地域雑誌「新川時論21」第13号の紹介


1999年10月1日号 1999年10月1日号

表紙&裏表紙 吉田雅美さん(魚津市)  


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記事の紹介
虹になって両親を迎えた都子さん
ディスポーザー導入に異議あり
要介護認定がスタート
坂本事件 風化させない決意新たに
第一回読者の集いのご案内



虹になって両親迎えた都子さん

坂本弁護士一家追悼ヒューマンコンサートを終えて
コンサートin UOZU 実行委員長 沢崎義敬


 平成7年9月6日、坂本堤弁護士の奥さん・都子さんの遺体が発見されてはや4年が経つ。魚津市民だれもが振り仰ぎ暮す僧ヶ岳の山麓に無残にも埋められ、6年近くも放置されていた。当時、事件に対する怒りや深い悲しみは誰しもが共有できるものであった。
 しかし、現実はどうか。サリン事件をはじめまだまだ多くの犠牲者がおられるにもかかわらず、時の経過の中で徐々に風化しつつあるのではないか。およそ宗教という概念からしても逸脱しているオウム真理教という狂気集団について、種々の法的措置が執られているとはいえ、報じられる裁判の状況や各地での行動などに対する自らの反応の鈍化を感じるのは私のみではあるまい。
 6月初旬、新川時論の濱田さんから追悼コンサートのお話があり、6月14日コンサート事務局の皆さんとお会いした。コンサートの趣旨からして、事件現場である片貝地区で開催できないものかと考えたが、会場施設などの問題があり、市の農村環境改善センターのホールで演奏することになった。
 演奏会前日の8月18日、都子さんのご両親・大山友之さんご夫妻や演奏者の皆さんが、慰霊碑のある事件現場へと向かわれた。それまでの晴の天候が一変、雷鳴豪雨となり、その後瞬時に雨も上がり、現地での演奏の後は大きな美しい2重の虹がかかったという。この虹は魚津の市街地からも確認できた。
 ご両親はじめ関係者は一様に、都子さんの魂に思いを致して、科学では割り切れない不思議を感じられたようである。
 コンサート第2部に、大山ご夫妻のお話があった。事件の真相が報じられていない。坂本事件はくり返されてはならないとの悲痛なお訴えがあった。最愛の娘夫婦や孫を奪われたご遺族として、ご無念ひとしおのこととご同情申し上げ、同様にお誓い申し上げたい。
 大町市の大町ダム湖「龍人湖」のほとりの公園に、龍彦ちゃんの慰霊碑が建っている。脇には「龍の子太郎」の童話から龍に乗った龍の子太郎のモニュメントがある。会場のロビーで、龍彦は龍の子太郎の話が大好きでしたと友之さんが涙ながらに話しておられたのが耳に残る。
 初めてのコンサート開催に、多くの皆様の深いご理解と篤志を賜わった。また平日にもかかわらず、昼・夜の部とも市民の皆様にたくさん来場していただいた。新川時論同人をはじめ、大勢の方々のご奉仕によって、とにかくコンサートは盛会であった。「坂本弁護士一家事件を風化させない」ために、次回開催に向けた活動を始めることが肝要である。
 演奏していただいた日本フィルの松本さん、大平さん、阿部さん、そして本部実行委員会事務局の今野さんには、深い敬意と感謝を申し上げる次第です。
(さわさき・よしのり=魚津市片貝三ヶ生産森林組合長、魚津市議会議員)

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― 奇妙な「実証試験」 ―

魚津市東城地区のディスポーザー問題を考える
加藤 輝隆(富山医科薬科大学公衆衛生)


