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地域雑誌「新川時論21」第4号の紹介



 

地方拠点都市づくりで 新川地域はどう変わるか グループP・P・M



 県東部発展のエースプロジェクトとして3年前に登場した「新川広域圏事業」。インフラ整備を中心とした経済優先の地域振興策の影が見え隠れするなか、関係自治体、住民の主体性がどこまで発揮できるのか。一方では「新川市」実現の大型合併もささやかれている。

 夢のビジョンと  ゲンジツの差

 旧下新川郡・2市3町を横断して3つに区切られたゾーンと、4つの拠点地区、3つのコアを眺める(右ページ地図参照)。「豊かな水と緑、賑いある国際交流都市“新川”」との基本方針のもとに各自治体関係議員が協議を重ねた結果とはいいながら、見事に各市町村の顔を立てた配分が目立つ。4つの拠点地区は魚津・黒部両市に均等分され、コアは朝日・入善・宇奈月に一つずつといった具合。せっかく横断的に区切ったゾーン配置の意味がぼやけて見える。
 例えば、黒部川扇状地は入善町だけなのか(黒部市に半分かかっている)。海浜リフレッシュコアは朝日町以外に黒部市石田浜を組み込まないのか。湯遊ウエルネススコアは宇奈月以外に、入善町舟見、魚津市天神地区温泉と合わせ加賀温泉郷の向こうを張った『新川温泉郷』構想ができないのか。新川文化ホールだけでなく、黒部市コラーレ、入善町コスモホール、朝日町アゼリア、宇奈月町セレネを統合した運用構想が出ないのか。などだれにも分かる疑問が浮かぶ。
 広域圏構想以前に思い思いに各市町村が手をつけた誘致施設を盛り込んだプランがそつなく入っているのも目立つ。実現までにはいくつものハードルを超えねばなるまい。夢?で終ってしまうのもありはしないか。代表は新幹線新黒部駅(仮称)周辺拠点地区。三日市地区のコミュニティFM、魚津駅周辺の学術研究団地もそれに近い。
 広域圏事業で最も住民に身近なもの。ゴミ・産業廃棄物処理、葬祭場、河川管理について基本計画がはっきりしないのも気になる。朝日町横尾、入善町舟見、黒部市宮沢、魚津市下椿各地区の焼却、処理場の整備計画はどうなっているのか、問題はないのだろうか。黒部川廃砂、宇奈月、片貝川ダム建設問題もある。臭いものにフタ、危ない問題から逃げているのでは困る。

 バン万歳ですむか

 新川地方の町づくりであるはずの基本計画は、「次期全国総合開発計画を展望しつつ……北陸地方開発促進計画や……新富山県民総合計画との整合を図る……」として、国や県がことごとく関与するしくみになっている。しかも、その内容は「道路、河川、ダム、港湾、上下水道、鉄道、などなど」社会的インフラ整備の名のもとにゼネコン主体の公共投資そのものである。なにも国や県と別個に市町村が独自でやれといっているのではない。「地方が主役」の掛け声でどれだけ主体性がもてるかが問題。もちろん住民のニーズを見極めてのことだが……。これについて魚津市の講演会で講師に招かれた前島根県知事恒松制治氏の言を引用する。
 「今朝(平成6・10・20)新川地区に地方拠点都市としての地域指定がされたという新聞記事を見た。地方拠点都市になってなにがどう変わるのか。拠点都市は県知事が指定することになっている。その点では地方の権限が非常に強くなったように見える。しかし、その前段階では霞が関(国)が認めなくちゃ知事が指定できない。そう考えると地域にとって(指定が)どんなメリットがあるか分からない。指定になった、万々歳というのはかなり気を付けなければならない。しかし、やはり地方を大切にしよう、地方から政治を変えようという動きは急速に強まっていることは事実だ」
 さて、新川拠点都市(広域圏)の事務組合当事者を中心とする、2市3町の行政担当者にどれだけ「地方の波」を作る意識と姿勢が期待できるかがカギとなる。

