地域雑誌「新川時論21」第12号の紹介



  目次

政治が変わる芽生えも(田中光幸)
◇新川時評(野崎弘)
◇オウム民事裁判の記録<最終回>(大山友之・やい)
追悼ヒューマンコンサート協力お願い
◇新川歴史散歩<3>僧ヶ岳を自然にかえせ(奥田淳爾)
◇差別・人権を考える(鈴木修)
◇東京の街角で(江口美智夫)
東京通信(北海人)
◇裸の中国を見る<2>(吉田大)
◇片貝川源流を行く<2>(佐伯邦夫)
◇あわただしさ増す新幹線(野崎弘)
現場からの教育<6>(寺島邦男)
◇書評(佐伯邦夫)
◇新川元気人<濱田正利氏>(寺島邦夫)
◇編集者における辛口とはなにか<下>(宮津豊)
介護保険の導入前夜<3>(谷口恵子・小熊清史)

表紙  愛場砂里(朝日町)
裏表紙 田中光幸(魚津市)

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 新学習指導要領に見る
   戦後教育の曲がりかど     寺島邦男


 昨年から今年三月にかけて、各学校の新学習指導要領が告示された。戦後教育の流れの中で、これからの教育がどこへむかうのか、自分なりの感想を述べたい。

     小中で授業内容3割減

 新指導要領に基づいた「移行措置」が、小中では平成12年度から始まり、しかも内容を前倒しで実施するという。各学校とも対応に追われているところであろう。
 まず、学校週五日制に合わせ、小中学校で総授業時数を約7パーセント、年間70時限カットし、各教科内容も三割ほど削減した。
 総合的な学習を新設し、選択教科を増やした。どの学校段階においても「基礎、基本の内容の確実な定着」を重視し、授業時数の減少をカバーしようとしているようだ。

   「自ら学ぶ力の育成」掲げる

 中学校の指導要領の変遷をたどろう。
昭和四四年告示の指導要領は、今とは逆に授業時数を増やし、教育内容の高度化をはかったようだ。総授業時数は1190時限。昭和五二年版は「ゆとりある充実した教育」という目標が掲げられた。129ページと一挙に薄くなり、授業時数は1050時限。平成元年版は「基礎・基本の重視、個性を生かす教育」といった目標で124ページ。1050時限。
今回の平成10年版は「生きる力をはぐくむ、自ら学ぶ力の育成、基礎・基本の確実な定着」といったことを、小中高校とも共通に掲げる。わずか104ページ、980時限となった。
 中高校とも従来のクラブ活動の記述が消え、外国語が選択教科から必修教科へと格上げとなった。

    「総合学習」は各校で工夫

 今次改訂で、特に「総合的な学習の時間」の創設が注目される。かつての「合科教授法」、「コア・カリキュラム」(あるテーマを中心に各教科を横断的にまなぶ手法)を想起させる。
総合学習は、横断的・総合的学習や生徒の興味・関心に基づいた学習など、各学校が創意工夫を生かしてやれということだ。
 例えば国際理解、情報、環境、福祉・健康といった内容について、体験的・問題解決的な学習を重視する、とあるが、はなはだ漠然としている。
これまで教科重視、教師中心の一斉指導だったのには、理由があったからだろう。
生徒中心の学習には、たいへんな前準備を要し、複数の教師を配置することが前提条件となる。

     教科書採択の規制緩和なども

 地方分権と規制緩和の流れの中で「公立校の通学区域の弾力化」と「教科書採択の規制緩和」、また「中高一貫公立校」などが報道されている。
 例えば、旧・下新川で小中の教科書採択を従来の一社独占から、二社まで広げるようだ。一県一社の「県定教科書」は、文部省自ら推進してきたはずだ。
教科書検定も見直し方向にあるが「教科書無償措置法」と連動しており、容易に廃止とはならないだろう。

「通学区域の弾力化」は、小中でも学校間格差を発生させる危険性をはらむ。
   高校指導要領は分厚く


 まず、ページ数が2・6倍にもふくれあがった。
付録も含め451ページもある。項目を羅列するだけだった専門学科の科目について、内容の詳細、取り扱い方法を初めて明記したためだ。専門学科のばらつきが多すぎたせいか。
 やはり週五日制にあわせ、年間授業時数が約1120時限から1050時限へ減らされた。
各学年の習得単位数のしばりがなくなり、進級時に多かった留年を少なくする配慮がされている。
 新設の学科として情報科と福祉科ができ、また共通必修の科目で「情報A、B、C」も新設された。教える教師の確保、配置は、これから考えるそうだ。