深い憤り--エピローグ

公共事業にはその存在意義が疑われるものが多いが、標記の「実証試験」ほど奇妙な事業も珍しい。
本年二月三日の朝、「生ごみ砕いて下水道に流す――魚津市、来月から実験開始」という新聞記事(朝日新聞富山版)を読んで、私は深い憤りを覚えた。
魚津市東城地区で各家庭の台所の流し台に生ごみ粉砕処理機(ディスポーザー)を設置し、同地区の汚水処理施設で生ごみを処理するとのこと。ごみ出しの手間が省けることや街の美化対策にもなると紹介されている。ごみの減量、処理の効率向上や、汚泥を有機資源として農地に還元できる効果も期待されているともある。「……うまくいけば農村部だけではなく、市街地でも取り組める」という魚津市の担当者(農林振興課)のコメントがこの問題の一端を示している。事業の実施主体は農水省。
ディスポーザーは米国で使われ始めた装置。日本では下水処理システムに対する負荷が増大するため、多くの自治体で使用自粛や条例による禁止という対応を取っている。最近、一部の高層マンションなどに導入され始めているディスポーザーシステムは自前の下水処理装置を組み込んだものであり、今回の「実証試験」で使われている簡単な装置とは基本的に異なる。

まやかしの住民説明会

二月五日にはこの「実証試験」についての住民説明会が地元の公民館で開かれた。市役所に問い合わせた上で、説明会に参加したけれど、農水省から事業を受託した(財)日本環境整備教育センターの説明は、失礼ながら催眠商法を連想させるものであった。この装置の問題点についてはほとんど触れず、あたかも全面的に環境に優しい方法であるかのような説明に終始。当日配られたアンケートも、明らかにディスポーザーの使用を誘導するためのもの。ディスポーザーに対するプラスのイメージのみを聞き出し、マイナスイメージについては一切聞いていない。また、使いたくないという人の考えは基本的に抹殺するように作られている。

ごみ処理とディスポーザー

わが国では、生ごみの処理は基本的に焼却という方法で行われてきた。ごみを収集し、その中に含まれる有機物を高温で酸化し、二酸化炭素や水蒸気などに分解するという方法である。この際、塩化ビニールなどの混入による猛毒のダイオキシン発生、ごみ収集車による騒音や交通渋滞といった問題が派生してくる。一方、今回、東城地区で進められている「実証試験」は、ごみを各家庭で粉砕し、下水処理システムの中で微生物によって酸化分解するということになる。
このように説明すると、ディスポーザーに分があるようにも見えるが単純ではない。ダイオキシン問題については、燃焼時の温度管理で発生を抑制できるので、旧型の焼却炉の場合はともかくとして、将来的にはごみのリサイクルや分別の徹底、燃焼技術の改善でダイオキシン問題を解決できる可能性が高い。また、ごみ収集車に関連する公害など、農村地帯では事実上、無視できる。一方、ディスポーザーを本格的に導入すれば、生ごみの受け入れを想定していない下水処理システムの維持管理に要する費用の著増は目に見えているし、各家庭の水、電気といった資源・エネルギー消費の増加も避けられない。

まやかしの「実証試験」
 
実証試験調査計画(案)では、この事業の目的として、「ゴミ処理問題の解決とリサイクル社会を構築するため、ディスポーザーを各家庭に設置し、家庭ゴミの約半分を占める生ゴミを生活排水と一体的に汚水処理施設に移送し、汚泥と合わせてコンポスト化を図るといったシステムをモデル地域で実証的に検討するものである」と記されている。
本当に実証試験として進めるならば、家庭内での生ごみの発生から最終的なコンポスト(生ごみ堆肥)の生産と農地還元にいたるまでの各段階について実証的かつ多角的なデータを集める必要がある。
ところが、ゴミと付き合うネットワーク(吉川誠一代表)ほか二団体の連名で提出した質問書に対する回答の中で、魚津市は処理汚泥のコンポスト化を行っていないということを明らかにしている。「リサイクル社会の構築」という響きの良いことばで、地区住民に事実上ディスポーザー導入を勧めながら、実際には生ごみの有効利用に向けた試験をしていない。これは、実証試験ではなく、地区住民や一般市民に対する重大な欺瞞行為である。私は、この事業から芥川竜之介の短編小説「煙草と悪魔」をついつい連想してしまう。