 生活者の視点がほしい.....  健常者の施設だけ林立

 拠点地区やコアの中ではすでに完成した事業もあれば、進行中のものもある。いま、魚津港周辺地区に指定された北鬼江地区ではテクノスポーツドームの建設がたけなわである。地区住民から次の意見が寄せられた。
 「国指定の事業はハード(基盤整備)が主であり、経済波及効果優先の施策であろう。そこで生活する人の環境、教育、文化面の施策は二の次になっている。商業、歓楽、飲食街をかかえているとはいえ大部分は住宅地域であり、スプロール地域(市街地内虫食い現象)もかかえている。高齢者、障害者、外国人が日常を過ごしていることを拠点都市構想の中に盛り込んでいるのだろうか不安だ。バリアフリーなどの福祉面や国際化に配慮してほしい。健常者だけを対象にした施設が林立しても、いまの住民が非常に住みにくい街にしてもらっては困る。」
 この意見は他のどの地区にも当てはまる。地域ぐるみの福祉環境の充実を考えなければ、新川文化ホール東側や黒部市飛騨に展開するシルバーハウジング地域や、黒部川両岸の障害者施設はどんなに近代的に整備された環境を誇っても、「姥捨て」ゾーンとしか新川住民にとらえられないだろう。

 情報と議論が不足  「新川市」構想

 こうした状況の中で見逃せないのは、旧下新川郡が一市となる大型合併「新川市」構想である。新川経済界や議会筋では、すでに既定の路線のようにささやかれいる。今年3月の魚津市議会での質問に石川市長は次のように答弁した。
 「(2市3町の合併は)地域の一体的整備、市町の行政基盤の強化、豊かな高齢社会を迎えるための社会福祉など、住民に身近かな行政サービスの充実などを図るために有効な方策」また「しかし、なかなか困難」だとも。
 一方では大型合併の前提条件として、公共機関の統合に注目せよとの声もある。NTTの拠点が黒部市に移り、保健所の黒部市統合もうわさされている(関係者は懸命に否定しているが)。法務局統合、農協や魚協の大型合併も話題に上がっているが、どうも情報だけが勝手に飛びまわってはっきりしない。しかし、市民主体の議論は全く不在。ここに一番の問題がある。
 浦和・大宮・与野3市の政令都市誕生問題を抱える埼玉県では、市民は「私たちの生活圏が拡大する中で、『都市経営』の視点と『市民の意思決定』の仕組みを組み合わせることが大切」と明快な姿勢を示している。新川にはまだまだたくさんの課題があり、情報不足、議論不足は否めない。

(グループP・P・M=市民運動家を中心に同人2名で構成した特別取材班、本号より結成)

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上市町民手づくりシンポジウム   高齢化を支えるネットワーク



4月27日(日)、上市町の中心部にあるショッピングセンター・カミールにおいて、町民の手作りによるシンポジウムが開催され、約250人が参加、熱心な討論がくりひろげられた。住民の大きな関心事である介護の問題をめぐって、住民自身のエネルギーを引き出した成果は大きい。

 立ち見が出るほど集まった

よく晴れた日曜日だった。山に雪が少ない今年は、例年より少し早めの山菜摘みシーズン。参加者が集まるかどうか、主催者は気を揉んでいた。
しかし、定刻前に会場が埋まり、補助椅子を運びこみ、それでも足りず立ち見がでるほどになった。見渡した感じでは、年配の方が多いが、20代の若い人もいる。後で聞いたところでは、町内の福祉施設や町の中核病院である上市厚生病院の職員なども多数参加していたという。
会場の正面には「上市の高齢者を支えるネットワークづくりシンポジウム」と書かれたパネルがかかっている。シンポジウムのメインテーマは「この住みなれた上市で、いつまでも安心して暮らせる福祉のまちづくりを!」である。

