ひとりごと95A  

北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」 1995(前半)

 北日本新聞夕刊「ドクターのひとりごと」欄に掲載した文章を収録しました。版権は北日本新聞社が所有しております。引用などの際には、掲載日付と出処「北日本新聞」を明記してください。

〈 「ドクターのひとりごと」 目次へ戻る 〉


1994年 1995/01/04 舌の苔
1995/01/18 キーンという音
1995/01/25 金属アレルギー
1995/02/15 みなとみらい
1995/02/28 予約
1995/03/08 ムシ歯ゼロ
1995/03/14 「みぞれ」ちゃん
1995/03/** 歯科疾患実態調査 
1995/04/04 顎がやせる
1995/04/10 消費税
1995/04/18 プレハブ義歯
1995/04/24 日曜日の朝
1995/05/08 ピアス
1995/05/10 MRI
1995/05/22 足と歯
1995/05/31 ヘッドギア
1995/06/05 銀の歯ブラシ
1995/06/19 介護保険に疑問
1995/06/26 鑑定
1995/06/28 どの歯ですか
1995年6月〜


1995/01/04 舌の苔

 「舌が白くなって苦い味がするんです」
 中年のご婦人である。舌の表面が、薄く雪が積もったように白くなっている。舌苔(ぜつたい)といわれるもので、それじたいは特に病的なものとは考えられていない。苦い味がするとも思えない。表面をこすると、ざらついたクリーム状のものが取れてくる。
 ほんらいの色は白いのだが、食物や飲物で色がつくとこもある。コーヒーを飲むと茶色に、青いシャーベットなどを食べると青くなる。色のついた飲食物をとっていないのに黒褐色になるときは、抗生物質などの薬が原因になっていることがある。
 古くなった粘膜上皮、つまりアカかフケのようなものに食べ物のかすが混じり、細菌が繁殖している。口臭の一因にもなると言われている。
 「房楊子」(ふさようじ)を使っている浮世絵を見たことがある。現代の歯ブラシよりも幾分長い棒のはしっこが房状になっていて、この部分で舌をこすっている。ほかにも、舌かき(または舌こき)という薄いヘラ状のものも使われていたようだ。最近、「舌かき」に似た用具が市販されているらしい。買物に出歩く機会がすくないので、市販されている衛生用具には案外うとい。ときたまスーパーなどに行くと、売られている歯ブラシの種類が多いことにびっくりする。そんなぐあいだから現代版「舌かき」もお目にかかったことがない。
 舌の掃除は、仏教とともに身体を清める儀式あるいは作法として伝わったとされている。しかし、舌の表面はデリケートな粘膜であり、味覚を感じる細胞が多数分布している。あまり手荒にあつかうべきではない。せいぜいガーゼなどでぬぐう程度にしておいたほうがよさそうだ。
 舌苔じたいは病的なものではないが、消化器系の病気があるときに多くなるとも言われている。急に舌苔が増えたような場合には体調に変化がないかどうか自問してみるといいかもしれない。

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1995/01/18 キーンという音

 歯を削るときのキーンという機械の音、あれを聞くだけで身の毛がよだつ、と言う人が少なくない。「歯科治療でいやなこと」というアンケート調査をときどき見かけるが、その上位には必ずはいっている。
 高い音をたて、水を霧のように吹き出しながら歯を削る。エアータービンと言って、圧搾空気を吹き付けて風車を回すしかけになっている。一分間に三〇万から四〇万回転する。硬い歯や金属を能率よく削るのために歯科医にとって無くてはならない機械だ。年配の歯科医に聞くと、いろんな新しい技術が入ってきたなかで、もっとも治療のやり方に影響があったのはこの機械だという。ほかには画期的な技術なんてないね、と極論する人もいるくらいである。
 歯科機械を作っている会社へ行ったことがある。作業服を着た年配の技術者らしき人をつかまえて話しかけた。実直な職人といった印象の人だったが、話をしているうちに、そこの社長だと分かった。
 実は、その会社は倒産を経験している。社名の一部を変えて再建されたのだが、倒産の原因がエアータービンだった。アメリカでエアータービンが開発されていたころ、その会社はオイルを循環させる「オイルタービン」なるものを開発していた。日本の独創技術である。しかし、当時の技術ではオイルが漏れないように密閉して循環させるのが難しかった。試作品を何台か大学に納めたものの製品化されるには至らなかった。
 「音は静かだし、回転数を落しても力が落ちない。回転軸のぶれもない。長所はたくさんあったんですがね」と社長は残念がっていた。
 その後、この会社は再び倒産したが、何が原因かは知らない。真面目すぎたのかもしれない。自由競争社会はときには独創技術を失わせる。
 今の技術をもってすれば、キーンという音がでない幻のオイルタービンは実用化できるかもしれない。