無視できない重金属汚染

ディスポーザーについての問題は数多いが、見逃されがちな点を最後に指摘しておきたい。それは、コンポストの重金属濃度。肥料取締法の中でコンポストは特殊肥料の一つに位置付けられており、重金属含有量の基準値(ひ素五〇ppm以下、カドミウム五ppm以下、水銀二ppm以下)が設けられている。
表一に示される通り、下水汚泥やし尿汚泥から作られたコンポストの重金属濃度はきわめて高く、厨芥(台所ごみ)由来のものに比べて数倍の値となっている。カドミウムや水銀についていえば平均濃度が基準値の半分程度。これでは食糧生産のための農地に安心して投入することはできない。しかも、ヨーロッパにおける最近の研究によれば、持続的な営農を前提とすると、上記の基準値そのものが桁違いに甘い数値であることが示されている。魚津市の回答では、東城地区の下水道には工場排水が含まれていないので重金属は問題にならないとなっているが、認識の甘さを露呈している。
し尿汚泥由来のコンポストがなぜ重金属を多く含むのだろうか? それは基本的には私たちが日常食べている食品の中にも微量の重金属が含まれており、しかも重金属の消化管吸収率は低く、大部分が大便の中に排泄されているためだ。たとえば、カドミウムの平均濃度が〇. 一ppmの食品を湿重量で毎日二kg食べ、 二〇〇gの大便を排泄するとしよう。カドミウムの消化管吸収率を五%とすれば、大便の重金属濃度は〇.九五ppmとなり、食品中の濃度の九.五倍となる。さらに、家庭内で使われているさまざまの日用品から重金属が下水道に混入しているのも事実だ。
コンポストの重金属汚染を避けるには、昔から農村で普通に行われていたように生ゴミを庭先で堆肥化するに限る。そして、一般の終末処理場の汚泥をコンポスト化するならば、利用範囲を街路樹や公園緑地などに限定すべきであろう。
母親が生ごみを下水道に流す姿を見て育つ子供たちに地球環境問題が見えてくるだろうか? 問題を隠してしまうのではなく、真摯に向き合っていく姿勢が必要だ。

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2000年介護保険の導入前夜(その4)

要介護認定がスタート
小熊 清史  


 県内の介護保険料が公表され、魚津市は県内のトップをきって要介護認定の受け付けを9月20日から開始した。各地で住民向けの説明会が開催され、広報や回覧版でもPRが行われている。

  横並びの保険料

 県内の介護保険料の試算値がでそろった。
 「基準額」を中心に所得によって25%および50%を増減して、全部で5段階に分けられる。新川広域行政事務組合を例にとると、基準額が2884円なので、最高4326円、最低1442円になる。
下馬評どおり試算値は「3千円前後」である。施設利用予測値などを操作したのであろう。横並び意識はここまでにして、今後は、いい意味での競争をしてもらいたいものだ。

 介護を担う人々

 介護保険のキーパーソン「介護支援専門員」の養成が急ピッチで進められている。しかし、受講のために仕事を1週間も休むのはきつい。今後は夜間コースなども設置してほしいものだ。
 現場で介護に直面している人たちは、とてもまじめにとりくんでいる。介護にかかわる分野にはさまざまな職種・職場があり、お互いの連携がとれず、それぞれにもどかしい思いをしている。この力がうまく結びつけば、福祉大国日本も夢ではない。
 現実に目を転じると、規制緩和と市場原理の導入により、ビジネスチャンスと見た営利企業が続々と進出しつつある。
 いまひとつの現実として強調しておきたいことがある。福祉に従事する人たちに正規の常勤職員の比率が著しく低い。一年契約のパート職員はまだいいほうだ。必要に応じて呼び出される「登録職員」の比率が高い。さらには、夜勤を「人材派遣会社」に依存する福祉施設が少なくない。
 福祉の時代を迎えて、担い手の労働環境がこれでは片手落ちである。

 役人と政治家

 要介護認定の受け付けがスタートした。富山市では、80歳以上は10・11月、70歳以上は11・12月と年齢別に受け付ける。高岡市は生まれ月、新川地区では地域別にするという。申し込みが集中して混乱することを避けるための苦肉の策、要するに行政側の都合である。
  ときにはこのような御都合主義的な対応もあるが、中央でも地方でも、担当する役人たちはかつてないほどまじめにとりくんでいる。介護保険という新制度の立ち上げにかかわり、荒波にもまれた人たちが、次代の地方自治を担っていくことを願ってやまない。
  それにつけても腹立たしいのは、「選挙に不利だから」と介護保険の延期を口にする政治家たちである。介護保険による国民の負担増は約2兆4千億円と見られている。たしかに大きな額だが、負担に見合った給付があれば、選挙は怖くないはずだ。