   早くも学力低下の声
     「数学基礎」「理科基礎」新設


 理数系科目で「数学基礎」、「理科基礎」が登場した。最近の「理科離れ、数学離れ」が影響したのだろうか。
理科では「理科基礎」に「理科総合A、B」の三つから一科目を選択必修となる。早くも学力低下の懸念の声があがっている。
 外国語が必修となったが、「オーラル・コミュニケーションT・U」、「英語総合」など、実際に使える語学を目指すようだ。国語は「国語表現T・U、国語総合」などに再編され、書く力を重視するようだ。
国語にも言語学的なアプローチが必要と分かってきたらしい。男女共修の家庭が「家庭基礎」などに編成替えだ。

余りに多すぎる
   職業科の細切れ


 特別活動において、これまでのクラブ活動の記述が無くなり、任意の活動である「部活動」へ主役交代となろう。指導要領で示された教科・科目以外に独自の授業を設定できたり、就業体験もできるとした。
 職業系の科目も多少削減した。「工業」で七四科目もあったものを六○科目に減らす。これでもまだ多すぎる。高校生の段階で、あまりに細分化しすぎると、将来性や創造性の芽を摘むことになりかねない。むしろ、一般の普通科目を充実させ、基礎学力を身につけた方が将来に良いと思うのだが。

   最近の「学級崩壊」と落ちこぼれ

 広い意味の学力低下はかなり低年齢から始まり、既に小学一年の段階で授業についていけず「学級崩壊」などと騒がれている。
 生活習慣の形成に問題もあるのだろうが、基本的な読・書・算の「スリーR」の習得についていけない子が増えたと聞く。
教育漢字の読み書き、小数分数の計算も満足にできないまま中学、高校へ進む現状で、落ちこぼれが続出するのは当然といえよう。
今や落ちこぼれは大学にまで波及して、授業中の私語と低学力が悩みの種だという。
さもありなん、である。

    「ゆとりと充実」
     学力低下に

 昭和五十年代から「ゆとりある充実した教育」を目標に授業時数を削減し続けてきたが、その結果、学力低下として、はねかえってきたといえる。昭和四十年代に「教育の現代化運動」という気運が高まり、理科、数学など、相当にレベルの高い内容を教えられた自分らの世代とまったく様変わりといえる。

    高等教育に 彼我の格差

 アメリカなど他の先進国では、子供の学力低下に歯止めをかけるべく、1980年代から教科指導法の改善や、コンピューターなどの教育機器の開発にしのぎを削ってきた。元々、授業時数は絶対的に少ないにも関わらず、学力向上の成果が上がってきた。特に大学、大学院レベルで、教育・研究の彼我の格差はきわめて大きくなったと言われる。
 教育学者の中には、我が国の大学卒業生の研究・開発能力、生産システム構築能力がどんどん低下し、やがて日本で新製品の開発などできなくなる恐れさえある、という人もいる。
教育系大学のカリキュラムも教科研究、教科指導法を削減して、心理カウンセリングや生徒指導などの分野に重点が置かれ、生徒の問題行動に対処しようとしてきた。そのせいか、今の若手教師には、肝心の「教える力」が心もとない人もいるという。

    考えよう「共通の教養とは」

 個人としては、高校生すべてに数学V、物理Uまでを共通に学んでもらいたい。そんなものを習って何になるのか、と疑問を持たれる方がいるだろう。
数Vは微積分が中心で、物理Uは原子物理学まで含むが、今日の社会において、これらの基礎知識はだれもがもつべき教養といえる。
数学者を増やそうとか、受験に有利といった理由から言うのではない。
 その代わり数学のベクトルや行列、複素数など、物理の電気、音、光などの副次的内容はもっと減らしても構わないと思う。

    「文系」「理系」は時代遅れ

 普通科も進路に応じて理系、文系と分ける学校が多い。こんな分け方は産業界でも通用しないだろう。
第一、理系とか文系人間というのは、誰が、何を基準にして決めるのだろう。
いささかナンセンスの極みである。大昔の旧制高校にあった専攻クラス編成をひきずったものだ。
 例えばインダストリアル・デザイナーやシステムエンジニアは理系人間といえるのだろうか。きわめて先端的で芸術的なセンスが求められる専門職に、文系も理系も関係ないように思う。