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1995/01/25 金属アレルギー

 週刊誌のコピーを持って来院した患者さんがいる。
 「パラジュウムアレルギーだと思うんです。いろいろと症状に思い当たるところがあるので、かぶっている銀歯をぜんぶ外してもらいたいんです」
 週刊誌には金属によるアレルギーの特集記事が載っていて、とくにパラジュウムが大きく扱われている。確かにパラジュウムは歯科用に多く使われている。しかし、話を聞いてみると、かんじんのアレルギーの症状はまったくなくて、副次的にでてくる精神的な症状のみあてはまる。これでは金属アレルギーとは思えない。医学情報過敏症とでも言ったほうがいいだろう。
 アレルギーをおこしやすい金属にはパラジュウムをはじめニッケル、クロムなどがある。それらよりも頻度は少なくなるが、亜鉛、銅などでもアレルギーはおこるし、ほとんどすべての金属がアレルギーの原因になりうる。
 歯科で使われる金属はおおまかに三つの系統に分けられる。金や白金を主成分とした貴金属、銀を主体とした銀合金、ニッケルとクロムやコバルトを成分とするステンレス系の三つである。金合金にしても純金では硬さが不足するので、小量の銅やパラジュウムなどを配合してある。銀合金にも銅・亜鉛・錫・パラジュウムなどが加えられている。
 いちばん安全と考えられるのは純チタンだが、溶融温度が高いうえに硬くて加工がむずかしく、歯科用には使われ始めたばかりで、まだ普及していない。
 いずれにしても、金属アレルギーは皮膚科でパッチテストという検査を受ければ分かることなので、週刊誌の記事で心配するよりも、検査を受けて確かめるのが先である。皮膚科への紹介状を書いて持たせたが、その後なにも連絡がないところをみると、皮膚科には受診しなかったようだ。医学情報過敏症から脱却したのならよいのだが。

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1995/01/30 お歯黒
 
 歯を黒く染める「お歯黒」については時代劇などでご存知のことと思う。約二千年前の中国の書物「魏志倭人伝」に「東方に歯黒国あり」と書かれていて、これが日本だとする説もあるそうだ。卑弥呼の時代からあった風習なのだろうか。
 平安時代には宮廷の公家や貴族たちは男女ともお歯黒をしていた。平家の武者たちも歯を黒く染めて出陣したが、それがアダとなって源氏の落武者狩りにひっかかったと伝えられている。
 豊臣秀吉もお歯黒をしたという。黒い色は他の色に染まらない。だから、主君に忠節を誓うしるしだともいう。江戸時代になって、庶民にも広まったが、女性だけの風習であった。これも、「二夫にまみえない」との貞節のあかしだったと言われている。
 明治の初め、文明開化を進める政府は、ちょんまげの廃止などとともに「お歯黒廃止」の大政官布告をだしたが、昭和の初めまで歯を染める風習は残っていたらしい。いつごろの品かはわからないが、入れ歯用の黒い歯を見たことがある。きちんと印刷された厚い台紙のうえに並べられていた。明治だとしてもかなり後期のものだと思う。このような黒い歯が製品として出回っていたことは、お歯黒の習慣がかなり広く残っていたことを示している。
 ところで、お歯黒をした歯は虫歯になりにくい。鉄とタンニンを主成分とする被膜をつくるために、酸に溶けにくくなる。このことにヒントを得て、虫歯予防、進行防止の薬剤が作られた。色が黒くなるのが難点だが、乳歯の前歯にはよく使われている。現代によみがえった「お歯黒」治療に使われるのは銀とフッ素を主成分とした薬剤である。
 これを塗ってもすぐには黒くならない。一日くらいたってから色が黒くなってくる。効果を持続させるためには、歯磨きを励行するとともに半年に一回くらいの割りで塗布を繰り返すとよい。

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1995/02/15 みなとみらい

 障害者歯科学会に参加するために横浜へ行った。
 「ただいま入場制限を実施中です。まことに恐れ入りますが、いましばらくお待ちください」
 駅を出たとたんに、人混みのなかに紛れ込んでしまった。京浜東北線の桜木町駅で下車したが、そこが「みなとみらい21」の玄関口とは知らなかった。大きな観覧車や帆船のマストが見える。地図をひっぱり出して確かめると学会会場は逆の方角だ。人混みを抜け出して、迷い迷いしながら学会会場へ向かった。
 障害者といえば発達障害や脳性麻痺が中心だが、脳卒中などによる後天的な障害を持つ高齢者をどうするか、というのもホットな課題のひとつである。
 言語・運動などの機能障害はあっても、元気なころのプライドを失っていない。聴診器をあてようとしたら、「お前みたいな若造には診てもらいたくない」と手で払いのけられた、と語る医師もいる。その人の過去の職業や学歴などにも注意して、常にプライドを傷つけないことを念頭においていなければならない。
 歯・口の分野では、食べる機能(摂食機能)の回復が主要な課題になる。赤ちゃんが機能を獲得していくのと逆の順序で機能を喪失すると思っていい。たとえば、摂食機能が失われているのに言語機能が回復するはずがない。機能の発達段階にそって順序だてて訓練していく必要がある。機能障害があるのに入れ歯を入れても、役に立たないばかりか誤って飲み込む危険さえある。治療と並行して機能回復訓練をしなければならない。
 しかし、このような訓練をする専門家がほとんどいない。私たち歯科医も、そのような教育を受けていない。今回の学会には理学療法士が参加していた。この分野の仕事に取り組むようになってきたのは心強い。富山にも理学療法士・作業療法士の学校を作ろうという動きがある。ぜひ実現してほしい。

