をおおせつかりました。
 委員長というのは、どーんと構えていて、ときどきさっそうと現れて挨拶したりすればいいのでしょうが、いろいろ口出しして、実行委員のみなさんは、さぞうるさかったことでしょう。メールの洪水には辟易されたかと思います。これでも少しは自粛していたつもりです。ご容赦いただきたいと存じます。とくに濱田事務局長は、今回ほど裏方の仕事に専念したことはかつてないことです。注文の多い委員長のもと、さぞストレスがたまったことでしょう。もうじき解放されますから、いましばらく辛抱してください。

 今回、川崎先生が合唱曲を作ってくださり、それを初演するという名誉に授かりました。当初、20人程度のコーラスのメンバーを集めようとしました。ところが50人を超える人たちが集まりました。下手でもいいから、心をこめて歌おう、というのが当初の目標でした。とはいいながら、だんだん欲が出てきて、川崎先生にはしょっちゅう教えを乞うことになり、たいへんご迷惑をかけたのではないかと心配しています。熱心さの故ですので、お許し願いたいと思います。

 さきほど4回目と申し上げました。
 いままでは、そのつど実行委員会を解散して、会計も清算していました。今後は毎年続けていこうということになりました。そのために 協賛金を募集しましたところ、新聞記事を見て、わざわざ届けてくださった方が何人もいらっしゃいます。大勢の人たちの協力によって、ここまできました。

 沢崎市長のご自宅は平沢という集落です。その先には人家はなく、クマやカモシカ、サルなどが住んでいます。平沢の集落の向い側の沢を上っていくと都子さんの慰霊碑があります。5年前、慰霊碑の前で追悼演奏が行われたときのことを、またかと言われるかもしれませんが、語り伝えていきたいと思います。山へ向うときは激しい雷雨、それがさっと晴れてきて、僧ヶ岳に鮮やかな二重の虹がかかりました。虹の下で、虹といっしょに追悼の演奏を聞きました。
 慰霊碑の裏側に刻まれている都子さんの詩を読んだとき、ほんとうにビックリ仰天しました。

 赤い毛糸に
  だいだいの毛糸を結びたい
 だいだいの毛糸に
  レモンいろの毛糸を
 レモンいろの毛糸に
  空いろの毛糸も結びたい
 この街に生きる一人一人の
     心を結びたいんだ

 もし、そのとき虹がかからなかったら、なにげなく読んでそれっきりだったかもしれません。都子さんが虹になって現れた!と思いました。さびついた感性が、がつんと叩かれました。
 都子さんの詩のことばを借りるなら、赤い毛糸やだいだいの毛糸や、その他もろもろの、ありとあらゆる色の毛糸が、こんぐらかりそうになりながら結び合って、このコンサートを作ってきました。

 この第4回のコンサートが「プロジェクト・エックス」になるか、「プロジェクト・ぺけ」になるか、明日にならないと分かりませんが、ここまでこぎつけただけでも、百点満点のうちの70点はいただけるのではないかと思います。
 でも満点を狙って気張りすぎないで下さい。慰霊碑の三つの輪はご存知の方が多いでしょう。龍彦ちゃんをあらわす小さい輪を除いて、あとの二つに、ほんの少しのくぼみがあることに気づかれたでしょうか。「人間誰しも完全ではなく、不完全だからこそ人間味があり、また支え合いが必要なのだ」という意味のデザインなのだそうです。気持ちを楽にして取り組みましょう。
 ともあれ、さまざまなへこみのある人々が力を合わせて、都子さんのメッセージに応えるような形でコンサートが実現できることを、皆さんとともに喜びたいと思います。皆さん、ほんとうにありがとうございました。

都子さんメモリアル・愛とニューマンのコンサート実行委員会
委員長・小熊清史

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