 まる投げでいいのか

 要介護認定の申し込みをすると、「認定調査」が行われる。85項目の面接調査が判定の基礎になる。ほんらいは市町村職員が出向いて調査するたてまえになっている。高知市では市職員が実施するとしているが、これは例外といっていい。
 富山市では、ほとんどを外部に委託する方針だ。調査員は介護支援専門員の資格を有し、かつ県と市が実施する研修を受けることになっている。これが平均的な姿かもしれない。
 認定調査は要介護度の認定に決定的ともいえる影響をもつ。調査員の資質と公平性を確保することは、介護保険の根幹にかかわる重大事である。この分野に人を配置し外注に頼らなくてもいい体制をつくることが第一歩ではないか、そこに予算を配分することが最優先ではないのか。

 介護保険を身近に

 要介護度の認定結果に不服のあるときは、県に設置される「介護保険審査会」に審査請求を、サービス内容などに不満のあるときは、国民健康保険団体連合会(苦情処理担当委員)へ苦情の申し立てができることになっている。
 この制度は大いに利用されるべきだが、実際はどうなるだろうか。厚生省じしんが認めるように、当初は需要の4割にしか応えられないと予測されている。6割の不満が噴出して然るべきなのだ。需要は潜在し、あんがい平穏だろうという予想が一方にある。

 行政の試み

 北海道の広域連合がオンブズパーソン制度を定めた。16条からなる「空知中部広域連合オンブズパーソン設置に関する条例」と8条からなる同施行規則である。  この制度は、広域連合長から委嘱を受けて勧告を行う第三者機関、という形をとっている。選任の基準として利害関係を有する者の排除を明記していること、一種の行政調査権を認めていることなどは大いに評価されるべきである。

 市民の試み

 より身近な相談窓口として「市民オンブズ」をつくることが各地で試みられている。石川県では国際高齢者年(99年)を期して結成された「国際高齢者年石川NGO」が「オンブズパーソン委員会」を設置する。大分県では福祉施設の団体がみずからのご意見番として「オンブズマン」を設置した。

 八王子市の直接請求

 各市区町村は来年3月までに介護保険条例を制定しなければならない。「市民参加で八王子の介護保険をつくる会」が独自の条例案をつくり、直接請求署名のための準備を進めている。
 この市民版条例案は、@介護の質を向上させるために公募による「サービス評価委員会」を設置するA被保険者の権利を守るため「介護保険オンブズパーソン」を設置するB小学校校区単位で「高齢者見守り訪問員」を設置する─などとしている。

 むすび

 新しい制度の導入には混乱はつきものだ。それをあげつらっても問題は解決しない。行政と住民が歩みより、新しい制度を真に国民の役に立つものにしていく努力が求められる。
 北欧の福祉先進国には、なによりも「リアリティ」にもとづく民主主義が基本にある、といわれる。日本の民主主義の「クオリティ」が、介護保険によって問われている。

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ドキュメント「追悼ヒューマンコンサート in UOZU」

坂本事件を風化させない決意新たに
魚津を起点に大町市、上越市へ開催の輪
本誌同人・実行委員会事務局長  濱田 實  



 「坂本弁護士一家追悼ヒューマンコンサート in UOZU」が8月19日(木)、昼夜2部合わせて約600人の聴衆を集めて魚津市農村環境改善センターで行われ、弁護士夫妻愛用のバイオリン、フルートを手に、日本フィルのバイオリン奏者・松本克己さんら3人の演奏者の三重奏が加積野に響きわたった。都子さんの両親・大山夫妻と堤さんが属していた横浜法律事務所の岡田弁護士も来場し、坂本夫妻の人となりや生前の活動を紹介し、事件の真相究明を訴えた。