     高校までに高い学力を
     大学で「補習」は困る

 これまでの学習指導要領は「君が代」、「日の丸」の義務づけ、道徳教育の重視を書き続けてきたが、いったいいかなる人間を育成するのか、はなはだあいまいにしてきた感がある。
教育基本法の「人格の完成」、学校教育法の「一般的教養」だけでは具体性に欠ける。
 英国の「パブリック・スクール」(公衆に開かれた学校)は、大学進学が当初の目的でなく、ジェントルマンの養成に重点が置かれたという。
 我が国の学校制度に、教養ある人士の育成に必要な具体的施策が欠落している。教養とインテリジェンスに欠けた、何とも言えない反教養主義的傾向が見受けられる。
 本当の学問と教養は大学に入ってからやれ、と言うのでは遅すぎる。大学で補習授業をやらざるを得ない現状である。高校卒業までに、十分に高い学力と教養を身につけさせる、強固なる理念が求められている。

  参考文献
文部省告示、各学習指導要領、各教科指導書
「月刊高校教育」臨時増刊 有斐閣・六法全書
協同出版・必携教育小六法。

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地方から政治が変わる芽生えも
---- 統一地方選を総括する ----

田中 光幸


 統一地方選挙が終った。これで地方から本当に政治が変わるのだろうか。、まず、今回選挙の特徴から整理してみよう。
 注目の東京と大阪の知事選は、無所属の圧勝であった。他は相乗り候補が勝った。市長選もほぼ同じ傾向が見られたが、やはり無党派が健闘した。道府県議選は、無所属が議席を伸ばした。また、一般市議候補の無所属が全候補の約三分の二を占め、当選者も大きく伸びた。投票率は前回を下回るところが多く、無効票も今回は多かったといわれている。
 政党では、共産党が過去最高となったが、自民党は過去最低となり、他党も低迷した。県内でも同じように政党の不振が目立った。地方選という身近かで基礎的な場で、政党の不甲斐なさが際立っているばかりか、存在理由すら問われているのではないだろうか。これが第一の特徴。
 健闘した最大政治集団の無所属・無党派は変わっただろうか。世論調査の分析によると政治への関心が高いが、「信頼できる政党がない」「政策が支持できない」「政党支持を固定したくない」などの理由で集約できる集団ということである。既成政党への拒否感がはっきりしているが、志向がはっきりしないといえる。
 4年前、東京はこうであった。既成政党相乗りの談合政治に風穴を開けようとする意味で、「自治」の軸に傾いていた。しかし、今回は賢者による強いリーダーシップの政治という意味で、「統治」の軸に傾いていると指摘されている。まさに、志向不明で、不鮮明のまま動く「怪物」という表現が言い得て妙ではないか。こうした無党派層が厳然として立ちはだかり、大きな鍵を握ったというのが第二の特徴ではないか。
 市議選では、女性議員が全当選者の10%を超え過去最高となった。女性県議ゼロの都道府県も10県から3県に減った。環境・介護などの課題を掲げ、住民運動のリーダーやごく普通の市民も立ち上がった。それも、大都市の特別な事例でなく、地方都市、農村部にも少しずつ広がっている。
 県内でも32年ぶりの女性県議が誕生し、市民派の女性市議が複数当選し、女性は市町村全議員の4.2%に過ぎないが、大きな第一歩を踏み出した感がある。これが第三の特徴である。

地方政府へ脱皮期待

 さて、自治体が抱えている多くの課題に対して、この選挙を通じて十分に論議され尽くし、ハッキリと地方から政治を変えようという方向が示されたわけではない。ただ、芽生えてきたということだ。
 4月から地方分権一括法が施行される。国の関与の余地が残っているとはいえ、自治体の裁量はしっかりと広がる。だから、これから分権社会を模索していかねばならないだろう。その際、必要なことは、市町村とはそこにいる住民が作っている政府であるという発想が大切ではないか。
 新たな分権社会の自治体とは、国の下請けとして動くことでなく、市民自治を創り出していく能力を高めることではないだろうか。市民参加を軸として自治体が、地方公共団体という不明確な性格から、地方政府へと脱皮していくこと。この基本的な発想をもとに自治体の質的な転換をはかる論議をし尽くし、具体的に実現していくことがいま問われていると思う。
 終りに、統一地方選を通じてあまりにも影の薄かった政党の役割を忘れてはいけない。これからは、地方政治のビジョンをもっとハッキリと打ち出してもらいたいものだ。
 無党派・市民層の活動はまだ始まったばかりだが、具体的な地域政策づくりの試みが待っている。これからの自治体に新しい息吹を生み出してもらいたいものだ。
(たなか・みつゆき=魚津市議会議員、同人)
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坂本弁護士一家追悼
ヒューマンコンサート in UOZUへの協力お願い