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1995/02/28 予約

 晴れた日曜日、スキーに出かけた。滑べって疲れるよりも、リフトの行列に疲れる。昼食には早いが十一時すぎにレストランにはいった。半端な時間のせいか、さほどこんでいない。テーブルふたつほど離れたところで、中年の男性ふたりがビールを飲みながら大声でしゃべっている。
 ぼんやり窓の外を眺めていたら、「予約だって言うけどさあ、あれじゃあな、予約にならんわい」と聞こえてきた。目はあっちのまま、耳をこっちに切り替える。歯科医院に通っているが、予約制だといいながら、こみ合っていて、待たされた。同じ時間に二人も三人も予約を入れるなんてけしからん。受け付けの女の子に文句を言ったら、それでもやっぱり予約なんだとさ・・・
 耳が痛い。最近は予約制の歯科医院が多くなっている。歯の治療は、歯科医自身の手作業である。だから、ひとりひとりの患者に時間を確保したい、という事情がある。が、予約とはいいながら、かなりの待ち時間がかかることがある。
 予定した以上に治療に時間がかかることもあるし、予定外の急患がはいれば、そのぶん遅れがでる。また、勤め帰り・学校帰りの時間帯には予約の希望が集中するから、少々無理をして予約に詰め込むことになる。
 スキー場のリフトもそうだが、待つのはいやなものだ。待たせるほうだって大変なのだ。私のところでも、予約制をとるまえは、三時間待ち・四時間待ちはふつうだった。夕方六時に受け付けを終了して、診療の終わるのが九時・十時になる。職員もよく頑張ってくれたものだと思う。
 信号機があっても渋滞は起こるが、なかったら、停滞になるだろう。あてにならない予約制でも、交通整理の役目は果しているのではないか。こんな弁解では納得してもらえないかもしれない。いやはや、晴れた日曜日のスキーは疲れる。

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1995/03/08 ムシ歯ゼロ

 東京都内の保健所のスタッフがまとめた「ムシ歯ゼロの子育て事例」という報告がある。この種の調査は、むし歯のない子のほうが何も努力していない、もともと歯が強かった、という結果になりがちだ。
 だから、変なことを調べたものだ、との第一印象で、そのまま読まずに雑誌専用の棚に片付けようとした。この棚に片付けてしまうと、よほどのことがないかぎり再び引っ張り出すことはない。
 ところが、著者の名前に目がとまった。おや、あの子じゃないか。「子」なんて失礼か、もう立派な中年のはずだ。まだ二十代前半のころに、病院で一緒に働いていた歯科衛生士である。結婚して姓は変わっているが間違いない。
 そんなわけで読んでみることにした。
 統計調査でないところがミソである。ムシ歯になりにくい素質を生まれながらに持っているような事例は除いている。努力型の優等生は少なく、「宝探し」のようだったと書いている。
 ムシ歯予防の基本は食生活である。三度の食事をきちんと食べることが第一。「夜のご飯は、茶碗一杯、味噌汁一杯、おかずは出ているものを最低一口ずつは食べること」と約束しているお母さんがいる。「なんでもよく食べるので作りがいがある」と語るお母さんは、おそらく料理がもともと好きなのであろう。
 次に間食。大きな袋にお菓子を詰めておいて、毎日決まった時間に、そこから好きなものを選んで食べる、との工夫。遊びながら、テレビを見ながら、といった「ながら食い」をしない、とのしつけ。
 生活リズムが安定していることも特徴だ。夜ふかしすれば、おなかがすいて間食し食生活のリズムも乱れる。
 それぞれに、特にきゅうくつな思いをしていないようだ。自然な日常生活の一部になっている。何でもないことのように感じる、それが大切なのかもしれない。