虹になった都子さん

 8月18日コンサートの前日、実行委員の送迎係メンバーは演奏者、大山さん夫妻、支援団体の一行を迎えて、午後4時30分頃、魚津市山女(あけび)の山本清作(慰霊碑のある林道の地主、12号で紹介)さん宅へ向かった。
 山本さん宅につくやいなや、野面をたたくような激しい夕立ちに見舞われた。すぐに強い雷鳴が後を追いかけてくる。感謝の演奏が終わって6キロ先の慰霊碑目指して山道を登る頃、雨は小降りになり、慰霊碑を中心に輪を描くような二重の虹が現れた。現場に着くと雨はウソのように晴れ上がり、追悼のバイオリンとフルートの音色は澄み切った谷合いの空にに吸い込まれるように流れて行った。後から聞くと、平地では雨は一粒も降らずただ、虹だけが遠望できたという。
 この摩訶不思議な現象を、大山やいさんはコンサート会場で「雨や雷は6年もうち捨てられていた都子の怒りではなかったか。虹を見たとき親を迎える都子の意志をはっきり感じた」と披露し、閉会のあいさつで小熊副委員長は慰霊碑の裏に刻まれた都子さんの詩を朗読したあと「この詩は虹を象徴している。虹は都子さんそのものでなかったか」と結んだ。

真相究明が裁判の勝ち

 コンサートは3部で構成され、第1部では坂本夫妻が日ごろ愛好し、自らもよく演奏した「精霊の踊り」「タイスの瞑想曲」、また、事件後夫妻のために川崎絵都夫氏が作曲した「愛と哀しみのソナタ」が演奏された。
 第2部は「おはなし」で、「堤、都子、龍彦のこと」と題し大山友之さんは「民事裁判で勝ったといわれるけれども、なぜ神奈川県警が『公開捜査』にこだわり、『失踪事件』としての捜査に終始したか。現場に残された明白な証拠にもかわらず、なぜオウム集団に捜査の的を絞らなかったか。謎は深まるばかり。ー真相が明らかにならない限り裁判に勝ったとは言えない」とこれからの活動に闘志を燃やした。何やら今の神奈川県警の不祥事の連続を予告された感じ。
 「わが友、坂本の残したもの」と題して岡田尚弁護士は「普通の弁護士であれば断ったであろうオウム被害者の依頼をなぜ坂本は引き受けたか」と弱者に対する坂本弁護士の崇高な使命感を披露し、自らの「消滅すべきオウム集団、八つ裂きにしてもあきたらない憎い松本智津夫を前にしながら、破防法、死刑反対論者であらねばならない」苦悩に言葉が及んだ。ただの音楽コンサートにはない感動が聴衆を包んでいる。
 第3部は演奏者が一家に送る「祈り」「チゴイネルワイゼン」などで締めたが、クライマックスが終わりに設けられていた。アンコールに応じて地元民謡「せり込み蝶六」が演奏されたからだ。バイオリン、フルート、ピアノ三重奏に編曲された本邦初公開。題名を紹介されてどよめき、演奏が始まると手拍子、終わるとスタンデングオベーション。コンサートの成功はここで約束された。

