地域雑誌「新川時論21」第17号の紹介


2000年10月1日号 2000年10月1日号

表紙 石垣英理子さん(魚津市)  


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記事の紹介
公共事業の「見直し」考える
「都子聞こえますか」 大山 友之著 新潮社刊
JR入善駅を守る連絡会発足



公共事業の「見直し」考える

総土木事業国家からの転換
北 海人
 


羊頭狗肉の見直し

 政権三党による公共事業の見直しが話題になっている。事業数にして233、金額にして2兆8千億円の事業を中止するという。ゼネコン・土建業者と一体となって政治を行い・政権を維持してきた自民党が、その存立基盤に自らメスを入れるという。
しかし、「これでようやく『土建国家』も体質転換か」と考えるのは、誰が見てもおめでた過ぎる。先の衆議院選挙で大都市で完敗した自民党が、来年の参議院選挙はこのままでは戦えないとの危機感から「大都市の税金を地方の無駄な公共事業でばら撒いている」という批判をかわすためにパフォーマンスを示しているというのが一般的見方である。
 今回の見直しは、既に事実上執行不可能になっており、地元関係者を含めだれも期待していないものばかりであり、それらが計画として残っていることすら驚くような事業である。
 さらに、2兆8千億円と言うが、仮に全ての事業が10年で行われるとすれば単年度では2800億円であり、年間50兆円の我が国の公共事業費の0・56%に過ぎない。しかも、この2800億円も他の事業に回すというのだから、「公共事業の見直し」は全く羊頭狗肉であり土建・利権国家は健在なのである。

630兆円の計画

 それにしても、驚くのは我が国の公共事業計画の規模である。五全総(第五次全国総合開発計画)に基づく「公共投資基本計画」では1995年から2007年までの13年間で630兆円という信じがたい金額がゼネコンに約束されている。道路、治水、港湾、空港、下水道などの16の個別分野別に中期計画があり、これらの計画はほとんど閣議決定で処理され国会で議論されることなく実施される仕組みになっている。先に示した年間約50兆円の公共事業費はこれに基づく。
 福祉におけるゴールドプランやエンゼルプラン等はあっても、投資費用をこれほど明確には約束していない。公共事業だけが特別なのである。いわば、我が国の国土を舞台とした「列島改造・列島総土木事業」は国家の意思として組み込まれているのである。

五全総のテーマ

 ところで、先の五全総の掲げたテーマは「国土の均衡ある発展」である。莫大な公共事業もこのためであると説明される。確かに、東京への一極集中、東京以外でも地方都市への集中、中山間地域での高齢化の進行と農業の崩壊等々現在の日本の現実はどこにいても「豊かさを実感」できる状態とはほど遠い。
 都市部の住民は、狭い・遠い・高い住宅から殺人的な通勤や道路の慢性的な渋滞を強いられ、大気汚染を始めとする環境の悪化に悩まされている。反面、政治経済の中枢管理機能の集積から情報の多さ早さ、ビジネスチャンスや文化・教育の条件に恵まれており、所得も高い。そして、何よりも「都市は人間を自由にする」と古くからあるとおり、現代的価値を実現しているのが都市であるという満足感が、都市へ人口を引きつけている。
 地方の生活は、「住み易さ日本一」に富山県が選ばれるように、住宅や自然環境に恵まれ、「住めば都」と満足度は低くはない。しかし、ビジネスチャンスは少なく、文化や教育の面では都会に出かけなければならない。高齢者は残り若者は流失する。


「均衡ある発展」の問題

 かくて、都市への時間距離を縮めるための新幹線や高速道路の必要性が声高に叫ばれ、我が町にもと文化施設が建設される。これが「均衡ある発展」と言う訳だ。
 じつは、この他公共事業には、都市部に比べ地方が大きく立ち後れている下水道整備や治山・治水、港湾・空港の整備などがあり、一概に「全て無駄」とは言い切れない事業が多くある。むしろ住民からも生活の基盤整備として期待され待ち望まれている事業も多い。
 問題の第一は、そうした住民の要望を食い物にし、利権や保身の具にする構造によってこの国がからめ取られていることだ。バブル崩壊によって真っ先に不動産屋が倒れ、次に銀行が倒れたが、ゼネコンと自民党はまだ生き残っている。これは、ゼネコンと自民党が現在の権力の構造そのものであるからである。
 第二は、都市を真似、都市に近づくことが「発展」であるという古くさいモデル思想に捕らわれていることである。新幹線や空港は中央と地方を結びはするが、むしろ地方の活力を都市に吸い上げる「ストロー効果」の方が大きいとの指摘もある。箱モノは、外観はともかく内容が空疎で多くの地方自治体は維持管理の汲々としている。
 第三に、それぞれの地方のアイデンティティ、存在意義に誇りを持ち、その土地らしいあり方を模索したり試行したりことのあまりに少ないことである。当然のことながら、それぞれのアイデンティティは、自己満足だけであってはならずナショナルあるいはインターナショナルな中でのそれでなければならない。アイデンティティを確信するための、情報や交流はその気になれば日本のどこにいても得られる環境にある。