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1995/03/14 「みぞれ」ちゃん

 「みぞれ」そして「猫」
 受付から電話のメモを渡された。これでは判じものだ。
 「何、これ?」
 「今朝あずけた猫のみぞれちゃんが元気ですか、と聞いておられます。せんせい、猫をあずかったんですか」
 受付の職員と私と、不思議そうに顔を見合わせた。我が家にも猫はいる、名前は「テト」。四代目なのでギリシャ語の四を意味する「テトラ」の一部、それとアニメ映画「風の谷のナウシカ」にでてくる動物の名前にちなんだ自慢の命名である。たしかに「まだら」模様だけど「みぞれ」ですか、猫の友だちを預かった覚えはないし、などと思い巡らしていて、あ、と思い出した。
 ある獣医さんのところと電話番号が似ているらしく、間違い電話がかかることがある。「お世話になっているゴンちゃんは元気ですか?」なんてのもあったっけ。入院中のペットを気遣っての電話だ。気がせいているから、電話がつながって「はいオグマ歯科医院です」と答えたのも耳にはいらなかったようだ。一件落着、やっぱり間違い電話だった。猫の「みぞれ」ちゃんも、きっと入院中なのだろう。
 ちかごろはペットにも歯の病気が多いという。虫歯はもとより歯周病(歯槽膿漏)にかかる犬や猫が多いらしい。ペットの食生活があまりに文化的・人間的になりすぎたためだ。野性の動物には虫歯や歯周病はない。ペットの歯の病気の治療や予防については、残念ながら知識を持ち合わせていないので、何もアドバイスできない。
 間違い電話はお互いさま、もしかして、獣医さんのところにもかかっているかもしれない。・・・・歯を治してほしいんですけど・・・・はい、ネコちゃんですか、ワンちゃんですか・・・・え?わたし人間です・・・・なんて、とんちんかんな会話を想像して笑ってしまった。
 電話は番号をよく確かめてからかけましょう。

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1995/03/** 歯科疾患実態調査

 六年に一回、全国を対象にして歯科疾患の実態調査が行なわれている。かたよりのないように選ばれた三百地区で約一万人を調査している。平成五年一一月に行なわれた調査が最新のものである。
 それによると三歳から八歳までの子供の虫歯は目だって減少している。三歳から五歳までの子供の虫歯の減少がとくに著しい。昭和六二年とくらべると虫歯のない子が約一〇%増えている。
また、虫歯の程度も軽くなっている。歯の検診のとき「シーいち、シーに」と言っているのを聞いたことがあると思う。シーはC、カリエスの頭文字。虫歯の略称。一から四度まであって、数字が大きくなるほどひどくなる。昭和五六年には三度・四度の進んだ虫歯の率が三五%ほどあったのが、平成五年には約一五%になっている。
 検診や診療に関わっている者としては、そんなに良くなっているのかな、と首をかしげたくなるのだが、平均すればそういう結果になるのかもしれない。子供だけではなく、成人における喪失歯数、すなわち抜けた歯の数も減少していて、全国民的に歯の健康状態は改善されてきているようだ。子供については、保育園の歯科検診が義務付けられたことが大きく作用しているのではないかと思う。
 歯みがきの回数にも大きな変化がみられる。一日一回の人が、かつては大半だったが、今では二回の人が最も多い。昭和四四年には一日二回以上歯みがきをする人は一回の人の三分の一以下だったのが、いまは完全に逆転し、二回以上の人が二倍近くになっている。最近では会社の昼休みに歯を磨く人が増えてきた。歯の健康のため、というよりエチケットとして定着したきたようだ。
 たしかに平均すれば良くなっている。しかし、言葉はわるいが「落ちこぼれ」のような無惨な状態の子がクラスに一人か二人はいる。統計数値だけでは喜べない。

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1995/04/04 顎がやせる

 「去年の夏、妹が病気しましてね。死んでしまったんです。悲しくて悲しくて、食事ものどをとおらないんです。しょげてばかりいても仕方ないんですけどね」
 六十歳代後半の婦人である。入れ歯が合わなくなったので作り直してほしいという。たしかに顎がやせてしまって入れ歯と顎の間にすきまができている。重い病気をした場合などは二・三ヵ月のうちに顎がやせて入れ歯が合わなくなることがある。聞いてみると、つい最近まで入院してました、と言われることが多い。だから、何気なく「病気でもされたのですか」とたずねた。その答えが本人の病気ではなく、妹の不幸だった。
 親にしても先輩にしても、歳上の人が亡くなるのは、ショックには違いないけど「順番だ」という意識がある。だけど、歳下の身内や友人が亡くなると、そんなはずじゃない、という思いが加わってショックが余計にひどい。と、歳下の友人の葬儀に行った人が語っていた。涙が流れて止まらなかったという。身内ならなおさらのことだろう。
 「先立つ不孝」は、よく「先立つ不幸」と間違われるらしいが、たしかにまわりに大きな不幸をもたらす。誤記のほうが本当のような気がしてくる。「一所懸命」と「一生懸命」の場合にはほんらい誤記である後者のほうが幅をきかせている。やがて「先立つ不幸」のほうも認知されるかもしれない。
 いずれにしても、本人の病気や身内の不幸などのストレスによって、俗に「土手」といっている顎の骨の一部が吸収されてしまう。元の入れ歯は合わなくなり、新しい入れ歯も、安定させるのがより難しくなる。こんな時、身体の他の部分の骨はどうなっているのだろうか。細くならないにしても、弱くなっているのではないかと心配になる。
 入れ歯は作り直しましょう。しかし、早く立ち直って元気になってください。