すごい反響「せり込み蝶六変奏曲」

 翌朝から、実行委員会事務局を兼ねた私宅の電話が鳴りっぱなしになった。「CD(特に『せり込み蝶六』の)にしないのか」「ビデオを作るのか」の問い合わせ。さらに「『せり込み蝶六』の洋楽編曲を市内の吹奏楽団に配れ」「市のテーマ音楽に採用し、あらゆるイベントで使ったらどうか」と提案、要望の洪水である。
 私は頭を抱えた。実は沢崎実行委員長はコンサートの2週間前、手術のため入院中であり、予定していたのはビデオ作成だけである。CDには再演奏と再録音が必要だろうし、テーマ音楽といわれても話がデカ過ぎる。委員長不在では委員会も開けない。
 後に詳しく述べるが、このコンサートを持ちかけたのは埼玉県坂戸市にある「坂本弁護士一家追悼ヒューマンコンサート実行委員会事務局」である。沢崎委員長に了解をとってから、ここへ終わった後の状況を知らせ指示を仰いだ。が、さらに仰天するような回答が返ってくる。
 分厚い封筒に埼玉県鶴ケ島市広報が入っている。そこには8月22日市役所ホールで開かれる「夏休みファミリーコンサート」の案内と「つるがしま」の吹奏楽の誕生として『ファンタジア未来へ、そして子どもたちへ』という曲が紹介され、作曲者日フィルの川崎絵都夫さんと市長の対談が掲載されている。
 つまり、魚津でも「せり込み蝶六変奏曲」程度の小品ではなくて、それを含む魚津をテーマにした第4楽章を備えた堂々たる吹奏楽曲を作ったらどうかというお勧めである。そして、協力は惜しみませんとある。日ごろから弁護士一家慰霊碑を世話してもらっている地元への感謝の印にしたいと添え書きしてー。
沢崎実行委員長は魚津市役所に働きかけているが、はっきりした返事はまだ返ってこない。鶴ケ島市の場合、市長が選挙公約でファミリーコンサートを実現したという。魚津市は絶好の機会をみすみす逃がすのだろうか。

市民の協力を得て実行委員会ゴー

 坂本一家追悼コンサートの呼びかけは埼玉県坂戸市の実行委員会事務局からということは先程述べた。4月6日付けで、事務局長今野強氏からの手紙が最初の依頼である。
 「初めてお便りを差し上げます。
 私は日本フィルハーモニー協会というところで、坂本さんと仲間でした。日本フィルというオーケストラが自主運営で市民音楽運動を進めている姿に共鳴をして、『日本フィルの灯を消すな』という思いでつくられた会です。いち早く坂本事件を知り、救出に向けた活動も続けてきただけに、最悪の解決には何ともやりきれなくてつらい思いでした。(中略)
 堤さんは、名のいわれは提琴(バイオリン)であることは知る人ぞ知る話です。法律家にならなければバイオリン弾きの道になっていたかというほど、なかなかの腕前だったそうです。都子さんは中学からフルートを学び、高校、大学、社会人となってからも市民オーケストラの団員としてこよなくフルートを吹き続けた方です。(中略)
 彼ら二人が残したバイオリンとフルートは今、私が預かっております。彼と親しかった日フィルのバイオリニスト松本克己君らによって時々楽器は音を出しています。是非二つの楽器の奏でる調べをたくさんの方々に聞いてほしいものだと思っています。そんな思いを込めて、今年は是非そちらの地でも演奏会ができないものだろうかと考えております。(後略)」
 「新川時論」は9号から12号にかけてオウム民事裁判記録の大山夫妻陳述書を連載し好評を得ていた。当然この申し出を前向きに検討し、市民の協力を得て実行委員会を組織できればという条件付でゴーサインを出した。
 魚津市内の音楽愛好家、片貝地区の有力者、弁護士会、婦人会、イベント経験者などに呼びかけ、今野氏らの来魚に合わせ実行委員会の初会合を召集したのは6月14日。7月発行の12号の編集作業の真っただ中で、やや遅きに失したスタートになった。
初顔合わせの席で、片貝地区三ヶ生産森林組合長(魚津市議)・沢崎義敬氏が「地区として慰霊碑や林道の保守管理を心がけてきたが、都子さんの菩提を弔う何らかの行事が必要ではないかと地区住民が思ってきた。事件を風化させないためにも、コンサート開催を地区として引き受けよう」という心強い発言があり、これが以後の活動の基調になった。