「新川時論21」編集部   代表 小熊清史


 「新川時論21」は96年(平成8)10月に創刊し、この12号をもちまして3年を経過することができました。
 「3号までもとうか?」といった声を尻目に、今日まで順調に発行を継続されましたのは、ひとえに読者のご支援の賜物であり、ここに編集部一同、深く感謝申し上げます。
 この上は本誌のモットーである「辛口の社会評論」をいよいよ充実させるべく、全力を挙げるつもりであります。読者の皆様のご鞭撻を、改めてお願いする次第であります。
 さて、本誌は第9号から4回にわたって坂本都子さんのご両親大山友之・やい夫妻の「オウムに肉親を奪われて」を連載し、この12号で完結しました。そしてこれを機会に標記の追悼コンサート(日本フィルハーモニー交響楽団の支援による)に協賛することになりました。
 申すまでもなく坂本弁護士一家は89年(平成1)11月3日、オウム真理教団によって殺害されました。そして夫の堤さんは新潟県大毛無し山に、妻の都子さんは魚津市の僧ヶ岳の林道内に、息子の龍彦ちゃんは長野県大町市の山林に埋められていたことが判明したのは事件後ほぼ6年たった95年(平成7)の9月6日でした。
 あのいまわしい事件から早くも10年が経とうとしています。日本フィルハーモニー交響楽団が、多年関東地方を中心に追悼コンサートを開催されているのを聞き、「新川時論21」編集部として、都子さんとゆかりも深い魚津市内の片貝地区の方々の全面的ご協力を得て開催に協賛することに致しました。以上の事情を賢察され、皆様のご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。


坂本弁護士一家追悼ヒューマンコンサート in UOZU


 坂本弁護士一家が無残な姿で名立市、大町市、魚津市の山中で発見されてから4年を迎えます。特に都子さんが僧ガ岳のふもと、片貝(かたかい)地内で眠っていたことは地元民を驚かせ、身内のことのように深く心に刻み込まれました。
 4歳からヴァイオリンを弾いていた堤さん、中学時代から吹奏楽でフルートを演奏していた都子さん。二人を結び付けたのは音楽とボランティア活動でした。お二人の親友の日本フィルハーモニー交響楽団の松本克巳さんたちが、故人の愛用していた楽器を手に、各地でコンサートを行っています。
 都子さん慰霊の地、片貝の里でご家族の魂にとどくようこの演奏会をひらきます。たくさんのご来場をお待ちしております。

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坂本弁護士一家追悼
ヒューマンコンサート in UOZU
平成11年8月19日(木)
場所:農村環境改善センター(魚津市六郎丸1062)
昼の部:開場13:30 開演14:00
夜の部:開場18:00 開演18:30
主催: 坂本弁護士一家追悼ヒューマンコンサート in UOZU 実行委員会


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お話:坂本さちよさん(堤さんのお母さん)―予定
   大山友之・やいさん(都子さんのご両親)
   岡本尚さん(横浜法律事務所・弁護士)
音楽:ヴァイオリン 松本克巳
   フルート   大平記子
   ピアノ    阿部由紀子
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入場は無料ですが、整理券を入手してください。
なお、コンサートの実現と慰霊碑の保全のための寄付金も受け付けています。
お問い合わせは地域雑誌「新川時論」事務局へ。
 TEL&FAX 0765-22-6753 濱田
 E-Mail はこちらへ。

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TOKYO 通信<8> 石原知事は改革の旗手となるか


北海人



 多くの候補者のけたたましい議論の中から、あれよあれよという間に抜け出し、再選挙などあらばこそ30%を得票しダントツで石原慎太郎氏は当選してしまった。正直に告白すると、私の予想は2連敗であった。前回も「青島候補はかなりやりそうだ」という調査はあったものの、5党相乗りの石原(信雄)候補が負けるとは思っていなかった。今回も、調査ではかなり優位と言われていたが他の候補に「ダブルスコア」で圧勝するとは予想していなかった。全有権者の17%の得票でダントツになるのだから、「意地悪ばあさん」から「NOと言える人」へ、砂漠の砂のように流れる都市住民の意識を読むことは容易でない。

