地域雑誌「新川時論21」第14号の紹介


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記事の紹介
社会空間はだれのもの(澤田 昭英)
新川元気人<14>  五十里徹・弥生夫妻
障害者共同作業所 「くろべ工房」を訪ねて



社会空間はだれのもの

新川文化ホール周辺の風景
澤田 昭英

 現在の日本の私的生活環境は、先進国の中でも高水準にある。物も溢れている。
 ところが、公共的空間・屋外環境の荒廃は一向に止まらない。初めて来日した外国人は、そのギャップに驚かされるという。
 外国人でなくても、新川文化ホールで美しい音楽を聴いて出てくると、ギンギラの建物と照明、広告看板、色彩が視界に飛び込んでくる。ギャップの大きさに愕然とする。
 8号線からの視界は、より強烈で、文化ホールの美しい曲線も遮られてしまっている。商業活動を否定しないが、環境や空間はみんなのもののはずである。閉じざるを得なかった数々の小売店が、ダブって見える寂しい光景でもある。
 文化ホールの敷地内の照明の光りは、空への放出を抑えられていて、照明デザインがハードな照明機能優先の時代から環境づくりのソフト優先の時代へと変化してきていることを物語っているのにー。
 美しい山並みと川、広々とした緑の芝園、シルエットの美しい文化ホール。そして、かつては遠くに海も望めた。これだけの美しい空間は、めったにない。
 遠来の客を案内してきて、ホールの喫茶室で休むと決まって出てくる言葉は「山が美しく芝の広場がきれいなのに、川べりの看板は、興ざめだなぁ」「山の中腹の赤いもんは、なんじゃい?」である。
 「魚津の顔、シンボルだ。建造費は…」と答えると、「蛇かと思った」と笑いだす。
 確かに野外アートは、新しい空間を創造し活力を与えてくれる。しかし、作者の生涯をかけたテーマでなくて、実験的なものを作品として長時間見せられる側は堪ったものでない。
 一定期間内の展覧会であれば、それなりの刺激と高揚がある。
 市のシンボルとなれば永久的に市民の空間を占有するだけに、市民との話し合いを重ね、願い、夢、歴史、自然との対話を考えていかねばならない。
 サッポロファクトリーのように、再開発に際し札幌の歴史を調査し、寂れ行く通りの復権を提唱し、地域住民との対話を重ね、行政サイドの魅力ある街づくりと共鳴し、市民の側に立っての都市のアイデンティティを形成した例もある。
 黒部市には、葦原に囲まれた小さな美しい美術館がある。風渡る葦原は、作品を見た後の目を快く休ませてくれ、野鳥の囀りものどかである。
 隣接した公園の葦原は人工池に変わり、菖蒲が植えられているが、原風景を生かせなかったものか。
 こんな自然のままの美しい葦原は、自然の営みを学ぶ場としても貴重である。
 どこでも広い道路が開通したとたん、個々の店が競って目立たせようとして無秩序な風景を展開しているだけに、住居、文化施設、アミューズメント施設、コマーシャル施設、公園、老人施設など都市機能を包含する複合機能の都市空間の開発が必要である。
 また、現代美術(建築、道路、諸々の構築物を含めて)と自然、そして人間の生活をうまく融合した社会空間を目指したプロジェクトを急がねばならない。
 文化ホールはじめ公共の建物の壁面や空間も、作家が永久的に占有していても良いものか疑問である。(建築と一体化して作られた作品や地元の歴史的作品以外)
 公共の壁面や空間は、県立であっても広く市民に開放されるべきものである。市民の誰でもが気軽に発表できてこそ、地域に根を下ろした文化センターになり得る。
さわだ・あきひで=36年魚津市生まれ。金沢美術工芸大学卒。自由美術協会々員)
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新川元気人<14>  五十里徹・弥生夫妻