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1995/04/10 消費税

 富山出身の税法学者、北野弘久日本大学教授のお話を伺ったことがある。以前に同氏の著書を読んだことがあるが、門外漢の私にはむずかしくて途中で放りだしたくなった。ある集会の午後の部の講演だった。おなかもふくらんで、これは居眠りするのではないか、と失礼ながらも予感した。ところが、軽妙なたとえ話をまじえながらの歯切れのいいお話に、眠気がふっ飛んでしまった。
 税金をいかに集め、いかに使うか、それが国家の基本だという。税金を食べる生き物のようだ。草を食べて牛馬のごとくに働く国家ならいいのだが、食っては寝ているナマケモノでは困る。
 消費税が創設されたとき、保険医療は除外された。だから、窓口での健康保険の一部負担金には消費税がかからない。世事に疎い医療人には、それが何を意味しているか分からなかった。一種の優遇だと思っていた人も多い。
 除外するというからには、使用する医薬品や医療材料、水道光熱費から病院給食の材料費まで、すべての消費税が除外されるのがスジである。が、すべてに消費税がかかってくる。結局、その分がぜんぶ医療機関の負担になってしまった。
 昨年一一月から一二月にかけて、主だった全国紙が消費税の世論調査を行なっている。その結果を並べた資料がある。消費税増税に反対の人がいずれも七割前後なのに対して賛成は三割以下だ。これだけはっきりした世論が国政に反映されないなんて、日本の政治の仕組みはどうなっているのだろうか、小選挙区制になって大政党本位の選挙になったら、よけいに世論と政治が離ればなれになってしまうのではないか、と心配になる。
 いずれにしても消費税が三パーセントから五パーセントに増税になることがすんなりと決まってしまった。
 さいごに北野教授の名言を引用しておきましょう。「消費税は税金のエイズだ」

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1995/04/18 プレハブ義歯

 阪神大震災で被害にあったお年寄りの七割が入れ歯をなくして困っているそうである。入れ歯を外して寝ている最中に地震にあって、いのちからがら逃げるのが精いっぱいだった人が多い。奥尻島の津波災害のときも入れ歯をなくした人が多く、大学関係者らのボランティアグループが入れ歯を作るために島へ渡った。
 神戸では、愛媛の歯科医らが「大震災入れ歯救急隊」を編成して活動している。通常、入れ歯を作るには一カ月程度かかる。しかし、応急的にその日のうちに作ってしまう方法を考案し、たいへん感謝されていると報じられている。ある特定の波長の光をあてるとすぐに固まるプラスチック材料がある。最近実用化された技術で、材料じたいも関連機械も高価なものだが、これを駆使して作る。手間とコストは無視である。
 アメリカに「プレハブ義歯」と呼ばれるものがあると聞いたことがある。入れ歯をいくつかの既製品の部品に分けてあり、それを組み合せて、プラスチック材料で連結する。たしか通信販売で一般の人が購入する商品だったと思う。自分の顎の寸法を測って注文する。さすが通信販売の先進国といわれるだけのことはある、と感心した記憶がある。
 ただし、歯科医の側からは批判されていた。それももっともである。ただ形だけ入れ歯ができればいいというものではない。顎、舌、頬の動きなど、入れ歯を作るためには考えに入れなければならないことが多い。専門家がやってもなかなかうまくいかないのに、通信販売で半既製の入れ歯を売るなんて言語道断というわけである。
 震災の救急入れ歯の話を聞いて、アメリカの「プレハブ義歯」の部品を歯科医が使えば、もっと効率的に作れるかもしれない、と思った。が、医療材料の輸入には厳しい制限があって、とても救急の用には間に合わないだろう。

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1995/04/24 日曜日の朝

 「五歳の子なんですけど、下の前歯がぐらぐらになっているんです。今日、抜いていただけますか」
 日曜日の朝の電話である。もしかして曜日をかんちがいしているのかもしれない。
 「今日は日曜日なんですけど」
 「ええ」
 今日は日曜日で、休み、それは承知のようだ。前日からぐらついているのに気づいたという。五歳から六歳ならば、永久歯に生えかわる時期だ。それもご承知のようだ。
 あわてることはない。乳歯の根がだんだんに溶かされて短くなり、やがてポロリととれて永久歯が出てくる。乳歯が抜けないうちに裏側から永久歯が出てきた場合などは抜かなければならない。たしかに最近の子供は顎がちいさいためか、正常に生えかわらなくて、乳歯を抜かなければならないことも多い。その場合でも、一刻をあらそうようなことではない。
 いまにも抜けそうなくらいぐらぐらになった乳歯を抜くときに、以下に示すような「遊び」をすることがある。
 軽く麻酔しておいて、デンタルフロスという糸で歯をゆわえる。歯と歯の間を掃除するための糸だが、細いナイロンを撚り合わせてあって、とても丈夫にできている。糸の片方が輪になるようにむすんで、子供に持たせる。
 「さあ、ひっぱってごらん。いち、に、の、さん ・・・・ ほら、ぬけた」
 糸の先にぶら下がった歯を見ると、たいていの子は、びっくりしながらも、得意顔になる。すごいだろ、自分の手の力で抜いたんだ。糸の先に歯をぶら下げたまま、意気ようようと母親のところへ引きあげる。
 さて、電話のお母さんから最後の質問である。
 「下の歯が抜けたら、屋根の上にほうり投げるんでしたっけ」
 若いお母さん方は、知識は豊富なのだけれども、その知識、どこかアンバランスなようだ。