マスコミ露出度抜群

西武の松坂、天才少女歌手宇多田ヒカルと並んで新都知事石原慎太郎氏へのマスコミの関心は非常に高い。都庁の記者クラブには主要な新聞・テレビの全てが入っているが、ほとんどの社は「遊軍記者」を追加投入し石原言行録を発信続けている。知事の側もまたこれを充分に意識し、積極的にマスコミに登場している。「報道と人事は知事が直接指揮する。」と宣言し、知事側近が直接マスコミとの出演・原稿掲載の交渉に当たっていると言う。
 組織論的に見れば、議会に与党を持たず大きな支持組織もない、もちろん都庁組織はしばらくは「お手並み拝見」と冷めた対応である。全有権者の17%しか支持を得ていない石原知事にはマスコミを操作しこれを追い風としていくしか都政を動かしていく方法はないという構造的な弱点を持っている。一見「過激」とも見える強烈なマスコミへのアピールはこの辺のことを意識しているのかも知れない。
 マスコミの態度は概ね好意的でここ一か月はマスコミと石原知事との蜜月の時が続いている。しかし、これは「ご祝儀相場」みたいなもので、ある都庁通の新聞社の幹部は「石原都政の全体像が見えるまでは、判断・批判を保留している。」と語っている。また、知事周辺のマスコミ操作は、やりすぎの感もあり中身の伴わないパフォーマンスを続ければ早晩批判の的にならないとも限らない危うさがある。

関心の焦点は

 この関心の中心にあるものは何か。それは、「東京からこの国を変える。」として都知事になった石原氏が本当に「改革の旗手になり得るのか」「どんな改革を実行するのか」という点にある。選挙後、都民から都庁に寄せられる声の最大のものは「YES,NOをはっきりして欲しい。」「強いリーダーシップで行財政改革をやって欲しい。」と言う声である。
 長期にわたる景気低迷と社会的な閉塞状況のなかで、線香花火に終わった青島知事に対し多少暴発の危険はあるが派手な打ち上げ花火をマスコミも世論も期待している。この点では、石原氏に投票した都民は前回の青島知事の時と同様、従来の保守的な利益誘導型の個別利害ではなく「政治家の在り様」を問題にしたと言える。
 石原知事は都政と国政を新保守主義方法で改革することを宿題として背負っており、この点で一挙手一投足が注目されている。

都庁相手にポイントを稼ぐ

 この一か月の新知事の言動だけでは、本稿のテーマに答を出すのは早すぎる。ただ、その判断材料となるであろういくつかの点をレポートしたい。
 第一に、都庁改革では着々とポイントを上げつつある。人事では、自分のブレーンを着々と導入している。これは、その人が何ができるかということよりは「外の風」を入れる「窓明け効果」が大きい。役所の仕組みは住民には分かりづらい。マスコミは都庁を「伏魔殿」とまで呼んでおどろおどろしいイメージを作っている。そこへ自分たちの味方が勇躍乗り込んでいくような感じがこの導入人事にはある。都議会は副知事への側近の登用に「待った」をかけたけれど世論は「石原氏のやりいいようにやらせるべき。」との声が圧倒的である。都庁内人事でも副知事・局長人事で大抜擢をやり新しい風を入れた。会議のやり方も一新した。時には、都庁の部局から上がってきた案件を机にたたきつけ「こんなズサンなものは民間では通らない。」と吼え職員を震え上がらせている。しかもこれらをその都度マスコミを通じて都民・国民に流し「改革」「都庁職員を叱りつけ引っ張っている。」を印象づけている。これらが、あの度し難い「小役人根性」を変革するのか、それとも一時のパフォーマンスに終わるのかはまだ結論を保留すべきと思うが、現在のところ大きなポイントを上げているのは間違いない。