 実行委員には多彩な顔ぶれ

注目すべきは、このシンポジウムが町(行政)の主催ではないことだ。町民有志が発起人(実行委員会)になり、各種団体の後援と地元企業の協賛のもとに企画された。
実行委員の顔ぶれは多彩である。代表の竹川愼吾さんは富山大学経済学部教授。ほかにボランティア活動家、福祉施設の職員、町の職員、建築家、など20人で構成されている。町職員は個人の立場で参加している。準備の会議は、夜や休日を使って行われた。
上市町をはじめとして、社会福祉協議会・老人クラブ連合会・商工会などの町の各種団体、県内マスコミ各社が後援している。また、地元企業11社が協賛団体に名を連ねると同時に資金援助し、運営費用のすべてはこれでまかなわれた。

 セレモニー短く

病院職員の跡部則之さんが開会を告げ、ボランティア活動家の高木栄子さんが開会のあいさつ、町助役の村山一雄さんが来賓あいさつ。と、手短かにセレモニーがかたづき、医療団体職員の平井隆さんの司会でシンポジウムが始まった。

 話はカタカナ語の解説から始まった

最初に、参加者からの要望があって、「カタカナ語の翻訳」があった。シンポジウムとは、パネラーとは、ネットワークとは──と司会が解説。ちかごろは役所が先頭にたってカタカナ語を使うので、ついうっかり真似をしてしてしまうが、年配の方々にとっては、それだけで敷居が高くなってしまう。
つづいて司会から、大学の先生や医師もいるが、「先生」という呼びかたはやめて「さん」と呼びます、と宣言があった。
とはいいながら、話が盛り上がってくると、ついつい「先生」が口をついて出てしまう場面が見られた。

 コーディネーターの関心と情熱が伝わる

シンポジウムのパネラーは5人。10年あまり夫の介護を続けている森千恵子さん、上市町出身で老人保健施設の事務長をつとめる小西乃里子さん、唯一人の移入パネラーで在宅医療に熱心にとりくむ新湊の医師・矢野博明さん、バリアフリーととりくむ建築士の江下早百合さん、町社会福祉協議会事務局長の郷田五郎さん、それぞれが自分の直面している分野について経験にもとづく話があった。コーディネーターの竹川愼吾さんが、ひと区切りごとに適切なまとめと質問をさしはさむ。
ともすれば「代表」とはいっても、まったくのお飾りだったり、たんに無難にまとめるだけが取り柄だったりすることが多い。しかし、このシンポジウムは違う。竹川さん自身が関心と情熱をもっていることが伝わってくる。それもそのはず、社会福祉が主要な研究テーマでもあるのだ。

 歌唱指導でリラックス

途中で休憩時間(リラックスタイム)があり、声楽家の内山太一さんが、歌唱指導を行なった。うれしいことがあったときの声で「ああー」、くたびれたな眠たいなというときの「あーあ」、街で美人に出会ったときの「あ」、息をするように声を出しましょう、とたくみな話術でリードする。歌唱指導というよりは、呼吸指導、健康指導といったほうがいい。
さいきん「音楽療法」が話題になるが、これもそうなのか、なるほど健康に役立ちそうだ、と納得がいく。 雰囲気が和んだところで後半はフロア発言を求めての討論である。

 スムースな進行ではなかったが

おおぜいが集まったところで、フロアから発言するのは、なかなか勇気がいる。「わたしは超高齢者でありますが」と、たしかに相当な高齢と見受けられる町民を皮切りに、発言が相次いだのには感心した。なかには、介護にまつわる恨みつらみを言う人もあり、スムースな進行とはいかないが、そんな本音がでるところが手作りの会の良さなのだろう。 「介護の社会化」の必要性を理屈では理解しながら、やはり家族で抱え込もうとする傾向がみられた。また、それを美徳とする風潮が根強い。年々家族の単位が小さくなっていくが、それ以上に、家庭内での余力がなくなっている。現代社会は、そこで日々生活していくだけでたいへんなテマ・ヒマ・カネがかかる。重力のおおきい「場」なのである。 社会的な介護保障をどのような制度として作るのか、社会保険方式なのか、公費負担方式なのか、といった議論がいっぽうにあり、かたほうでは文化的な障壁を取り除いていくことも求められる。上意下達ではけっして打ち破れない障壁である。