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1995/05/08 ピアス

 最近では、若い男性がピアスをしているのを見かけることがある。耳たぶに穴をあけて飾りをつける、親から授かった身体にわざわざ傷をつけるなんて、男までも、ああ嘆かわしい。と思う年配の人は多いことだろう。私もそう思うのだが、実は、原始時代には、そんなことは当りまえだった。
 ある博物館で一枚の写真を見た。それは、愛知県渥美郡渥美町、伊川津貝塚で発掘された縄文人の骨だった。推定年齢一六〜一七歳の男性の頭部の写真だ。上の左右二本の犬歯と下の前歯四本、合計六本が抜けている。抜けたのではなく、わざわざ抜いたものである。さらに、上の前歯四本がノコギリの刃のように削られている。まん中の二本は山が三つできるように、その隣の二本は山が二つできるように削られている。考古学では叉状研歯(サジョウケンシ)といい、抜歯とともに縄文人にはひろくみられる風習だったようだ。
 麻酔もなければ、モーターもない時代である。犬歯なんかは根が長くて抜きにくい歯である。歯をつかむペンチのような器具もない。痛みをこらえ、石などでたたいて、脱臼させて抜いたものだろうか。歯を削るのも大変なことだ。そうとうな時間をかけて、たぶん砥石か磨き砂でこすったのだろう。もしかしたら、専門の歯抜き師や歯削り師がいたのかもしれない。
 痛い思いをして、手間ひまかけて、せっかくの健康な歯を抜いたり削ったりするのは、成人にともなう通過儀礼だったと考えられている。結婚するときや近親者が死んだときには追加したようだ。再婚すると、また追加する。何回も再婚すると歯がなくなってしまうかもしれない。
 こんな風習が現代にリバイバルしないでほしい。虫歯でもない健康な歯を、抜いてほしい、削ってほしい、穴をあけて飾りを入れてくれ、と若者がやってくる・・・・想像するだけでゾッとする。

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1995/05/10 MRI

 MRI検査を受けた。磁気共鳴画像診断とかいう難しい名前がついている。体内の水素原子の状態を強力な磁石の力を借りて映像化する検査である。とはいっても、どうしてそれで写真になって写るのか、やっぱり不思議だ。
 検査装置はたいへん高額なものと聞いている。装置もさることながら、まわりからの磁気や電磁波の影響を受けないようにするには、検査室をつくるにもずいぶん費用がかかるだろう。
 「時計や指輪などの金属製のものは外してください。撮影には二〇分くらいかかります。その間、うごいてはいけません。つばを飲み込んでもいけません」
 そう指示されて、台車のようなものに乗せられ、人間がぎりぎりはいれるくらいのトンネルのなかへ入れられる。火葬場の焼却炉を連想した。狭い。相撲取りは入れないだろうな、とよけいな心配。中は明るいので、さほど圧迫感はない。じっとしているのはあんがい辛い。何かのはずみに動いてしまいそうな気がしてならない。しらずしらず腕に力がはいってしまう。
 カタンカタン、カリカリカリ・・・と、装置の音はけっこうにぎやかである。時間がかかるのは、いろんな方向から撮影するせいもあるが、感度が低いためらしい。いまのカメラは高感度フィルムを使えば室内でもフラッシュをたかずに撮影できる。江戸時代のころの写真はひなたで何分間かじっとしてないと写せなかった。それと同じ理屈である。
 一般の産業技術は進歩とともに生産性があがり、コストダウンするのが普通である。しかし、医療技術は進歩するとともにコストがかさむことが多い。検査費用もけっこうかかるのだろうな、と思っていたら、支払い額はさほどでもなかった。これじゃ赤字になってるのではないかな、と心配になるほどだった。
 ところで、結果は・・・・「第六と第七の椎間板ですね」
 言われるまでもなく、おどろくほどはっきりと写っている。

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1995/05/22 足と歯

 「入れ歯を入れたら、ながいあいだわずらっていた足の痛みがとれました。こんな不思議なことってあるんですか。整形の先生に聞いたら、そういうこともあるんだ、といわれましたけど」
 年配の男性である。足の痛みにはずいぶん悩んでいたらしく、おおよろこびなのだが、どうしてこうなるのか、何だかだまされたような気がしているようだ。
 私のほうは、足のことなど知らずに、悪い歯を治していただけである。たまたま、歯の治療をしたら、足の痛みがとれた。しかし、これは偶然の一致ではない。人間は、重たい頭をてっぺんに、背骨を柱にして二本足で立つている。つねに前後左右にバランスをとっていなければならない。だから、どこか一部でバランスがくずれると、ほかのところに無理がかかる。
 先の例とは全く逆の場合もある。
 「足にケガをしたら、いままで何ともなかった入れ歯が急に合わなくなった」
 と言ってきた人もいる。あわてて入れ歯のほうを作り直したら、足のケガがなおったときに、また合わなくなるかもしれない。
 「腰がいたいんです」といって来た人もいるが、これはおかど違いというものだ。
 あくまでも全体のバランスが問題なので、足が痛い、腰が痛い、肩が痛い、といった症状をなんでもかんでも歯の噛み合わせに結びつけるのは早計だ。しかし、背骨がひとつなくなった、とか、片足の骨が短くなった、といったことは起こりにくいが、歯は抜けたり欠けたりすり減ったりする。変化しやすい。だから、全体のバランスの影響を受けやすいし、逆に影響も与えやすい、とは言える。
 全体のバランスというのは、要するに姿勢である。
 歯を疑う前に、まず、ふだんの自分の姿勢をチェックしてみてほしい。まっすぐな姿勢にしようとするのを、何かがじゃましていないか。テレビを見るときの姿勢なども要注意だ。

