BYPASS09  
 
機関紙誌等に発表した雑文を掲載しています。


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あけましておめでとうございます   2009.1.1




「敬財学」は破綻した

 大阪で、失業中の元派遣労働者が餓死した。所持金は90円だったという。
 雇用は鉛筆のごとくあるべし。正社員は鉛筆の芯であって、真ん中にわずかに存在するだけでいい。まわりを契約社員やパート、派遣で固めればいい。経済財政諮問会議や規制改革会議で、そんな主張がまかり通った。無残な結末が、いま目の前にある。
 トリクルダウン理論によれば、金持ちが大金持ちになると、金は流れ流れて、やがて国全体が豊かになる。企業あっての国家、企業あっての国民だ、と某グローバル企業のリーダーが訓をたれた。その会社が、まっさきに派遣切りを断行した。
 金融工学といういかめしい学問が、難解な数式を駆使してゴミを金に変え、世界じゅうにばらまいた。やがてゴミはゴミに戻った。
 誤りでも行き過ぎでもない。抵抗勢力のせいでカイカクを徹底できなかったためにこうなった、とのたまう御仁がいる。格差はカイカクのせいではないし、そもそも格差があってどこが悪いのか、とのたまう御仁もいる。いずれも政財界に覚えめでたい学者である。
 「敬財学」は破綻した。経世済民の経済学が復興することを願う。

「とやま保険医新聞」09.01 コラム「バイパス」




「つどい」に参加して

 堤未果さんの著書「貧困大国アメリカ」を読んだ時、この人はいったい何者だ?!と驚いた。経歴をみると、年齢は不詳ながら、若いことは確かである。地獄耳と千里眼を兼ね備えた超能力者じゃなかろうか─とまでは言わないが、これだけ広く現場を見聞きし、背景を把握し、まとめ上げていくとは、タダモノではない。
 次に読んだ「マガジン9条」での発言からは、平和憲法への思いも並々ならぬものが感じ取れた。9条、そして25条、19条の大切さを強調する。女性には失礼かもしれないが「サムライだ」と思った。
 じつは、堤未果さんの講演があるというだけで、「集い」への参加を決めた。講演は期待を裏切らないものだった。ぜひ、ご本人の承諾を得て、内容を活字にしてほしいものだ。
 「集い」が終わって数日後、なにげなくテレビのスイッチを入れたら、「一本の鉛筆」の曲が流れてきた。美空ひばりが第1回広島平和音楽祭(1974)で歌った反戦歌である。彼女はこの曲に強い思い入れを持っていたという。自ら「持ち歌ベスト10」にもリストアップしている。歌詞の一部を紹介しよう。(松山善三詩・佐藤勝曲)
 一本の鉛筆があれば 私は あなたへの愛を書く
 一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く
 一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く
 ときには戦争と平和を真正面から考える場が絶対に必要だ。この散らかったアタマを整理するために。大げさなイベントでなくてもいい。気軽に楽しく実現できるプチ・イベントを広めよう。ピース・カフェなんてどうだろう。
 そして普段は、なにげなくさりげなく、一本の鉛筆や、一杯のコーヒーや、雨や風や、もろもろの日常の中で、平和と人間への愛を自然な所作にできるような、そんな感性を身につけたい。凡夫には高望みと分かってはいるけれど‥

2009.1.25 「核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会」会報



協会設立30周年

 「ひと昔」は10年ではなく、古くは33年だったという。古人の言う「ひと昔」まえに構想がもちあがり、2年間の「準備会」をへて富山県保険医協会が設立された。
 設立当初の協会は、周りから疎まれ遠ざけられていた。先輩などから退会を勧められた会員は数知れない。県あてに出した文書への返事が県医師会あてに送付されたこともあった。しかし、医療が危機にさらされるたびに、協会はまわりから見直され、存在感を増してきた。
 協会設立30周年の式典には、県知事をはじめ政界や医療福祉関係など錚々たる顔ぶれがそろった。これだけの面々が一同に会することは滅多にあるものではない。各界の方々が入れ代わり立ち代り協会への期待や連帯の言葉を口にする。まさに隔世の感がある。
 杯を高く、と乾杯を宣言した田中元会長の言葉には、感慨がにじみでていた。
 これからの時代、団体や組織が単体で力を発揮することは難しい。さまざまな方面との連携、そして国民の支持がカギを握っている。協会の特徴は、ネットワーク力が卓越していることにある。協会自体の発展はもとより、さらなる連帯の輪が広がっていくことを願う。

「とやま保険医新聞」09.10.25(318号)コラム「バイパス」



堤未果さんの講演を聞いて

 アメリカでの入院体験記を読んだことがある。
 心臓の不調で入院。幸い病状は深刻ではなく、検査と点滴だけ。2泊3日の入院となった。
 通知された医療費は約1万6千ドルだったという。会社で入っている医療保険の契約病院だったので、約2割の自己負担で済んだ。退院後はすぐに復職できたようだ。
 このケースは幸運だったといえる。もしも、より緊急を要する状態で契約外の病院に担ぎ込まれたら… もしも、長期の入院が必要になったら… もしも、復職できなかったら… 結末は「医療費破産」である。

 米国で自己破産に陥る主な原因はクレジットカード、離婚、医療費である。その中でもっとも多いのが医療費破産で、半分以上を占めるといわれている。
 「無保険者」ではない。民間保険に加入している中産階級というべき人たちが医療費破産の75%を占める。
 こんな状況にありながら、クリントン政権時代に公的保険の構想は挫折し、いまオバマ政権も四苦八苦している。堤氏によれば、民間保険会社と製薬会社の巧みなメディア戦略とロビー活動が行く手をはばんでいるという。

 メディケイドとメディケアというふたつの公的医療の制度はよく知られている。もうひとつ隠れた公的医療に「退役軍人病院」がある。
 軍のリクルーターが入隊を勧誘するときに、奨学金とともにもっとも有効な「販促ツール」になっている。医療費の心配をしなくて済むなんて夢のような話だ。貧困を利用して兵士を調達する。堤氏はこれを「経済徴兵制」と呼ぶ。
 ところがいま、退役軍人病院は医療の役目を果たしていないという。受診を申し込んでも、何ヶ月も待たされる。イラクで劣化ウラン弾による放射線被爆を受けた帰還兵らは、はなから相手にされない。
 いまや被爆者は、日本のみならず、イラク、アメリカ、ロシア、オーストラリア…と世界に広がっている。ヒロシマ・ナガサキから世界に目を転じて、広く連帯すべき時代になっている。日本の医療関係者には大きな期待が寄せられている。

 「9・11よりも9・12が怖かった」というお話に意表を突かれた。事件のとき、崩れたビルの隣のビルに居合わせたというから、とてつもなく怖かったはずだ。それ以上の恐怖とは何だったのか。
 全てのメディアがまったく同じ内容のニュースを流し、テロリストへの憎しみを煽り立てる。メディアは、全てが分かったような気分にさせ、戦争に駆り立て、勇ましいリーダーに付き従うことを促した。ブッシュの支持率は92%まで跳ね上がった。
 まさかアメリカ社会がそんな変貌を遂げるとは思いもよらなかったという。そういえば日本でも、最近似たようなことがあった。「小泉改革」である。
 マスメディアには猛省を促したい。

「とやま保険医新聞」09.10.25(318号)



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