海の見えるフリースペース-----農家の納屋から「NaーYa」へ

 JR入善駅から北西に5分ほど車を走らせると、目前に富山湾が迫ってくる。この東五十里(いかり)一帯は、二十数年前まで沢杉が生い繁り、豊かな湧水が流れていたという。圃場整備で現在は、視界が海までまっすぐ広がり、その面影はない。
 この村はずれの一角に「フリースペース じょうべのま(平安初期の東大寺荘園跡と見 られる) NaーYa」がそのロケーションの一部としてすんなりおさまっている。
 一見、普通の農家の納屋といった感じ。しかし、一歩中へ入ると、倉敷の大原美術館を思わせる古風な室内に、陶器の皿や花器類、トンボ球が並べられ、白壁には絵画が展示されている。
 一般のギャラリーと違うのは
「どうぞ、ご自由に入って、見て下さい」
 と貼り紙があり、スリッパが並んでいるだけ。
 昔の田植え用の大きな木枠がつるされた二階に上がると、そこにも陶器類と絵が飾られている。小窓からは富山湾が青く見え、ときおり漁船が通ると、一幅の絵がはめ込んであるようだ。
 「NaーYa」は、昭和25年に、当時茂るにまかせていた沢杉(地下水が湧く杉の自然林)の古材なども活用して建てた農作業場が原形。それを二年がかりで改築して今年6月にオープン、以後写真、陶器、絵画展などが催されている。
 主は、五十里徹、弥生夫妻。
 徹さんは大学卒業後、富山新聞社で37年間記者として活躍。昨年定年退職され、いまは「NaーYa」管理のかたわら、愛用のカメラを肩に山野を跋渉する悠々自適のうらやましい境遇。
 弥生さんは、琴演奏家・師範の道を40年、今でも自宅と富山に教室を持つ。古風なイメージと違い、なかなかモダンな美人である。

同世代のくつろぎ空間を創る

 二人とも美術、骨董品が好き。趣味が高じてギャラリーを始めたこともあるがそればかりではない。
 「これからは高齢化社会となり、同世代の人たちが集まってきて、この田舎でゆっくりしてもらえたら……」という想いが一致したのだという。
 美術展の他にも同好の士の月見の会や、外国のお客を弥生さんのお琴の演奏でもてなしたりと、「NaーYa」の活用範囲も広がっている。
フリースペース「NAYA」
最高に美しい夕陽が見える

 「こんな静かな空間で、もっとゆっくり休んでいきたいといって下さる方が多いので、お茶を接待したり、茶道も勉強してみたい」とのこと。
 私自身も、時間がゆるやかに流れるこの場所で、美術鑑賞をしながら海を眺めてゆっくりくつろげる喫茶コーナーがあれば、と切に願う。
 ここから見る夕陽は最高に美しいと夫妻が口を合わせる「NaーYa」の庭に、ロッキングチェアがさりげなく置かれていた。
註1 平安時代前期の東大寺荘園跡ではないかと見られている。国指定史跡。
註2 黒部川扇状地扇端部に見られる地下水が湧くところに見られる杉の自然林。国天然記念物指定。
(葛節子)
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障害者共同作業所 「くろべ工房」を訪ねて

ノーマライゼーションを考える

 なぜ今障害者なのか?
 
 ノーマライゼーションという言葉を知っているだろうか。どこかで一度は聞いたことはあるが、それって一体何の事?かくいう私もこの取材を終えるまで本当の事は何も知らなかった。
 障害者の作業所として昨年七月に旗揚げをした「くろべ工房」は、黒部市生地の永井出さん(35歳)が一人で始めたものである。利用者は6人いずれも成人である。
 「なぜ、一個人が始めるのか。なぜ、公立の施設が多いのに必要なのか。単にお寺の方の慈善活動なのだろう」などと素朴な疑問を抱きながら「くろべ工房」へと向かった。
 場所は、黒部市村椿地区、
作業所代表の永井さんは、実家がお寺ということもあって京都の大谷大学に入学、在学中にボランティアとして筋ジストロフィーの子どもと関わったのがこの道に入るきっかけとなったという。卒業後は京都市内の障害者共同作業所で11年間指導員をしてきた。地元に帰ってもっと小規模の作業所をやろうと昨年2月より県内の作業所、学校を視察、協力を呼びかけた。運良く拠点となる民家を無償で借りる事ができ、7月からスタートする事ができた。
 この作業所の6人の通所者は月から金曜までの週5日間家から通い、和紙づくりや織物などの軽作業をしている。そういった仕事を通して自立の手助けをしているのである。