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1995/05/31 ヘッドギア

 オウム真理教のおかげで「ヘッドギア」という言葉が広く知られるようになった。ヘッドは頭、ギアは道具の意味だ。教祖の脳波をコピーした電流を頭にながして、意識をつくりかえる、そんなことが簡単にできるなら、試験勉強なんていらない。こんないかがわしいイメージが広まったために、迷惑している人々がいる。
 ヘッドギアを使用している障害児がいる。てんかん発作をおこして転倒したときにケガをしないようにするためだ。薬物療法が進歩して、ひどい発作にたびたび見舞われる患者は少なくなっているようだが、それでもなかなかコントロールしきれない人がいる。
 私たち歯科医も歯並びの治療のためにヘッドギアを使うが、こちらのほうがオウムのものに似ているかもしれない。もちろん、電極やコードはついていない。それでなくとも指示したとおりに使用させるのに苦労しているのに、今回の騒ぎで、きちんと使わせるのがよけいに難しくなるのではないかと心配している。
 オウムの施設から保護された子供たちのなかにはヘッドギアをかぶった姿も見られた。その後の調べで、身長・体重が一般の子供に比べて劣っていることが明らかになったという。なかには、育ちざかりの四〜五年の間、ほとんど成長していない子もいたようだ。
 食事や睡眠が不足していることもあるだろうが、いちばん問題なのは愛情の欠乏である。施設などに収容されて、人の愛に触れることが少ないままに育つと、心身の機能の発達が遅れ、病弱になり、身体そのものが成長しなくなる。これを「ホスピタリズム」という。子供を収容する施設の運営には、忘れてはならない概念である。
 オウム教団には少なからず医師や元教師がいた。彼らが知らなかったとは思えない。あの子たちに必要なのはヘッドギアではなく愛情だったはずである。

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1995/06/05 銀の歯ブラシ

 「ゴッドマザー」とはいってもマフィアの女親分ではない。名付け親という意味である。ゴッドファーザーも、ほんらいはやはり名付け親の意味である。キリスト教の洗礼に立ち会うだけの場合もあるようだから、日本語でいう名付け親とは少し違うようだ。
 しかし、東洋でも西洋でも、本当の親子でないのに親子の関係をつくる習慣があるのはおもしろい。しかも、その呼び名が極道の世界に残っているのも共通している。「親方」や「親分子分」なども、ほんらいは名付け親、仮親という風習のなごりだという。古くは「拾い親」、「烏帽子(えぼし)親」、「仲人親」とも呼んだらしい。
 イギリスではゴッドマザーがゴッドチャイルドに、つまり名をつけた子供に、銀の柄がついた歯ブラシを贈る習わしがあるという。その実物を見たことがあるが、およそ実用的とは思えなかった。柄が短い。五センチもあるだろうか。手に触れてみることはできなかったので、もしかしたら中空になっているのかもしれないが、見るかぎりではいかにも重そうだった。毛はたぶん豚毛であろう。毛の部分が大きすぎる。
 実際に使ったものかどうかわからない。飾りものだったのかもしれない。それにしても、歯ブラシを贈るという衛生意識にはおどろかされる。
 銀の歯ブラシから銀の匙を連想した。
 中勘助の名作「銀の匙」は、その題名のとおり、銀の小匙が話の発端になっている。身体が弱かった幼少のころにそれで薬を飲まされていた。銀の匙を求めてきたのも、薬を飲ませてくれたのも伯母である。・・・・あとは作品を読んでいただくとして、心の鍵穴にさしこまれた鍵のように、一本の匙が幼い日々の想い出の扉を開く。
 イギリスの銀の歯ブラシは、名付け親のかわりに子供を見守っているのであろう。そして銀の匙のように心の鍵になることもあるかもしれない。