ジレンマの末無料開催

 実際に活動を始めると問題が山ほど出てくる。演奏者のスケジュールを調整すると、開催時期は8月18〜20日と9月4日に限られたこと。コンサート会場は片貝小学校講堂に予定されていたが、校舎が新築工事に入るため使用できなくなったこと。そうなると片貝地区住民の聴衆動員が激減すること、など…。
 慌てて会場を探したが、当てにしていた新川文化小ホールがふさがっている。適当な会場を探した結果、魚津市農村環境改善センターが辛うじて19日に空いているだけとなる。しかし、魚津市ではどんな形式であれ、入場料を取る会合には場所を貸せないという。また、定員400人の環境センターが会場では参加を希望する市民全部が入り切れるかどうか予測がつかないなど、課題がどんどん押し寄せた。
 諸方に連絡をとり、実行委員会を重ねて協議した結果、次の方針が決定したのはコンサート開催日のちょうど一カ月前、7月18日であった。
 1)入場は無料とし、整理券を発行すること。
 2)経費は篤志寄付と当日入場者のカンパでまかなうこと。
 3)公演は昼夜2部とし、予想される聴衆増加に備える。
 4)2部公演による係・準備役員の増加は実行委員の拡大とボランティアの募集でまかなう。
 実行委員はそれから約一か月間、篤志寄付の募集をしながら、チラシ・プログラム・整理券の印刷、看板、舞台装飾などの製作、発注に駆けずり回ることになった。

信越3県ジョイントコンサートの可能性

 ちょうどオウム教団の活動が再開され、各地で反対運動が展開され、各種レベルのオウム関連裁判が結審する時期であり、日本海側最初の反オウムイベントとあってか、マスコミ各社の関心が非常に高かったのには驚いた。
 富山に本社・支社がある全新聞社、通信社、放送局が事前に取材し、報道してくれた。コンサートの性格上、マスコミには大いに協力する方針であったが、当日(特に昼の部)は10台以上のTVカメラが砲列を敷き、写真撮影に制限を設けなかったため、昼の部はさすがに節度のないマスコミ取材に非難の声が上がったのは反省点の一つである。
 もっとも演奏者からは「会場に来れなかった人にコンサートの意義を伝えてもらうのだから、良い意味での緊張の中で演奏することができた」と許していただいた。
 新聞の全国版で報道されたこともあって、富山市は言うに及ばず、高岡市や新湊市など県西部から相当数参加された。後から知ったことだが、長野県大町市の市会議員が、龍彦ちゃんの追悼イベントの参考にと出席されていた。
 事前にこれほど注目されたイベントが開催されたにもかかわらず、魚津市議はチラホラ、市の幹部職員はゼロという出席状況は呆れたとしか言いようがない。
 これに比べて、片貝地区、婦人団体・グループの献身には頭が下がった。会場準備や受付は婦人ボランティアが総出で当たり、駐車指導や警備は片貝消防団が一手に引き受けてくれた。実行委員だけでは当日の運営は到底こなせなかったと思う。
 9月に入ってから信州テレビより嬉しい取材あり、魚津コンサートを聴いた大町市議が中心になって11月には追悼コンサートが大町市で開催が決まったという。
 坂戸市の今野さんから追いかけるような電話。ー「都子さんと龍彦ちゃんとこでコンサートが開かれれば、お父さん(堤さん)がさびしがるだろう」ー伝手を頼って上越市の退職高校教師に電話をリレーする。魚津開催の資料を渡して返事を待つと「当地で(コンサートを)やらしてもらいましょう」と力強い回答。
 近い将来に、信越隣県3ヶ所で「坂本弁護士一家追悼ジョイントコンサート」が開かれることが夢ではなくなりそう。沢崎実行委員長は「来年、片貝小学校が出来上がれば、竣工記念演奏を松本さんたちに頼もう」とはや予約をしている。私自身はいつか『交響曲「うおづ」』の発表演奏会を新川文化大ホールで、日本フィルハーモニー交響楽団・洗足学園ウィンドオーケストラ合同演奏で開催することを夢見ている。
 なお、事前の篤志寄付は50に余る法人、市民有志の皆様から50万円余。当日カンパは20万円余に上った。諸経費を差し引いた余剰金10万円を坂戸市の「追悼コンサート実行委員会事務局」に預託したことを報告して、皆様へのお礼と感謝に代えたい。


ヒューマンコンサートがビデオになりました


 絶賛を博した坂本弁護士ヒューマンコンサートが魚津ビデオ同好会(沢田茂雄会長)編集でビデオ「鎮魂の調べ 感動深く」(60分)となりました。
 1本1500円でお分け致します。問い合わせ・申し込みは「新川時論」事務局へ。

 〒937-0046 魚津市上村木2-17-15
         濱田 實 
方 新川時論事務局 TEL:0765-22-6753
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