「生活の質=QOL」 を対案に

 自分たちはどんな生活がしたいのか?そのために、自分たちの町や地域をどのようなものしていくのか?これが問われている。高齢者が日本一元気な町、みんなが健康な町、みんなが芸術家の町、街並み景観が美しい町、どこでも音楽が聞こえる町、考えればいろんな発想があるだろう。
 高度成長の時代は、所得が唯一の価値であり、そのために産業があり、その集積として都市がありそこに文化も集まった。今日、これに代わる価値は「生活の質」(Quality Of Life)であろう。高齢者を含めそれぞれのライフステージで充実感を感じることができる生活基盤をその地方がいかに提供できるかが、自治体の課題でなければならない。
 既に、この準備は整っている。分権の流れは少しずつ大きくなっている。UターンやJターン、Iターンの人々も地方の活力となっている。
 吉野川可動堰をめぐる住民投票に見られるように、大型公共事業にNOを言う住民も現れている。公共事業が「町の発展」であり「都会なみ」であり「失業対策」であるという考え方に対するオルタナティブは、「我々はこの土地でこんな生き方をする。だからこんな町創りをする」と言う形で提示する必要がある。そうすれば、政治家と土木業だけが喜ぶような公共事業のあり方は変わってくるに違いない。 

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「都子聞こえますか」

大山 友之著 新潮社刊   


 オウム(アレフと改称)による坂本弁護士一家殺害事件は、発生(89・11・4)から10年余、魚津市の僧ヶ岳林道で都子さんの遺体が発見されてから5年がすぎた。
 この本は、都子さんの遺体に対面して「この姿(かたち)、見届けた!」と語りかけた大山さん(都子さんの実父)が、法廷に通いつめ、真相究明に立ち向かった記録である。
 大山さんに初めてお会いしたのは一昨年(98年)9月26日。慰霊碑を訪ねた「真相を究明する会」のメンバーと新川時論同人の懇談会の席だった。
 「さがす会」の活動のなかで、警察が「失踪」としたことへの無念、遺体発見ののち「真相を究明する会」に衣替えした経緯など、話を伺った。本誌では、9号から12号にかけて大山さんの手記を連載した。
 ふたたび大山さんと会ったのは、昨年(99年)8月18日、僧ヶ岳林道の慰霊碑であった。その日、慰霊碑前でバイオリニスト・松本克巳さんらによる追悼演奏が行われた。
 林道に入る前はどしゃ降りで、どうなることかと心配したが、ほどなく雨があがり、僧ヶ岳に鮮やかな二重の虹がかかった。光の粒々が演奏にあわせて舞うように見えた。
 慰霊碑の裏に刻まれた都子さんの詩を読んだときの驚きは、忘れることができない。そこには赤・だいだい・きいろ・そらいろ…と虹の色に托して、人と人の心を結ぶことを願う言葉が記されていた。都子さんの言葉が虹を呼んだとしか思えない。
 慰霊碑は97年9月7日に除幕された。遺体が発見され収容されたのは2年前の95年9月7日である。その日、ふもとの村では、線香やロウソクを手にした村人たちが沿道に並び、都子さんの遺体を見送った。
 大山さんの著書のなかで、虹のエピソードとともに「”形にない”メモリアル」として紹介されている。
(小熊 清史)


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来春の完全委託やめよ!     
     JR入善駅を守る連絡会発足


 9月13日、「JR入善駅を守る連絡会」が発足した。
 入善駅は今春から、当初の委託化の1年延期の代わりに夜間・早朝が無人化している。
 JRは来春からの完全委託化を進めており、守る会は一、JR西日本に対して駅事務委託化・無人化の撤回と通勤・通学の安全策などサービス向上を求めること。二、町の文化・経済に大きな影響があるJR入善駅のあり方を関係機関に提言するなどの活動をすることになった。
 総会では町民多数が参加し、「JR職員がいてこそ駅といえる」「委託だった生地駅も無人になったし、以前から無人の西入善駅では『夜間の利用がこわい』との声もある」「委託は無人化の第一歩」などの意見が相次いだ。
 今後は学習会を開くとともに、町民各層との対話で運動を盛り上げることにしている。
 連絡岩場達夫さんへ。(電話・72−0344)

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