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1995/06/19 介護保険に疑問

 いま、介護保険の創設が準備されている。従来、国または地方自治体の責任のもとに公費で行なわれてきた社会福祉のうち、老人の介護を切り離して「社会保険」にしようというものだ。国民年金のように、若いうちから保険料を納めなければならなくなる。
 「ケアマネージャー」なる管理者のもとで誰にどんな介護をするかを決め、看護婦、ホームヘルパーはもとより医師も将棋の駒のように動かされることになるようだ。そのサジかげんひとつで、家庭が崩壊するような悲劇も生じかねない。
 介護人がいなければ歯の治療に通うこともできない老人がたくさんいる。入れ歯の手入れ、歯磨きなども、介護人に頼らなければならない人がたくさんいる。介護が手厚く行なわれるようになるなら、私たち歯科医にとっても喜ぶべきことだ。しかし、そこまで手がまわるのだろうか。すでに民間の保険会社が、国の保険では足りないところを補うための保険商品を検討しはじめている。甘い期待はできないようだ。
 時代を千二百年ばかりさかのぼって、奈良時代の話。奈良の大仏様が造られ、全国に国分寺が建てられたことからうかがえるように、仏教的ヒューマニズムが基礎にあった。唐の国をみならって律令政治が完成した時代でもある。
 考古学者の佐原真氏によると、当時の奈良では七〇歳になると「付け人」つまり介護人がつけられ、年齢が増すにしたがってその人数が増え、百歳になると五、六人にもなったとのことである。費用は全部国家が保障してくれる。残っている史料によると、七七三年、奈良の人口は約一〇万人で、八〇歳以上の人が九九〇人、九〇歳以上が一〇四人、百歳以上が二人いた。(佐原真「騎馬民族は来なかった」NHKブックス)
 千二百年後の今、日本の政治家は奈良の大仏様の顔をまともに見れるのだろうか。

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1995/06/26 鑑定

 白骨死体の歯の鑑定を頼まれたことがある。約一五年前に私のところで治療したことのある人だった。本人であるかどうかの確認である。
 検視の所見と写真を見せて頂いたが、それだけでははっきりしない。現物を見せて頂くことにした。さいわい、こちらには治療記録とレントゲンフィルムが残っている。
 治療した当時の状態と一致する部分、一致しない部分をチェックする。当時あった歯で死体にはなくなっている歯があるが、まわりの骨の変化から、抜けたのは最近であろうと判断できる。しかし、それだけでは偶然おなじ歯が抜けたり残ったりしていることもありうる。治療の痕跡を調べる。入れ歯は、私のところで作ったもののようだ。それぞれに作り方や使っている材料に特徴があるから、ある程度の見当はつく。さらに、虫歯に詰めものをした部分の位置と材料も一致した。
 これだけ一致すればまず間違いはないだろう。が、念には念をいれて、根の治療をしてあった歯のレントゲンを撮影して、比較した。ぴったりである。もう間違いない。
 これで一件落着、と思ったら、警察の方から質問である。
 「本人であることを何によって確認されましたか」
 「え?」
 最初は、何を聞かれたのか分からなかった。何度か聞き返して分かった。一五年前に受診したとき、その人であることをどうやって確認したか、という意味である。なるほど、捜査というものはそこまできちんとするものなんだな、と感心させられた。
 「保険証で確認しています」
 と答えたものの、保険証には写真が貼ってあるわけではないので、確認の手段としては確実なものかどうか疑問も感じる。家族みんなで使うのに一枚しか交付されない、資格がなくなってもすぐには回収されない、など、保険証には改善してほしいことがたくさんある。

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1995/06/28 どの歯ですか

 奥歯が痛いという患者さんが来院した。
 銀歯のかぶっているところが痛い、絶対にその歯だ、と言う。見ると、その隣に虫歯がある。どうも痛いのはその虫歯のように思えるのだが、本人は絶対に銀歯だと頑張る。その歯は数年前に私が治療した歯である。治療したのに痛くなった、といいたげなのが伝わってくる。
 口の中は感覚の敏感なところだ。髪の毛が一本はいっても、すぐにそれとわかる。ところが、位置感覚にはわりといいかげんなところがあって、しばしば上の歯だか下の歯だかわからなくなることがある。隣近所の区別はむしろわからないほうが多い。
 痛みは本人にしかわからない。さいごには本人以外に確認しようがない。器具で軽くたたいてみたり、空気を吹きかけたり、水をかけてみたりして、反応を聞く。
 やはり銀歯の隣の虫歯が原因のようである。ところが、それでも納得しない。手鏡を持たせて、見せながらやってみたが、それでも首をかしげて、やっぱり銀歯ではないかと言う。
 こうなると、もはや説明の限界である。インフォームドコンセント(説明と同意)が最近やかましく言われるようになったが、このように、説明そのものが伝わらないのではお手上げだ。かといって、納得していないのに治療に手をつけるわけにもいかない。
 虫歯の穴を薬でふさいでおくことにした。これで何日か様子をみましょう、と切り上げた。
 ところが患者さんは不満顔である。せっかく来たのに、それっぽっちしか治療しないのか、と言う。違うと思っている歯を削られるのは納得がいかないでしょう。私も違うと思う歯を削るわけにはいきません。いま、仮の処置をしたので、痛みが少しはおさまると思います。そうやって確かめてからでも遅くないでしょう。と、言い渡した。
 インフォームドコンセントはなんとも手間がかかる代物である。

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