 むづかしい介護の社会化

竹川さんのまとめの発言のあと、予定時間をおおはばに遅れて、町健康福祉課長・中村昌弘さんのあいさつで閉会となった。
なぜ、上市町でできたのか、と自問しながら帰途についた。たまたま役者がそろっていたのか、町当局が協力的だったからか、上市町の住民はじつは民度が高いのか。
多くの興味深い発言などを、この稿ではあえてとりあげなかった。住民の自主的な努力によってシンポジウムが開催され、町民が多数参加した、その事実こそがなによりも大きな成果だと思うからである。実行委員会は、これを単発のイベントで終わらせず継続的な組織にしたい、と意図している。
ぜひ成功させ、富山県を、いや日本をひっぱっていってほしい。

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新川元気人<3> 田園喫茶の草分け

 木本 昇さん



塾経営から華麗なるUターン

 喫茶店受難の時代と言われる。街中から、学生街から喫茶店が櫛の歯を引くように姿を消すようになった。そんな中で、田んぼの真ん中に忽然と洒落た喫茶店が出現する。滑川市、魚津市、黒部市、入善町。ざっと勘定しただけでも5軒はある。どの店も雄大な立山連峰を借景にそれぞれ趣向を凝らした経営で流行っている。「田園喫茶」時代の到来を思わせる。
 その先鞭をつけたのが、入善町木の根にある喫茶店「ダックス・ファーム」の経営者木本昇さん。
 十年前、木本さんは埼玉県川口市で進学塾を経営していた。長期合宿で塾生と寝食を共にし、独特の丸ごと生活指導で経営は順調に発展していた。しかし家族を持って、都会は子供を育てる場所ではないと思い悩んでいるところに、母重病の知らせ。「帰りましょう」の奥さんの一言に促されUターンに踏み切る。
 木の根の農家の生まれながら農業の経験がない木本さんは「喫茶店でもやるしかない」。デモシカ志向ながらそこからがナミの人と違う。徹底して市場調査をやりながら、いつも目の前に広がる山の美しさに圧倒された。国道沿線の山が見えるところに決めかけていたとき「家の前からも同じ山が見える」またもや奥さんの一言。かくして「ダックス・ファーム」が生まれた。
 もともとコーヒー店は西欧文化の香りが決め手であり、家庭では出来ない味わいを提供する場、コーヒーには徹底してこだわっている。原料豆を厳選し、素材を生かす自家焙煎を導入し、これが当たった。今では県内各地から常連客が訪れ、自家ブランドの焙煎豆は県知事にも届く贈答品になっている。
 評判を聞いて、コーヒーについての講演依頼が殺到。ここまでは一つのサクセスストーリーだが彼の真面目はここから。若い客の話の輪に飛び込み、そこからライブコンサート、トークパーテイ、パソコンクラブまで店内で開くようになる。新川地区の文化サロンだ。
 幅広い活動分野は経歴を聞いて納得。昭和32年入善高校1年中退、海洋ロマンに憧れ愛知県高浜海員学校入学、卒業後1年半外航船に乗り組む。高校時の文学への情熱が再燃し雄峰高校通信制を終了、昭和38年慶応義塾大学仏文科に進み、卒業後旅行代理店に就職しツァーコンダクターで海外旅行を経験する。
 なにやら「七つの顔を持つ男」のようだが、文学、海洋、教育、喫茶店と一見脈絡がないように見えて、木本さんの顔は一つのようだ。それは、人生を愛し、人との出会いを大切にし、芸術に夢をかける情熱的な生き方そのものだ。
 入善コスモホール運営委員、PTA役員など地域住民の世話もこまめにこなしている。(濱田實・水尾迅)

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