日本の障害者福祉は
遅れている

 まずは、最初の質問、「なぜこんなことを始めようと思ったか」である。
 永井さんによれば、公立の施設は、ほとんどが入所施設であること。成人の施設は数が少ないこと。しかも県内にある入所施設のどれもが大規模で1ヵ所に数十人も収容されている。そういったことが動機となっているとのことだ。真剣に障害者の程度を考えて一人一人にあった自立の補助をしようとなれば小人数にならざるを得ないはずなのに。しかも管理された施設に入所する事で障害者を押し込めようとしている。それらすべてが日本の福祉が欧米より遅れている点だと彼は指摘する。
 ノーマライゼーションという言葉は先行しているが日本の実態は大変遅れているというのだ。
 取材中、彼が見せてくれた朝日新聞98年12月28日の社説の知的障害者の入所者数を示したグラフでは、欧米諸国が軒並みその数を減らしているのに、日本は逆に増えているのである。社説では、日本は福祉に関しては「アブノーマライゼーション(異常化)」の国とまで言っている。

 京都と富山の
 比較では

 ここ富山に関しては、さらに遅れているという。例えば障害者の人数が5人以上の共同作業所には行政からの補助が出ることになっているらしいが、ほぼ富山県と同じ人口を持つ京都市では1作業所に860万円が出ているのに、富山県は360万円だという。東京都は、京都市以上に出ているという。
 共同作業所も県内にはいくつもあるが、数は少ない。しかも県内の共同作業所は企業の下請けをしているところがほとんどだという。聞けば、驚くほどの低賃金(月額一万以下)である。 一人一人の障害者の向き不向きも考えず、同じ作業を1日6〜7時間もすることがはたして「普通の生活」といえるだろうかと彼は語る。
 そんな訳で「くろべ工房」は下請けをしたくはないという。今は彼らの芸術性を生かしたモノ造りをして彼らの自立を助ける収入を得ていきたいと考えているそうだ。現在は補助金も年度途中のためもらえず、寄付
でまかなっているとのことだ。 
 最後に、冒頭のノーマライゼーションについても彼の考えを伺ってみた。そもそもノーマライゼーションとは、「障害や病気がどんなに重くても、年をとっても死が迫っていても、人間は『普通の生活』を送る権利がある。社会にはそれを支える『責任』があるという思想」をさす(前述の社説より)。さらにその思想をうけて永井さんは、一人一人の障害者にあったものを地域の中でやることで地域も変わっていくだろうということを想定しているという。

 取材を終えて

 取材中ここまで話が進むと日本の福祉の現状が見えてきた。しかも同じ日本でこの地域差は何だろうか。富山が誇る住み良さ日本一とは、健常者だけのことを指すものではないだろうと思う。
 ここ黒部市でノーマライゼーションの考えがすべての人に浸透し、障害者のみならず、弱者と呼ばれる人達の「普通の生活」が保証される社会の実現を一市民として願う。
 しかし、現状はとても厳しい、一般の人の理解が得られない限り予算付けも難しいとも思う。ましてやこの不況下である。だけど、それにもめげず毎年、全国には300ヵ所の作業所が新たにできているという。経営が厳しくなることを承知の上で設立されているのである。これを読者はどうとらえるだろうか。
 次の言葉が私にはしばらく深く心に残った。「誰もが家族と普通に暮らし、好きな服を着て、自由な時間には好きな事をするというごく普通の生活を望んでいるんです。お仕着せの服を着せられ、同じ食事や寝る時間まで決められたりするそういった生活は、普通ではないのです」永井さんのこの言葉に彼の願いのすべてがある。
    (宝田順一記) 


お願い
 
 今、「くろべ工房」は会員になっていただいた方の年会費によって運営されています。ご協力をお願いします。
年会費 個人 2000円
    団体 5000円
郵便振替 口座番号00750ー7ー19082
口座名 くろべ工房をささえる会
 (「新川時論」も団体会員です) 
 ボランティアも募集中です。
詳しくは永井出(いずる)さん方へ連絡ください。
黒部市吉田259
 電話 090-4689-0644
 Fax(0765)568916まで
 
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