財政再建には不安も

 財政再建ではやや危なっかしいところを覗かせている。石原氏は当初「財政危機とは言っても東京都は富裕団体、持っている株式などの財産を処分すれば何とかなるだろう。」位に考えていた節が見える。ところが、知事就任後幹部の説明を聞き、財産は「たったそれだけか。」と言ったとか。バブルの時にため込んだ「基金」は底をつき、持っている株式の大半は臨海部開発の赤字三セク会社のもの。売却どころか、倒産もままならぬ引くに引けない金食い虫。来年度予算を組もうとすれば約6200億円(総予算の約一割)の財源不足。歳出の一律一割カットを議会が簡単に承認するとは思われない。バランスシートを作って見ても固定資産の項に計上された「上野恩賜公園」や都道がいかに「資産価値」があろうとも売却できるはずもない。売却できる土地なんてたかが知れたもの。
 そこで、財政状況を認識した後に石原知事が言い出したのは「後楽園競輪の復活」「臨海部でカジノ」である。サッカーくじの難産や、地方競輪が赤字になっていることを考えれば思いつきとしか思えない。金に困ってギャンブルをやって、うまくいった試しはない。信用を失うのが関の山である。
 財政再建プランを7月中にも作ると言われている。都財政危機は、大都市問題と地方財政の仕組みを見据えないでは根本的な解決の方向は見えない構造的問題である。ケチケチ作戦の経営努力では危機は越えられない。ましてギャンブルやそのテラ銭というレベルでは解決しないだけでなく、真面目に納税する都民に砂をかけるような行為である。

教育問題は分が悪い
 
 教育問題ではいかにも分が悪い。自らが婚姻外で設けた子供に「男としての責任はとった。」と言われても「徳目教育」はちょっと迫力が落ちる。まして、「その反省を踏まえて・・・」などと言われたら笑うしかない。「そんな知事に道徳なんて言われたくない。」と都民に言われたら都の職員は絶句するしかない。
 「すぐにでもできますよ。」といわれた中小企業の債権市場創出については、担当の参与を任命するなど素早い動きを見せているがその帰趨は不明である。現在のところ、「手数」でポイントを上げているが勝利に結びつくかは霧の中にある。
 中国問題や基地問題ではさすがに相手が「大国」であるためか、発言が慎重になっている。マスコミはなんとかして言質を取って煽りたいのだがなかなかその手には乗らないしたたかさがある。
 
国を変えるため知事になったのか、知事になるためのキャッチフレーズか

 最後に、根拠があまりよく分からない反アングロサクソンとナショナリズム。「日本は、東亜の盟主に」といってはばからない人である。都政とは直接関係のないこれらの諸問題については、現在のところ大きな問題にはなっていない。都民の反応にしても、右だの左だのという声はほとんど聞かれない。
 このタカ派の知事の主張が、激変する国際情勢の中で「吉」とでるか「凶」とでるかは予測がつかない。しかし、歴史的根拠と国際社会の中で目指すべき方向の明確でない独りよがりのナショナリズムは容易に「拝外主義」「大衆操作」に結びつく歴史の教訓を忘れてはなるまい。一地方自治体の首長とはいえ情報発信力は抜群のものがある。これからの知事としての活動の中から何が飛び出すかまだ計り知れない部分もある。
「東京からこの国を変える」ために知事になったのか、知事になるために「都民に受けるキャッチフレーズ」としてそう言ったのか、試されるのはこれからである。

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野次熊見聞録A

小熊清史

 5月30日、上市福祉ネットワークの第3回「上市高齢者福祉シンポジウム」へでかけた。参加者は約250名。毎回コンスタントにこれくらいの人数が集まる。今回は趣向を変えて、第一部が寸劇だった。
 方言丸だしのセリフに会場がどっとわく。
寸劇のひとこま
 入院していたお婆ちゃんが車椅子で退院してくる。お爺ちゃんは料理にも洗濯にも自信がない。東京へいった息子は見舞いに来るひまもない。娘は嫁ぎ先の姑の介護で手一杯。途方にくれて町役場へ行く。しかし、介護保険の説明を聞いてもちんぷんかんぷん─というあらすじだ。
 介護は、女性にとって最大の問題と言っていい。親を介護する立場に立つことが多く、自分自身が長生きして介護を受ける立場になる可能性が高い。だが、これからの時代では、「嫁」にすべてを押し付けることはできなくなるだろう。上市の寸劇のように、男性にも介護のチャンスがめぐってくる。

 介護保険制度では、保険料は天引きで自動的に徴収されるが、自ら申請しなければ何も給付されない。知らないでいることは命にもかかわってくる。
 あえて差別表現を使わせていただく。「福祉オンチ」ではおちおち歳もとれないのだ。



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